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風邪
2012年01月22日(日)
また風邪ひいて、ズンバ行けない。全身いたい。これはズンバに行けば治ると思うのに、行けないから治らない。熟成樽出しコンブチャをちびりちびりと飲んでおる。じつによい味になったわい。
また父に電話
2012年01月21日(土)
それでまた電話してみたら(ばるとが勝ったあたりの時間だ)やや元気で、お風呂に入ったらしくて、「まあしょうがないよ、年だもん」と。「腰から下がいちばんダメになってるね、腰掛けてりゃいいんだけど」と。「薬がききすぎてんじゃないかといってたけど、おれ、昼間ぼーっとしてても、夜眠れる方がいいもん」と。そりゃそうなのである。反論はいえないのである。薬がたとえ老体を弱めても、それで寿命がちぢんでも、それこそ望むところなのである。「ちょうどお風呂に入ったときにKさんが来てくれて、せなか流してくれた」と。昔はぜったい他人にはだかを見せなかった父である。まるくなったなあと感動せずにはいられない。「まあしょうがないよ、年だから、きょう明日でどうにかなっちゃうようなことじゃないよ」といってたが、こっちは、きょう明日でどうにかなっちゃうんじゃないかと、それが気がかりなのである。
父の具合とタケの寝姿
2012年01月21日(土)
きのうはネットの具合が悪くてまた電話がつながらなかった。それで父に電話できなかったが、きょう早めにかけると、朝食でヘルパーさんのいる時間であった。父が出たが、何もいわずにすぐK崎さんに受話器を渡すので、わけがわからず、父に戻してもらったところ、「おれに聞くよりK崎さんの話を聞いた方がよくわかると思って」と。それでK崎さんに聞いたところ、きのう立ち上がれず、すわってもいられず、ごはんはたべたが(かれいのにつけと野菜のにしめ)すぐ横になって相撲はみたそうだ。こんなに顔色の悪いのも、動けなくなったのもはじめてだとK崎さんはいった。「今朝はどうかなと思ったけど、なにごともなく、お元気で、もうテーブルにすわっていらっしゃいました」と。父は「救急車はよばないでください云々」の張り紙をしてあり、ヘルパーさんたちと主治医にはちゃんと伝わっている。K崎さんがきのう帰るときも、朝来たときも、この張り紙が脳裏にあったろうなとあたしは考えた。受話器をまずK崎さんにわたした父の行為は、つまり父が、きのうあたしが電話できなかったことなど覚えておらず、自分が具合悪かったことは覚えていたということだ。そのあと、また電話してみたが、やはりいっぱいいっぱいな感じであった。恐怖にさいなまれているのかもしれない。一方タケは、あたしら(ニコとあたし)が散歩にいこうが郵便をとりにいこうがトメを迎えにいこうが買い物にいこうが、ぴくりとも動かずに、ぐったりとした死骸みたいな格好で自分のベッドに寝ておる。
トメとまっちゃ
2012年01月20日(金)
ゆうべはトメの宿題がおわってなかったのと、あたしの親鸞のゲラが出てきて、正信偈やっぱりなおしたくなってるのとで、3時ちかくまで起きていた(あたしはふつう)。トメが、おわらなーいねむたーいといってたので、とっときのようかんを出し、まっちゃをつくってやったのだが、実はトメののむ「まっちゃ」とは、うどん用のどんぶりでたてて(ちゃんと茶筅でたてる、泡立て器でやりたいが我慢しておる)砂糖を入れて、あっためた牛乳をそそぐ、というしろものである。M子やE藤さん(お茶をかなり真剣にやっている人々)に見せたら、何を言われるかと思いつつ、つくっておる。これを勉強の忙しいときの気つけ薬として飲んできたトメが、おとなになって、とってもスノッビィなお茶の場に遭遇し「えっ、砂糖もミルクも入ってない」と驚いたらおもしろいのだが。
父の呂律
2012年01月19日(木)
きょうも父は呂律がまわっていなかった。その上、6時ちょっと前にかけたときも、6時ちょっとすぎにかけたときにも、なんだか会話が通じなくて、6時半にかけ直したときにやっとなんとかしゃべれたのであるが、呂律がまわってなくて何いってるのかわからないのである。眠り薬のせいとしたって、きのうは4時前だったからまだしも、きょうは6時すぎで、まだこんなにへべれけなのはちょっと効き過ぎておる。本人はいたってはっきりしゃべっているつもりで、白鵬が負けたとか、稀勢の里も負けたとか、I牟礼さんがテレビに出てるとか、ダルビッシュがどうとか、言っているのであったが、テーマはわかっても内容はぜんぜん聞き取れなかったのだ。何度も聞き返すと「だっておれは一所懸命しゃべってるんだよ」と言うのである。それで、電話を切ってから主任ヘルパーのS村さんに電話したのであった。携帯にかけたが、S村さんの落ち着いた声が聞こえたときはほんとにほっとした。S村さんもあたしの話を聞いて、ミン剤のせいかもしれない、これから今日担当だったK崎さんに電話してみます、薬をしらべてみます、と力強く言ってくれた。ほんとうに、S村さんたちのおかげでこの綱渡りがやっていけてるのである。
タケの排泄と犬用階段
2012年01月19日(木)
ごはんのあとだいぶたって、片づけてる最中にタケがうめいて、はっと見たら、マット(新品のふかふかのやつ)の上で、転んだときの父みたいに姿勢をくずして動けなくなってかたまっておった。マットにふかぶかと沈んでよけいに動けなくなっていた。助けあげようとしたら、小声で「やめてよ」みたいに言ってたけど、すでにやわらかいうんこを1回分まるごと洩らしてあった。父みたいだった、姿勢も、行動も。でも父じゃないから、マットを洗いながらつい「タケちゃんみちみちうんこしてーー」と歌ってからかってしまったが、タケはぜんぜん意に介してなかった。いい性格だ。そして夜半、本格的な下痢に突入した。父と話すと、話題の半分が下痢のことやうんこのことなので、排泄とは人間の生きざまになんと深くかかわっておるのだろうと、もとから好きだった話題ではあるが、再認識するのである。そしてまた、犬を飼うということは、まさに一日に2回(や3回)かならずうんこを拾うということだから、排泄に、まじまじと向き合う行為であるのだ。うむ、生きざまそのものだ。 きょうはそれから、ドラッグストアで犬用の簡易階段を見たので買ってきた。車に出入りするのに、前から考えていたが、使わないだろうなと思うのと、大型犬用のがないので、買わずにきた。でも今日のは10ドルだったから、まあいいかと思って買ってみた。そしたら、車に入るときに使うことができた。降りるときはじゃまそうに避けて飛び降りていた。
コンブチャと伝道
2012年01月19日(木)
培養中のコンブチャのタネがものすごくぶ厚くそだったので、Mみさんに連絡したら、欲しいといってくれて取りに来てくれた。大びんに培養中のは、息ができるように布のふたをかぶせてあるので、できた液体は、すっぱいがなめらかで落ち着いた味だ。そうやって培養したやつを、小びんにわけて、きっちりふたをして、密閉してまた時間をおいたら、そっちは微炭酸になった。あたしはそっちのほうが好きだ。Mみさんには、両方とも、持って行ってもらった。コンブチャ教の伝道をしているような感じである。
父をほめる
2012年01月18日(水)
きょうは父がよくしゃべった。しかし呂律がまわってなくて、酔っぱらってへべれけの人としゃべってるみたいだった。しかし内容はしっかりしていた。こないだのスイミン薬増量のせいだ。以前もこんなことがあり、薬がぬけなくて、朝おきられなくてふらふらして転んで、転ぶと精神的なダメージが大きい上に、転ぶのはたいてい歩いているときで、歩いているときというのはたいていトイレに行く途中で、転ぶついでにもらすことも多いので、それでよけいダメージが大きいのであった。それで主任ヘルパーのS村さんが薬のせいだと見抜いて、減らしてもらうことになったのであった。今日は、呂律のほかはしっかりしていて、「よく寝たから頭はすっきりしてる」と自分でもいっていて、芥川賞のことや、清盛のことや、時代劇専門チャンネルは字幕が出ないのがおおいからつまらないということや、それでこの頃洋画チャンネルを見てるということや、ヘルパーさんがきたら何食おうかなあ、かきあげにしてもらおうかなあということや、どんなにてんぷらが好きかということや、白鵬が負けたことや、タバコを吸い始めたことや(これにはぎょっとしたが、父が「おれ、もう90だよ? タバコやめたのも健康のためだろ、今から健康のために吸いたいのをやめたってどうしょうもない」というから、そのとーりと思わざるをえないのだった)、とにかく35分間しゃべりづめにしゃべっていた。おとうさんひとりでよくがんばってるもんね、といったら、「そうかい、一人でもそう思ってくれる人がいたらいいや、おれも自分でもよくやってるなあと思うもん」と、「そんなこと思ってくれるのは日本中、じゃないな、世界中だな、世界中にあんたひとりだよ」とうれしそうに言うのであった。あたし一人じゃないよ、ヘルパーさんたちは四人ともみんなそう思ってくれてるにちがいないし、Y夫たちも思ってくれてるにちがいないし、だから少なくとも7人はいるよ、といったら「そうかい」と。89になっても、こういう状況でも、やはり、よくやってる、がんばってるとほめられ、自分の存在を受け止めてもらうのはうれしいのことなのだなと思い直した、直したというのは、ほんとはもっともっと、ほめて、うけとめて、あげないといけないなと思いつつ、この頃の父の生き方があまりにも後ろ向きで、ろくにしゃべってもくれないので、どうしてもほめるような会話にならないのが気にかかっていて、無理してほめなきゃなあと、きのうも考えていたからだ。実際、「この頃しゃべるのがめんどくさくってさ、人に向き合ってちゃんとわかるようにはっきりしゃべったりするのがめんどくさくなっちゃうんだよ」と自分でも言っていた。でもおとうさん、それじゃどんどんボケちゃうじゃない? といったら、今日はとても前向きに「そうだね」と。だからますますほめたくなって、うんとほめた。達成感がある(あたしに)のはなぜだろう。
アカシアとコショウノキ
2012年01月18日(水)
アカシアが三分咲きくらいになっておるが、よくよく見ると、葉のかたちがマジでちがう。それにともなって木の形もちがう。ネムノキみたいなさわさわした葉は全体がやわらかくて流れる印象、固い葉は上に突き出すような印象、長い葉のがいちばんふつうの木の印象。コショウノキも、よくよく見ると、二種類の葉があるではないか。ひとつはネムノキみたいな、マメ科みたいな感じの葉、もうひとつはもっと固い、照葉樹みたいな感じの葉。樹形もちがう、とうぜんながら。いったいほんとに同じ科なのかわかんなくなってきた。でもアカシアにはみんな黄色いぽんぽん花が咲くし、コショウノキには赤い実がなる(胡椒とはちょっとちがうが、スパイスとして使える。サーモンによく合う)。同じ科のものは、末端よりも生殖関係の器官が似ているそうだ、花とか、実とか。これは生物学専攻のS子に聞いた。それにしたって違いすぎる。植物のことは、wikiの日本語版、英語版、それからgoogleやgoogleの画像や、調べまくりながら確認しまくりながら書いてるのだが、あと少しでwikiの英語版がストに突入するらしい。←それにつけても「図書」に連載中の「木霊草霊」をどうぞよろしく。
父とむくみ
2012年01月17日(火)
電話の調子が悪くて、話しているうちに切れてしまった。Skypeでかけてみたが、これも途中で切れてしまった。で、なかなか電話がつながらなかったが、とうとうつながり、話しているうちに切れちゃったので、今日はもうあきらめた。「お風呂に入ろうと思ってあるきかけたところに電話がなったから、とったけど、ころびそうなんだ、……ああっころんだ」と実況中継であった。悲痛な声で「態勢たてなおすまでまってて」というから、しばらくそのまま待っていたら、立ち上がれたらしく、はあはあ言いながら受話器にもどってきた。まってる間、ずっとテレビが、すもうのあとのニュースが、大きな音で聞こえていた。「足のむくみひどかったろ、あれがおしっこ出るようになって治った、すごいんだよ、出るわ出るわ、パンパース(はくおむつを愛用している)何回もかえなきゃいけないくらい」といっていた。「お風呂は出鼻をくじかれたからもう入るのやめた」といっていた。お風呂嫌いは遺伝である。
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