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父と早口
2012年02月18日(土)
こっちの夜半、父に電話をしたら、父はどうも受話器をきちんと耳にあてないらしく、聞こえない、聞こえないと文句をいった。よくそういうことになる。それで父のテレビ鑑賞のときみたいな大声で、ちゃんとじゅわき持ってる? 耳にあててる? と何度も何度もいうのだが、「うん」と生返事しながらも、どうも聞こえてないようで、こっちが聞いたことには答えずに、自分の話したいことを話すのである(じつは話したいことは何もないので、同じことをくりかえす)。それでは会話にならないので、いかんと思い、あたしもしつこく、こっちの質問を(じつはこれもたいしたことじゃない、立てた棒はどうかとか、何食べたとか)大声でくりかえす(向かいの部屋に寝ているS子を起こしてしまう)。いつものことだが、今日は、同じことを粛々とくり返しているうちに、やっと父が「あんたが早口だからききとれない」といった。それは前からそうじゃないかと思っていたことではあった。つまり早口(心がけて、はっきり大きくゆっくり話しているのだが、それでも父にとっては早いのだ)でしゃべると、S音やK音が聞こえずに抜けおちてしまうんじゃないかということだ。それで、ものすごく、ふしぜんに、大河ドラマの、登場人物のように、ゆっくり、ゆっくり、しゃべったら、やっと返事が返ってきた。立てた棒(ポジションバー)はとても具合が良く、丸い手すりにつかまってどこまでも行けるそうだ。最近肉ばかりなので、からだにあってるらしく、げんきだそうだ。おとといときのうはステーキで、きょうはすきやきだったそうだ。おれみたいのを肉食系っていうんだなと思ったそうだ。お風呂に入ったばかりなので、とても調子が良く、またあしたも入ろうかと思っているそうだ。そしてきのうの「アバター」はまったくおもしろくなく、あんなものをおもしろいと思っている人はどこかおかしいにちがいない、と思ったそうだ。
父とアバター
2012年02月17日(金)
「きょうはもう、死んじゃってもいいようなつもりでお風呂入った。ちょうどK崎さんが来る頃にわかして、K崎さんにからだ洗ってもらった、さっぱりした」というから、よかったね、こないだからずっと入ってなかったよね、というと、「半月くらい」と弱々しく、しかし昨日ほどの悲愴感はなく、言うのである。「きのうはステーキたべた、体にあってるらしい、ごはん食べないで、肉だけたべた」と。そして「油が切れてる」とつぶやくように言うのである。どこの油が?ときくと「体じゅうの。だから動けなくなっちゃったんだね、起ち上がったり座ったりするのがつらいもん、ギシギシいってんじゃないか」と。それでも今日は寝てないでテレビを見ているようだ(5時半)。そして「今日は『アバター』がある」とつぶやいたが、見るつもりなのかどうかはわからない。おとうさんそれいいよ、あたし30回くらい見たよ、といっても返事はなかったのである、聞こえなかったのかも。弱々しい、弱々しい声であった。
朝と父
2012年02月17日(金)
ゆうべは夜、もう話すのが無理なくらい弱っていたので(父・談)、朝(日本時間)ヘルパーさんの来る前に電話をすると、なかなか出ないので、すわ、と覚悟したが、数分後に向こうからかかってきた。「膝が、膝が、」とかすれ声で訴えた。聴き取ると「膝がだめになったみたいだなあ」と。「ベッドからトイレへ、ベッドからテーブルへ、と動くのがすごくつらい」と。「あの丸い手すりにつかまるのが容易じゃないんだ。動けなくなっちゃうみたいだなあ」と。でもそうかといって動かないとますます筋肉が弱っちゃうよね、というと、「もうそういう時期は過ぎちゃってるんじゃないの」と。「今から筋肉きたえたってだめなんじゃないの」と。まーそうかもね、とあいづちをうつしかないのである。「寝てりゃいいんだけど、そういうわけにもいかないし」というのだが、やはりそこに、どうしても筋肉を保たねばならぬ、だから痛くてもかったるくても動くという、ヘルパーのS村さんもあたしも見抜いている事実と根性を父が持ち合わせてないのも知っているから、むなしさが残る。「ま、心配しないでっていっても無理か、心配だけしててよ、あとどうしょうもないもん」というから、そうだね、とここでまたあいづちだけうつのであった。
父と下痢
2012年02月16日(木)
で、今日は下痢がひどいといって、死にそうな声であった。2時半ごろ電話したのであるが、朝からもう6回おむつ(はくタイプのおむつ)を替えたといっていた。そのあと、5時ごろ電話すると、ヘルパーのK崎さんが電話に出て、「来たときは顔があおーくて心配しました、でもそのあとお肉がたべたいとおっしゃって、いいお肉を買ってきたから、ステーキ、それから茶碗蒸し、たべられて少しピンク色がもどってきました、でも声が出ないから、わたしはもう電話にでませんとおっしゃっています」と。ほんとにいい人なんだ、K崎さん。とにかくそういうことで、今日も終わる。
スズメと風雨
2012年02月16日(木)
すごい風だ(それでたぶんスズメが窓にぶつかった)。そこに雨も降り出した。あたしは死骸がこわいので躊躇していたが、さすがに濡れてしまっては哀れなので、死骸をゼラニウムのなかに埋葬しようと、ちりとり持って出ていったら、もうなかった。窓にぶつかって気絶していただけのようだ。ほっとした。とても明るいニュースだ。
父とベルリンとIメラさんたち
2012年02月16日(木)
きのう父から電話がかかってきて、れいのポジションバーなるもの、3本たてたが、3本目(トイレの前)はじゃまになるので、そう介護用品屋のSさんに伝えてくれというので、さっそく電話した。しかしそのときの電話も、そのあとで電話したときも、父の反応はどうもはかばかしくなく、自分のいいたいことはいうが、こっちの話すことはなんにも聞いてないようすで、それはあたしが熊本にいるときから多少そのケはあったのだ。こうして離れてみると、それがまったく父の不満や不安がこりかたまったものと感じられ、またそれは怒りに変わってあたしに(そばにいてくれない娘)向けられているようにも思え、とてもいやな感じになる。でも、S子にそういったら、おじいちゃんはおかあさんにそういう気持ちを持ってるわけではなく、むしろ自分のそういう状態を苛立たしく思ってるわけで、そういう感情を近くの人にぶつけちゃうのはよくあることで、気にしない方がいいよと諭された。たしかにそのとーりなのである。ベルリン行きのこと、悩むあまりに返信がすっかり遅れていて、Iメラさんから「早く返信を」というメールが入っていた。ああもうだめだーーと現実に気づいて、そっこーでベルリンのIメラさんちに電話して、IメラさんとSジさんと3人でしゃべったら、なんだかとっても楽になった。ひとりで悩んでないで人に言ってみるもんですなあ、ほんとに。人にはそう助言してるのになかなか自分ではできないもんだ。ずっとベルリン行きが頭にのしかかっていて、肉体的にも、精神的にも、できるのかほんとに? と思っていて、思えば思うほど、返信が後回しになるというていたらくであった。「今回はまだだいじょうぶ、今キャンセルしても迷惑にならない」とIメラさんとSジさんに親身に言われて、決断したのである。申しわけない。ほんとに。「キソウテンガイは今度にしたほうがもっと大きくなってるよ」とSジさんがいった。それはベルリンの植物園にある。
ユーカリと花
2012年02月16日(木)
うちに帰ってきたら庭がユーカリの花だらけだった。きれいというのではなく、庭全体に吹きだまっていたのだ。とうぜんニコはしっぽで掃いて歩いておるから花殻だらけで、洗ったばかりだそうだが、まだついている。で、前々から気になっていたユーカリの花期、今なのかと考え、赤花のすごいユーカリのある「カワヤナギ公園」に行ったが、それは咲いていなかった。前々からどうもユーカリという植物は花期がてきとうなんじゃないかと考えていたが、ほんとにてきとうかも。公園のすぐ外にある家の敷地のユーカリは花が咲いていた。うちに帰るときにもあちこちを見渡してみたが、咲いてるのと咲いてないのがあった。うちに帰って、よくよく見てみたら、咲いてるのは手前にある木、葉の丸い、いやしかしこれもユーカリというのはてきとうのようなので、あてにできない。とにかく何本かあるうちで咲いているのは2本であった。これは花といってるが、じつはおしべなのだ。花びらはかたまって蓋状になってつぼみをおおっている。それがぱかんと取れておしべがひらひらと開く。ときどき上からなにかがしたたり落ちてくるが、あれは何か考えている。庭を点検していたら、新しいスズメの死骸をみつけた。窓に当たって死んだようだ。
テニスと父とタケとコンブチャと夢
2012年02月15日(水)
いつものことだが時差ボケ、もっと寝ていたかったが、つれあいがジムで見るテニスの試合を楽しみにしているので、しかたがない、バレンタインだし、起きて行った。それは個人トレーナーのTムのジムで、Tムはいつもテニスの試合を、つれあいのために録画しておいてくれる。今みてるのは、こないだの全豪オープンのファイナルで、ジョコビッチとナダルが6時間戦ったやつだ。それを6回にわけて(エクササイズは一回に1時間)見るわけで、きょうはナダルが勝ってるっぽい箇所であった。きのう父に電話したら、「あんた今どこにいるの」と言われた。夢をいろいろと見たが、B場さんK下さんと何かの草案の文章を時間に追いせまられながらずっと考えている夢、卵を何十個と割っているが悪くなった卵がいくつも入っていて捨てざるをえない夢、まだ見たけど忘れた。ときどき目を覚まして(時差ボケなので眠りが浅い)考えるのは、もしベルリンに行かないとしたら、日本に帰れるかなあということだ。夢で考えていたような気がするけど、夢じゃなかったような気もする。ベルリンにいかなかったとしても、日本にちょっと行って帰るのは、やはり辛い。でもできなくはない。タケがずっと足もとにいる。コンブチャは、第1過程の大びんと第2過程の小分けして密閉したのが5びん、よくできあがっておった。小びんはうまいぐあいにしゅわしゅわになっておる。甘すぎずすっぱすぎず。
カリフォルニアとタケ
2012年02月14日(火)
タケ、出てこなかった。寝ておった。気がつかなかったようだ。
父と風邪
2012年02月13日(月)
今朝は「風邪気味だから、起きないから、ルイのえさと薬だけやってくれればいいから」という電話が7時にかかってきた。明日少し早く行くから、といってあったので、早く起きなくちゃと思っていたらしい。こっちは仕事が残っていて4時に起きていたので、まーよかった。父のところにいこうと思っていたのは、いつもより30分早い8時半であった。いつもこうだ。ちょっと早く行くから、というと、いつもとんでもなく早く起きて待っている。とにかく家を片付けて、8時半に行くと、父は寝ていて、ルイは起きていた。それでおむすびとゆで卵を作っておいておき、ルイにはえさと薬をやり、じゃー行くからね、と父に話しかけたら父は起きて、ごはん食べるといいだし、あたしは空港にいくぎりぎりの時間になっており、焦り、おむすびでいい? ときくと、トーストがいいというので、いそいでコーヒー入れてトーストつくってウインナゆでて、いつもの朝食をととのえ、じゃー帰るね、といっても、わかってるのかわかってないのか。何かあったらすぐくるからね、といったら、「わかった、何にもないから大丈夫だよ」といっておくりだしてくれたのだが。 そういえば昨日も、あたしは仕事で久留米にいたのである。そしたら父から電話がかかってきて、「ヘルパーさんのS村さんがきてるけど、ルイの薬がみつからない、ちょっときてくれないかなあ」と。そもそも明日はあたし仕事で出かけるからということで、S村さんに朝食を頼んであったのだ。おとうさんあたし今久留米だから、といっても父は理解せず、S村さんにかわってもらったら(主任のヘルパーさんで、あたしは頼り切っている)だいじょうぶですから、と。夕方行くと、S村さんがいて、薬は流しの三角コーナーのなかに落ちてた、と。父が、流しのカウンターの向こうからコーヒーやらたばこ盆のなかみやらを捨てるので、そのとき落とされて三角コーナーのなかにあったのだろう、と。薬はしめってしまって、使い物にならないようだ。ともかくそんな調子。きのうは風邪気味らしく、7時半に、おれもう寝るからというので、あたしも自分ちに帰ってきた。清盛楽しみにしてたのに見られなかった。あたしのこのテレビ嫌い(ぜんぜん見ない)は、このように、子どものときから、みたいテレビがあっても、父が見たいものを見るのが先なので見られるとはかぎらず、ついてるテレビに興味を持って見ていても、父の興味次第でいつチャンネルを変えられるかわからないという生活につちかわれたんだっけなあと思い出した。ありがたい生活習慣をつくってもらったものである。 で、さっき、電話したら、ぼうっとした感じ、「今どこにいるの」というから、成田だよというと、「どっか行ったの」というから、おとうさん、あたし今日アメリカに帰るんだよ、といったのだが、「ふーん」と。ぜんぜん話の内容をつかめていない「ふーん」なので不安になり、おとうさんKさんに(ヘルパーさん)かわって、といっても、「ふーん」のままで、けっきょくそのまま電話を切ったのである。わかんなきゃわかんないでしょうがないなというあきらめ。 帰ったらすぐインディアナとミシガンにいく。これはJフリーのとこだし、Action Booksのとこだし、「河原荒草」を出してもらいたいので行かねばならない。そのあとベルリンにいく、これはIメラさんに誘われた、IメラさんとSジさんには会いたいし、ベルリンには行きたいし、楽しみにしてたけど、今となってはものすごいストレスになってのしかかっておる。これは行くにしても、秋に予定していたノルウェイは断らねばと考えていたのである。
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