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踏み絵とびんかん資源物とざる頭
2010年04月09日(金)
もうすぐ帰るし、きょうが最後のふつうの日なので(あしたあさっては週末)走り回っているけど、ほんとに能率がわるいのにはおどろく。忘れ物をするのである。郵便局にいくにもけっきょく2回3回といかねばならず、今やってることに集中すればいいのに、いろんなことをやり散らすから手をつけるそばから忘れていく。更年期によるものか、ただの老化か、昔からそうだったか、昔からそうだったような気がしないでもない。その上このごろなんとなく気がついているのは、行儀が悪いということだ。ちゃんと席にすわっていられないのである。いままでどうやって暮らしてきたのかわかんないほど、行儀が悪いらしいということに気がついた、「男子禁制」でもそうだし、きのうはA蘇中央高校の入学式でもそうであった。こないだの連詩のときもそうであった。こういうのに気づきはじめたというのは、それだけおとなになってきたことなのかも。前に、精神科の医者の待合室で(カリフォルニアでの話)おとなのためのADHDのパンフレットがおいてあって、うきゃーーーーーと思ったほど思い当たった。もともとそうなのかどうなのかわからない。もともとざる頭ではあった。きのうはA高校の入学式のあと(日本の学校の式典というものを、おとなになってはじめて見ておどろいたのなんのって。型にはまれと子どもに教えているようなもんだ。国歌斉唱もあった。こないだ大江天主堂の脇のロザリオ館で、踏み絵のことを教わったので、きちんとできた)父をつれてルイの見舞いに。夜はうちで「連詩」の慰労会。みんなありがとう。そしたらラッキーなことにきょうはびんかん資源物の日。
ルイ
2010年04月07日(水)
仕事中に、ルイの具合が悪いと父から呼び出され、行ってみたら、ソファの下で、とけいのきざむ、いち、に、さん、よん(以下省略)をやっていた。獣医に連れて行ったら、膵炎のようだということで、緊急入院。いつもの診察室ではなく、裏の処置室みたいなとこでエコーかけられた。麻酔されて全身そられて洗われた犬や、手術終えて運び出される犬や、手術着のまま、なにもさわらないようにして、あちこち見てまわるT田先生を見た。タケは獣医ではぶるぶるふるえているのに、ルイはおとなしく何でもされるままであった。
葉桜と銀行
2010年04月06日(火)
ローンの銀行のお金が足りないのに気づいて、そしてきのうとかおとといが毎月たいてい引き落としの日なのに気づいて、すぐネットで振り込んだが、間に合ったかどうか不安で、朝イチに銀行にいってみたら、まにあってた。今月はきょう引き落としであった。どきどきした。ここは諸般の事情でネットで口座がみられないところなのである。まったくお金の不安っていうのはどうにもならないので、いや。クリスチャンベールの扮した貧乏な牧場主ダンの気持ちがよーーくわかる。葉桜。すごくいい感じ。
私信
2010年04月05日(月)
M尾さん、COEDOビール、ほんとにおいしかったです。E元Nこちゃんとこにもって帰っていっしょに飲みました。ありがとうございました。しっかりとした、誠実な味のビールでした。
父ちゃんのぼーーーーが聞こえる
2010年04月04日(日)
東京ではしゃぎまわってきたので、さすがに疲れていて、ぼーーーーっとしている。父にみせようと思って、「3時10分決断のとき」と「HACHI」を借りてきた。その前にDVDプレーヤー壊れたので、買い換えた。それから父を武蔵うどんに連れて行った。きのうは父を大宝堂にめがねつくりにつれていった。連れ出すのも大変なのである。ああ、なにしろ疲れた。へっ焼きが回ったぜといいたいところ。
桜
2010年04月02日(金)
東京は桜が満開であった。空港から一心行の大桜を見に寄り道してきた。阿蘇の谷は小桜があちこちに満開であった。熊本市内は葉桜であった。
さくら
2010年03月28日(日)
さくらを見ていた。
火振り祭りとベール祭り
2010年03月26日(金)
えーーどこまで書いたか。Jフリー、B場さん、K下さんと火振り神事を見に行って、まるで「おけあちめ」みたいな歌に感動し、禰宜さんたちのお神楽にトランスしたのはいいが、丹波屋さんの駐車場に車をとめたまま深夜まで神事をおっかけすぎて、丹波屋さんに迷惑かけてしかられた。みんなで平身低頭誠心誠意あやまったのである。それからめがねを新調し、パーマをかけ、父をあなごの天もりを食べに堅平更科まで連れ出し、「96時間」を父といっしょにみたりしていた。今日はそれでついでに「クリスチャン・ベール」祭りが再燃して「戦場からの脱出」、なんとヘルツォーグの監督である。べーラーとしては、「マシニスト」みたいにやせ細るベールもみられたし、「アメリカンサイコ」なみにくそ明るいベールもみられたし、「太陽の帝国」の少年の面影もあったしで、満足であった。そしてヘルツォーグはヘルツォーグであった。アマゾンがメコンになったのであった。もう詩人たちにお礼メールだした。丹波屋さんにもお詫びはがき出した。メールの上ではまだくすぶっているが、祭りはほぼおわった。
まだまだつづく
2010年03月23日(火)
きのうは午前中、T田H未さんの見送りで長老夫婦が離熊し、午後には熊大でJフリー先生が講演(同性愛の文学を語ることの困難について)。こんなにしどろもどろなレクチャーははじめてだったねとJフリー先生は家に帰ってやけ酒を飲んでおられた。きいていたあたしとしては、彼のチャーミングな日本語を堪能することもできたし、問題点をいろいろと確認することもできたと思うんだけど。会場にはK原先生が。とてもなつかしかった。元夫の元上司である。ぽんと熊本にやってきた世間知らずの若夫婦(元夫とあたし)をよく教えみちびいてくださった。あたしはK原先生の「阿部一族」講義にもこっそり出たものである。会場でE口絵はがき分隊長は、大量に絵はがきを(秘密裏に)売りさばいた。会の後、イラティにて、T田さん(梅毒とゾラ)、Y田さん(ノヴァーリス)、H田さん(十六世紀)、Tげさん(フランク帝国)たちと話しているうちに、橙大学おとな篇を突然発案、この熊大の人々にすでに文学隊内部のT口さん(どフェミ)、MぶちSのこさん(比較文学)、O山さん(なんだろうか?)、J野さん(書道)、A上さん(クィア文学全般)とならべるとすごい企画になる。そこでその場でみんなひきずりこんで緊急企画謀議。A上番頭、MぶちSのこ手代、あとは任せた。こども篇は手代のMゆかちゃんが現在走りまわっておる。ちゃくちゃくと整いつつある。その援護射撃である。きょうは土砂降りだが阿蘇神社では火振り神事決行のはず、Jフリー先生を同道して見に行き、神社でB場さんK下さんI芹さんT春さんと落ち合う。あしたはJフリー先生京都へおかえりである。そしたらちゃんとみんなに連詩の報告をする。
まだつづく
2010年03月22日(月)
連詩は終わったがまだつづく。きのうはB場さんK下さんあたしK原くんJフリーJリーDアンで天草に。本渡の奴寿司をたべつつ、崎津から大江の天主堂、ロザリオ館の前で八幡宮の春祭りにであった。直会(なおらい‥‥「古文研究法」で知ったことばだ。現実ではじめて会った)のもちなげにであった。ロザリオ館のM本さんはもう退職されるそうだ。長い間お世話になりました。さくらが、山のも里のも、爛漫‥‥というより人間でいったら四十代半ばの感じで爛漫であった。きのうはうちのなかにK原くんとSどさんが寝ていた。きょうはJリーとDアンとJフリーが寝ている。父が風邪でちょうしがわるい。二日前はなんだか肺炎っぽいといわれたが、それはだいじょうぶだったみたいだ。
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