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ニオイゼラニウム
2012年03月01日(木)
前庭のニオイゼラニウムにはつぼみがびっしりとついておる。最初の花が今朝咲いた、3つぶのピンクの花だった。
川崎の落馬事故とベラミー
2012年02月28日(火)
川崎競馬で6頭が落馬する事故があり、3頭が予後不良だそうだ。すごくいたましい。予後不良とは、競馬業界の用語であり、wikiにもかいてある。しかしこれはつまり安楽死ということだ。wikiで馬のことをいろいろ調べていくと、つまりは競馬文化にいきあたり、そして競馬文化のなかでは安楽死はごくごく「よくある」ことなのだ。こないだ菊地農業高校であった障害の競技中も、何人もの人が落馬していた。襲歩中じゃないから人も馬も傷つかない(少なくともあたしの見たのは)けど、やはりとつぜんそこに非日常がどっと現れる。 ちょうどうちには新しい乗馬マシーンがとどいてきのうからしきりに乗っていたのである。かなり小さい、月毛のクォーターホース(のつもり)で、名前はベラミー。乗りやすいけど、軽いから前にずれる。熊本にあるのはもっと重量級で、黒っぽい鹿毛なのである。名前はまだない。ベラミーが来たからつけてやらなくちゃ。Panasonicのちょー高いやつを買いたかったけど、やはり10何万するので買えなかった。10何万あればほんとの馬に何ヵ月ものれるなあと思ったら。ベラミーは400ドルくらいだった。熊本のはネットで見つけた6000円くらいのやつだ。ともにとっても楽しく乗ってるが、Panasonicの高いのはどんな乗りごこちなのか、うーむ乗ってみたい。もっと馬に近いのかも。
検索結果が出ました
2012年02月27日(月)
「丸首ブーン」というキャラクターであった。
手塚治虫祭り
2012年02月27日(月)
こんどの旅ではキオスクで漫画買えないなあと思っていたら、Jフリーのうちにけっこうあった。帰りに何冊も借りてきたくらいだ。ちょっとした自由時間にも、帰りの飛行機の中でも、一人で手塚治虫祭りをやっておった。「MW」(こんど授業で使うそうだ)「鳥人体系」「アドルフに告ぐ」「アポロの歌」「鉄腕アトム」、どれも読み応えがあったが、とくに「アドルフに告ぐ」3巻、シカゴーサンディエゴの4時間を、外も見ないでむちゅうになって読みふけり読み終えた。これだけ描いておいて、どうして最後を放り出すかなあ、もったいないと思えるような結末だ。文春のページの都合とかなんとかあとがきに書いてあったが、漫画だから端折っても楽しく読めちゃうのだが、それにしても、もったいない。ちゃんと書き込めば、もっともっとすばらしい作品になりうるのに。漫画界の頂点をきわめちゃった人は、自分の作品が完成していようが未完成だろうが、気にならないものなのか。不思議である。子どもの頃、石森章太郎が好きで、手塚のものは、そりゃー読んだけど、石森ほど夢中になれなかった。でも高校のときに教室のなかでまわされていた「地球を呑む」だ、「火の鳥」だ、「きりひと賛歌」だというのを読んだときの感動は忘れられない。「地球を呑む」は諸般の事情でF組の(あたしはB組)授業に紛れ込んでいるときに読んで、涙が抑えられなくて、困ったのを覚えている。こうして読み直すと、ほんとにすごい。いろんなところから声をお借りしまくっている。その借り方がじつに幅広く奥深い。スターシステムもじつにおもしろい。どろろのお父さんの火袋役の男キャラ、体格が良くて目の下にまつげが生えている、あれはもともと何の役で出てきたものだろうかと、いま、検索中。「アドルフ」でチョイ役で出てきた。しかしこうなったら、読まずにきた「ブッダ」なにがなんでも読まねばなるまい。
ジャムセッションとJフリー
2012年02月26日(日)
ミシガン巡業からもどった。最後の2日はやわらかい軽い雪が降って世界は白くなった。Jフリーの新居は林の中で、シカが来るといっていた。雪の降らない前、ふと視界を何かがうごくので見たら、窓の外に大きな雌ジカが動いていた。こっちが動くのをシカも感じてこっちをじっとみつめたので、ほとんど目が合った感じだが、ガラス越しなので見えていたかどうかわからない。そのときは3匹いた。雪が降ったあと、夜中ちかくに帰ると、そこに4匹動いていた。暗かったが雪あかりでハッキリ見えた。 西ミシガン大学では、宗教学者のSさんとJフリーと三人で座談会みたいなことをやった。それからJフリーと二人での朗読をやった。Jフリーとあたしの朗読は、原作者と翻訳者の朗読というワクをどんどんはずれて、ジャムセッションみたいになっていっておる。それでノートルダム大(パリではなくインディアナ州)でも、つい欲を出し、しかもJイエルが見てるので(Jイエルは、RainyDay での朗読がとてもよかった)「詩人の聲」スイッチが入っちゃって、つい「鰻と鯰」という、いまいちばん気に入ってる詩を読みたくなり、Jフリーにその場で翻訳やってもらった(無理いって)らできるんだ、これが、また。「比呂美さんは安全なのに、ぼくばかりたいへんな目にあう」とJフリーはいっていたが、たしかに90パーセントはJフリーが苦労するのである。しかしやってくれたし、できたのであった。でも長すぎた。やっぱり非日本語話者相手に読むときはある程度みじかいのが大切かも。しかしそれはあたしの計算まちがいっていうだけで、Jフリーとのセッションはものすごくおもしろかった。
父と電話
2012年02月24日(金)
父に電話できていない。
不眠と林のなか
2012年02月22日(水)
けっきょくゆうべは1時間しか眠れずに空港へ、飛行機の中で寝くたれた。そしてJフリーの家にたどりつき、ビールのんで、おいしいものたべて、さー寝るといって寝たのはいいが、数時間で目をさましてしまった。それから眠れずにいる。メールチェックしたらゲラが二つも来ていて、それをみたり書き直したりしているうちに目が冴え冴えとしてきて、「漢である」やりかけて、そろそろねなきゃと焦りはじめた時点ですっかり不眠モードにはまったのだ。外は林で、シカやキツネがくるそうだ。気になってときどき闇に目をこらしてみたりしてさらに眠れなくなった。まっくらな闇はなんにも見えなかったが、明るくなってきたので今は見える。冬の林がある。寒々としている。でも動くものはなんにもない。むかしはさんざん不眠でなやんだが、このごろはまったくなやまない。この頃は、寝つかれないとたちまち起き上がって何かするようにしているからだと思う。その上、今はいつも時差ぼけなので、眠れなかったり眠たかったりするのをみんなそのせいにしてしまえる。気楽なことだ。この家は、自然にかこまれたすばらしいところにある。ここならオオカミも飼える。こないだの熊本より寒い。あさっては雪になるかもという予報である。
旅とタケと父の駐車場
2012年02月21日(火)
「木霊草霊」おわらせて「犬心」おわらせて「万事OK」おわらせて、さーーーあしたの旅の用意をしておる。明日はちょいとそこまで行くだけなので、しかも、朗読用の本はたいていJフリーのところにあるので、持って行かなくていいのだ。つまりあしたから数日はJフリーのいる西ミシガン大学とJイエルたちのいるノートルダム大学に巡業に行く。ものすごく寒いと脅かされていたけど、記録的な暖冬で、しらべてみたら、こないだの熊本くらいだ。たいしたことはない。でもダウンはいるかも。今は、iPodを更新している。この頃はCharles Ivesしかきいてないので、iPodに入れ直す必要はないのだが、まあ旅の前の儀式である。あ、しかしY浦さんのヨハネをこないだ新規に入れたので、それは聞きたい。パスポートとかグリーンカードも持って行かなくていい。東京行くよりずっと気楽である。ただ、着いた先で漫画かえないから、行き帰りの本を持って行かなくてはならない。さっきS村さんから電話があって、熊本で今まで借りていた父のマンションの駐車場が諸般の事情で、今月までといわれたそうだ。ショックである。管理人さんに電話して事情をきいたり、S村さんと相談したり、たいへんであった。きょう散歩中にタケがおしっこしながら足腰が立たなくなって、ずるりと転んで、両後足をひらいたかっこうで、こっちを見ておった。父の転んだときとおんなじ顔をしておった。だいじょぶ、だいじょぶとはげました。でもその他はタケは、このごろ少し元気で活発だ。以下は「犬心」の次の号にかいたのでそちらを。←宣伝。ああ明日、4時半にうちを出て行かねばならない。起きたくないし、そもそも寝たくない。
タケとニコのお手伝い
2012年02月19日(日)
本があふれてどうしょうもなくなったので、IKEAに本棚を買いに行った。ついでに細かいもの、収納ボックスや密閉容器や。本棚キットは重たくてしかも大容量であった。それを四人がかりで運び入れていると、タケも出てきて手伝ってくれた(まわりをうろうろして、表情で参加する)。タケの参加はひさしぶりである。昔は、搬入だ引っ越しだというたびに、タケが、口にそこらの棒をくわえて、必死にものを運んでいくあたしたちのまわりを走り回ったものだ。「やってますよ」「ああいそがしい」といわんばかりの顔をしていた。本棚キットはトメが組み立ててくれた。こんどはタケは座ってみているだけであったが、ニコがさかんに手伝ってくれた。周りをうろうろし、手元をのぞきこみ、組み立て中の板の上に座り込み、大活躍であった。できあがった本棚を部屋に入れるためには、まずいろんなものをどかさねばならぬ。本は一様に四角いので扱いやすいのだが、衣類は、みんな黒っぽくて何がなんだかわからない上に、くたっとしていてきまった形がないのであった。とにかくそれを捨てながら片づけ、本棚を入れ、机の上の本の山をすべて本棚に収納し、隣の本棚も整理して、今必要な本は一望の下に見渡せるようにした。まわりでがちゃがちゃいろんなものを動かしていたのに、タケは頓着せずに、あたしの机の前の自分のベッドで寝ていたのである。本の山の下から、なくしたと思ったメガネがメガネケースに入って出てきた。
坪井さんの「性を語る」
2012年02月19日(日)
「性を語る 20世紀文学の性と身体」という本が名古屋大学出版会から出ている。著者は坪井秀人さん。すばらしい本だ。副題の副題が「ラフカディオハーンから伊藤比呂美まで」。最後の章はあたし論なのである。すっかり透視された感じであった。twitterにもかいたけど、こっちにも宣伝しておく。坪井さん、一回しか会ったことないのだ。30年くらい前に雪の金沢で。感じのいい人だなあと思ったのを覚えている。しかしこんどのこれを読むと、すごい、その透視能力が。こうやって学者の俎上にのると、なんか自分が自分じゃないみたい。でも、話してもないのに、書いてもないのに、なぜわかった? みたいなことがいくつもあって驚いたのなんの。
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