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新年
2012年01月01日(日)
年が明けた。今年もよろしくお願いいたします。
大晦日と父
2011年12月31日(土)
はめ殺しの窓をふいて、ドアを拭いてたら、通りかかった近所の人たち何人もから、大掃除?と言われた(驚かれている)ので、いや小掃除、と答えておる(平田から声をお借りしました)。とにかくキレイになった。父が食卓でお昼を食べてる間に、父の座りこんでいたあたりも掃除機をかけた。「まったくぶっつぁりこんでるだけなんだから」という母のののしり声が聞こえてきそうだ。子どもの頃、この時期になると聞いたものだ。こうして母がいなくなって、しかも父が老い果ててみると、まったく父は、ぶっつぁりこんで「陽炎の辻祭り」を見ているだけなので(時代劇専門チャンネル)ある。そして三食ひたすら食べるだけなのである。そして新聞を読むだけなのである。きょうはまだ時代劇だからいいものを、たいていはくだらなさの限りを尽くしたようなバラエティ番組を轟音で見つづけているのだ。あたしがそこにいても、あたしの存在はどうでもいいようだ。ただし全身全霊であたしに甘えてはいる。あたしの家族は妻と母を欠いて年末年始をやり過ごしており、あたしは仕事がぜんぜんできない。父のこの自分のことしか見えていない生き方は、独居歴が長いせいかと思ったが、もしかしたら、その前から、母と暮らしていても、こういうふうだったのかもしれない、あのののしり声を思えば。こうまでして人間というのは生きていかねばならないものかと1日に数回考える。いや、親子関係はとても良好なんだけど。何にも用意しないと思っていたが、やはりはぜの甘露煮とか、昆布巻きとか、お多福豆とか(黒豆の鉄っぽい味が好きではない)、きんとんとか、かまぼことか、だてまきとか、買ってきてある。正月用の白菜みたいな花もユリといっしょに生けてあるし、小さい門松もある。お雑煮の用意もしてある。
馬11
2011年12月31日(土)
きのうで馬はおしまいだった。初乗りは3日だ。しかし先生にいわれたことをつらつら考えていると、身体の力は、できるだけ抜いてダラッとして、しかし姿勢をくずすんじゃなく、あくまでも、重心とか丹田とかはきちっと保って、でもあとの末節の関節や筋肉は力を抜いて、いつなんどきでも外から力がやってきたら、それに合わせ、自由自在に反応して動く、というのが理想のようだ。それっていつも聞いてる、耳タコに聞いてる、合気道の基本と同じじゃないか(読んでるみなさんはいきなりなぜ合気道? と思われるかもしれませんが、うちの娘らは筋金入りの合気道家です)。昔読んだ骭c一郎の小説にもそういうのが出てきたような気がする。しかもっ、それは腰さえ回しておればズンバの基本でもあるかもしれない気がする。筆に墨をつけて紙に向かうという行為のときもそんなことを考えたような気がするし、朗読とか人前で話をするとかいうときも、まさに基本はそこであるし、詩を書くという行為もまた、基本はそこのような気がするのだな。しかしそれを言えば、子どもを育てるのも、犬と散歩するのも、男とつきあうのもそれかもしれない。いや男は、そうもばかり言ってられないけど、子どもと犬はまさにそうだ。とにかく、そう思って身体から力を抜いて、すっかり抜いて、動くジョーバの上で動きに合わせて動いてみたら、ジョーバから落っこちた。だらだらさせすぎたようだ。
馬10
2011年12月30日(金)
きのうはひきつづき軽速歩。きょうは軽速歩から、手綱をひきしめてただの速歩、もっと、もっと、たづな、たづな、コブシ、コブシ、おしり、おしり、と怒鳴られながら速歩。こんなに怒鳴られるのはひさしぶりなので快感であった。なにしろきのうと今日のテーマは、たづなをぴしっとたるませずに持って、馬の口の動きを感じて、肘に連動させるということなのである。つまり今までのあたしの手綱の持ち方はかなりゆるめで、ほんとはそれじゃだめなのだが、そんなところまで気を配っていると馬の動きに集中できなくなるので、先生は言わずに、ただ並足から速歩、軽速歩とすすめさせてくれたのである。で、今のあたしの状況は、馬の動きには慣れたが、コブシは動くし、肘はかたいし、馬の口の動きは感じてないし、おなかはべしゃっと(このオノマトペは先生が使った)ひっこんでるし、おへそは出てないし、頭はぐらぐらしてるし、背中はまがってるし、速歩の振動で、鞍の上でおしりがあっちこっちに動きまわり、軽速歩すればばっふんばっふんとおしりが鞍にたたきつけられるようにもどるのである。あまりのていたらくに先生が乗ってみせてくれたが、そりゃーー先生はうまいわな。でも伊藤さん、以前、おやじに教わったからここまでできているんですよ、と。はい先生、大先生はもっともっとこわかったっす。
馬9
2011年12月28日(水)
きのうはウマく乗れなかったが今日はウマく乗れた。伊藤さん、特訓の成果が出たじゃないですかと先生にも言われた。きのうできなかったのは、たんに並足しながらあぶみの上にたつことだ。それは軽速歩の練習で、それができないととうぜんながら軽速歩ができるわけがない。ということで、軽速歩もぼろぼろであった。ぼろぼろになりつつもやっていたら、先生が、おへそを前に出して、といった。おへそを前に出すと(初心者は)こわく感じるがそれで安定するのだという。で、家に帰って、うちのジョーバマシンで、おへそを前に出して、肩から上を動かさずに(頭、ぐらぐらしてる、といつも先生にいわれるので)乗ってみたのだ。マシンは15分でとまるようにできているので、やりながら映画を(交渉人)を15分ずつ1日かけて見たのである。そしたら、きょう、あぶみなしで立ったまま、馬場を何周でもすることができた。軽速歩もきのうよりずっと「おへそを前に出して」「おしりの下に卵があるようなつもりで」できた。きのう先生は、すべてのうごきをていねいに、といった。なにかに集中していると(初心者は)そこまで気が回らないかもしれないが、とにかくすべての動作をていねいに、と。それはちょーーど、ユーリ・ミロノフがノンナにいった(ことばはちがうが。パドシャをさせながら)ことだ。うむ、奥が深い。そういえば山岸凉子のごくごく初期の短編は、乗馬漫画だった。
寒さとクレしん
2011年12月25日(日)
やはり人の子なので疲れが出て動くのをやめてぼーっとしておる。うちの中が寒くて寒くて変温動物のあたしとしては動くに動けなくなっておるのかもしれない。うちが寒いのは、ふたん人が住んでないからだ。コート着てマフラー巻いて石油ストーブ炊きっぱなしにしても寒い。たき火かなんかしたいくらいだ。ぼーっとしついでにビデオ屋にいって「クレしん オトナ帝国の逆襲」を借りてきた。こないだたくろうを聞いて思い出したのだ。そんで、(タイマーズから声をお借りしました)泣いた泣いた泣いた。アニメでこんなに泣けるのは「UP」と「Finding Nimo」くらいか。泣くと疲れて、よけい寒い。外に雪がちらついたのをさっき見た。
馬8
2011年12月25日(日)
東の空がほの明るい中、馬に行ったが、はじめるころには明るくなっていた。朝の暗い中でやると、がんばってるなあって気持ちがしますよね、と先生がいった。からかってるような口調であったが、いや、マジで同感である。やはりカラダが忘れていたので、じっくり並足して鐙に立つ練習、これがなかなか保てずにぐらぐらしたが、つぎに速歩。速歩の振動は頭のてっぺんから抜くつもりで、と。膝から下は無いものと思え、と。馬を待ってやる、馬に行かせてやる、いちに、いちに、と心の中でとなえながら、馬の速度にあわせてやる、しかし伊藤さんは先走ってどんどん行け行けの合図を出しているのだ、と。先生の指摘には容赦がなく、あたしの動きには進歩がないのである。しかしズンバと乗馬、名前だけでなく、使う筋肉もよく似ていることがわかった。骨盤と股関節の筋肉だ。
携帯メールとうなぎとB級グルメ
2011年12月24日(土)
そういえば、携帯のメールアドレスを変えた。といってもそれはほとんど使ってないので、M子と業務連絡するか、従弟と業務連絡するかくらいしか使ってないのであるが、成田に降り立って携帯をつけたら、出てくるわ出てくるわ(う、思わず中原中也から声をお借りしたかも)1000件メールが出てきて、ぜんぶジャンクメールで、消したけど、消すそばから、20、40と入ってくる。Nちゃんちについてその足で、念願のうなぎ食べに行った、野田岩というところ。そのあいだにもメールは入り、食べてる間にもメールは入るのだった。それでついに前のアドレスよりうんと複雑でドットやハイフンや数字だらけのアドレスを作ってそれに変えた。ジャンクメール、話にはきいていたけど、ひどいものだ。そういえば、あたしの最初のメールアドレス(携帯のじゃなくて。アメリカのだった)は、最終的に一日に何百となくジャンクメールが入ってくるようになって別のに変えたのだった。で、ねんがんのうなぎはうまかった。白焼きはいまいち好きになれなかった。煮こごりもうまかった。父に、熊本のうなぎ食べに行こうよーとこないだから誘っているのだが、子どもの頃よく登亭といううなぎやに連れて行ってもらった記憶があるのに、「おれうなぎはあんまり食べたくない、それよりB級グルメのほうがいい、やきそばとか、たこやきとか」というのであった。で、たまたまあたしは「う」といううなぎ漫画だけじゃなく「めしばな」というB級グルメ漫画も読んでいるところだったので、反論できないのであった。そういえばまだ今回は、薄皮クリームパン食べてない。
大掃除とくじ引き
2011年12月24日(土)
大掃除してるのだが、やたらに汚いのである。本があっちにもこっちにも積み重ねてあり、着ない服が汚れたままあっちにもこっちにも落ちている。犬の毛がもうもうとしてないし、鳥のふんもこびりついてないぶん、マシか。何もかも捨てたくなるのである。数年前に思い立って、家庭ゴミの回収業者を頼んでごっそり持って行ってもらった。ああいうことをまたしたい。さっき行きつけのスーパーで、くじ引きを2回ひいたら「精肉コース」が当たった。どきどきしながら待っていたら、豚肉の味噌漬け4枚入りのパックをくれた。こういうのティッシュ以外にあたったことがないので、ものすごくうれしかったのである。帰ってきたばかりなのに2回もひけたのは、ビールとアルコールフリーのビールを大量に買ったからだ。
熊本
2011年12月24日(土)
熊本。 京橋の朗読会ははじめての立ち見が出た。申し訳ないような気がしつつもものすごくうれしかった。それなのに声をひそめて読みたかったのが多くて、後ろのほうまで声がとどかなかったとカントクに言われた。まことにまことに申し訳ない。ジクジたる思いである。以後気をつけます。読んだのは「コヨーテ・ソング」をたくさんと「歎異抄」を2、3篇と新作の書きかけを一篇。「コヨーテ・ソング」は、あたしにとってはとても読みやすいのだが、セックスとペニスとうんことげろが満載で、人前で読むといやがられるだろうなあと思いつつ読んじゃった。開催中の吉原洋一「詩人・声・肖像」
われわれの生き様が切り取られてある、声というところに。平面の表現なのに声でいっぱいであった。 で、熊本についたらジャパレンさんが、阿蘇は雪になるかもしれませんよといって、チェーンをサービスしてくれた。熊本の家の中についたら、冷え切っておった。15年ぶりくらいに石油ストーブをひっぱりだしてきて、15年前に灯油を買っていたお店に電話して灯油を配達してもらった。毎年このように冬の家は冷え切って、原始人が冬の洞窟のなかで堪え忍ぶように生きているのだが、今年はもうすぐ人の集まりがあるので、そうもいっていられない。ちょっと前から使っているiMacが調子が悪くて、HD をインストールしなおしたが、なんにも変わらなかった。各マシン(カリフォルニアのiMacと、旅股用のAir、旧股旅用のBookと、熊本の置きiMac)機体によって扱い方を変えねばならないというのがとてもめんどくさいが、受け入れなければならないようだ。
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