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燃え尽き症候群なのにタケが
2012年05月07日(月)
燃え尽き症候群とM子に言われつつ、ぬったりしてるのもいい加減にしようと自分でも思って仕事を始めたが、去年、お母上を亡くしたR子さん(やはり海外のとーーーくに在住)からメールが来て、「もう母に会いにあの暑い日本に行かなくていいんだというのが信じられません」と書いてあって、またまた泣いちゃったのである。ほんとにR子さんのいうとおり、もうあんなふうに待ち焦がれている人はいない(これもR子さんの言)んだなあと思うと、また泣いちゃったのである。しかし今、ぷーんと足元でにおう。さっきからタケがおならしているせいである。でも今回はとくに臭いと思ってよく見ると、うんこが出ておる。涙なんかぱっと乾いた。タケは平然としている。それでそこに座らせたまま片づけた。ふつうのいいうんこで助かった。でも部屋がとても臭くなってるので、あたしはもう寝ることにする。明日の朝までにはニオイもとれてることと思う。「漢である」を書いてたが、まだ父のことは書く気にならなかった。夫のことを書いた。まあ、憎まれ口のようなものだ。こんなに憎まれ口をたたいているこの夫も、死んだら父みたいに恋しがって泣くのか。
ぬったりする自分とタケと父と月
2012年05月07日(月)
ぬったりしていたら連休が終わったらしい。原発もとまったらしい。まだメールの返事かけてないところがある。そろそろ立ち上がらねば、そして朝はちゃんと起きてズンバにも行かねば。ゆうべはちゃんと定時ごろに寝たのに、半日も寝てしまった。起きたのは12時近かった。タケが回復していて、ごはんを作っていれば興味しんしんにみつめておるし、あたしが居間に行けば立ち上がって居間にくる。さんぽ?と聞くと立ち上がるし、ぐずぐずしているとニコを叱りつける。昔のままだが、やはり身体は衰えが激しくて、前よりがくがくした歩き方になっているし、体が硬直したようなところもある。そしてなんとなく右側にかしいでいる。脳梗塞をおこしたのではないかというつれあいの観察はあたらずともとおからずだ。それは金曜日で、あたしはまだ日本だった。S子から刻々連絡が入り、タケのようすが伝わってきた。S子はタケが死ぬと思っていた。ずっと寝っぱなしだったようだ。うんこもおしっこも垂れ流しであった。S子だけじゃなく、以前はものの役にも立たなかったトメがきちんと片づけているようであった。帰るまで(死ぬのを)待っててと思いながら帰ったら(火曜日)タケは立ち直りつつある。表情ははっきりしている。散歩にも行く。食欲もある。しかし立ち上がるときに立ち上がれなくてくずおれることもある。と書いていたら、悲鳴が聞こえて、いってみると、今さっき、外におしっこに出したタケが、入り口で、バンビが生まれたときみたいに、腰を落とし、両前足をひろげてもがいておる。肩や背中を抱えて助けおこそうとすると、ひいいいと悲鳴を上げる。それでタオルを前に敷いて、前足をそこにかからせて(けっきょく木の床ですべっているのである)全体を抱え上げて、タオルの上を歩かせるようにして、元どおり、あたしの部屋に帰ってきた。こんなことしてても、思い出すのは最後のほうの父のことだ。きのうの月は凄まじかった。大きさも凄かったが、出る場所がいつもよりずっと南よりに見えた。それはどうしてだろう。あしたはニコがとうとう歯磨きにいく。しつこい口臭が治るかもしれない。T田先生から連絡が入り、ルイはよく食べよく眠り、散歩も楽しみ、快調だそうだが、暑がりらしくはあはあいってるので全身刈り込んだらどうかということであった。前にも父がそれをやったが、あのときの醜さは忘れられない。しかし娘たちはやるべきだと主張しておる。うーーーむ。
蓋つきのつぼとコーヒー
2012年05月05日(土)
何年も何十年も前から、父が、これに二人のお骨を入れて撒いてくれといってた小さな蓋つきのつぼがある。すっきりしたいい形のつぼである。そこに骨を入れて持ってきた。むちゃくちゃだ、とカノコに呆れられた。S子はとても自然に手を合わせて拝んだ。おいてある。蒐集したGルやJのつぼの間に。父の死体はちっともこわくもなんともなかった。死んだものが怖くてさわれないあたしがおそれていたことだ。実際はいくらでもさわれた。それは死体ではなくて父の体だった。納棺師さんがきれいにやってくれたのに、3日間も置いてあったので口があいてきてしまった。だからあたしは最後までそれを閉じさせようとしてみた。葬儀社の人がキクの葉にコーヒーをつけて口を濡らすようにいった。コーヒーで、というのはS叔母の提案である。缶コーヒーは父のコーヒー好きを知ってるS村さんが供えてくれた。だからあたしがキクの葉でコーヒーを父の口に滴らせた。少しあいていたからちょうどいい具合に口に中にコーヒーがしみこんだ。
これも不安夢
2012年05月05日(土)
子どもの頃住んでいた家に、今みたいにひとりで(熊本での状態)住んでいるが、父が死んでいろいろと走りまわっているが、そこにNさん(のような人)が帰ってきたので、散らかしっぱなしで片づけようがなく、今日カリフォルニアに発つという日に、いつもはきちんと片づけて出て行くのだが、朝起きてみたら、部屋は乱雑きわまりなく、ものは出しっぱなしで散らかりっぱなしで、障子にはすべて毛布がかけてあり、雨戸は半分引きだしてあり、異様に室内が暗くなっており、しかもエアコンがついてむし暑くなっており、暗くて時間がわからないようになっており、しかしまだ飛行機には間に合うので、エアコンをとめて、雨戸を戻して、あとはもうこのままでいいやと腹をくくって外に出て行く直前で目が覚めた。
コンピュータの時刻
2012年05月04日(金)
コンピュータの時刻を日本に合わせてあった。父に電話するためだった。それをカリフォルニア時間にもどそうとして、もどしかけてやめたのは、そうだ、しめきりの正確な日時を知るためにはこっちのほうが便利だということに気がついたからだ。
タケのことその他
2012年05月04日(金)
タケのことをかいたらまちがって消してしまった。むかついて書き直す気になれない。その他はぼーっとしている。寝るときに寝て起きるときに起き、発酵ドリンク(ビールとかワインとかコンブチャとか)をてきとうに飲んでいる。父に電話しなくていいというのが何よりも違和感がある。いつもの景色がまったくリアリティなく目にうつる。
いろんなことをした
2012年05月01日(火)
成田でビールをのみながら飛行機を待っておる。いや…めまぐるしい数週間だった。いろんなことをした。「歎異抄」が出て、「万事OK」が出た。九州市民大学で話をして、泗水図書館で話をした。A山さんたちの能をみに水前寺公園にいった。B場さんたちにあった。数寄和でカノコとやって、ジュンク堂で歎異抄をやった。箱崎水族館でカノコとやって、好信楽でN田さんたちにあった。県庁でK野さんにあった。A上さんとロシア正教の復活の大祈祷にいった。熊本学園大で山折先生の講演をきいて仏教のことを話した。T浜さんと山折先生と浄国寺で待ち合わせ、谷汲観音をみて、山折先生とI牟礼さんちにいった。「百合子、ダスヴィダーニャ」をみて、H野監督としゃべった。カノコをつれて障害者施設の「栞」にいき、カノコをつれて八代の老人ホームシラサギに行った。東京でIメラさんたちとごはんを食べた。T哉と何十年ぷりかにあった。Y夫やS一ともごはんをたべてわいわい話した。まだいろんなことをした。新幹線に何回ものった。ルイと同居して、たくさん散歩した。車のなかがルイくさくなった。M脇さんやE藤さんやR子さんとたちばなしした。T浜さんやO野さんやB場さんが遊びにきた。M子もきた。M子さんやH田とのんだ。Nちゃんとごはんをたべた。いろんなことをした。
ルイ
2012年04月24日(火)
ずっとルイといっしょにいた。今日はあんまり暑くて、まっ昼間銀行に行ったときには家においていったが、あとはずっと。そして待たせたら外に出してちょっと歩いてやり、水をやり、家に帰ったらミルクをやり。うちで犬たちと暮らしているまんまの生活である。ルイはこんな生活ははじめてするはずなのに、ちゃんと適応しておる。待つときは運転席の上、ダッシュボードというのか、あそこが好きで、ぬいぐるみを並べている人がいるが、あんな感じでねそべっている。なんだか父の家にいたときよりいきなりぴったりとこっちに寄り添って生きている感じがある。
清盛とお香とお花
2012年04月22日(日)
清盛をみた。もう従弟たちもM子も帰ってしまってひとりであった。見終わって帰ってきたら、うちの中に新しいお花が見知らぬ台の上に飾られていた。いつもあけっぱなしなのを熟知している女友だちたちが、いない間に来て飾っていってくれたようだ。いろんな人からお花をいっぱいいただいた。部屋がお花で埋まっておる。お棺の中も花で埋まっていた。母方の従弟たちがきのう帰らずに一泊してくれた(父の家に泊まったのだが、ルイ臭かったそうだ)。そして今日は父の油絵の具だらけのワゴンと母の古ぼけた鏡台と母のお骨が長い間置いてあった違い棚をこっちの家に運んでくれた。生活している男たちは実に手際がよかった。かれらと別れて、ルイを引き取りにいったら、汚れてしまったのであしたちゃんときれいにしてお返ししますということで顔だけみて帰ってきた。部屋が父の家の物のにおいと花のにおいといままでたいていたお香とはちがうお香のにおいで充満している。父方の6歳下の従弟と30年ぶりくらいに会った。子どもの頃よく行き来していた従弟だ。サラリーマンしながらずっとバンドをやってるそうだ。中2のときあたしの部屋でパティ・スミスの「ラジオ・エチオピア」を聞いた、衝撃だった、あれから音楽をききはじめたといっていた。なんかちょっといい話だった。
寂心さんのクスノキ
2012年04月19日(木)
カノコたちを阿蘇に連れて行く予定であった。火口と草波と温泉と田楽と大杉を見せようと思っていた。しかしできなくなったので、寂心さんのクスノキに連れて行った。カノコたちは手をつないで歩きまわっていたから、あたしはクスノキの下でベンチに寝転がった。上を見て、木を見て、自分の手を見て、空を見た。しわだらけの大きい大きい木であった。1つ大きなまちがいをしていたのに気づいた。この時期のクスノキが赤いのは新芽だとばかり思っていた。ちがうのである。古い葉が赤くなり、それが新芽の緑と入り交じっているのである。赤い葉が、風に吹かれて、葉桜になりかけたときの花びらのように、降りそそいだ。
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