|
 |
 |
|
|
|
月下の棋士と昔のエロ劇画
2011年10月10日(月)
きょうはBookOffで「月下の棋士」の文庫の15と20を。これはむかーし連載の始まった頃にはまって読んでたがいつしか単行本を買わなくなってしまったのであった。こないだから読みたくてしかたがなかったのは、もちろん「三月のライオン」のせいである。あたし、大学出たての頃、つまり詩人としてデビューしてすぐの頃、某誌で漫画評論をやれといわれ、しばらく文学にかかりきりで漫画読んでなかったものだから(それで24年組の台頭も知らずにすごしていた)職場への行き帰りに必死で漫画雑誌を買いまくり読みあさりまくり知識の更新にあいこれつとめていたのであった。当時(というのは78年ごろかな?)エロ劇画がおもしろくて、三流劇画とよんでたかもしれない、能條純一とか宮西計三とか石井隆とかひさうちみちおとか、若い女が電車の中で読みふけるにはちょっとというような漫画だったが、なりふりかまわず持ち歩いて熱心に読んだ。たいへんおもしろかった。あの頃へーきでセックスだなんだと書けたのは、もしかしたらこういう読書歴の影響もあるかもと思わぬでもないのである。こないだ「3月のライオン」の第1巻に「月下の棋士」のパロディが出てきたときに、そういえばあれも将棋漫画だったと思い出したわけである。そしてそういえば、二階堂のモデル棋士をモデルにした棋士が、「月下の棋士」にも出てきてたっけなあと思い出していたのである。きょうの収穫は、あと、藤原英司のシートン動物記(ロボとちびすけ軍馬とワープとあばれ馬コーリベイ)、ヘルマン・ヘッセとジョルジュサンドとラブレー、中也の全訳詩集、道教の神々、ぜーんぶ1ドル、豊漁であった。月下の棋士だけ一冊5ドルもした。Convoyまでの行き来は、トメが運転したのであるが、まだ仮免で高速道路を運転できないので、おそろしく時間がかかった。
タケと散歩
2011年10月09日(日)
車に乗り込むのに失敗することが多くなったタケなので、このごろはちょっとそこまでが多い。うちの前の道を角の教会まで歩いて、教会の駐車場を横切って帰ってくる。むかしなら、あたしの留守のとき、トメに散歩にいかせるとき、「角まででいいから」と言い置いていったとこなのである。しかしタケはそれがいやでたまらない。なかなか歩かない上にときどき立ち止まって「もうかえる」のそぶりをするので、いつ頃からかあたしは犬クッキーを手にもって、小さくかち割ったのを与えながら歩くようになった。タケの口でがぶっとやられるととても痛い。クッキーを口先にもっていって「タケ、ゆっくりゆっくり」というと、 ゆっくりかみつく努力はしてくれる。ニコの口はふわふわしていて指先がそっくりつつみこまれるようで、気持ちがいいほどだ。これはたんに大きさの違いなのか、あたしの指が腕ほど大きければ、タケの口も、ニコの口みたいにほっくりとあたしの腕じみた指をつつみこんでくれて、よだれだらだらまみれになったりしないのであろうか、などと毎回考える。この距離を歩くときは、タケにはリードをつけないで歩く。そうするといやいやながらついてくる。リードをつけるとふんばって抵抗して動かなくなるときがある。あたしが見るからタケだけど、知らない人がみたら、ああすごく年取った犬がいやいや散歩しているなあ、と見えるであろう。タケ、と呼んでも、むかしは瞬時にそばに来たものを、今は耳が遠くなって聞こえないから、ぜんぜん動かない。それでリードはつけなくても、タケから目を離すことができない。この道は、教会の手前はずっと園芸植物をつくる農場だったから、だれもいない。ところがそれが数年前になくなって今は新しい分譲地がたちつつある。その手前に左奥にのぼっていく道があり、家が何軒もある。そのなかの一軒に、ひどく獰猛なラブとわけのわからない小犬がいて、ときどき家を抜け出している。それがこっちの2匹をみるや、うなり声をあげて遅いかかってくるのだ。遊びかと思ったらほんとに組み敷いてくるのでおどろいた。若い頃のタケならひとたまりもない(あっちが)。血まみれにして治療費請求されるなんてこともなりかねなかったが、この頃は腰が砕けるばかりなので、何があっても大丈夫だ。タケの訓練士が、犬がケンカしはじめたら、自分(飼い主)が向こうの犬の前に出て行ってかまれろ、そのほうがずっと安くつく、と冗談のような本気なようなことをいっていたが、今となってはすごくよくわかる。ニコはケンカ腰になって襲い返しているが、なにぶんこの大きさなのでたいした戦力にはならない。タケは、散歩から帰ると牛乳をもらえる。それが楽しみで散歩にいきたがるのである。それが楽しみで楽しみで、まだニコが家の前でちんたらにおいを嗅いでいてもさっさと家の中に入ろうとする。それが楽しみで楽しみで、帰ると、自分のお皿の前に立ち尽くしている。楽しみで楽しみで、ついでもらうのが待ちきれない。「タケ、口のみしないでよ」といつも叱られるが、何にも聞こえてないし、かまうこっちゃないのである。で、自分のを飲んだらすぐにニコのお皿の前にいって、それをじーっとみつめている(ニコはタケが怖くて自分の牛乳に口がつけられない)。
ふしぎ系植物たちと保護者会とミーアキャット
2011年10月08日(土)
以前、クランベリーの収穫の写真を見た。それは湖みたいなところで、水面がいちめんクランベリーの赤い粒でおおわれてそれを人々がすくい取るようにして収穫しているところであった。それを昨日とつぜん思いだし、クランベリーのことをいろいろ調べたりしておった。ツツジ科だということがわかった。そしたら今日はSジさんからメールが来て、Welwitschiaという植物について書いてあった。前にその植物が近くの植物園にあるという話をSジさんがしていたので、それはなんという名前ですかと聞いた返事である。調べたら、和名を奇想天外ということがわかり、それなら「ふしぎな植物」みたいなコラムとか本とかで、スマトラオオコンニャクやラフレシアやオオオニバスなんかといっしょに書いてあるのを読んだことがある。おとといは、K森さんから8月末から9月初めの庭の周囲の植物について問い合わせがあり(あたしらは「なっちゃんとたぬき」という絵本を作っているのだ。たぶん来年刊。絵は「なっちゃんのなつ」にひきつづいて片山健さん)ネットで調べたり、植物友達のE藤さんに問い合わせたり、K森さんからもたくさんの植物の名前を聞いたりした。そういうわけで、すごく植物のことを考えているこの数日であった。今朝は、ズンバにいかず(でもちょうどふくらはぎを傷めたので、行くのやめようかと考えていたのだ)トメの学校に、受験生の情報交換のための保護者会にいってクラスのおかあさんたちとおおいにしゃべってきた。のんきそうに見える南カリフォルニアの人々もやっぱり受験が気がかりだ。でもほとんどはふつうの白人家庭で(う、なんかちょっと差別っぽい表現。ゴメンナサイ)「タイガーマム」といわれるアジア系の教育ママのようには振る舞えないからかえって気が揉めるという感じ。自分のことを「ヘリコプターマム」と自嘲している人もいた。でもって、あたしは「ミーアキャット・マム」。
帰国子女のレイとハーフのマコト
2011年10月07日(金)
「僕はビートルズ」の四人がついにイギリスにいったと在東京モーニング購読者であるK森さんから情報を入手した。うむむむ。肝心の英語はどうなっているのであろうか。エプスタインに会ったという話だけれども、彼はたしかユダヤ系イギリス人、ときたら、連想するのがうちのつれあいの英語である。あたしでさえこれだけ苦労してきたのだ。こんなに若くて純粋な男の子たちが、そんな英語に真っ向から太刀打ちできるわけないのである。ここは嘘でもいいから、レイかマコトを、帰国子女かハーフ枠に設定して、英語がじつはぺらぺらであったという流れにしておいてもらいたい。でないと、まず、マコトがあの茶髪を維持できている理由が説明できない(あの時代に同じような髪染め剤が手に入ったのか)、そしてレイの自作の曲が「Talk to me」であることの説明も(つまり歌詞は英語のようだから、その歌詞を構築するだけの英語力がほしい)。ああ、こんなにつっこんで楽しめる漫画がほかにあったろうか。
父のお風呂と娘の洗濯
2011年10月06日(木)
友人の母がアルツハイマーで、きょうはお風呂入ったことを忘れたのだという一部始終を聞いていて、うちの場合は父がお風呂嫌いで一週間ほども入らないが、あたしはもちろん遠くにいるから何もいえないのだが、近くにいてたとえ臭ったとしても、父が今の父の意識で生きているかぎりは(友人のご母堂のように、世話してやらねばならなくなったら関係性もかわるであろうが)、お風呂に入れとも入るなとも言わないだろうし、言ったこともなかったなあと考えた。たぶんあたしは、頭のどこかでそれは個人的なことだから口出ししたらいけないと考えているフシがある。父娘なのになんとつれないではないか。しかし同じ理由で、あたしはつれあいのお風呂にも洗濯にも口を出さない。妻といえども、トイレにこもってうんこしてるときは見ちゃいけないというのと同じ理由で、立ち入るべきではないとも思うのだ。前の夫のときはけっこうがさがさやっていたので、このつれあいとの関係を作るときになにか戸を閉めて(メタファです)閉めっきりなのだ。そして実は、娘どもが大きくなってからは娘どものそれにも口を出してない。末っ子の洗濯はたまに請け負うが、あとはほったらかしてある。つれあいが洗濯機に自分のものを入れたまま忘れておれば、それを乾かしてたたんでしまうのはぜんぜんヤブサカじゃないのだが(それをしないと次に使えないし)。こんなやり方で、父ともこっちの家族とも、家族として穏やかに暮らしている。しかし父はしょっちゅうあたしにうんこでたの出ないのもらしたのもらさないのという話を聞かせたがるので、ほんとうはそこんとこをもっとつっこんでもらいたい、でないと家族って気がしないのではないかとなんとなく感じている。
漫画の買い方
2011年10月06日(木)
漫画の買い方がおかしいとよく娘どもから苦情が出る。何巻もでているものは1から順番に買えばいいのに、おかあさんは7とか13とか25とかてきとうに買うから読みにくい、と。しかしそうではない。あたしは何もかもを見透した上で、いちばん効果的な買い方をしておるのが、素人にはわからんのぢゃ。まず数巻目を買う。10巻出てれば5巻めとか。30巻なら7巻めとか。それが、連載になれて作家の力がのびのびとしてきた頃なのだ。そこがおもしろければ、1にもどる。最終刊が出ていればそれも買う。そうすればむだな労力とお金をかけずに漫画の全貌がわかるというものぢゃ。などといってて、おもしろかったときに、1からぜんぶ読みたくならずにすんだためしがない。しかしそのときも、別にじゅんじゅんに読みたいという欲望がないので、てきとうに穴埋めしていってやがてぜんぶ読み切るのである。
3月のライオンとネット接続の不便
2011年10月05日(水)
M子に頼んだ「3月のライオン」2巻がやっととどいたので、むさぼるように読んでおる。1巻と6巻は成田のTSUTAYAで「1巻と6巻ですが、よろしいですか」と言われながら買い、そしたらイイので、「ハチクロ」より断然いいので、BookOffにはしって3,4,5巻を買ったが、2巻だけなく、じだんだ踏んでいたのである。何がいいといって、橋だな、それから川や空だな、いや、たんなる風景なんだけど、それが実にいいのだ。下町の路地裏のしょぼくれたしもたやの風景もいい。すぐ「青春は」とか「若い」とか周囲の人間にいわせたがるくせがこの作家にはあって、「ハチクロ」のときはすごく鼻についたが、今回はぜんぜん鼻につかない。どういう原因かはわからないが、ネットに行きづらい。すぐSafariが閉じる。FireFoxも閉じる。GoogleChromeも閉じる。同じようなことはすでにラップトップにも起こりつつある。ちょー不便だがいい傾向である。
予告 10月10日澤田精一講演会
2011年10月03日(月)
澤田精一講演会 【とき】10月10日(月・祝)14時〜 【ところ】熊本市現代美術館ホームギャラリー(入場無料)
伝説の絵本編集者、あたしの、絵本における善知識のような(おっとつい仏教用語が……)澤田精一さんの講演会、もちろん、絵本についてです。CAMKの9周年記念の行事です。あたし? いえ、出ませんよ。出ませんけど、すごく行きたい、かぶりつきで話を聞きたいので。
予告 10月22日 言葉を信じる 秋
2011年10月03日(月)
「言葉を信じる」秋 【とき】10月22日13時〜 【ところ】日本近代文学館ホール 【お代】3000円(予約)3500円(当日) 【出演】池澤夏樹・伊藤比呂美・稲葉真弓・白石かずこ・高橋睦郎・天童大人 【といあわせ】kotoba.20110311@gmail.com
渾身の朗読をします……いつもの「詩人の聲」とはちがって、ほかの詩人たちの声に、おもいっきり、揺さぶられ、触発されるはずだ。 http://kotobawo.blogspot.com/
予告 10月28日「比呂美の部屋」
2011年10月03日(月)
「比呂美の部屋 学園ライブ」第五回高濱州賀子さんの巻 【とき】10月28日(金)17時30分〜 【ところ】熊本学園大学 14号館3F1432教室(入場無料) 【ゲスト】歴史家・高濱州賀子(永青文庫研究センター客員准教授)
テーマは「歴史のナゾ―史実と物語のあいだ―」 高濱さんはプロのレキ女であり、スジ金入りの漫画読み、気の置けない女子トークに、きっと歴史が見えてくる!
↑前のページ / ↓次のページ
|
|
|
|
|
|
|
|
|