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J Edgar と予告編
2011年11月14日(月)
ゆうべ映画をみようとつれあいが言いだし、あたしはつれあいといっしょに映画を見るのは実はとってもいやなので、うーとかあーとかうなっていたところ、つれあいはあきらめて(トメはとっくに離脱しておる)Netflix で見るからヘッドフォン貸してというので、なんとなくホトケ心をおこし、じゃーこないだから見たいといってた「J.Edgar」やってるかもしれないから見に行こうと言いだして墓穴を掘りつつも、調べたらちょうどやってるので、ごはんのあとに行ったのである。この頃うちのほうでは映画館がどんどん消えておる。数年前に最寄りのがなくなり、こないだたてつづけに、10分くらいのところが二つなくなり、15分くらいのところがなくなり、今は、20分くらいのところに行かないと見られない。きのうは豪雨だったので、篠突く雨の中視界の悪い山道のくらいとこを通り抜けていくのが気が重かったが、その頃には止んでいたのだ。デカプリオすごかった。やーっと顔が、能力にまっちしてきたようだ。年取るっていいこともあるなあとデカプリオはしみじみ思っていることであろう。予告編で「ドラゴンタトゥーの女」のアメリカ版、デイビッド・フィンチャーだ。ぜったい見る。スピルバーグの「War Horse」っていう映画、ぜったい見ない。馬が戦場を(第一次世界大戦らしい)、馬具装着して、でもだれも乗ってない状態で、傷つきながら、必死の形相で走っていた。ずっとずっと走っていた。それだけでもう可哀相で可哀相で可哀相で可哀相で可哀相で可哀相で。
タケと雨の後の荒れ地と海
2011年11月14日(月)
車にのりこんだとたんにタケがうんこをし(鳥のえさまじりのいいうんこであった)いきなりそれを食べた、というより、ぱくりと呑み込んだので仰天した。待ちきれずに車のなかでうんこというのはこれで2回目、でも食べたのははじめて。タケをおろそうとしたが降りないので、しかたがないから座席にしいてあったシーツをひきはがし、残りのうんこを捨てて、シーツは洗濯機につっこんで、予定通りに隣の公園にボール遊びにいった。きのうの豪雨を思い出し、あたしだけ荒れ地へ、と思って(タケは歩き通せないと思ったから)トメに犬たちと残っててと頼んで歩いていったら、うしろから犬たちがついてきた。トメもついてきた。まだ芽生えには早すぎるのでなんにも出てなかった。キク科のほよほよした白い花がドライフラワーみたいに残ってるばかりだ。向こうの海は深く落ち着いて見えた。雨のあとの海の色だ。
雨とタケ
2011年11月13日(日)
すごい雨だ。さすがはラニーニャ。おっとラニーニャで雨だったかエルニーニョで雨だったか。とにかくすごい。惜しいことにゆうべたっぷり庭に水をやったところだ。犬たちは外にいかれないのだが、タケはやはりそのへんちょっとボケてて、理解しようとしないので、とりあえず外に出して、中に入れて、散歩にいったらかならずもらえる牛乳をやる。そうすると行った気になるという寸法だ。
Birdsとちんちん千鳥
2011年11月12日(土)
なんだか全身がふつふつ発酵していて寝るに寝られず、ネットいって遊ぶ気にもなれず、ほかにすることもないからまたこれを書いている。じゃー別の仕事すりゃいいじゃないのと心の中のあたしがささやくがそういうものでもないのである。頭は親鸞のそばにまだいるのである。ずっと前から借りっぱなしになっていた映画をきょうやっと見た。「Dr Martin」という、友人(イギリス人)が熱心にすすめていたイギリスのテレビドラマシリーズの映画化されたもので、友人がすすめたのはテレビドラマのほうだったけど、まあ「木更津キャッツアイ」と「ワールドシリーズ」とか、毎週のクレしんと「アッパレ戦国大作戦」みたいなものかなと思って、映画のほうを借りてみた。とってもつまらなかったけど、さすがにそのテレビっぽいゆるさが、今のあたしにはけっこう快かった。こういうときには「猿の惑星」とか見る気にならない(これをこないだ飛行機のなかで見たのだが、オハイオの事件がかぶさってほんとにいたましかった)。イギリスのテレビドラマシリーズにはまっているイギリス人(もう何十年もアメリカ在住)って、あたしやMみさんが日本のレンタルDVD屋にいって日本のテレビドラマを借りてくるようなものだ。彼女にはイギリス人がみんなこれでカスタードクリームをつくるというインスタントのカスタードパウダー「Birds」もすすめられて、手に入れて(イギリスにいったつれあいに買ってきてもらった)食べてみたが、そんなにちょーうまいというものではなく、むしろちっともおいしいとは思えず、やっぱりそこにはいろんな記憶や感情がしみついているのだろうと思われた。あたしがそこここのクリームパンに執着してるようなものであろう。ここのところ寝る前に読んでいる本は「ちんちん千鳥のなく声は」という本で、前に読みかけて、おもしろいなーと思って、読み終わってないのに娘に貸したのがもどってきたのである。鳥の声を日本語のわれわれはどう「聞きなし」をして日本語に「うつす」かという研究で、すごくすごくおもしろい。
親鸞と脱稿
2011年11月12日(土)
あと少しあと少しとずっと思っていたのになかなかそのあと少しができあがらずにいたのである。こないだ日本にいたとき「実働7日で終わります」とぷねうま舎のN川さんに宣言した。それはハッタリではなく、本気でそう思っていたのだが、熊本に帰るや、その7日がぜんぜん取れなかった。取れたのがたったの1日、それも寄せてかき集めて、とだれかのオッパイのようであった。でもこっちに帰ってきたら、どうだ、予告しめきりとでもいうべきか、きっちり6日で仕上がった。やっぱりあたしの読みは正しかったと、自画自賛しながら、入稿。いや、われわれは脱稿というべきか。でもそれじゃあんまり脱肛の音が強すぎるじゃないの。うちのそば(熊本)の豊肥線みたいに、おや、と思うじゃないの。豊肥線に、毎日電車はまじめに走っている。おっと脱線。ともかくそういうわけで近々出ます、「たどたどしく声に出して読む歎異抄」ぷねうま舎から。
まつたけとコンブチャとchia
2011年11月12日(土)
こないだ日本食屋へ行ったらば、またまつたけが安く出ていた。それで大量に買い込んで、まつたけご飯、まつたけのおつゆ、まつたけのいためたの、とまつたけ尽くしをしたのである。親鸞いよいよ正念場で、しゃきっとしようと思って、きのうWhole Foodsへコンブチャの買い出しにいき、樽出しを一杯に、びんいりを2本買ってきた。その前に近所で買ったやつには、chiaというものが入っていて、それはタネで、水に浸けてタネのまわりにつるんぷるんしたものをふきださせたもので、ちょうどバジルのタネに同じことをすると、かえるの卵みたいなものができあがる。バジルのほうはアジア系の店にいくと飲み物として売っている。愛玉とか金玉とかいう名前だ。それはともかく。chia入りのコンブチャはあまりに食感がへんてこで、しゃきっとしないので通常のを買い求めたのであった。ついでにおおびんに紅茶入れてたねとして少し生のを入れて、培養中。
父と巨人の内紛
2011年11月12日(土)
父が話したがるのは、下痢とか便秘とか下痢とか便秘とか、そういう話題ばっかりである。下痢と便秘の2極体質らしい、彼は。巨人の内紛の話、おもしろがるだろうと思って振ったら、「あれはね、もう八十いくつだろ、やめちゃえばいいんだよ、そういうの『老害』っていうんだ」とそっけなかった。ここのところ仕事で頭がいっぱいで、しかも冬時間になったもので、思ったより夜の更けるのが早くて、父に電話しなきゃと思うときはもうこっちは疲れはてていて、口もききたくなくなっている。父にその感じが伝わったらかわいそうだなと思いつつ、でもほんとに疲れはてていて、見てもいないテレビの話だなんだと愛想をふりまく気になれないのである。
タケの腰と「おかあさんいるかな」
2011年11月10日(木)
タケの腰がくずれる現象はどこかで見たと思ったらうちの父だ。つまりタケはパーキンソン病にかかっているんじゃないかと思う。ふつうはもっと手の自由もきかなくなるんだろうと、つれあいが、パーキンソンの知り合いのことをひきあいにだしていっていたが、タケは前足は細かい作業に使わないので、目立たないのかもしれないし。今朝、早朝のエアロビクスにいって帰ってきたらタケがいない。タケはたいてい、リビングのタケ用ベッドか、廊下のつきあたりのあたしの部屋の前のタケ用ベッドに寝ているのである。家じゅう探してみたら、なんのことはない、二階の、あたしらの寝室の人間用ベッドのわきのニコ用ベッドの上にいた(耳が遠いので、呼ぶ声が聞こえなかったし、聞いてもさいきんはすぐ駆けつける気が失せておる)。れいによって「おかあさんいるかな」とみにきて、いなかったからそのまま寝ていたらしい。でも出かける前に、タケにいってくるねと言い置いて出たのである。きのうの昼間も、「おかあさんいるかな」と見にいって階段を落っこちたとS子がいっていた。あたしは明け方まで起きていて、お昼まで、下の客用寝室のベッドで前後不覚に寝ていた。
タケとコンブチャと親鸞と日大
2011年11月08日(火)
カリフォルニア。東京出がけに、仏教ともだちのM子と東博に立ち寄って見てきた「法然親鸞」展の「正信偈」の最後のとこの親鸞の直筆に、なんというか、ものすごく刺激され、揺さぶられ、歩けないほど疲れはて、一階の鶴屋吉信でまんじゅう買って糖分補給せざるをえなかったのであった。で、飛行機のってこっちに帰ってきたら、なんと、出かけにつくっておいたコンブチャがうまいことできあがっていた。のみかけに砂糖入り紅茶を混ぜてあたしの部屋においといたのだ。ふたをあけたら、しゅわーーーーとキムチのびんをあけたときのような、それ以上な泡がふきだして、味はさわやかなボトル入りコンブチャに近いものになっていた。満足である。しかしこのタネを使いまわして作っていったら、きっと別のものになっていくだろうと考え、2代かぎりの醸成にとどめることにして、さっそく、S子が1本かっといてくれた新しいコンブチャを3本のビンにわけて新規紅茶をそそぎ、第2世代コンブチャをかもし出そうとしておる。 タケは何もしなくても激しく腰がへなへなと折れるようにはなっていたが、まーそのほかはなんにもかわっていなかった。死んだような寝方も、すごい食欲も、食べ物への執着も。2週間前の老い方があまりに急激だったので、2週間もつかなと内心不安であったが、まだまだ大丈夫のようだ。つれあいは……ぜんぜんだいじょうぶ。雨の降りだしたなかに家に着いて、夜はずっと雨だった。 帰る前日には日大文理学部にいった。数年前に熊本の某大にて講演したとき、100人の学生がぴくりとも動かず、笑わず、「鉄腕アトムからPLUTOまで」というオモシロイ内容だったのに、感想もなにもなく、あたしは驚いて、番頭さんにたずねたところ、今どきの学生はみんなロボット状になっていて、YES NOテストできいてやると答えるけどそれ以外はだめだ、でもときどきスイッチが入ると人間に戻るてな秘話を教えてくれた。アメリカでは熱心な学生さんに呼ばれて、人間然とした学生と語り合いという経験が何回もあったのだが、日本の学生はよそのところでも、まあロボットなんだなという印象であった(FのMちゃんは人間……って日本人じゃないかも)。ところがこの日大、そもそも声をかけてくれたH尾さんが、まだ学部生だというのに人間以外のなにものでもなく、たいへんうれしく、たのもしく、なんでもやりますーといってあったのだが、実際、講演の会場にいた学生たちが、みな、人間らしくて、さいしょは堅くてしーんとしてたけど、すぐにほぐれて、人間らしくなり、人間くさくなり、とってもとってもおもしろかったのである。あの大学、いったいどういう教育をしているのだと思った次第。ほんとにすてきな体験であった。
父と卵かけご飯
2011年11月04日(金)
明日帰るし、朝が早いので明日の朝食は作れない。それできょうはヘルパーさんキャンセルして、うなぎやに行こうという話をしていたのである(漫画の「う」を読んでからこのかた、あたしはすっかりうなぎ好きになっておる)。ところがいざそのときになると、「いきたくない」と。そして「卵かけご飯が食べたい」と。ちょうどすごく高い、すごくおいしい卵を買ってあったのである。「ばあさんはかきまぜすぎるんだ」といいながら食べてる父のおちゃわんを見れば、ぜんぜんかきまぜてない卵がごはんのなかにぽっかりと浮いておる。しかしかくいうあたしも、卵は二三回かきまぜるだけで食べたいくちだ。つい父もわたしも二個ずつ食べてしまったが、食べながら、「ばあさんがいたらなんていうだろうな」「こういうめくちゃくちゃなのがおいしいんだよ」などと。 今朝は台所の流しでルイを洗っていたのであるが、「おかあさんがいたら、何ていうかわかんないね」というと、「きっと『まったくあんたたちは、みそもくそもいっしょにしてーー』っていうよ」とまさにあたしがそう思っていたことを父が言ったので笑った笑った。 向かい合ってご飯を食べていると、「あんたがそこにいると、向こうの部屋に子どもらがいるような気がする」などと。
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