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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

父と8分

2012年03月09日(金)

きょうは8分しゃべった。まあまあの成果だ。まだ肩と手が痛いからテレビもみないでたいてい寝ているそうだ。でもなかなかきき取ってもらえないし、あたしも父のいってることがなかなかきき取れない。

七夕の国とイキガミその他

2012年03月09日(金)

きのうはBookOff、1ドルセールで「NANA」をおとな買いした。それから「七夕の国」の1,2巻、有吉京子のバレエも読んでみむとて「SWAN」の何か(いまいち、いまに、いまさんであった)「センゴク天正記」9巻(これはこういうものだ,人がなんといおうと、ちりばめられた古い戦記群からの引用がどんなに生硬であろうと、ことがらだけ追いかけすぎて人が描けてないじゃんと思うことがあっても、歴史の教科書読んでんじゃないんだしと思うことがあっても、そこが好きでついつい読んでしまうのだ)それから「イキガミ」1巻。「イキガミ」昔、O野さんに、これちょっと話題になってるからといわれて、1,2冊もらって読んだが、あざとい設定とあざとい人情ドラマにあまり惹かれなかった。しかしこうしてあらためて読むと、ちくちくちくちくいやな感じの刺激を受け続ける読み応えがとても特殊で、なかなかいいじゃないの、こないだおわったはずの連載のほう、実は楽しみに読んでおった。でも最終回は読むことができなかった。「七夕の国」はもちろんもっておる。でもこっちに持ってきてないし、1ドルだったし。さんざん読んだはずなのにあらためて読むと、伏線がきれーーーーに張り巡らされてあってすばらしい。主人公がエウメネスやシンイチほどかわいくないのが欠点だが、とっても感じのいい青年だし。漫画としてのお話に破綻がなくてじつによくできているが、ある意味破綻がなさすぎて、どきどきする部分がないのも、欠点っちゃ欠点か。やはりある程度の長さがあり、作家が疲れてやぶれかぶれになる時点がなくちゃ破綻は生まれてこないのかも。「よつばと」10巻おもしろかったが高かった、7ドルもした、でもトメからたのまれていたので買ってしまった。トメは、よつばのいってることがときどきわからないそうだ、ひらがなだけすぎて、日本語としておかしいところがありすぎるかららしい。岩波文庫は「ブッダのことば」や「般若心経金剛般若経」が目についたが、もううちに数冊ずつあるので、さすがにこの上引き取るのは泣く泣くあきらめた。「ひゃくまんびきのねこ」の心持ちである。

老人と犬と恩返し

2012年03月09日(金)

S子ちゃん、おねがいが……とS子に話しかけたら、「おじいちゃんに電話?」というから、なぜわかったと聞くと、今おかーさんのブログ読んだ、と。で、S子ちゃんが(ちゃんづけは、感謝のきもち)電話してくれたのだった。あんまりコミュニケートできなかったようだ。今朝、犬たちを散歩に連れ出し、タケがのったりのったりいやいや歩く(それもそのはず、あたしがズンバにいってる間にS子が散歩に連れて行ってたそうだ、タケ言えばいいのに言わないから)のを、犬クッキーでつりながら、歩かせて、考えたのは、こういうことをやったほうがいいとS村さんは提案し、あたしもそう思うのだが、父がやりたがらないんだな、と。そして本来ならば、父にするような手厚い老人の世話をここで犬にやっておるのだなと。ほとけさまの供養のように、どこでもだれにでもいいから供養すればいい、という論理にならないものかなと考えた。師から受けた恩なんてものもそんなもので、受けた恩はなかなか返せないけど、こんどは自分が後から来るものたちの世話をしてやることで、恩返しになるんだと、むかーーしY上先生に言われてすごーく納得したことがある。そのとき、あたしたち(前の夫とあたし)はさんざんY上先生にお世話になっていたのだった。それでY上先生への恩返しのつもりで一所懸命学生の世話をしたっけ。老人の世話も、ほとけさまの供養や恩師への恩返しみたいに、よその老人の世話をすることで、自分ちの老人に返っていかないものかなと。

父と思惑

2012年03月08日(木)

今晩(カリフォルニア時間)はもう電話したくない。あしたもしたくない。しばらく電話しなければ父もなつかしくなって話したいと思うだろうか。しかしそこに何の保証もないから困っておる。話したいと思わないかもしれない。娘が帰らないので(といってもこないだ帰ってからまだ一ヵ月たっていない)娘にたいして腹を立てている、すねている、というより、娘でもだれでもめんどくさくなってしゃべりたくない、というほうが近いのではないか。ならば、父の思惑どおり、このまま電話をせずにいてあげれば、気楽でいいのかもしれないと思いつつも、そんなことできるわきゃないだろうが、と思う気持ちもある。どうしたらいいのかマジでわからない。日本に帰ればいいのだろうが、帰ってまたすぐ帰らねばならないことを考えると、つらすぎる、いくらなんでも。だからここにいたいと考えるのだが、考えがちっともまとまらない。

父はしゃべる気がない

2012年03月08日(木)

朝(日本時間の)電話したが、しゃべる気がないのですぐ切った。手がいたくて電話が持てないという。痛いのは左手なので、右手で持てばいいのである。

父としょうがない

2012年03月07日(水)

電話をすると、また声がかすれており、電話がよく聞こえてないといっており、それでも会話をつづけようとしているうちに、「きのう先生やS村さんなんといってた」というから、眠剤を減らしたほうがいいって、S村さんたちがいるときに少しでもいいから歩く練習をしたほうがいいって、というと、「おれ、あんたたちがいうほど、そんなに弱ってないよ」と。だって足が弱ったっていつもいってるじゃないの、というと「今は手が痛いけど、足は弱ってない」と。「テレビでやってたけど、年寄りってみんなどこかしら悪いものなんだって、しょうがないんだよ」と。もうこのへんで今日はこっちにしゃべる気がなくなって、そうなのーー、じゃしょうがないってことで、まあしょうがないから、あしたまた電話します、といって電話を切ったのである。これじゃいけない、悪循環きわまりない。

漫画の母性

2012年03月07日(水)

岩明均も井上雄彦も手塚治虫も、みーーんな「母性」が好きなんだなあと思うと、なんだかこう鼻白んでしまうのだが。これだけ読んどいて何をいうかと思うでしょ。そうなんですよ。男の子用の漫画ということでしかたないのかも。男の子たちはこういう母親観を持っているのかも。くすぐったいが、あたしには男の子がいないのでわからない。わからないと思うと、孤独である。母を、殺すとこから始まるのが「おはなし」というものだったんじゃないのか、と思っている、思うだけじゃなく実感しているのは、あたし自身が女の子で、娘しかいないからか。岩明均の「母性」は、少しゆがんでいるので、もたれずに済む。子どものころ手塚治虫より石森章太郎をこのんで読んでいたのは、この母性礼讃が石森になかったせいもあったと、今思い出した。石森には、おねえさん礼讃はあるけど、そんなのはへでもないし、安寿と厨子王みたいなもんかと思えばナットクできなくはない。

寄生獣と上条くん

2012年03月06日(火)

「寄生獣」の上条くん、といってわかる人いるかな、ミギーでもシンイチでも田宮良子でもムラノでもなく、とにかくただの同級生なんだが、いい味出している。「スラムダンク」の水戸洋平くんのようだ。上条くんどうなっちゃうかなと心配して読むんだけど、あまりにチョイ役すぎて出番が少なく、どうなっちゃうもくそもないのであった。って、漫画読んでないで仕事仕事。

タケと「はうーん」

2012年03月06日(火)

ずっと、タケのひとりごとを、なんと表そうか考えているのだが、考えつかない。タケはよくしゃべる犬だ。若い頃からよくしゃべる犬だったが、年取ってからはますますおしゃべりになった。といってもナルニアにでてくる動物やドリトル先生に出てくる動物たちみたいにしゃべるわけではない。あたしたちと会話をするわけではなく、むしろひとりごとだ。感情を声に出すのが好きなようだ。ふうーむふうーむ、と車の後部座席でひとりで唸っている。通訳してみれば、「どこにいくのかな」「公園ならいいんだけどな」「まったく運転が荒いんだからな」みたいなことか? なんとなくあたしに対する不満がふくまれているような気がするのは気のせいか? こないだは、トメとあたしが洗面所にいたら、ふとやってきて「はうーん」とひとこと言ってどこかへ行った。あれはたぶん「なんだ、さんぽじゃないのか」みたいなことか? しかしこの「はうーん」はしょっちゅう聞くから、ぜったいタケは言いたいことがあるはずだ。思い出そうとしている、どんな状況でそれを聞いたか。共通するものがあれば、タケの言語が解明できる。と書いてるあたしの頭の上でぴーちゃんが髪の毛にひっからまってひどいことになっておる。

父とサワタ

2012年03月05日(月)

それで、朝(日本時間)主治医に電話し、父の状況をくわしく話し、ほとんどヤク中みたいに生きてることを話し、骨折したかもしれないことを話し、主治医の先生はほんとにフレキシブルで、こっちの意見も真摯にきいてくれるのでとてもありがたく、それから父に電話し、S村さんと話し、同時に、こっちではディナーパーティーやっており、11人分のごはんを作っており(サーモンのペストはさみ、新芋、焼きピーマン、グリーンピーとリークのポーランド風サワタ)、飲み物を用意しており、父から電話がかかり、また父に電話し、ああ、大忙しであった。ああ。でも父はまだ生きてて、あたしは日本にいかなくてもよさそうだ。

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