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ヤスとロンとビールとエゾニュウ
2010年06月22日(火)
ロッテルダムに着いてすぐ、あたしの友だちのYモトはいつ来るのか?と聞いたら、みんなが口々に「あーヤスね」と答えるので、あたしもそう呼ぶことにした。ヤスがやってくるまで、あたしはひとりぼっちでほんたうにさびしかつた、とヤスにいったら、こないだまでいたセルビアでもKずこさんにそう言われたと言っていた。見た目も、しゃべる英語も、人との接し方も、まったくの他人からみたら、やはりそこに文化民族としてのsimilarityを感じられるのだろうなと思われるようなヤスとあたしであった。 ロッテルダムで気に入ったのはHoeGaarden、白ビールだな、すっぱくて繊細だった。アントワープではTongerlo Prior Tripel, これもすっぱ系、絶品、それからロッテルダムでヤスにおごってもらったのが、地元のおじさんが飲んでいたので注文したPalmのドラフト、表面にシャのかかったような、飲みやすい、でも奥行きが足りない。Affrigem Tripel そそりたった白い壁のようなすっぱさ。Affligem blondフルーティーだがいまいち。WestmalleのDubbel野趣に富んだ、夏安居のような。「さむざむしい野の雨の後、いちめんの草っぱら、ブリューゲル風の猟犬が向こうを走ってるような」とヤスが表現した。詩人である。生にしん(名物)をたべたときはハイネケンしかなかった。でもにしんとはうまく合っていたのである。ロッテルダム周辺の路傍でよく見たのが、エゾニュウそっくりの巨大なセリ科の植物、今、花ざかり。しかし名前がつきとめられない。それから真っ赤なケシ。
まだ帰ってない
2010年06月21日(月)
詩祭、最後の日のパフォーマンスさんざんだった。穴があったらはいりたい。19日はあちこちで、日本のパスポートをみせるや「今日は日本と対戦だ」といわれた。「どうせオランダがかちますから」といいながら、セキュリティをとおしてもらった。それからチューリヒ空港についてDンと子どもたちに迎えてもらってDンの家に行き、ごはんたべてしゃべって子どもとあそんで寝た。それから20日一路カリフォルニアのはずが飛行機がおくれて、いままだJFKのホテルに足止めくらっている。NYはおそろしくむしむしする。昨夜はいくつもの飛行機の客が足止めされたらしく、ホテルのシャトル乗り場もホテルのチェックインカウンターもごった返していた。
風車とにしんと一人の冒険
2010年06月16日(水)
宿題の多い詩祭、いざはじまってみたらとっても楽しくて毎日熊本にいるときみたいに社交的な生活をしておる。ひとりでごはん食べるのがすごくいやなので、みんないっしょに食べるシステムはとてもたすかる。詩人というのは基本的にみんなある程度シャイで、気のいい人たちで、おだやかで人と人との間にかすかな距離をつくるのがうまくて、しかもすっとんきょうなところがある人たちだ。どの言語でもどの文化でも。オランダ詩人のYンにはさんざんオランダの歴史、政治、サッカー、王室、宗教など講義をしてもらったので、ここにいる人たちのなかでいちばんくわしいかも。きのうはすべてがオレンジ色なので、すわ、ハロウィーンの月命日かと思ったくらいだ。きょうはぽかりと予定がなかったので、朝から苦労してキンダーダイクという風車群のある世界遺産にいってきた。車かりてと思ったら借りられなくて、しかたがないので公共交通機関(船)をのりついで行った。結果としてはいい手段だった。河の交通はとてもよかった。風車群はすばらしかった。コウホネとスイレンがあった。クマツヅラ科もムラサキ科もゴマノハグサ科もセリ科もサクラソウ科も(どれも名前を知らない)とてもよかった。いろんなことを考えながら2万歩以上歩いた。帰りにへとへとでおなか減っててビールのみたかったので、ビールは酒屋でいいやつを調達したが食べ物が買えなくて、ふと立ち寄った揚げ魚屋で、なんと懸案のにしん(今が旬なので、みんなから食べろ食べろといわれてきた)をみつけた。それと、魚屋にこれもオランダ名物とすすめられたうなぎのマリネみたいの、それとKroketとあったからつい注文したの(あたしはコロッケが生卵のつぎに好き)を買って帰ってホテルでビール飲みながら食べた。にしん、青魚が苦手なので、ダメかと思ったが、ぺろりと食べられた。塩がきいてて新鮮で甘くて実にうまかった。コロッケはエビクリームコロッケだった。疲れはてて夜の朗読(人の朗読)いけないかも。
アムステルダムからロッテルダム
2010年06月12日(土)
アムステルダムについて最初に見たのは白い現代風の風力発電機だった。地上を走ったら、高速道の両側に、エゾニュウそっくりのセリ科植物がにょきにょきと生え、花は白かった。あちこちに風車があった。羽は動いていなかった。野は緑で、群生するケシは赤かった。野はいちめん、ぬれた緑だった。
つらいことだらけ
2010年06月11日(金)
朝4時半に家を出て行かねばならないので寝ないで起きておった。つらい。とてもつらい。本がいっぱいになった。それもつらい。仕事が、おわってないのや始めてもいないのや。だからやっぱりコンピュータとキイボードをもっていかねばならない。それもつらい。宵の口に、娘たちと口論した。それもつらい。そだっているのだからいいのだ当然であると理解しようとしているがやはりつらい。全存在をひっくりかえされる感じである。でつい口論に。バカである、あたしが。「おっぱい」のターミネーターなんてやってるからよけいみしみしとひびくのである。しばらく電話できないよというと父がじつに寂しそうであった。それもまたつらいといえばつらい(しかたがない)。
父とテレビとおっぱいとべーラー
2010年06月10日(木)
おとといか何か、父に電話したら、今「男子禁制」みてるんだといった。多少でもLaLaの役に立つかと思って、スカパー15パックの中に入れといたのである(あとはジャイアンツ専門とその他のスポーツと洋画がいくつかに時代劇専門チャンネル)だ。その日は巨人の試合はやってなかったし、洋画もろくなのがやってなかったのである。で、父語録「言ってることはよくわかんないけど、あんたが出てるから」「きれいな人が出てる、あんたが、どういうわけか、いちばんこぎたない」「きょうは、あんたが元気そうなのを見られてよかったよ」 ところで「良いおっぱい悪いおっぱい」の完全版をつくっておるのだ。いやーこんなにたいへんだったとは。若い頃ってなんであんなに無防備にものが書けたんだろう。信じられないくらい。ターミネーター比呂美が未来からやってきて1985年のおっぱいをターミネートする、という趣向だ。中公(から文庫になって出る)のM浦さんもべーラーなので、ふたりでしんけんに考えた。
宿題の多い詩祭また
2010年06月09日(水)
宿題の多い詩祭の出席者のなかにKムHスンさんという人がいるというのをJフリーが言っていた。すごくおもしろい詩を書く人でしかもあたしと同い年だし、会ってくるように、と。同じ極東の、同じ年の女どうし、会うのはやぶさかじゃないが、おたがいに言葉も通じないし、詩もしらないでどうやって会ってコミュニケートできるのかなあと多少不安に思わないでもなかったのだ。つまり海外の詩祭って、まるで闇鍋なのである。Y元さんみたいに読み書きべらべらなら見本市みたいにおもしろい相手を探せるだろうが、あたしはどうしてもちょいと英訳読んだくらいじゃわかんないのである。そしたらいいことを思いついた。韓国の友人Hンさんに聞いてみたらどうかと。それでメールしたらすぐ返事がきて、Hンさんの訳したKムさんの詩をあたしに、あたしの詩をKムさんに、おくってくれたのである。持つべきものは友。宿題もやったからなんとなく気が楽になった。飛行機にのるのはすごくいや。涼しくてとっても湿っている。荒れ地でJスに会った。
詩祭と宿題
2010年06月08日(火)
もうすぐロッテルダムのPoetry Internationalの詩祭にいくのだが、宿題の多い詩祭で、今はオランダの印象派左翼詩人だというHerman Gorterの「五月」を必死で読んでいる(平凡社世界名詩集大成15北欧東欧篇)。その前はペルシャの語り物、「ライラとマジュヌーン」(平凡社東洋文庫)を必死で読んでいたが、こないだ、それはやらなくていいというメールがきた。どっちかというと、印象派より語り物のほうがとくいであるのだが。詩の印象派って知らなかったからつれあいに聞いたら、絵の印象派についてとくとくと解説しはじめ、絵じゃなくて詩だってばというと、そんなのは知らんと言われた。たしかに光りとか色とかが多いといえば多い。21ページの詩のなかに、「黄金」が42、「白」が58、「赤」(紅や血や茜色も含む)が40、「青」が18、「黄色」が17回使われている。数えたのだ、しこしこと。ほかにも「色とりどり」だとか「ワイン」とか「草」とか「色彩」とか色をあらわすことばは確かにタップリ使われていて、しょうしょううっとうしい。しかし21ページも長編詩を「五月」なんてテーマで書こうとしたら、北国の人だし、色を使うよりなかったのかもと考えた。この詩祭には、人々が何十人もかかわっているらしく、いろんな人から入り替わり立ち替わりメールが来る。みんな英語の名前じゃないから覚えにくく、みんな筆達者でつらつらと書いてくる。英語は読めないことになっているのに困ったことである。いつも返事が遅れて何回も催促がくる。それがまた、申し訳なくも気が重い、ときに悲しく怖ろしい。
ゆめのき
2010年06月07日(月)
昼寝していたらへんな夢を見た。日本で、子連れで、キリスト教の団体にまぎれこんでしまってそこの主宰者と話しこんでいるのだが、言ってることがよくわからないし、その人は好きなタイプの女でもないのでもう帰りたいなと思っている。そこで舞台をやっていたが、男のダンサーが数人すっぱだかでおどっていた。ギリシャ風なのだと主宰者が説明した。音楽を覚えていた。そしたらS子の電話に起こされたが、時差ぼけ中なので、目がさめるまでにすごく時間がかかって長い間苦しみながら這いずっていかねばならなかった。起きてきて、頭のなかに鳴っている音楽、何だったけと考えて、iTunesで探し当てたら、 JCSの「The Temple」の曲だ。で、寝入る直前にBookOffで買ってきたばかりの「キリスト教」という本を読んでいて、そこにイエスが神殿でやったことやその影響について書いてあったのである。これってすごくね?
小鳥とエスキナンサスとカンチャラグア
2010年06月06日(日)
入り口のドアの外にエスキナンサスをぶらさげてある。その中に去年も小鳥が巣をかけて今年も巣をかけた。日本にいく前、5月12日に行ったのだが、そこにはたまごが三つあった。いや、見てないからもう孵っていたのかも。帰ってきたら、6月1日に帰ったのだが、羽の生えたひなが三羽すわっていた。今日みたら、だーれもいない。巣立ったようだ。きのう1日は見なかったからもしかしたら昨日巣立ったのかも。だからエスキナンサスにひさしぶりに水をやった。それを数羽の小鳥が塀にとまって見ていた。巣立った連中かも。「かも」が連続するけど、ほんとにすべてguessだから。昨日荒れ地にいったら、春の最後のピンク花が咲いていた。リンドウ科の「カンチャラグア」で、リンドウ科らしくクッキリした花らしい花、丈の低い草に咲く花、そしていかにも人工的な、何の躊躇も後腐れもない、目のさめるような青みがかったピンク色。それが荒れ地の地面いちめんに満開である。これが咲くともう春の花もおわりだ。あとは乾いていくばかり。
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