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予告 10月29日野生の科学研究所
2011年10月03日(月)
現代詩手帖9月号につづいて、越川芳明さんとの対談、第2弾です。 【とき】10月29日15時〜17時 【ところ】明治大学リバティアカデミー(入場無料) 【申し込み】ホームページ、またはお電話にてお申込下さい。 TEL:03-3296-4423 WEB:https://academy.meiji.jp
予告 10月30日 荒尾でライブ万事OK!
2011年10月03日(月)
ライブ万事OK! 荒尾篇 【とき】10月30日13時半〜(2時間) 【ところ】荒尾市緑が丘あらおシティモール「シティホール」 (入場無料)
九州各地で大好評の「ライブ万事OK!」、今回は荒尾市女性モニター連合会結成20周年事業として荒尾にいきます。どんどん相談してください。その場でばんばん答えていきます。 荒尾っていうのはこんなところです。
この暑い最中に、あたしはとうとう荒尾競馬に行ってきた。(中略)有明海は輝いていた。近くには鉛筆描きみたいな海苔の養殖場。遠くには佐賀の山々、雲仙の煙。そこへ馬が出走し、冷房に隠れていたおっちゃんたちがいっせいに馬場のきわまで出てきて、叫んだ。喚声が地響きをかき消した。競馬の後には万田坑に案内してもらった。もう閉まっていたが、外から見るだけでも、と。競馬場から町中を抜け、どんどん緑が多くなって、緑がおおいかぶさってきて、はっと気がついたらトンネルが目の前にぱっくりと口をあけており、その上にはぼうぼうと草々が繁りのたくっており、その向こうに、半円にふち取られた真っ青な空があった。その中に入っていくのが怖いくらいだった。トトロとか、千と千尋とか、そういう世界を体験しているようであった。トンネルを抜けたら万田坑だった。鉄筋の大きな装置があり、煉瓦の建物があり、おおきな煙突跡があった。周辺には雑草の空き地がひろがっていた。セイタカアワダチソウやアレチハナガサがわらわらと群れていた。夏草や。人馬。炭坑。夢のあと。荒尾は熊本市内からほんの一時間、田原坂の下を通り、新しい玉名のバイパスを走り抜けてぐんぐん行けた。知ってる世界がぐんぐんとフェイドアウトして、知らない世界に切り替わっていった。浮かび上がってきたのは、近代と現代。人の生きざまと馬の生きざま。どこにでもある町並みが一瞬にして異境になる。それが荒尾だった。(熊日・文学隊隊長日誌から抜粋)
車にのりこむタケと運転中のニコ
2011年10月03日(月)
きのう買い物にいこうとしたらタケが車に入りそびれ、しょげていて再トライができなくなっており、しかたがないから、タケは置いていこうと思って、クッキーちらつかせて、ほらタケはこっちおいでといったら(つまりその時点で、もうニコは乗り込んでいてすっかり行く気まんまんであった)実に微妙な表情をした。いやよというか、なんで?というか、やめてよというか、ばかいってんじゃないというか。しかたがないので、クッキーを座席の上でちらつかせ、鋭角な感じで車に乗り込むようにしたところ、無事に乗り込めた。 買い物にいったって降りるわけじゃないが、店からもどったら、待っていたごほうびにクッキーをもらえることになっており、家に帰ったら散歩とおなじようにミルクももらえることになっており、タケとしてはそれが楽しみで行くのである。で、あたしが店から戻るとものすごい形相でよだれをたらしながら待っておる。ちょっとぐずぐずすると、うしろから前足をひじをつくコンパートメント(そこにクッキーが入っている)の上に、どんと置いて、うわう(ちょっと!)と催促する。クッキーをやろうとするとすごいいきおいでかみつくので、「ゆっくりよ」というとそーっと取るけれども、ときどき我を忘れてがぶりと取るので、とっても痛い。その上よだれまみれ。この頃目がわるくなってきたらしく、やみくもにクッキーにかぶりつくので、「ゆっくり」がなかなかできない。車のなかではタケは後ろの席に寝そべる。ニコはひじを乗せるコンパートメントの上にあぶなっかしく乗って、こっちに全身を寄りかからせてくる。ときどきこっちのハンドルをにぎる腕をひっかいて、あそべとねだる。ときどき腕に顔をちょこんとのせてくる。ときどきニコに手をくちゃくちゃかまれたり、ニコの口を押さえ込んでひいひいいわせたりして、あそんでやる。運転中のこういうことはぜったいにしないように、と運転見習い中のトメにいいながら、やっぱり自分はやっておる。
タケと「おみみ」
2011年10月01日(土)
タケの顔がかしいでいる。タケの耳(シェパードの耳は立っている)、とくに左耳がアレルギーによる耳だれで、それはもうほんとに幼い頃からタケをなやましてきた。今でこそ耳が遠くなって聞かないですんでいるが、昔は、「おみみ」ということばに「ボール」や「ぼう」や「どうしたの?」よりも反応したものだ(「ごはん」と「さんぽ」にはもちろんかなわない)。「ボール」と「ぼう」はもちろんテニスボールと棒っきれだが、「どうしたの?」はあたしらが心配そうに言う声音とあわせて覚えて、何をしていても、「どうしたの?」というと、すわりこんで足をあげて足のうらに何かささっていたい、みたいなフリをしてみせたものだ。だからこっちも、ときどき「どうしたの?」といって、用もないのにそのポーズをとらせて笑ったものだ。おっと話が長くなった。これだから年寄りは。「おみみ」というと、どこにいても、硬直して逃げたいが逃げちゃいけないというジレンマにもみくちゃになった。というのも、それは耳だれをきれいにするために、酢のにおいのする液を耳の中に入れて、ティッシュと綿棒でぐりぐりとこすられるということを意味しておった。「おみみ」というと、動作をやめて、逃げられない(逃げたい)になるので、トメなどはときどきそれを「やめろ」の意味に不正利用していたものだ。そういうわけで、タケの耳は耳だれだ。ときどきひどくなり、300ドルかけて、医者できれいにしてもらったりもした。ところが数年前、もう5年くらいになるかも。タケの左耳がふくらんだ。医者につれていったら、耳だれがひどくなってタケが耳をふるので空気がたまったということだった。悪性のものではないから、ほっといて大丈夫といわれて、ほっといた。やがて空気はぬけて耳が垂れた。なんでも、ハチ公もそうだったそうだ。それで左耳が垂れている。ああやっと本題に。かしいでいるのは、その垂れ耳のある左側だ。耳だけじゃなく、何をしていても、なんとなくかしいでいる。ニコのボールをうばいたいとき、愚連隊が顔をしゃくりながら相手に近づくように(漫画で見ただけで、本物をみたことはない)顔をかしげてニコに近づいていくが、それとも微妙に違う。タケの意思とは関係なくかしいでいる。不思議である。
タケと階段と議論の勝敗
2011年09月30日(金)
タケが未明にあたしを起こしにきたが、途中の階段で落ちたという。物音にS子があわてて起きてきたら、階段の上から途中の踊り場まで落ちて、そこで腰を抜かしてがくがくしていたというのだ。そうしてタイルのところにおもらしがしてあった(おもらしをするときはいつもそこ)。そもそもS子が階下に寝ているのだから、外に出たいのなら、S子を起こせばいいのに、むかし、子犬だった頃、タケはS子の部屋に住んでいたが、どんなにトイレにいきたくて騒いでもS子はびくともしなかった記憶をひきずっているらしい。それで万難を排して二階のあたしたちの寝室にやってきて、あたしを起こす。ゆうべ起きなかったのはなぜかわからない。2時か3時ごろまで仕事していたから、寝入りばなだったのかも。「おねーちゃんはもうおとなだから、あんたが起こしにくれば起きるんだよ」とS子にしみじみ諭されておった。タケは、あたしが日本から帰ってきた日にもかならず夜中に二階にあがってくる。下に降りてドアをあけてやっても、出ないのだ。それは、「おかあさんほんとに帰ってきたのかな」と確認するためなのだ。こないだは食卓で、スペインの闘牛廃止について、トメとつれあいが議論していたら、タケがよっこらしょと起ちあがり、トメのところへいってふんふんと鼻をおしつけた。それは、ケンカしてると思ったので、弱い方へ加勢しにいったらしい。昔、トメが叱られて泣いてるとかならずタケがなぐさめにいっていた。しかしこのたび、トメはべつに劣勢じゃなく、議論のあとで「かった」とヒソカにいってたくらいなので(父娘とも議論が好きで、テニスをするみたいに議論をするのである)べつにタケに加勢してもらわなくてもよかったそうだ。
僧賀上人とズンバとビートルズ
2011年09月29日(木)
ズンバをやってると、なんだかこの動きは知ってる知ってると思うことがある。きょうやって思い出したのは、ハムストリングスを鍛えるときの脚を後ろにはねあげる動き、あれは「ゴム段」という遊びでやった。でも実はゴム段はほとんどやってない。小学校5年まで肥満児だったから、ああいう動きは何もできなかった。肥満が解消して、走りまわるようになってからも、ゴム段はうまくできず、学校や近所でゴム段遊びにうち興じる女の子の群れは、できない子にはたいへん辛辣だった。今も思い出すのは桐の木の下で近所のだれちゃんかれちゃんとやったときの屈辱である。それが最後のゴム段だったかも。そんな動きも、今はこれこのように嬉々としてやっておる。これって何かで読んだなあと、また思い出したのが、発心集。第一の第五話の僧賀上人の話だ。死ぬ間際に、小さい頃やりたかったけどできなかったといって、一人碁をうち、それからあおり(馬具)を被って(馬具なので被るものではない)踊った。僧賀上人、とってもかわった人だと思っていたが、今、その気持ちがよくわかった。 きのうH田がitunesのラジオでビートルズかけっぱなしの局があると教えてくれたので、聞きっぱなしている。これで「僕はビートルズ」の7巻(いつ出るのかわかんないけど)はばっちりだ。
ビートルズと僕はビートルズ
2011年09月27日(火)
トメにビートルズの、「僕はビートルズ」にでてきた曲を借りて聞いているんだけど、いったいかわぐちかいじと原作者は、どうして「抱きしめたい」を「ファブ・フォー」のデビューシングルにしたのだろうか。ビートルズにくわしければそのへんがわかるのだが、わからないのでとてもわかりたいのであった。マコトやショウは、英語をどう歌っているのか。江利チエミのテネシーワルツみたいな英語になるのかななどと考えているのであった。しかもこれからロンドンにいって、歌は英語でうたえても英語しゃべれなきゃどうしょうもないだろう、盗作ってのがわかっちゃうだろう、とモーニングを買えないところでやきもきしているのであった。そもそもA hard days nightといったって、それがaかtheか、並大抵の英語力じゃわからないはずである。Hello, goodbyeくらいならともかくもYesterdayとかI saw her standing thereとか英語がこみいっているのであった。ああ、ほんとに他人の(といってもショウとかマコトとかレイとかの)英語力が気にかかるのであった。
股旅とマイレージといちごとビール
2011年09月25日(日)
旅行はきらいだが、やたらとマイレージがたまっておる。おかげで空港では、ちゃっちゃっとチェックインできるし、荷物は早く来るし、ラウンジも使える。成田のUAのラウンジはサントリーのプレミアムのドラフトが飲めるのである(ビールといえば、ANAの国内線では500円でCOEDOビールが飲める。でも降りたらすぐに運転なので、一度も頼んだことがない)。で、今回は今度の日本行きをマイレージでゲットしてみた。とても助かった。それでいろいろ調べてみたら、ANAのマイレージもJALのマイレージもたくさんたまっているのにいっこうに使ってないことに気づいた上、JALはもうすぐ期限切れになるのを知って、あわてておる。AAもたくさんあったはずなのだが、San Jose成田線を使わなくなってからというもの、UAしか使わなくなったので、ぜんぶ期限切れでなくなってしまっていた。こういうのに目端がきけば、もうちょっと生きやすくなるものを、忸怩たる思いなのである。 ビールといえば、先日、誕生日プレゼントにJミーがFruliというのをくれた。ベルギーのいちご味ビールで、ほんとに醸造にいちごジュースを加えてあるということで、小さくて濃そうなボトルに入っていたので、なにも期待しないで飲んだところ(あんまりどろりとした、バーリーワイン風ビールは好きじゃないのだ)それがっっ、おいしいのおいしくないの、じつに上品な味わいで、草の実(ベリーだな)どくとくの野趣のある上品さをうまくひきだし、かつビールはビールで、しかし苦みはすべて繊細なモルト味の裏にていねいに折りたたまれて隠されてある感じ、ひさしぶりに心から感動したのである。しかし惜しむらくはボトルのデザインがださいこと。工夫されたし。
漱石と親鸞とジンベエザメ
2011年09月24日(土)
そういうわけで漱石の声を借りて、息子と義絶する親鸞の手紙を現代語訳してみた。もともと前に訳した歎異抄の親鸞には、なんとなく、漱石の声をひびかせようとしていたのである。ずっと鴎外はすきだけど漱石は今いちといってきたのに、こうして読むと声が力強くておもしろいのなんの。とかいってたらトメがメキシコ旅行から帰ってきた。学校の旅行(どの学年からも行きたい人だけ行く。ほかの場所に行った子たちもいる)である。カリフォルニア湾に面したバヒア・デ・ロスアンヘレスというところで、4日間ジンベエザメと泳いでいたそうだ。すっかり日焼けして顔と背中と髪の毛が同じ色になっておった。アシカがまつわりついてきて遊びながら泳いだとか、泳いでいたらジンベエザメに触ったとか、イルカはもちろんだとか、天の川がきれいに見えたとか、すごいところに行ったものだ。旅行はきらいだが、そういうところならあたしも行ってみたい。
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