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また父の話
2012年05月24日(木)
父のことばかり書いている。こんどは婦人公論の「漢である」だ。こないだはかけなかったが、毎月2回の連載で、ずっと読んでくれてる「漢たち」(おんなたち、と読む)に近況を知らせなきゃと思って書き始めたら、また泣ける。折しも巨人が9連勝、なんで父の生きてるときに勝たない、と残念でたまらない。
父の話
2012年05月22日(火)
「文学界」の連載の「犬心」の次の回、タイトルは「ルイのお爺さん」、書きながら泣けて泣けてしょうがなく、顔じゅうくしゃくしゃにして書いたのである。どうしても父のことを書かねばならないのであった。ずっと書きたくなくて、こないだの「漢である」のしめきりは全然違うことを書いた。詩手帖の詩は書けなかった。でも12日しめきりだった「図書」連載の「木霊草霊」くらいから、やっぱ書かないとーーみたいな気になってきた。で、書いた。大きな木が死んだ話だった。それは「生きている木と死んでいる木」というタイトルだ。かたや木の話で、かたや犬の話。どんなに木や草が好きでも、やっぱ犬にからめたほうが泣ける話が書きたくなるわなー。
電話しなくちゃ
2012年05月21日(月)
夕食のあと、友人に電話しなくちゃいけなくて、起ちあがりながら「I have to call 」といって、つい「my father」とつづけてしまった。「I have to call」には「my father」がかならずついてくるのだ。途中で止めて、「C」と友人の名前を言い直したが、S子もつれあいもそれを聞いていたのである。
日蝕 さらに
2012年05月21日(月)
どきどきして見てたら5時半すぎから、空がいい具合に曇って、かえってはっきり欠けていくのが見えた。半月くらいに欠けるまでよく見えた。ところが、その後、曇りすぎてしまったのである。なにしろうちのほうは海に面している。夕方には雲が発生しやすいのである。それで見えなくなってしまって、もう出てこなかった。沙漠にいた友人が、くりあにぜんぶ見えた、といっていた。東京の友人が、玉川大学には天文台があるからよく見えたといって、写真おくってくれた。バンクーバーの友人は雨で見えなかったそうだ。とにかく一日大騒ぎした(しめきりからの逃避かもしれない)。半月くらいまで見えたからけっこう満足である。98ドルの溶接用ヘルメットは買わないでよかったーーーと思った。
日蝕メガネ つづき
2012年05月21日(月)
それで、サングラス、家中のをかきあつめたら5こ。いちばん大きいのにつれあいが白内障の手術をしたときに病院からもらってきた遮光フィルムをはりつけ、ぜんぶかけて、外に出て見てみたら、くっきりと、子どものときにすすで曇らせたガラスで見たときみたいに、よく見えるではないか、ただ今午後の4時。S子にしらべてもらったら5時半になるということで、どきどきしながら待っている。でもほんとは、いきなり日がかげって、わあああ、あまてらすさまが……とかいってうろたえたほうがおもしろい。
日蝕とミント
2012年05月21日(月)
すっかり忘れていたのが日蝕だ。今朝になってからばたばたし始めて、でももう遅い。日蝕用メガネを探して、近所のアウトドア専門店に行き、スポーツ専門店にいき、HomeDepotの溶接部門にいき、シドロス(というおしゃれ通りがある)の山登り専門店にいき、そのあたりのオモシロイ雑貨屋に行き、その近所のDixielineというHomeDepotみたいな店に行って溶接用品をみたが、どこにもなかった。いちばん近いのはHomeDepotで見た溶接用ヘルメット(顔面をすっぽり隠す宇宙飛行士タイプの)だったが、安いやつでも98ドル、しかも係のおにいさんが「どこまで効果があるかわからないし」といってたのであきらめた。手ぶらじゃなんだから、ミントを3鉢買って帰ってきた。どこでも売ってなかったミントがDixielineには各種豊富に揃っていた(きのうHomeDepotで買ったのは他のハーブとの寄せ植えであった)。灯台もと暗しであった。ミントを植えようと思うその理由は、とにかく雑草みたいに広がるといってみんながいやがるほど強いらしいから、ならばミントで埋めつくしてやれと思ったからである。ミントが山盛りの収穫できるくらいになったら、ミントチャツネを作って、サモサとパコラ(インド風てんぷら)を作る。
庭仕事
2012年05月20日(日)
怪力トメがキャンプから帰ってきたので、連れてHomeDepotへ行き、土の大袋を7袋、黄バラ、青アジサイとピンクアジサイ、ラズベリーとブラックベリー、ペチュニア白、ミント他を買い込み、家に戻り、イチジクを植えた花壇を掘り起こし、枯れていたセージを取り除き、おおいかぶさっていたブーゲンビリアと戦い、だいぶ刈り込んで、花壇の上を開け放し、陽があたるようにしてから、土を中に入れ、ぜんぶ植え込んだ。全身が糞臭くなった。
鬼婆
2012年05月19日(土)
「おばーちゃん」なんて呼ばれるのぜったいいやだ、とだだをこねておったら、カノコからメールが来て「お母さんは、絶対ババのほうが似合ってるって。『おばあちゃん』の略だとは思わずに『鬼婆』かなんかの『婆』って思えばいいじゃん」と。それならいいかも。婆。鬼婆の婆。山婆の婆。糞婆の婆。業突婆の婆。
甘酒屋
2012年05月17日(木)
ニジヤで麹が安かった。で、きょう作り始めたのが甘酒だ。こないだNちゃんちで作りたてを味見させてもらってうまかったのなんの。ただのおかゆに麹混ぜてお湯入れて、お釜で保温すればできあがり。すごーーーく甘くなった。しょうがをしぼり入れたら、うまいのなんの。さっそくDに電話して、Amazake飲むか? といったら、飲むというので、持って行った。いやーーーこんなにうまくできるとは。詩人やめて甘酒屋になれるな、こりゃ。麹はいっぱいあったから、半分は塩麹にした。これは前につれあいから嫌い宣言されてしまったが、前みたいに塩麹尽くしをつづけなきゃわかんないだろうと思って、漬け物とかにひそませることにする。
母の夢
2012年05月16日(水)
その前に長い、意味のつながらない断片的な夢があった。それからA上さんとしきりにいろんなことを相談していた。あたしの事情を説明していた。「東京いくんですか、私もいきますよ」とA上さんが言った。で、いっしょにどことかに行こうという話になった。で、東京で、講演かなにかやって、A上さんに、じゃーまた、といってすたすた歩き出したら、すぐそこに子どもの頃住んでいた家があって、母が昔みたいに庭のゴミを竹箒で掃き出しているところに出くわし(そのゴミには濡れた黒い葉がいっぱい入っていた、これはきっときのうのへどろかいだし作業のせいだ)、「あらあんた帰ってきたの、おとうさんにお線香あげときな」といわれて、庭にぶらさげてあるお線香たてにお線香をともし、家の中に入っていくと、母は掃除しながらこぎれいに暮らしていて、父は、死んだばかりであった。あたしは一人になった母を案じているのであった。家の中はビニールがしきつめられて、改装中みたいだった。「あんたこないだいつ帰ってきたっけ?」といわれて、うーん、元旦かな、いや三十日だったかなと答えると、「ならいいんだけど、あんまり働いてばかりいるとそのうち倒れちゃうよ」といわれた。大きな冷蔵庫がなくなっていて小さな一人用になっていた。あけるとケーキがいくつも入っていた。こんなにケーキどうしたの?ときくと「M脇さんが持ってきてくれたんだよ、あんたが帰ってくるだろうって」。食べようと思って戸棚のガラス戸を汚しながらお皿を出したら、母は、あたしが汚すそばからそれをぴかぴかに拭き上げた。ルイは? ときくと「そこにいるよ」といわれて、気がついたらすぐそこで寝ていた。目がさめて、ああ母の夢だったなとしみじみと思い返した。子どもの頃住んでいた家のまんまだった。年は60くらいだった。父の死んだ後の家に、ちゃんと掃除してこぎれいに暮らしているけど、哀しいこと、あたしをすごく待ってること、一人で寂しいことが、クッキリと、鮮やかに出てきた。そして眠れなくなったので書きつけておこうと思って下に降りてきたら、A上さんからメールが来ていた。すごく愉快なメールだった。笑った。笑えてよかった。
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