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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

コージくんとビンちゃん

2012年03月22日(木)

こないだ塩麹の作り方を、M里さんに教わってさっそくニジヤで乾麹を手に入れて作り始めてからというもの、すっかりはまって、名前はコージくん。しかし冷蔵庫に入れた時点でコージくんは発酵しなくなっているし、食べているので、ただの塩麹のような気がしている。ペルシャきゅうり(日本キュウリの代用品)やラディッシュで漬け物はもちろん、もろきゅう、もろにんじんももちろん、コージくんとサワークリームとヨーグルトとパセリとにんにくとショウガで漬け込んで焼いた鶏はとてもうまかった。コンブチャのびん入りビンちゃん、前回は緑茶でやったら、すっきりさわやかな、アロエ汁みたいな感じの飲み物になった。紅茶のほうが複雑怪奇な味になるのは、紅茶の製造段階で一度発酵してるせいか(とゲスしておる)。今は紅茶で発酵しつつある。

ぷねうま舎と雨とリュウゼツラン

2012年03月20日(火)

万事OKが、今週はむずかしくて書きあぐねている。ぷねうま舎のN川さんから見本ができたとメールが。『たどたどしく声に出して読む歎異抄』だ。雨は思ったほど降らなかった。きょう近所の道端に、大きなAgave Americana日本語でアオノリュウゼツランの株から電信柱のような花茎がすっくと起ちあがり、花をひとつ咲かしているのを見た。Uターンして戻ってきて、道を折れたとこに車を停めて、しばらく眺めておったが、いや、豪気な様子であった。

友人のことば

2012年03月18日(日)

「病と老いはどんどん拡大して、父を消していくと思う。でもでも、見送ると、また立ち上がってくるよ。ここまで来た道を。あの父とあの私が、確かにいたことを」と父を見送った友人がいった。ちょっとほっとした。

雨だ。

2012年03月18日(日)

雨だ。先週の予報ではずーっと雨となっていたのでなんと太っ腹なことだとワクワクしていたが、その日が(つまりこの週末)近づくにつれて、予報は、軽い雨だの曇りだのと及び腰になっていった。きのう、ずんずんと雲が低く垂れこめる中、LAにいって帰ってきたら、サンオノフレ(ここの原発が、破損箇所があるとかで問題になっておる)あたりでとうとう降り出し、さーさーと篠つく春の雨っぽくなり、よろこんだのもつかの間、うちの近くに来るや雨は止んだ。今朝も豪雨を期待していたが、降りみ降らずみ、無念さに歯ぎしりしたが、やがて雨脚は少し強くなり、一時は前の車のはねあげるしぷきで視界が悪くなるほどの雨が降った。植物たちを数鉢外に出した。

父と飛行機のきっぷ

2012年03月17日(土)

で、父のことだが。ここのところマジでストレスフルになっていて、書きたくなかった。しかたがない。書かないと(メモなのである、あたしの)。きのうS村さんとじっくり話せた。肩をうってから痛みがあって、それでどうしてもほかのことがおろそかになってるようだ、と。だいぶ続くでしょうけど、と。そのとき、いつものR病院に、それからもっと専門的なK病院に連れて行ってくれた。その結果、骨折ではないということだった。そしてそのとき、R病院から出されている眠剤を減らしてもらうようにした。わたしもR病院のかかりつけの先生に電話してそのことを話した、どうも薬のみすぎで昼夜逆転しています、薬が残っているから午前中一杯、午後もときどき寝ていて、夜寝られなくなり、夜中に眠剤のんでまた昼間寝ての悪循環、その上いつも眠剤が残っているようでふらふらします、と。眠剤が夜まで残っているのは、呂律がときどき回らないので推測できる。そしてその結果、かかりつけ医は眠剤を出さないでくれた。ところがそれについて父が文句を言う、言う、とうぜんだが。「3時まで眠れなかった、S村さんやあんたが先生にいったせいで眠剤くれなかった」と何回も何回もくり返した。この頃の父は、まるで入院する直前の母みたいに、何回何回も同じことをくり返すのである。まあしかし、眠剤がいきなりなくなったのだからそれはつらいと思う。数日間そうだった。そうして少しずつ慣れてきたのかなと思う。しかしおととい、電話したらすごく動揺した声で、「きょうはリハビリの日だったのに忘れちゃってた」と。「おれ、そういうこともわかんなくなってる。おれはこの頃スカパーみるのもできない、前は洋画チャンネルすぐまわせたけど、今はどうやってやるのかわからない」と、切々と混乱した声でうったえるのである。そのときにはすでに7日出発の便を抑えてあった、でももっと早く帰らないとだめだと思った。「早く帰ってきてくれよ」と父はいう。しかしぱっと行ってぱっと帰れる距離じゃないのである。その上、諸般の事情で予定がくるい、あたしは日本に4月末までいなきゃならぬ。ますます、ぱっと行ってぱっと帰るわけにはいかなくなってるのである。こっちの家にも家族がいて、こんな、てきとうな母だけれども、必要とされていると思う。それを考えると、ほんとに、ほんとに、行きたくない。でも行かねばなるまい。この頃は父に電話するのもほんとにつらかった。受話器をとると、父が大声で「はい?」というのである。その声にひとかけらの「話したい」という気持ちも感じられないのである。で、いつものとおり、どうしてる?というと、そっけなく「テレビみてるよ」という。そうして、なんとか話をつなかげていると、眠れないの、転んだの、テレビがこわれたの、孤独死だのという話題にたどりつくのである。しかしその話す声が、声そのものが、こわれているような気がする、こわれていて、何も把握できなくなっていて、ばらばらになってるような気がする。父は父ではなくなっちゃったような気がする。あたしを、害する気持ちなんかちっともなかったはずだが、今はもう、これをいえば比呂美を悲しませる、苦しませることになるのだ、なんてところも考えられなくなってるのだと思う。で、それはしかたがないことだと思う。などということを書いてると、でもこうなることは前からわかっていたんでしょ、と友人に言われた。そうなんだけど、これほどつらいとは思わなかった。ベルリン行きはキャンセルした、そのあと、日本に行こうと思えば行けたのだ、しかし、さすがに、あたしのなにかが「やめとけ」と。あたしはふつうの人よりずっと体力があって、どんなに動いても動けちゃうのかもしれない。まあどんな人でも、こういう状態になれば、こんなふうに動いてしまうのかもしれない。しかしそれでも、あたしのなにかが、もうタクサンと叫んでいるのが聞こえた。これ以上動いたら、たぶんぷっつり切れて、体力か精神力かが、そうしてもっとひどい状況におちいるから、いま、ここで「やめとけ」と。そう思えば、この家にいた、家にいて、S子やトメや、イヌたちやつれあいの変化を見ていた2か月は、必要だったのだと思う。

4月20日ジュンク堂で朗読のご案内

2012年03月17日(土)

「たどたどしく声に出して読む親鸞」

4月20日 19:30〜
ジュンク堂池袋 4F喫茶店 03-5956-6111

ドリンク付きで1000円

こんど、ぷねうま舎から本が出ます。その名も
『たどたどしく声に出して読む歎異抄』
そのおひろめと景気づけをかねて
親鸞の声を、恵信尼の声を、読みまくります。

4月19日「詩人の聲」のご案内

2012年03月17日(土)



「詩人の聲」(天童大人プロデュースシリーズ第743回)

4月19日(木)18時30分開場 19時開演
数寄和 杉並区西荻窪北3-42-17 
tel: 03-3390-1155
email: contact@sukiwa.net
予約2700円 当日3000円 学割1500円

父と孤独死

2012年03月14日(水)

このごろS村さんの提案でキューネットというのを契約しようかどうしようか考えていた、というのも父がよく転んでおきあがれないからで、そういうときにブザーをおせば、夜中でもすぐ来てくれて起こしてくれるという、そういうシステムだ。でも、父が「まーいい」と。「まだだよ、もうちょっとなんにもできなくなったら頼む」と。しかしもうなんにもできなくなってるように、あたしには思える。「転んで起き上がれなくても2時間くらいすわってればおきあがれるようになる、そのあいだに死んじゃったら、そういうのを孤独死というのかなあと、きょうも考えていた」と。おとうさん、そういうのいわれるとつらいんだけど、とあたしがいうと、「わかってるけどさ」と父はまだいいつづけるのであった。いいたいのはわかるが、心の拷問だった、これは。電話を切ってしばらくしてまたかけて、おとうさん、孤独死というのは死んじゃってそのままだれにも気づかれないことなんじゃないの、おとうさんは、朝と夕方にS村さんたちが来るし、あたしも電話して出ないと大騒ぎしてS村さんに連絡するし、といったのである。というか、いわざるをえなかったのである、いわなくてもいいことなのだし、いわなくてもよかったのだが。

ラジオ局とアメリカ音楽

2012年03月12日(月)

サンディエゴとティワナをカバーするラジオ局で104.9というのが、クラシックばっかりやる局なんだが、アメリカやメキシコの作曲家をよくかける。そんな気がする。きっと日本のラジオ局やヨーロッパのラジオ局より、アメリカやメキシコの作曲家の曲がかかる率がたかいと思う。で、そのアメリカやメキシコの近現代の作曲家が、なんとなく共通するマイナーさと明るさがあって、おもしろい。きょうも、運転しながらぼうっときいておったら、ピアノ曲がはじまったのだが、なにしろサンディエゴとティワナ(メキシコ)だから、曲の最初はスペイン語、最後に英語で曲名をいう。それでわからないスペイン語のほうはつい聞き飛ばしてしまうのである。スペイン語アナウンサー(女)は驚くほどおばさんっぽい地声でしゃべる。英語アナウンサー(女)は硬くてとんがってる声である。各言語の発声の違いなのかなあと考えておる。とにかくそのピアノ曲。それがだれのかわからずにいろいろゲスしていたのでゲスが、マーラーみたいな感じ、つまり浮き世に迎合したような感じのメロディがマーラーみたいで、でもまてよ、マーラーピアノ曲ないじゃんと思い直し、さらにきいてるとコープランドみたいな感じもする、アイヴスみたいな、感じはない、どっちかといったら知ってる音の中ではジェフスキみたいな感じであり、なんというか、こう、ミニマリズムが大げさに手足をばたばたはためかせて歌い踊ってる感じで、好きかといわれれば、ちょっと待ってくれと答えたくなるような、しかし聞いてるうちに、メロディがきつくてうっとうしいけど、好ましくなり、きっとジェフスキ(いや、ジェフスキはとてもスキ)かそのあたりの人のであろうと思いすまして最後まで聞いておったら、何かよくわかんない名前であったので、うちに帰ってネットで調べたらGottschalkという聞いたことのない名前の作曲家、ニューオーリンズ生まれの19世紀末の、その人の、Souvenir de Porto Ricoという作品であった、iTunesで買ってずっときいてるそれから。こないだニール・ヤングが、さいきんのそういうテクノロジーでは音が悪い、悪くなりすぎる、と発言していたが、あたしには区別できない。

日本に

2012年03月11日(日)

黙祷。

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