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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

父のたいくつ

2011年11月19日(土)

2時半ごろ(日本時間)父に電話したら「3時になるの待ってるんだ」ということで、なんとなくえんえんと話していた(むこうが)。3時の理由はお相撲がはじまるのである。十両の隆ノ山といったか、チェコ人かなにかのお相撲さんが好きなんだそうだ。これもやっぱり遠くにいて、外国人といっしょにいる娘にたいするよじれた興味なんだろうなと思わぬでもない。で、父の今日のテーマは「ああたいくつだ」ということ。もうさんざん(下痢してないときは)くりかえしているのだが、また。「しょうがねえよなあ」とうめくようにいうのである。「強盗でも入って殺してくれたらいいんだけど、きてくんないからさ、待ってるしかないんだ。他力本願だ」とごはんつぶをこぼすようにぽろぽろというのである。「ま、あんたももう90のおやじを持ってると覚悟しといてよ。60や70じゃないんだからさ、おれは」で、つれあいが病気だからベッドのなかで朝ご飯たべながらニコにもやってたという話をしたら、「ベッドから起きられないのかい、おれぁかならず、どんなにわるくても起きるよ。ま、おれんとこはヘルパーさんで夫婦とかじゃないからな、あんたとこは夫婦だからそれだけあまえられるんだな」で、また「あーたいくつだあ」と。「でもきょうは見るもんがあるから」と。何みるのと聞くと「ショカツの女」だそうだ。「ああいうわかりやすいものを見るんだ。あとでこれを見ようっていう、そういうのがあると、それまで生きてることができるんだ」と。

Neil Young再(々々)購入

2011年11月19日(土)

このところGiocinto なんとかという名前の読みかたのわからないイタリアの作曲家とDrew Minterというカウンターテナーにはまっていた。それからここ数日は、こないだ買った山浦玄嗣さんのマルコ(マタイにはマジで溺れてしばらく宗旨替えしておった)を聞いていたのである。で、きょうは、あまりの仕事のできなさに、苦し紛れにYouTubeでいろんなものを聞いていたら、Neil Youngの若い頃のにぶちあたり、なんとまー、目がさめるほど美しく、声も高くて伸びやかで、したたるようで、クリスちゃんよりいいかもと思われ、思わずitunesにいってAfter the Gold RushとHarvestから数曲ずつ購入したのであった。考えてみれば、夢中だった頃は、こんなふうに動画をみる手段なんてなく、たまにロックの雑誌に載る写真や情報をなめるようにみるしか手がなかったのである。ろくな写真が出回ってなくて、なんでこんなのが好きなんだとか人には言われていたけど、実はこんなにキレイな男だったということは、わが目は正しかったのである。いまのNeil Youngは、こっちの友人のMとDをたして2で割ったような感じで、みょうな親近感がある。でも若い頃のは、絶句するしかないし、あたしの欲しいのは親近感じゃないし。

コンブチャとホットチートスとエナジードリンク

2011年11月19日(土)

そういうわけで(twitterから引きずってきた)風邪を引いてしまったので、こういうときはコンブチャとエナジードリンクとホットチートスにかぎると思って、ついでにふわふわのちょー安物のセーターが欲しかったので(去年買ったのは1年で着つぶした)Tに買いに行ったところ、エナジードリンクとセーターは買えたがコンブチャはなかった。ホットチートスは買い忘れた。そこでホットチートスとコンブチャと(明日のディナーのための)鶏肉をぜんぶ売ってるところといったらRと思って、買いに行ったら、ホットチートスと鶏肉は買えたがコンブチャがなかった。そこでやはり、毎日行ってるSに行かねばならなかったのである。この時期、お店から鶏肉が消える。そしてターキーに置き換わる。まだ感謝祭まで何日もあるし、毎日の料理はどうせいっちゅーんだ。そういうわけで、コンブチャは入手した。エナジードリンクとホットチートスも。風邪はなおる。うちで培養中の自家製コンブチャは、1本あけてみたところ、甘すぎて酸味が少なすぎる。失敗かも。ホットチートスというのは真っ赤なスナック菓子でやたらと辛くてぽりぽりしている。あたしはこれに目がない。長距離運転のとき給油に停まるとかならずホットチートスとコーラを買う。いつもはそんなもの飲まないのに。それにしても親鸞をN川さんに引き渡した直後はすごく高揚してたのにもうそんなものはカケラもない。書けなくてもんもんとしておる。そういえばきょうTで、大きいエクササイズ用ボールを買った。トレーナーのTムが、これをももにはさんで締める訓練をすれば、ももの内側の筋肉がつくと教えてくれた。日本に帰ったときの乗馬のためである。

老人三すくみ

2011年11月19日(土)

つれあいが病気で、ただの風邪引きがあれあれあれという間に悪化して、すわ肺炎かと思ったが、今朝、病院いこうといったら、もうだいぶよくなったというので放ってある。老人は症状が激しく出るようだ。で、父に電話すると下痢はなおったが、こんどは便秘だということで、あーあと思って足元をみるとタケがよれよれと崩れおれていた。三すくみのような老人たちだ。タケは、ほんとに耳が聞こえなくなって、散歩にいって、つな離しているとき、呼んでもまったく来なくなった。今朝、つれあいがベッドで朝食をたべていたら、ニコがベッドの上に乗って、みつめていたので、少しもらっていた。そしたらさらにみつめて、腰をふるので、さらに少し。この習性が、人がオオカミをなつかせて、飼い始めた理由じゃなかろうか。こっちを守ってくれるの、羊をあつめてくれるの、まあいろいろと用途はあるけど、食べ物を分け与えるというのは、ものすごく楽しい行為のようだ(父をみても、つれあいをみても)そういえばあたしも散歩のたびにトリートを少しずつやって歩かせている(でないと、タケは歩かない)。

父の怒りと母のいらだち

2011年11月18日(金)

しつこいようだが、父の怒りのこと。父の怒りは、えっこんなとこあったっけというような、感情的な、せこい、いじましい怒りなのだ。子どものころあれやこれやで怒られたが、それはどれも「しつけ」としての怒りだったはずだ。だから怒られているあたしはぐうの音も出ないのであったが、今の父がたまに見せる怒りは、そんなものではないのである。思えば、母が、よく父について「優しいだけがとりえのつまんない男」だの「甲斐性がない、でもおもしろいからいっしょにいる」だの発言していて、その発言には、父はスケールの小さい人間だ的な含みが、こんな男と結婚してしまって失敗だった的含みも、感じ取れたものだ。それから、「親のしつけが悪い」「あまったれでどうしょうもない」「ひとりじゃなんにもできない」「決断がくだせない」云々。もしかして母は、あたしの知ってる父とちがう父をまざまざと日常的に見ていたのではあるまいか。母が生涯をつうじてずーっと何かにいらだち続けていたのは、娘として感じ取っておる。あたしのせいかと何度も思ったが、もしかしたら父のせいでもあったのかも。

父とこないだの怒りの表出

2011年11月17日(木)

怒りの表出といえば、このあいだ日本にいたとき、ヘルパーさんをキャンセルしてあたしが晩ご飯つくることになっていた。で、何たべたいというと「すきやき」というから、5時前に仕事やめて、買い物いって5時半ごろ父のところへいったら、ぷんぷん怒っておる。たしかにふだんの父は、4時半くらいにはごはんを食べる生活なのだが、お昼に来て、また4時半ではいくらなんでも何にもできないので、少し遅いからねといってあったのだ。しかし、そのとき、頼まれていたおせんべを買い忘れたことに気がついた。ごめん、ごめんというと、声を荒げて怒り出し、「甘いものばっかりで、あきちゃうんだ」「年寄りは食べることしか楽しみがないんだ」などと。だっておとうさんあたし仕事があるし、と抗弁すると、「そんなら来てくれなくてもいいよっ」というのであった。まーしかしそれはうりことばとかすてぜりふというやつで、買わずに無視して、すきやきをふつうに食べて、食べ終わってからスーパーにいっておせんべを山ほど買い込み、それから少しテレビみて帰ったわけだ。つらつら考えれば、まあ父も待っていたのだろうし、いつもと生活パターンがちがってまごついたのだろうし、たしかに食べることしか楽しみがないのだろうし。しかしあたしはあたしで、仕事はあるし、仕事しないと生きて行かれないし。どっちもしかたがないので、こうしてヘルパーさんに助けてもらうのは必至のことだし、またときどきこうしてソゴがあるのもしかたのないことだなあと結論づけたのである。そしたら次の日の朝、ごはんをつくりにいったら、新聞読んでいたがふと顔をあげて「きのうのすきやき、おいしかったよ、ありがとう」といった。このたちまち元に戻るすなおな性格と、すぐ下手に出る能力で、ずっと母と暮らしてきたんだなと感心したのである。母はひきずるのであった。

父と電話 つづき

2011年11月16日(水)

とはいいながらやっぱり、ひとりでいるんだなと思うから、30分くらいして落ち着いたところを見計らって電話をしてみたら、落ち着いていた。落ち着いて、下痢がどう出るか、どのくらいの量か、どうおむつ(おむつパンツを愛用しているのである)を処理するか、くわしく話してくれた。親鸞でたいへんなんだといったら、親鸞→熊日連載中の五木寛之の親鸞→時代小説という連想で(推測)、「居眠りいわね」の作者が編集者に、あんたは時代小説か官能小説かきなさいといわれて転向して人気作家になった話をしてくれた。で、その話をるるとしたあとで、人にはそれぞれの仕事のしかたがあるんだからあんたはあんたのやりかたでいいんだよ、と取ってつけたようなことも言ってくれた。「親鸞に息子いるだろ、ああいうことも書いてるのかい」というから、親鸞の書簡の話をしかけたが、聞いてないようなので適当に切り上げた。しかし父としては、かなり気を使って話題を選んでくれているのであった。怒りの表出(といってもぞくにいうヒステリーに近い)のあとでは、気を持ち直してすぐきげんを直してくれるので、ほんとに楽である。しばらく話して、じゃーあしたまた電話するね、といったら、「こんなに遅く?」というから、いや、もっと早く、というと、「そのほうがいいね」といわれた。これで、やっぱり、電話こねえなあと一日待っていたということが知れたのである。

父と電話と下痢

2011年11月16日(水)

このごろどーも父に電話するのが遅くなってしまい、なにしろ冬時間で調子がくるってるのと、夜は親鸞で口もききたくなくなっているのと、だぶるぱんち。その上、日本時間の朝10時〜12時には父は寝てるし、12時〜12時半くらいはおひる食べてるし、15時半〜16時半、もしかしたら17時半くらいまでヘルパーさんがきていて、ごはんたべてたりルイが吠えてたり(ぜんぜんしゃべれないほどうるさい)、かけるべき時間にも工夫がいるのである。で、向こうの18時ごろに電話するのがここ数日つづいている。しかしこっちは深夜の1時すぎで、根を詰めて仕事のまっさいちゅうで、疲れてはててるし、家じゅうねしずまってるからあんまり大きな声で話したくないし。ま、とにかく、ここんとこ、あんまり会話がなかった。電話は毎日するにはしてるが、ほんの5分くらいで、下痢してるとか便秘してるとかで会話はおわる。きょうも18時すぎになってしまったのだが、電話に出たときからたいへんきげんが悪く、「電話が聞こえないんだよ」と怒りだした。大声をはりあげてみても、聞こえないというので、かけ直してみたのだが、あまりかわらない。裏にはテレビの轟音(それはほんとうに轟音で、最大限にして一日じゅう)がひびいていて、あたしのほうも父の声が聞こえないので、テレビの音消してみて、とたのんだら、会話がつながらなくなった。電話の不具合ではなく、父のほうの問題で、あーとかうーとかへんな受け答えをしているので、聞こえてないし、聞く気もないというのがあきらかであった。その上きげんも悪いのであった。「下痢してトイレから出てきてパンツかえてるところだ、じゃーまた明日」というので、電話を切った。まー、こういうときに、むかつく気にも怒る気にもなれないし、後ろめたく思う気にもなれないでいる。彼はあたしをたよる。それもしかたがないと思う。しかしたよられても、できないことはできないのである。できることをしてあげたいと思うが、やはり限度があるなと思うのである。

親鸞とズンバとイェーーーー

2011年11月15日(火)

親鸞終わったかと思ったら終わってなかった。N川さんから山のような質問メールがきて、いちいち見直していると山のように直したい箇所が。しかし同時にS枝さんからおそろしいメールがきて、すっかりわすれていたしめきりを思い出して、あ・おーくなっておる。きょうは8時15分からエアロビクスであったが寝過ごしていかれず(つかいまいちおもしろくない先生なので、いきたくなかったのかも)10時半からのズンバにいやいやいったところ(大きすぎるクラスで、いまいち技量に欠ける先生なのだ)いちばん大好きなズンバの先生がサブできていて、やっぱりとってもうまく、とても楽しく、すぐ前でやってたおばさん(はい、あたしもおばさんですが)がやたらうまかったので、さらに楽しく、びっしょり汗かいて一日を始めた。それで、まだ楽しい気分である。親鸞おわってなくても、しめきり忘れていても、ズンバのおかげで、楽しい気分はつづいている。このズンバの先生は、はじめ見たときは28くらいかと思ったが、よくよく見ているうちに、35くらいかなと思い、もしかしたら40すぎかなと思うようになっておる。明るくて、よく人をあやつり、人を楽しくさせる能力があり、しかもおどろくべきは、鏡を向いてやってるのに、つぎの瞬間、われわれのほうを向いて、手足も瞬時に変えて、踊りつづける能力だ。手足をつきだしておなかだけぷるぷるやる能力もものすごい。こういう人心掌握術をあたしもゲットしたいものだ、朗読会で、おなかぷるぷるさせながら、みんなにイェーーーーー? ときいて、みんなにイェーーーーー!といってもらったりするのはどうだ。

父とお風呂

2011年11月14日(月)

夜の六時頃、ごはんもとっくに食べおわり、ヘルパーさんも帰り、大相撲も見終わってニュースみてるであろう父に電話をしたら、「これからお風呂に入ろうかと思って」といっている。ちょっと不安げなようすなので(そしてそれを強調しているので)、やめて明日だれかいるときに入ったほうがいいんじゃない? というと、「そうだな、おれ別にあしたもなんにもすることがないもんな、木曜日にリハビリの人が来るけど、別にきれいにしておかなくってもいいもんな」ということで、お風呂には入らないことになった。「じつはちょっと不安だった」ということであった。実にわかりやすい父であった。きしめん食べた? ときくと(送ったので、2、3日前についた)「うん食べた、でももう飽きた、きょうはオジヤ」いうことであった。

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