予告 福岡で藤枝さんと
2012年01月13日(金)
なかよしの藤枝守さんに誘われました。藤枝さんとは音づけ「般若心経」のプロジェクトをやってる仲だ。
九州大学リベラルアーツ講座「感性ーもうひとつの知をひらく」 伊藤比呂美「読みとき般若心経」←なんというてきとうなタイトルだろう、あたしがつけたようだ タイトルはてきとうでも中身は真剣、朗読やら話やら、藤枝さんとの会話やら 【とき】2月3日 午後6時半〜8時半 【ところ】冷泉荘 福岡市博多区上川端9-35 【といあわせ】リベラルアーツ講座実行委員会 092-985-4562
http://www.reizensou.com/event/
タケの走り
2012年01月12日(木)
秋くらいには、今年中生きてるかなんてひそひそ言われていたのに(おもにつれあいから)タケはとっても元気である。今日などは、散歩にいって、近所の教会の駐車場を走っておった。馬の駈歩のような波打つ動きである。ニコの走りは、地面から5センチほど浮き上がって一直線に「飛んで」くるような水平運動の走りなのに、タケのは「3節の歩き方で、3本の肢が接地している時期と、4本の肢すべてが地面を離れている時期とがある」(wiki)という馬の駈歩の定義があてはまる。つねに犬クッキーを持っているあたしが敷地のこっちの端にいて、向こうの端にいたトメとニコが、あたしのほうへ駆けだしたので、タケは、すわクッキー、と勘違いしたのが動機であった。勘違いではあったが、来ればいつもクッキーをやるのだ。甘やかしているのは重々承知の上。しかしじゃー若返ったかというと、そういうことはなく、さっきも、ほんの1メートルくらいの距離にいたのに、タケ、タケ、と何回呼んでも、S子が呼んでも、あたしが呼んでも、何の反応もなかった。耳が遠いのか、ボケているのか、年取って因業になってて、返事なんかしてやるもんか、馬鹿馬鹿しいと開き直っているのか、わからないのである。
めしばなとカムジャ麺と客ごはん
2012年01月12日(木)
食料庫をごそごそやっていたらコリアンのポテト・ヌードルというのが出てきて、何だか見覚えがあると思ったら、「めしばな」1巻に出てきた農心のカムジャ麺というやつじゃないの。前にコリアン系のマーケットに行ったとき(そこはクリームパンがおいしくて、焼肉用の肉がおいしくて、キムチがいろいろあって、漬け物がおもしろくて、ショウガやレンコンが安いので、ときどき行く)出来心で買ったと見える。食べてみたら、おいしかったけど、他のインスタントラーメンをあんまり食べないから比べられない(インスタント焼きそばはめちゃくちゃ好きなのだが)。でも、なによりも「めしばな」に出てきた食べ物をやっとたべられたということがとてもうれしい、所詮あたしはおばさんで、立ち食いそばとか牛丼とかを食べる機会はありそうにないのである。「めしばな」でクリームパンとランチパックを取り上げてもらいたいものだ。きのうは客よんで、フェイクのチャイニーズフード、客よばなくちゃいけないから呼んだけど、しめきりで忙しくて料理なんかしていられず、けっきょく麻婆豆腐とか餃子とか芙蓉蟹とか、まー、日本の学生街の安い中華屋的メニューをたんに大皿につくって出しただけであったが、みんなそんなのは知らずに「おおーー」とか言ってよろこんで食べてくれた。1時間でできると思って6時から取りかかったが(みんなを7時に呼んでいた)S子が野菜を刻むのや餃子包むのを手伝ってくれて、それでも1時間半かかってしまった。
10日
2012年01月10日(火)
成人式がきのうかおとといに変わっていたのを知らなかった。15日じゃんといったら、H田に「おばはんそれは昭和やで」といわれた。それでナゾがとけた。だれもがみな口裏を合わせたように「じゃー10日に」「10日には」「10日まで待ちます」といってたことだ。で、今はしめきりにあおられておる。今回ばかりは生還できる気がしないが生還しなくちゃならぬ。お餅ばかりたべてたんでしょう、とS枝さんにはいやみをいわれたが、お餅たべてない、すきじゃないので。でもジョーバはしていたので口答えできなかった。きのうは逃避できいてたM浦さんの声も、きいてたら何にもできないので、きょうは潔く聞きやめて、かわりに生月島のかくれきりしたんのおらしょとかさからめんたとかを聞いておる。美しすぎる。皆川達夫の「洋楽渡来考」というCDだ。仏教わすれたわけではない。ちょっと考えこみすぎていっぱいいっぱいになってしまったので、お休みしておるのだ。
鎮魂
2012年01月09日(月)
注文しておいたケセン語訳聖書の「ルカ」と「ヨハネ」がとどいていたので持って帰ってきた。いま、それをiTunesに入れておる。これで「マタイ」「マルコ」「ルカ」「ヨハネ」とぜんぶ揃った。しかしタイトルの頭に番号を振らないとあとでめちゃくちゃな順番になるので、手動でぜんぶ振っている。すごい手間がかかるけど、必須だから。ヨハネはほんとは「完売しました」とかいてあったけど、「かなり汚れてますし箱もありませんが、それでよければ」と出版社のE-PIXの人が売ってくれた。実は「ルカ」はもっと汚れていて、本が反っているし、ページも濡れて乾いてゆがんでいる。「マルコ」も表紙がハゲている。でもこれだけが、あたしがこの手で実感し得たあの大震災だ。この本たちがかぶった波や恐怖、救い出した人の手をひしひしと感じるのである。それをこんどはあたしの手で、ひとつひとつ、iTunesに入力しながら、ひとつひとつ聞いている。震災の直後にI牟礼さんにこの本のことを聞いた。Y原さんの企画した「言葉を信じる」のことでI澤さんとやりとりするうちにまた聞いた。それで「マタイ」を注文したのが4月18日、手元にとどいたのが22日か23日だ。それ以来、この声を、ずーっと聞きつづけてきた。そしてまだ聞いている。
植物とコンブチャ
2012年01月05日(木)
帰り着いたら南カリフォルニアはサンタアナのようで、くそ暑くて乾いていた。前日に娘たちが水をやってくれたようだが、まあ、あいさつと思って水をやった。前庭はすっかりナスタチウムとオキザリスにおおわれている。オキザリス、まだ花は一つ二つしか咲いてない。壁際のジャスミンは、2つともこんもりしてきており、よく繁ってるほうは花を咲かせている。地植えゴムノキの裏にスイセンがすっかり隠れているので少し切ってやったら全身が出てきた。つぼみもつけていた。バラ科赤い実(トヨンの類)はやはり枯れるだろう。ナスタチウムとオキザリスの中から、無くなったと思ったサルビアがのびてきて赤い花をつけている。しかし小バラはすっかり埋没してしまっている。ユリオプスは両手をひろげて咲いている。こないだ刈り込んだほうのユリオプスはようやくトラウマから立ち直ったようだ。ゼラニウムの大群の中にキョウチクトウが埋もれて見えなくなっている。食べられてしまうかもしれない。鉢植えのツバキはクリスマス前に咲いてた2つの花がすっかりしおれているので切り取った。つぼみはあるがまだどれも咲かない。ここで言っているオキザリスはOxalis pes-capraeという種で南アフリカ原産、ここでは雑草扱いされているが外来種である。家の中は乾きめに保たれているが、れいによって飲みたがりのブレクトランサスが乾ききってひしゃげていたので、水に浸けてやった。今みたら少しよみがえってきている。大びんに培養していたコンブチャがすっかりたけだけしく菌が育っていて、飲んでみたら押しも押されもせぬりっぱなコンブチャになっている。あんなに甘かったのに、今やたいへんなめらかに酸っぱい。
移動と漫画
2012年01月05日(木)
UAのLAX行きが遅延でたいへんな目にあった。最初提示されたのはLAXではなくシアトルへいき、そこで10時間ほど待ってLAX へ、そして最寄り空港へという案であったが、そんなことしてたらシアトルで行き倒れになるなと思ったので、LAXに行かずにサンディエゴへ行くとか、LAX止まりとか、いろんな手を考えた結果、AAに乗ってLAXへいき、そこでUAのローカル線に乗り換えて最寄り空港へということになり、ほっとしたのもつかのま、AAのチェックインカウンターで乗り換えのための時間がみじかすぎるといわれ、一つ後に遅らせるためにはまたUAのカウンターにもどらないといけないといわれ、しかたがないから、S子に万難を排してLAXまで迎えにきてもらうことになった。乗り慣れないAAは5つならんだ席のど真ん中であった。しかしゲート前の極小雑誌コーナーに立ち寄ったところ、けっこうすばらしい品揃えで、「めしばな」の2巻、「姉の結婚」の2巻、「とめはねっ」の9巻、「よつばと!」の11巻と、ついにビートルズが出てきた「僕はビートルズ」の載ってるモーニングが買えて、機内は快適であった。しかしLAXでは出口の前の税関で空前の大行列。そもそも旅券審査の列も、日本に比べたら大行列で、それを意に介していないアメリカの役人たちは感覚が鈍磨しておる。これでは乗れる乗り継ぎも間に合わなくなってしまう。ぜったい何かオカしい。というわけで、LAXから乗り継ぎなくて正解であった。AAの機内食はUAよりなんぼかマシだが、酒が有料。 「姉の結婚」は1巻だけ読んだときは(読み慣れない女用漫画のせいもあり)いまいちの感想だったけど、読み込んでみるとおもしろいじゃないの。「よつばと!」は不思議だった。写真から描いてるようだ。その静止画像にマンガみたいな幼児がリアルに動いている。
父と正月
2012年01月03日(火)
今年のお正月は、父と差し向かいでいても、ハレやかな食べ物を食べていても(でも、はぜの甘露煮とたたきごぼうと昆布巻とお多福豆が各100グラムずつに、きんとんとかまぼこと伊達巻きしか入っていないおせちは、まるで去年のグルーポンのおせちのようだった)、父はすっかり遠くのほうへ行っちゃってこっちを振り向いてくれないのでとてもつまらなかった。それでもどこかであたしを頼っているのはよーくわかる。願わくは、それがたんに自分の世話をするものの一人としてではなく、56年間ずっと可愛がってきた娘として向かいあってほしいのだが、どうも今年は、彼自身が生きることでいっぱいいっぱいで、そこまでの余裕がないようだ。お年玉もほしかったけど、くれなかった。食べてる最中も、トイレに行って帰ってきて下痢の話をしたりもする。いろいろ父が喜ぶだろうという企画を(めずらしい食べ物とか映画のDVDとか)しても、自分の興味、というか、自分の世界にないものは受けつけなくなっており、あっさりと却下され、あるいは予定の変更をよぎなくされる。だから何にも自主企画はできないで、彼の単調な、水戸黄門みたいな単調な生活にくくりつけられて逃げられない。ときどきあたしにパシリ的仕事を要求する。それが雑な口調のときは(たまにある、娘としては聞いたことのない口調である)おもわずむかついて、おっとっとと自分をなだめる。何を、余裕のない人間にむかって本気になっておるのかと。父の悪口を友人にこぼち散らすのは、かえってよくないということもわかった。その瞬間は、声に出して吐き出すことでストレスの度合いがさっと下がるが、ここもいやあそこもいやと声に出していってるうちに、父の悪いところばかり見えてくる。しかしそれは父の本質ではなく、本質は老いに裏に隠れているのだ。本質は、あんなに可愛がってくれて、自分よりも大切に思ってくれて、頼りにもしてきたおとうさんだ。だから、父の欠点をあげつらうようなかたちの愚痴はこぼさないことにした。
漫画
2012年01月03日(火)
明日帰るので咳き込みながらゲルの解体。今回は持ち帰る本が多い。大量に注文しておいた仏教関係、その他、漫画も二冊、「リアル」と「プロチチ」。大晦日に、なんか気持ちがどんとこい的な感じになって、本屋で大量にあれもこれもと買ってみた。この漫画がスゴイ、とかいうおすすめのもいろいろ買ってみたが(成人女用漫画のコーナーだったらしい)、持って帰ろうと思うほどよかったのは「プロチチ」だけだ。「デラシネマ」の四巻と「リアル」の最新刊はさすがに読みでがあった。あったが少しだけこっちの方向でいいのかという疑問が残る。残るが読んでしまう。「めしばな」はおもしろかったが小粒だった、いや小粒だったがおもしろかったというべきか。「テルマエロマエ」の新刊は残念な展開だった。あと「昭和元禄落語心中」「花のズボラ飯」「姉の結婚」「うどんの女」「オキザリスの旗」…仏教の本に比べたら安いからつい買ってしまうんだなあ。「信長協奏曲」も最新刊がでていたが、プロの漫画読み(と名乗るか、オイ)としては、知ったものを追いかけるより新しいものを経験したいという気持ちに負けて買ってない。というか、これはそんなにおもしろいと思わないのだが、へんに納得するところがあって(前田犬千代のキャラとか、キャラも展開も明るいのにやたらに暗い画面とか)ずるずる読んできてしまった。今回は新規にゲットした漫画じゃなくてT浜さんから返って来た「七夕の国」を丹念に読み返したりしていたのである。こないだ買ってざっと読んで貸して返ってきた「エマ」も「乙嫁語り」も読み返さぬままだ。
馬12
2012年01月03日(火)
きょうは白い馬、首を振りながら走るのが癖のエンジェルかと思ったが、違う馬だ。半分純粋アラブで、半分パロミノで、ブラシしてやってると甘噛みをする。名前は忘れた。この馬に乗るのははじめてであった。鐙に立って馬の口に集中しながら歩いていたら、とつぜん馬が何かにつまずいて、あたしはひとたまりもなく転げ落ち、次の瞬間には地面の上で仰向けになっておった。それからプラ箱を台にしてよじ登ろうとしたらプラ箱がすべってまたこけた。伊藤さん今日はさんざんな目にあってますね、と先生に容赦なく笑われた。しかしこの馬は、反動が少ないので速歩でおしりがはねあがらない。乗りやすい。でもコーナーを回るのはてきとうにやるし(ほかの馬は任せておけばきっちり回る)、先生の合図でぱっと出てしまうから(先生はあたしに言ってるので、馬がそれで動いては指揮系統がめちゃめちゃになる)任せておけない。きょうの練習は速歩と軽速歩、速歩がゆっくりの速度で手堅くできた。しかしきょうはたづなの長さをきにしすぎであった。伊藤さんはどうしても行け行けになるから、馬がいつも自分の下にある感じなんですよ、馬はつねに自分の前にいるような気持ちで、馬のリズムを感じて、と。はやあしっと先生が言うのを聞いて、常歩から速歩に移行する。そこで、あたし自身はゆっくり出してるつもりなのに、先生には、いきすぎてますよ、気持ちがはやりすぎてますよ、もっとていねいに、といわれる。いったい馬はどこで感じているのか。先生はあたしのはやる気持ちを前のめりになる姿勢から見抜いているようだ。つまり馬も重心から感じるのか? きのう「アバター」見ながらジョーバしてたので、つい、髪の毛の中にうねうね動く触覚があって、メモリスティックみたいに、馬側の触覚につなげて、と思うが、そんなものはないので自分で感知せねばならない。練習がおわってブラシかけてるとまたかぷりかぷりと甘噛みされて、遊んでもらってる感じでたいへんうれしく、馬のよだれにまみれたところで、こんどは馬場の犬の群れ(ダックスが4匹)に遊べ遊べとわらわらからみつかれてこれもまたたいへんうれしく、全身から犬と馬の気がたちのぼっておる。落馬のせいで右腕が上がらなくもなっておる。
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