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1955年 東京板橋に生まれる。零細下請け町工場地帯の路地裏で蝶よ花よの幼児期、漫画依存の肥満児として子ども期を過ごす。
1971年 都立竹早高校。全共闘とヒッピー文化の残滓色濃く、三無主義世代のまっただ中、学業は古文以外まったく身が入らず、太宰と中也と漫画とニール・ヤングで明け暮れる。
1974年 青山学院大学文学部日本文学科。摂食障害でボロボロになる。
1975年 「新日本文学」の文学講座を受講、講師の阿部岩男に惹きつけられて詩のクラスに思わず登録、詩を書きはじめる。岩崎迪子らと詩誌「らんだむ」。鰹節屋でバイト。
1976年 現代詩手帖に投稿をはじめる。マーケティング会社でイラスト描きのバイト。
1977年 『お母さんは‥‥』詩の世界社(シブ・シダリン・フォックス/渥美育子翻訳)の下訳手伝い。雑誌「フェミニスト」の使いっ走り。
1978年 第一詩集『草木の空』アトリエ出版企画。第16回現代詩手帖賞。就職試験にことごとく落ちるもかろうじて浦和市教委の臨時採用にひっかかり、浦和市白幡中学で国語科教師。生徒には人気があったが、だらしがなく遅刻が多く同僚と保護者には不評だった(はず)。
1979年 『姫』紫陽社。恋愛し苦悩しボロボロになり教師をやめてボロボロになり結婚し絶望しさらにボロボロになり離婚し混乱し仕事も住む場所も転々とする。猫を飼いはじめる。岡田幸文らと定期的に朗読会をはじめる。現代音楽のパフォーマンスに参加し、声についていろんなことを考える。
1980年 新鋭詩人シリーズ10伊藤比呂美詩集』(通称ぱす)思潮社。ひきつづき人生は若気のいたりだらけ。生活の手段は塾の講師。
1981年 鈴木志郎康の『比呂美毛を抜く話』に出演、ファインダー越しの対話に多くを学ぶ。
1982年 『青梅』思潮社。ポーランドに留学した西成彦を追いかけて戒厳令下のワルシャワに行き、日本人学校の国語科教師として現地採用。
1983年 帰国して西と結婚、東京の片隅で幸福な貧乏暮らし。書肆山田の詩誌「壱拾壱」に参加、多くを学ぶ。
1984年 春、カノコを産む。西の熊本大学就職に伴い、晩夏に熊本市黒髪に移住。奇しくもミノムシ大発生の年であった。西の就職で余裕ができて、電球を買いに行った店先でワープロ(NEC文豪)を衝動買い、機械なんかで詩を書くものじゃないと周囲の詩人にさんざん批判されるも、記述する速度は声の速度と同じになる。北米先住民の口承詩に夢中になる。『感情線のびた』弓立社。
1985年 『テリトリー論ll』思潮社(「現代詩手帖」誌上で荒木経惟と「テリトリー論l」を連載中だったので「ll」とした)。「壱拾壱」のメンバーとともに各地で朗読。とくに沖縄ジァンジァンの朗読で、自分のスタイルをとりあえず確立。赤ん坊のカノコにおっぱいやりながら「カノコ殺し」を朗読していたのもこの頃。英語を勉強しはじめる。平田俊子、松井啓子と詩誌「ヒット」。使い始めたワープロで一気に書き下ろした『良いおっぱい悪いおっぱい』冬樹社。『週刊本34知死期時』朝日出版社。
1986年 初夏、サラ子を産む。『女のフォークロア』平凡社(宮田登と共著)。
1987年 『テリトリー論』思潮社(荒木経惟と共著l/llとも、装幀は菊地信義)。「北の朗唱」(高橋睦郎、佐々木幹郎、白石かずこ、吉増剛造、天童大人)に参加し、朗読と旅と詩人の生き方について、多くを学ぶ。はじめて国際文学シンポジウムに参加していろんなことを考える(シンガポールで)。『おなかほっぺおしり』婦人生活社。『性の構造』作品社(黒木香と共著)。
1988年  『現代詩文庫94伊藤比呂美詩集』思潮社。運転免許を取得する。西のワルシャワ大学赴任のため家族でポーランドに住む。
1989年 親が熊本に移住し、以後「実家は熊本」となる。『おなかほっぺおしりそしてふともも』婦人生活社。『パパはごきげんななめ』作品社(西成彦と共著)。
1990年 日独女性作家会議に参加していろんなことを考える。平田俊子とモンゴルに行き、草原に立っていろんなことを以下同文。金関寿夫の紹介で米詩人ジェローム・ローゼンバーグを知る。説教節に夢中になる。
1991年 『のろとさにわ』平凡社(上野千鶴子と共著)。西成彦と離婚、以後も家族として同居をつづける。三か月間家出してローゼンバーグを頼って渡米し、旅をする。
1992年 『家族アート』岩波書店。恋愛に悩む。平田俊子とアイルランドに行き、アラン島の絶壁に立っていろんなことを考える。
1993年 『わたしはあんじゅひめ子である』思潮社。この頃からカリフォルニアと日本を行ったり来たり。家庭の問題と恋愛と薬物依存にボロボロになって悩みぬく。この頃、旺盛に各地を朗読講演してまわるのは家に居場所が無かったせい。『おなかほっぺおしりコドモより親が大事』婦人生活社。『あかるく拒食ゲンキに過食』平凡社(斎藤学との共著)。『家族アート』で第6回三島賞の候補になったが、気鬱と薬でボロボロだったので落ちたこともほとんど記憶にない。
1994年 ひきつづき気鬱で混沌。『おなかほっぺおしりポーランドゆき』婦人生活社。
1995年 『手・足・肉・体』筑摩書房(石内都と共著)。秋、末っ子のトメを産んで毒が抜けたように心身がすっきりする。『家庭の医学』筑摩書房(西成彦と共著)。
1996年 ひきつづき家庭は不穏。『居場所がない!』朝日新聞社。『にごりえ』河出書房新社(現代語訳/樋口一葉原作)。
1997年 西との家庭を解散、子どもを連れてカリフォルニアに移住し、ハロルド・コーエンと新しい家庭をつくる。これ以後毎夏家族で熊本に帰るようになり、熊本の自然と文化に対する愛着が深まる。娘たちの思春期と異文化への適応にてこずり、永住ビザの取得に苦労する。ワープロをコンピュータ(アップル)に切り替える。西日本新聞紙上で身の上相談「万事OK」を開始。
1998年 「ハウス・プラント」で第119回芥川賞の候補になって落ちる。犬を飼いはじめる。エルニーニョで、カリフォルニアは雨が多かった。『あーあった』福音館書店(絵本/牧野良幸絵)。
1999年 『ラニーニャ』新潮社。「ラニーニャ」で第121回芥川賞の候補になり、落ちてこりごりするも、『ラニーニャ』で第21回野間文芸新人賞を受賞、しかし自分の小説家としての適性に疑問を持つ。室内園芸に夢中になる。『なにたべた?』マガジンハウス(枝元なほみと共著)。『きみの行く道』河出書房新社(翻訳/ドクター・スース原作)
2000年 日本霊異記に夢中になる。死者の日に、枝元なほみとメキシコのワハカに行く。『伊藤ふきげん製作所』毎日新聞社。『またたび』集英社。
2001年 津島佑子に誘われて日印作家キャラバンに参加、いろんなことを考える。『ビリー・ジョーの大地』理論社(翻訳/カレン・ヘス原作)。『キャット・イン・ザ・ハット』河出書房新社(翻訳/ドクター・スース原作)
2002年 カノコの巣離れ。『万事OK』新潮社。『ビリー・ジョーの大地』で第49回産経児童出版文化賞ニッポン放送賞。
2003年 カリフォルニアに山火事が頻発。『なっちゃんのなつ』福音館書店(絵本/片山健絵)。『11の声』理論社(翻訳/カレン・ヘス原作)。『おめめとじてね』福音館書店(絵本/ながさわまさこ絵)。
2004年 『日本ノ霊異ナ話』朝日新聞社。前年の『なっちゃんのなつ』につづいて『日本ノ霊異ナ話』ですっかり里心がつき、長い間離れていた詩に戻る決意をする。新井高子に誘われて詩誌「ミて」に詩を発表したのを手はじめに、長編詩を構想する。春先、セコイア国立公園に行く。親が年老い、熊本カリフォルニア間の移動がひんぱんになる。『ラヴソング』筑摩書房。『おなかほっぺおしりトメ』PHP研究所。『テーマで読み解く日本の文学』小学館(津島佑子、中沢けい他)に参加。熊本近代文学館『21世紀作家展コトバノチカラ』に参加。
2005年 『河原荒草』思潮社。カリフォルニアは百年に一度の多雨の冬、百年に一度の緑の春。九月から十二月まで熊本に戻る。親がさらに衰え、介護をしつついろんなことを考える。『レッツ・すぴーく・English』岩波書店。『ミドリノオバサン』筑摩書房。
2006年 『河原荒草』で第36回高見順賞。78年の現代詩手帖賞以来はじめて詩の賞の候補になり、しかも受賞して、やっと「おとなの熟練工」になった気分。介護のために熊本カリフォルニア間をひんぱんに行き来し、東京に寄るたびに巣鴨のとげ抜き地蔵に通う。熊本近代文学館の馬場純二、熊本大学の跡上史郎らと熊本文学隊を結成。中沢けいのHPを間借りしてブログをはじめるもすぐに挫折。
2007年 『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』講談社。『コヨーテ・ソング』スイッチ・パブリッシング。『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』で第15回萩原朔太郎賞。ひきつづき熊本東京カリフォルニア間を行き来し、また熊本文学隊の活動でさかんに九州内を動き回る。9月、ブログ再開。11月、行ったり来たりのエネルギーが底をつき、アメリカ国内を数日間単独放浪。『死を想う われらも終には仏なり』平凡社(石牟礼道子と共著)。『ふしぎのたね』福音館書店(翻訳/ケビン・ヘンクス原作)。『あのころ、先生がいた』(よりみちパン!セ31)理論社。
2008年 5月熊本文学隊が旗揚げ。ひきつづき人と出会う、人とかかわる。春、朗読プロジェクト「詩人の聲」(天童大人企画)で、ひさびさに会心の朗読。ここ数年朗読に飽きていたところであった。夏、家族を連れてイギリスに遊ぶ。7月26日8月31日まで前橋文学館で「伊藤比呂美展」。『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』で第18回紫式部文学賞。8月熊本橙書店にて谷川俊太郎、四元康祐と連詩。『漫画がはじまる』スイッチ・パブリッシング(井上雄彦と共著)。『きみの行く道』(改訳版)。『人生相談万事OK!』ちくま文庫。『女の絶望』光文社。
以後不明、どうなりますか。
   
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