夏祭りと金魚
2012年05月16日(水)
S子の記憶によれば、あの金魚は、日本人会の夏のお祭りの金魚すくいでもらってきた一匹だそうだ。日本人会のお祭りで、日本人学校はいつもかき氷屋と金魚すくい屋を担当している。あたしも以前、金魚すくい用のあみ作りを手伝い、かき氷屋のおばちゃんをやった。技術がないので、かき氷を作るというより水の中の缶ソーダを売ってたのだったが。いかにもアメリカの男の子が年取ったという感じの、でもちょっとダンディな、うちの父に似た感じの(うちの父はちょっとダンディだった、いや娘バカじゃなく)2世か3世の老人がやってきて、「Strawberry and Azuki」と注文していたのが印象的だった。
ハチよ
2012年05月16日(水)
母の日にイチジクの木をもらったので前庭に植え込むつもりで、それならついでにこないだ買ったメイヤーレモンの木も植え込もうと思って、Mエルに相談したら、前庭にレモンを植えて、中庭の花壇にイチジクを植えろという。花壇には池がはめこんであって、ホテイアオイが生えてるがまあはっきりいって腐ってみどろが池になっておる。その周りは、カンナやセージやゼラニウムが野放しで、池の中同様わけがわかんなくなっておる。水じゃないからへどろにはならないが、枯れ葉と枯れ枝と生きた葉と生きた枝が縦横無尽に寄りかかり合って、へどろ様の繁みとでもいうべきありさまだ。それでMエルがセージや何かを切り開き始めたから、あたしは池をきれいにしようと、へどろやみどろをかいだしていたのだが、ものすごく臭くて気味の悪い作業であったのだが、そのうちにすーいと赤いものが! 金魚が一匹まだ生きていたのである。驚いたのなんの、何年になるか。まだ生きていたのである。しかたがないから、へどろ水といっしょにすくって、小鉢に入れて、あたしは水槽を買いに走った。池のかいだしをやってる最中、つれあいが駆除業者をつれてきた。駆除業者はふしぎな面体の男で、ネズミ男そっくりだったのであるが、それはともかく、裏の壁にハチが巣を作っている。駆除することに決めて、ハチたちにはほんとに申し訳ないと思っている。しかし家族の生命を危険にさらすわけにはいかないのだ。トメはもう何度もハチにさされたから不死身だといっている。ネズミ男とその助手が20世紀少年みたいなかっこでもどってきて、何か散布して巣を落とした。その間も、Mエルとあたしは花壇で働いていたのだが、一匹のハチがぶんぶんいいながらあたしのところへ飛んできて、しばらくホバリングしてまた戻っていった。ほんとにごめんなさい。
ひさしぶりの荒れ地の散歩
2012年05月15日(火)
午後、タケがいいように寝ていたので、ひそひそ声でニコを誘って、昔よくいっていた荒れ地を踏破して見晴台から下を眺めて長い下り坂を下りて芝生に到達し、芝生の上で遊び、長い登り道をゆっくりと歩いて、崖の下から急な登り道を上って荒れ地に戻り、建物の裏をとおって駐車場に帰るというコースを歩いてきた。ピンクセンブリが見たかったからだ。案の定、ピンクセンブリは満開だった。アレチハハコも満開だった。トヨンの繁みがものすごくぶ厚くなっていた。海底アカバナも今をかぎりと咲いていて、ところどころにキャスカ草も咲いていた。キャスカ草というのは、ベルセルクを夢中になって読んでいた頃みつけた花で、13巻までのキャスカのイメージの凜とした花だったのだ。荒れ地の仲に踏み込むときにいつも通るあたしの道は、セージですっかりふさがっていた。あたしがセージを押しのけながら無理矢理押し通ると、下のほうをニコが難なく通り抜けてきた。芝生の上で、拾った棒をさんざん投げて遊んだ。ニコは必死でついてきた。芝生のところに生えているアメリカプラタナス、葉が繁っていたが、ひとりまったく葉の出てないのがあった。枯れているのだ。そしてそれは前からキノコが出るので気になっていた木だ。
すごくいやな夢
2012年05月15日(火)
すごくいやな夢をみてねっとりとした不安にさいなまれて目が覚めた。どこかの海辺で、帰国する手段がなくて困っていた。違法手段で入国したので、出国もまた違法手段によらねばならず、それがみつからないのであった。日本には父どころか母も待っていた。自分は大丈夫だろうと思ってても、大丈夫じゃないことが(ほかの人々と同じように)あるわけだし、これ以上にっちもさっちもいかないという局面に追い込まれることは自分には起こらないと思っていたが、そのとき(今こそそれが起きている)になってみると案外とほかのいろんな局面にいるときと変わらぬものだ、こうやって万策尽きて人は滅んでいくのだなという感想に追い込まれていくのが、ほんとにこわかった。たんたんと風景はあり、風がふき、波が寄せて返した。手は血まみれだった。男の髪の毛を丹念にほぐし、梳かしたり編んだりしていた。
パン・タデウシュ(ワイダ)
2012年05月14日(月)
忘れていた。きちっとどこかにメモしておかねばと思っていた。5月29日のDenkikanでの浜野佐知監督とのトークのさい、「百合ダス」に何を連想するかといったのは、アンジェイ・ワイダの「パン・タデウシュ」だ。映画の邦訳は「パン・タデウシュ物語」らしい。リアリティというものがよく似ているというか、同じようなスタンスをもってつくられていたような気がする。それだからこそ、画面の色の美しさも、これでもかというほどだった。そしてそれは「百合ダス」もそうであった。
拷問の結果
2012年05月13日(日)
きのう寝たくなかったのも、きょうなんだかやる気にならないのも、ぼーっとしてるのも、すべてつれあいのせいかと思っていたが、もしかしたらきのうの朝、トムのところにひさしぶりにいって拷問されてきたせいかもしれない。ほんとはズンバにいきたいんだけど、やっぱりつきあいと思って、つれあいの行ってる個人トレーナーのところに週2回いっている。そしていろんな筋肉の運動をさせられる。きのうは新開発のひもをにぎってすわっては立ち上がる運動をさせられた。それがひどく残ったようだ。そもそも金曜日は、まずエアロビクスのハードなクラスをとってから行くので、トムのところについたときには疲れはてているのだ。
映画と鮭
2012年05月12日(土)
寝たくなくて、Netflix(というネットで見られて、じっさいのDVDも郵便で送られてくるレンタルDVD屋に加入しているのだ)で、「ブロークバックマウンテン」と「アマデウス」とナショナルジオグラフィックの「犬の科学」と「狼たちの午後」を見ていた。ブロークバックは何度見たことか。出だしの空の雲がいい。山のなかで寄り添ってくる犬がいいし、馬かいい。こういう生活したいなあといつも思う。アマデウスは、サリエリの曲からモーツァルトがフィガロの曲をつくるところがすきだ、ここだけ何回も何十回も見すぎて、とうとうNetflixに供給とめられてしまったのだが、きょうログインしたらまた見られるようになっていた。またそこだけ見た。「犬の科学」を見ていたら、商売まちがえたかもしれない、犬のハンドラーみたいな仕事したかったと思った。昼間、スーパーの魚カウンターで、10ドルの鮭と8ドルの鮭があった。10ドルのほうを買いつつ、店のおじさんに(といってもきっとあたしより年下)どう違うんですかと聞いたら、「こっちのがずっといい」といわれた。思わずトメと大笑いだ。バカな会話であった。しかしせっかくのいい鮭が、焼きすぎてしまった。
センダン
2012年05月10日(木)
トメの学校から家に帰る道すじで、すごい花が咲いている木がある。花は白と紫が二重で、細い十字に見える(でも4片ではなく、5片だろうとあたしにはわかっていた)それが木全体をびっしりとおおっている。そしてその花におおわれた木全体を、照葉樹みたいなぴかぴかした緑の葉が垂れさがるようにびっしりおおっている。木のかたちはまるみを帯びたふつうの木。とくべつ、どうという特徴のないふつうの木。で、あんまりきれいなので、通るたびに速度をゆるめて感嘆しておったが、とうとうきのう、車をとめて、トメに花と葉を少しずつちぎり取ってくるように命じた。これがいい子で、そんな恥ずかしいことを、親に言われるままにするのである。で、確信したのだ。これはセンダン。ムクロジ目のセンダン科のセンダン。漢字で書くと栴檀。熊本の坪井川の河原にいくらでも自生しておる。成長が早いから、20年ほど前にできた遊水池に生えだしたセンダンが、もう大木になって陰をつくっておる。河原の自生した木だけじゃない、いかにも植えられたふうの公園にも処処にある。冬には葉が落ちて黄色い実が垂れ下がる。それを見て、長い間、これはハゼノキと思いこんでいた。ハゼノキは、肥後藩が奨励したという蝋をとる木なのである。たしか大津から阿蘇に行く旧街道沿いに植えられていたはずだ。昔、見た、見て、あれはハゼノキと教えられた覚えがある。で、このセンダンがセンダンであるとわかったのは数年前だ。母が死んで、5月に帰って、しみじみと河原を歩いて確認していったのだった。ハゼノキとセンダン、実はそっくりなのだが、花が違う。センダンははなやかで美しいが、ハゼノキのは目立たない。そしてこのたび、太平洋のこっち側で、トメが取ってきたのはいかにもセンダンで、すっきりした細身の5片で、くっきりとした紫と白で、えもいわれぬ芳香があった。すずやかな、風のなかに鳴りひびくような、芳香であった。センダンは双葉よりかんばしというあのセンダンは、じつはこのセンダンではなくて白檀のことだ、とwikiにも、ほかのサイトの説明にも書いてある。これだけの芳香があって、まだ足りないのかボケと空にむかってののしりたい感じ。今、センダンは、坪井川の河原のあそことあそこで、いっぱいに花を咲かせている。今回カリフォルニアに帰ったときにはまだ咲いてなかった。でも今咲いてるはずだ。見なくてもよくわかる。かなり咲いていたノイバラは、もう爛熟しきって河原じゅうが天花粉をはたいたみたいに白くなっているはずだ。
16時36分
2012年05月08日(火)
今は日本時間で16時36分である(カリフォルニアは12時36分で、うちの中は寝しずまっている)。ちょうどヘルパーさんが来てごはんを作ってもらっているところだ。今電話すれば、ヘルパーさんの手前もあるから少ししゃっきりした声を聞かせてくれる。それでよく電話をこの時間にかけた。でもへたをすると裏でルイがわんわん吠えて、ヘルパーさんに食べ物をねだっているから声が聞こえないこともある。そのときは、またあとでかけ直すといって切る。ときどき大相撲の実況をしてくれる。そのうち「あ、ごはんだ」というから、じゃまたね、といって電話をきる。ヘルパーさんが帰ったころにまた電話することもある。6時前なら白鵬が取り組み中だ。6時半頃なら、巨人の試合がはじまっている。その頃はもうこっちはだいぶ遅くて3時頃だ。こんな遅くまで起きてるのかい、なんていわれて、もう寝るとこ、またあしたね、といって電話を切る。あーたいくつだたいくつだと愚痴をこぼされるだけのときもある。あたししかぐちをこぼす相手がいないからしかたがないと思って辛抱強くきいていられるときもあれば、きいてるのがつらすぎて早々に切ることもある。Y田さんに、おとうさんとの会話をかきとめておいたらどうかといわれて、書きとめるようになった。そうしたら以前より辛抱強く、ぐちをきいていられるようになった。もっともっときいてやればよかった。
ニコと歯
2012年05月08日(火)
8時からの予約でニコを歯磨きにやった。そしたらっっ獣医から電話がかかり、治療費12万で、歯を7本抜かねばならないと。釈然としない。まったくもって釈然としない。出て行く直前までニコはあたしのわきでべったりこっちにからだを押しつけて寝ていたのである。それがS子に呼ばれて、階下にかけおりていって、獣医につれていかれて、次に知ったのが歯7本だ。まったくもって釈然としない。しかしニコは麻酔かけられており、歯磨きの結果は出ており、それによると歯7本を抜かねばならないということであり、麻酔が効いてるうちにやってしまわねばと獣医は電話の向こうでこっちの決断を急いでおり、YESというしかないじゃないかーーーー。ああほんとに、まったくもって釈然としない。ニコあんなに可愛いのに、ずっと口は臭かった。生後3か月でやってきたときから口は臭かった。今回の全身麻酔歯磨きでそれが治るかと思っていたが、それどころじゃなく歯が7本。そして出費が12万。
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