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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

タケとベッドと下痢

2012年04月01日(日)

タケがベッドでうっかりもらして「しらないわよ」というのは何回もあった。それはふつうのうんこで、つい出ちゃいましたという感じであった。こうならないようにするために、われわれはズンバなどで腰をまわしてそこらへんの筋肉をきたえておるのだが、効果のほどは年取ってみないとわからない。きょう、まっ昼間、仕事してたら、とつぜんぶりぶりぶりという音が聞こえて、足元をみると、寝そべったタケが平然とした顔で、尻尾の下に、泡立つ下痢を排出しておる。さいわいおしりはベッドからはみ出していのでベッドは汚れずにすんだ。出終わるまで待ったが、タケはいっこうに立ち上がる気配がない。もしかしたら気がついてなかったのかもしれない。それで、タケ、こっちおいでといい、外をさししめすと、のったらと起ちあがり、出て行って、居間のベッドにすわったが、しっぽに下痢便がついて、あちこちひきずってくっつけて、居間のベッドにもべったりと。それを片づけ、拭いて、しっぽもきれいに拭いてやったら、またあたしの部屋にもどってきた。おしりを拭くときは、ごしごし拭かないと取れないし、ごしごしやるとタケは腰が砕けてしまう。それでタケの腰を上から羽交いに抱えて、あたしの腕力でタケを支えながら、ごしごしと拭いた。その腰が、骨でごつごつしていて、そして最盛期の中年女としてのタケのあのむちむちした腰からは考えられないほど細く、弱々しくなっていた。あたしがズンバをどんなに踊ってもやせないのはたぶん今のあたしがあの頃のタケのような中年女の生理と体型を持ってるからだ。若い頃はいつも太っていた叔母(80歳)が、「この頃やせちゃったのよ」といくぶん得意そうに言ってたのを思い出す。叔母はそのとき、「80になればみんなやせるよ」とも言った。80まで待ちたくないなあと、そのときは思ったけれども、今そのことばを思い出し、タケのすがたをこうして見ていると、なんだかしみじみとする。叔母の言うとおりあたしも80になったらやせて、このようにごつごつになっていくのかもしれない。そしてまた、タケの腰を抱えたときにまず感じたことは、とうぜんながら、母の末期の姿や父の(胴体はそうでもないが)足腰の細々しさで、あはれといふもおろかなり。しかし自分の部屋ながら、じつに臭い。

タケとベッド

2012年03月31日(土)

きょう仕事中に眠くて堪らず、二階に寝にいくだけの力もなく、足元にごろんと横になったが木の床は冷たくて固く、すると目の前にあったのがタケ用ベッド。とうぜんタケはそこに寝ておったが、少し端からはみ出していた。そこでこっちの端に場所をとって、タケと顔と顔をつきあわせるようなかたちで、眠りこんだ。眠りこむ直前は臭いなと思っていたのを覚えているが、そんなものはほんの1秒か2秒で、すぐ眠ってしまった。昔なら、こんなことをすればタケは黙って立ち上がってよそに行ったものだが、今のタケはただ寝ておる。そうしてあたしらはベッドを共有できた。おひるねも共有できた。起きたときは半身がすごく臭くて、毛だらけになっておった。ニコのおじぎの特訓についても話したいが、それはまた今度。

トメと運転免許

2012年03月31日(土)

きのうトメが運転免許を取得した。親の役目が、なによりもまず「タクシードライバー」であるカリフォルニアで、子どもが免許取得ということは、もうどこかへ同伴しなくていいということなのである。子どもには自由が、親にも自由が与えられるということなのである。子どもは親から離れるということなのである。それできのうの午後、つれあいに連れられて、免許センターに行き、運転テストを受けて、100点満点で合格したそうだ(いつものトメの運転を見ているかぎりでは信じられない)。仮免になってもう何ヶ月か、仮免で運転させることにすっかり慣れちゃっておった。カリフォルニアは、仮免とってから、家族が運転の練習をくりかえす。3回、プロの教習所の先生がやってきて、ブレーキ2つついてる車で1時間くらい運転させる。そして規定の時間と、3回の教習がすむと、実技の運転テストがうけられる仕組みである。きのうはあたしが連れて行くつもりだったのに、なぜかとつぜんつれあいが乱入してきて、おれが連れて行く、と。彼は彼なりにしみじみしているらしい。そして合格して帰ってきた。きのうはそのあと、夜の合気道にひとりで行って帰って来た。これは、近いし、行き慣れた道だし、フリーウエイもほんの少しである。だから心配しなかったが、きょう、友人とコンボイで待ち合わせて遊ぶという。コンボイといったらうちから修羅場のフリーウエイを乗りついで20分。乗り降りもかなりむずかしく、その上、アジア系の店ばかりで、どういうわけか駐車場の1台分がやたらに狭い。その上金曜日の夕方は道が渋滞するから、進んでは停まり進んでは停まりをくりかえさねばならない。注意散漫なトメがそれに耐えきれるか。あたしは、ほっんっとーーーに、行かせたくなかった。豪放な母を自認しているあたしが、ここでこんなに躊躇するとは思わなかった。しかし、出さざるをえない状況であった。天気もいい。外は明るい。ついてしまえばわが庭のようなコンボイで、遊ぶ相手も気心の知れた仲良しで、しかもしっかりした年上の少女である。まあ、それで出した。はらはらしながら。トメはあとも振り返らずにぶうううっと猛スピードで走り出していった。で、生きて帰ってきた。

本を読んだ

2012年03月31日(土)

この頃やっとツキ物が落ちたのか、ちゃんと本を読めるようになった。ずっと岩明均祭りをやってて、他のものが読めなかった。ミシガンからかえってからずっとである。「七夕の国」も「寄生獣」も「ヒストリエ」もすみずみまで読み尽くしたのだ。きのうは植木雅俊「仏教、本当の教え」これはもうど真ん中。ずっと疑問だったこといいたかったことがいっぱい書いてあった。それから、山折哲雄「デクノボーになりたい」を読んだ。わかるわかるの連続だった。なにしろ賢治の本と思って読みはじめたら中也は出てくるわ千葉徳爾先生は出てくるわ景戒は出てくるわ。とにかく、ひさしぶりの漫画以外の、というか岩明均の漫画以外の本であった。リハビリとしてはいい選択であった。どちらも、岩明均なみに血みどろだった。ヒストリエのこの全編を支配するのどかさはなんなんだろう。エウメネスの母は田宮良子だ。あちこちに血みどろはあるが、それを抑えて、表面的にはじつにたんたんとエウメネスは生き抜いているのだ。寄生獣であれだけ血みどろやって、血みどろになんの抵抗もなくなったのかも。よくわかる。その感じ。

父と巨人

2012年03月31日(土)

朝、文句言いたいだろうなと思って電話すると、案の定「どうしようもねえよ、おれゃもうジャイアンツは一生見ない」「きのうは見て損した」「原はもうだめだ、キャッチャー四番にしてどうすんだ」「原やめさしちゃって阿部を監督にすりゃいいんだ」「巨人大鵬卵焼きってのやめようかと思ってる、大鵬は白鵬にすればいいんだけど、巨人にかわるものがなかなかない、ソフトバンクじゃゴロが悪いし」などといきおいよくしゃべっていたのである。

巨人負けた

2012年03月31日(土)

「今日から野球がはじまる」ときのう父が言った。「原が、阿部が、坂本が」と。おとうさん、ソフトバンクに変わったんじゃないのときくと、「いや、まだ今のうちは、やっぱり巨人に期待してみる」と。それがーーなんだー、ニュースみたら最悪の完封負けじゃん。今日、話すことがない。

たどたどしく声に出して読む歎異抄

2012年03月30日(金)

『たどたどしく声に出して読む歎異抄』がとどいた。ぷねうま舎。菊池信義さんの装幀。白地に暗い赤の文字。1600円。朗読会は4月20日7時から池袋ジュンク堂で。

Engrish

2012年03月29日(木)

Jフリーが、こないだ西ミシガン大学でやった朗読をYou Tubeにアップしてくれて、Yakisobaという詩だ。でもすごいのは、って自分でいうことはないのだが、冒頭の語りである。あたしゃ今まで15年、もっとか20年かもっとかも、英語使って世間を渡ってきたが、こんな英語使ってるとはつゆ知らず、いや知っていたかも、娘たちからは「おかあさんの英語はヨーダみたい」(つまり英語なのに、語順がむりやり日本語なのである。いけしゃあしゃあと何の反省もなくそういう英語を使っておる)だの「おかあさんの英語はEngrish」(つまりわれわれの宿命ともいえるLとRの問題だ)だの、言われてきたが、いやー、こんな英語を今まであちこちでしゃべり散らしてきたのかと思うと恥ずかしいというか、ぶざまというか、おどろいたというか。むにゃむにゃいっててすごいなまり切ってるじゃないか。英語をしゃべる友人一同の英語を思い返してみると、だれのも、それぞれ、その人の個性が、環境が、来し方が、出ていて、その人らしかった。ということはこの英語があたしか。あたしはこれか。あたしって、なんて、いけぞんざいで、てきとうなんだろうと思うと、ちょっと、穴があったら入りたい。で、それはこれ。もういいんだ、なんかもう、これで15年以上、移民の生活暮らしてきちゃったから。これがあたしの「とげ抜き」の「河原荒草」の「レッツ・すぴーく・English」の、あと何があったか、あー、いまやってる「テリトリー論3」(日系人の現在あらため)もだな、そういうのの根本の語りなのでありますよ。http://www.youtube.com/watch?v=zREZkzBF0bI&feature=player_embedded

ニオイゼラニウムと蘇り

2012年03月28日(水)

車をバックして外に出るとき、つい前庭のへりに満開のニオイゼラニウムの群れ、というか繁みの中につっこみ、かなりの被害を出してしまった。折れて、つぶれているのがおびただしく。切り取って束にして、前庭に挿し芽してみたが、挿しきれるものではない。長く切り取って束にして、かびんに入れてみたが、それも限度があり、相当数がつぶれたまま残っている。どうよみがえるか見てみる。

ズンバと塩麹

2012年03月27日(火)

今日はズンバに行けた。サポーターしていったら足全体がかったるーーくなった。おわったあと、先生に、腰の振り方を教えてもらった。片方の腰に従心をすっかりかけて、もう片方をくいっと持ち上げ、持ち上げた方の腰骨から下を左右に動かすそうだ。夥しい人がうごめくクラスの中で、数人、先生と同じように腰が動く人がいる。数人、先生が意図しているのと同じように筋肉を動かしている人がいる。でも、ほんの数人である。終わったあと、いっしょにやっているA子さんにさんざん塩麹教への勧誘をしておった。きのうはマスを買ってきて、みりんと酒でのばした塩麹につけたのだ。そして朝から晩まで、外に出して発酵を進ませてみた。そしたらマスは、なんとまあ西京漬けのような味になっていた。焦げた麹が香ばしかった。ここにいながらああいう高級料理に似たものが手に入るとは! というか作れるとは! 発酵のいりょくである。発酵のひゃくまんばりきである。発酵教徒としては、「白い麹の発酵経」かなんか書かなくてはならない。きのうは折角の西京漬けもどきを、芋のミルク焼きみたいなものと食べてしまったが、白いご飯で食べるべきだった。でも昨日で塩麹使い切ってしまった。今回のコンブチャはやや熟成が足りてない。

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