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父と骨折疑い
2012年03月05日(月)
父に電話したら、夜中に風邪クスリのもうと思って取りに行ったらころんで肩と腕が動かない、と。「いつもは大丈夫だよっていうだけだけど、こういうときこそ、あんたから電話があったら,大丈夫じゃないよといって、なぐさめてもらえるのになあと思って電話まってたんだよ」と。金土は、呂律もまわったし、よく話したのである。そしてあたしは、おとうさんと話せるようになってほんとによかった、と連発した。そしたら父も多少はコミュニケートすることに熱心になってくれるかと。まーなってくれた。大丈夫じゃないと言うのを聞いた後、いつもより四時間くらい早く寝ておった。というのもTムのところで痛めつけられて、筋肉が痛くてたまらず、ズンバでもベラミーでも治らないので、とにかく横になりたかったのだ。うとうととしたところに電話があり、S村さんにかわって、骨折してるみたいなので、明日病院にいきますが、主治医の先生と話しておいてください、と。ああーー何はともあれ、ベルリン行きをキャンセルしてやっぱよかったのだと思えたのだった。四月の東京行きもまだ買ってないけど、買ってなくてよかった。父はとくに寝起きや朝のうちふらふらする。それはどうも夜にのむ眠剤がききすぎているせいではないかとS村さんもあたしも感じている。そしてこわいのは、今回のように転ぶことで、そうしたら、なにもかもがガラガラと。
ニオイゼラニウム
2012年03月04日(日)
ニオイゼラニウムの2つめと3つめが咲いた。つぼみが無数にある。立っているのもあれば、立って垂れ下がっているのもある。昆虫のこどもみたいなかっこをして眠っているのもある。
ユークリプタ
2012年03月04日(日)
きゃーーわかった。ムラサキ科だ。Eucrypta chrysanthemifoliaというのだった。Eucryptaの意味は「よく隠す」。chrysanthemifoliaは「キクみたいな葉の」だと思う。だーかーらー、葉っぱがヨモギみたいだと言っておろうがーー(勝ちほこった声)。このへんの自生種で海辺から山地までひろがる。ニオイのいい、一年生の葉だそうだ。さっきおりとってきた葉をコップの水にさして置いておいた。お茶も飲んでいたので、まちがってそっちを飲もうとしたら芳香があった。レモンのような。San Diego County Native Plants という本で(これは科別にのってるのでみつけやすい)さがしてみようとしたら、あったばかりか、そこにあたしの字で書き込みがあった。「カワヤナギ公園で採集、カワイイ、歩いてきた」と。毎年毎年、苦労して探しあてては忘れてると見える。たしかアカイヌノフグリ(別名なんとかルリハコベ)もピンクセンブリも、苦労して名前を探しあてたなあと思い出した。見つけ出す方法は、こうやってありえそうな科を探し、しらみつぶしにそこの花や葉を見ていくのである。……なにやってんだか。
歩いてきた草
2012年03月04日(日)
「歩いてきた草」と呼んでいる草がある。何年も前にカワヤナギ公園の裏のほうの、ユーカリの大木群の反対側、その日陰になったところに、生えていたのがかわいくて、数株持って帰って移植した、と思ってください。そしたらだめだった。つかなかった。しかし一年たって出てきた。今ごろ、と思ったが、トメがいうには「おかあさんがすごく好きなのを知って、歩いてきてくれた、でも草が歩くとこを人にみられたらいけないから、人が通ったらぱっと生えてるふりをして、行きすぎたらまた歩き出して、そんなことしてたら一年かかっちゃった」と。カワヤナギ公園ではシダの赤ちゃんのような緑がういういしかった。うちの前庭にこうして落ち着いてみると、そだって(でも葉はういういしいまま)、小さい白い花も咲かす。葉はキク科のヨモギなんかに似ているがもっと弱々しい。花はどっちかというとゴマノハグサ科のオオイヌノフグリかなんかの感じである。シダそっくりだが、シダじゃない。それでそれぞれのサイトを目を皿のようにしてみつめているがみつからない。そもそも葉も花も、小さくて低くてわりとふつうで、なんら目立つところはない。だからより見つけにくい。キンポウゲ科かシソ科かもと思ってそっちも調べてみたところだ。花はぜったいシソ科じゃない。うーーむ。
初緑と犬夜叉
2012年03月03日(土)
Agave attenuata ほんとに奇妙きてれつで、今花ざかりなのだが、調べたら和名で「初緑」と。まあまあふつうだった。そして葉の色はたしかに「はつみどり」、しかしこれを探しあてる途中で散見した多肉植物の名前はほんとに、なんというか、「犬夜叉」とかそういう、おどろおどろしい伝奇的少年漫画(でも少女も好きな)に出てきそうな名前ばっかりだ。リュウゼツランたってカタカナで書いてるからふつうに感じるが、竜舌蘭だし。よく探したら、多肉植物のなかまに犬夜叉も、四魂の玉も、鉄砕牙も、飛来骨も、あるかもしれない。で、英名になると、ふつうになる。たとえばAgave attenuataは、ライオンの尾とか、キツネの尾とか、白鳥の首とかいうそうだ。たしかにそう見えるんだけど、想像力が貧困すぎる。もうこうなると、植物とか言語とかいう以前の問題。しかし今、attenuataをgoogle翻訳にかけたら減衰と出てきた。これはどういうことだ。
父とCTスキャン
2012年03月03日(土)
しまった、父のことを書こうとしてつい奇想天外やら黒法師やらについて書いてしまった。父については、きのうの(日本の)朝、ヘルパー主任のSさんとじっくり話した。それだけで気が楽になるのだが(Sさん、スイマセン、そしてありがとうございます)きのうは通院の日で、CTスキャンもするといっていた。病院にはSさんが連れて行ってくれる。耳がつまったみたいになって聞こえないというのが主訴である。クスリも出過ぎていないか確認してもらってきます、とのことだった。その後、「かえった」という電話が父からあり、すべて、どの症状も、「年のせい」だそうだ。「だからしょうがねえよなあ、あちこちひっぱりまわされて、CTスキャンすごく疲れたからもう寝る」といって電話を切った。ゆうべはあたしも眠くてたまらなくて(しめきりには催眠作用があるようだ)、しめきり終わったあと、父に電話する気になれなくて、そのままであった。
奇想天外と黒法師と青尻尾(仮名)と背高大黄
2012年03月03日(土)
前々から不思議に思っていた植物、みずみずしい多肉の葉がぬうと長い大きな穂のようなものが出てきて弧を描いて垂れ下がる、たぶんそこには花がついている、これが今、そこらじゅうにあるので、一瞬、ここはどこ? 的な感覚におちいる、その名前がわかった、Agave attenuataといって、リュウゼツランの仲間だ。tail succulent(多肉植物)ですぐ見つかった。メキシコ原産。いわれてみたらリュウゼツランだが、いわれなければリュウゼツランとは思わなかった。それから、今は、ベンケイソウの仲間のアエオニウム・アルボレウムが花ざかりだ。緑も黒いのも。黒いのは黒法師という和名で、これはいかにも。緑のは艶日傘だって。なんじゃそりゃ、な命名である。多肉植物の命名には、なんだかへんな和風テイストが強くて、江戸時代から園芸品種として扱われてきたせいなのか(ゲスしておる)、日本の戦艦がみんな源氏の登場人物みたいな名前ついてるのや、競馬ウマたちのきみょうきてれつな名前や、一昔前のお相撲さんの名前や(今どきのお相撲さんは、今どきの幼稚園児みたいな名前が多すぎる)、宝塚の名前や、なんかこう、各分野にあるそれぞれのテイストが、おっと脱線した、多肉植物、れいのベルリン植物園にある「奇想天外」も多肉植物、この名前は(たぶん脳裏の片隅にあったせいで)Agave attenuataにひそかにつけていたので、同姓同名(こっちが本物)がいるとしって驚いた。そういえば昨夜は、とつぜんセイタカダイオウが見たくなり、ネットでさんざん検索していた。
父と4時
2012年03月01日(木)
そしたら今日は話す気はあるが、ひどい状態。声がかすれ、口のなかがかわききっているような、ねばねばしているような、そんな話し方であり、またこっちの言ったことにきちんと答えてくれないので、とんちんかんだし。おとうさん、きこえてる?と文節区切りで、はっきりと、言うのにも限界がある。「6時ごろ寝ちゃって9時ごろおきてクスリのんでねたら4時ごろ起きちゃった」となんとかききとれた。しかし呂律がまわってないどころじゃない話しぶりである。4時におきてまたクスリのんでるの、ときいたら、「だってそんなときに起きたってしょうがないだろ」と。父の不安は解る。寂しさもわかる。孤独もわかる。想像できる。想像するだに胸がつぷれる。しかしだからといってこの生き方は、なさけない。納得できない。いやあたしが納得するもしないもないな。それが父の生きざまである。それを引き受ける。ところが、なにもかも引き受けていたら身がもたぬ。むかしの人は、こういうものを引き受けてなお身が持ったのか。
父と蜘蛛の糸
2012年03月01日(木)
2月半ばにこっちに帰ってからというもの、ずーーーっと、父に電話してもろくにしゃべることができない。無意識の不機嫌さに、めんくらってしまう。しゃべれないのは、ほんとに彼のいうように機能的なおとろえなのか、不機嫌だからか、怒りのせいか、わからない。「耳がわるくなって、つまったようになって、あんたの声がきこえない」と父はいうが、「手の力がなくなって受話器をもってられない」ともいうが、声もよれよれ、会話もとんちんかん、電話はうまく聞こえないそうだし、すぐ疲れたと、もういいだろというし、なんだかほんとに電話するのが苦痛である。ミシガンにいたとき、あんまり電話しないのもなんだから、スカイプを設定してやっとしゃべれるようにして、電話してみたら、自分の用だけいって(駐車場の件で問題があった)すぐ切ろうとした。おとうさん、あたしはおとうさんがどうしてるか知りたくて電話したのよ、といっても、聞く耳をもたない。などということをぜんぶ、悪意、とまではいかないが、怒りや不満の表出とみるからいかんのだよ、それはぜんぶ老いの衰えのダダ漏れにすぎないのだよと、思おうとするが、やはりそこはなかなか思えるものでもない、そして思えないという事実がとても辛い。あー電話したくない。やはり電話というのは楽しさがあるからできるもので、毎日毎日ああもけんもほろろじゃ、まったく苦痛でしかない。しかしそれでも、電話しないわけにはいかない。しゃべらないわけにはいかない。蜘蛛の糸みたいな感じがする、父は罪人、あたしはかんだた。
寄生獣と3月のライオン
2012年03月01日(木)
「アドルフに告ぐ」の口直し、といったら悪い意味になってしまう、いやとってもよかったんだけど、表現、創作の基本姿勢に疑いを持ったのは事実だ、手塚治虫だけでなく、あの頃の漫画には蔓延していた、というか、そもそもの基本の基本が、あの世界は文学やなにかとは大きくちがっていた、子ども心にそれを感じ取っていたというのを思い出しちゃった作品だった。で、その思い出を払拭しようと、「寄生獣」に読みふけっておる。これはだいぶ前にK森さんにどさっと送ってもらった。処分するところだったそうだ。最初と最後の絵はちがうが(スラムダンクの最初と最初ほどはちがわない)、漫画そのものが、作家の成長のあとを示してみせてOKなものなのだと考えれば、かえっておもしろい。最初は、ただの暗めの、奇想天外な少年漫画だった。大友の影響なんかもほの見えた。ぶこつなコマわりが好ましかった。それがどんどん深くなる。主人公の顔もどんどん深くなり、かわいくなる。パトレイバー(これは読んで読んで読みつくした)みたいな感じもするが、他人がかかわらないぶん、異物的にはさらに深い。他人がないから、どんどん「自分」と「異物」が深まる。心身の障害が真っ向から描かれる。絵が、うまくなってるのに、ときどきぎくしゃくしてくるところがまたすごい。この作品を知らずにあたしはさいしょ「ヒストリエ」から岩明均に入って(それはT浜さんにもらったのだ)驚愕したのである。で、もうひとつ読んでるのが「3月のライオン」だ。これも文句つけられないくらいいい。前作よりずっといい。前作はいまいち好きになれなかった。若さ若さと連呼するところがうっとうしかった。こなれない紡木たくっぽさがそこここにあるようで、天才たちの描き方もなんだかしらじらしかった。ストーリーも最後は破綻していた。でもこっちは、同じ絵柄なのに、すべての要素でレベルアップしている。ことばがいい、キャラがいい、なにより風景がすごい。こんなに風景がいい漫画が少女漫画にあったろうか。ってちょっと、コレ、少女漫画でOK? 将棋漫画かも。3月に7巻が出るそうだ。楽しみだけど4月まで待たないとだめかもしれない。
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