タケとニコ、dejavu
2012年06月25日(月)
旅から帰ったら、タケが、居間に坐って、たぶん歓迎のつぶやきであろう、ずーっとふむふむふむふむとつぶやいていた。出かける前と後ではぜんぜんかわらずおだやかに生きておる。しかしたとえば1、2か月前と今を比べると、やはり老いがすすんでおる。ベッドから立ちあがれない、立ちあがってもまた崩れおちる、ということがひんぱんにある。なんだかdejavuな感じ。ついこの間までこういう父をまざまざと見ておった。タケは、それでも、さんぽさんぽとはやしたててクッキーをみせると、ついてくる。ヘンゼルとグレーテルみたいに、クッキーを目当てに、よろよろと歩いて歩きとおす。家の入り口の階段は、のぼれずに何回か転げ落ちた。だからときどき裏庭のほうから入るが、やはりタケはいつものとこから入りたそうにするのである。で、家に入ると、ミルクを待つ。14年間、同じように、さんぽのたびに、こうやってミルクを飲んできた。あきないのかなーと思うが、ぜんぜん飽きない。飽きることなど考えもしない。不思議なことに、もうタケはニコのゴハンを食べようとしない。見えないのかもしれないし、そのにおいも気にならなくなってるのかもしれない。そういえば、きょうの夕方、いつもの場所にいつものように散歩にいったとき、タケとニコが何かにおいをかいでるうちに、あたしが先にいってしまったので、タケは途方にくれていた。ほんの10メートルくらいの距離で、あたしにはふたりがはっきりと見えているのだが、タケはすっかりあたしを見失っておろおろしていた。ニコ、タケ、と呼ぶと、はじめから見失ってはいないニコがあたしのほうへ駆けだしてきた。あたしが手を上げて大きく振って、ぴょんぴょん跳ねて見せたら、やっとわかったらしくて、ほっとした顔で、こっちに向かって歩いてきた。もう走らない。このごろは、「どんなときでもタケに最初にクッキーを」というルールも崩れつつある。タケが気にしなくなってるのもあるかもしれないし、あたしが、もうニコを立ててやってもいいんじゃないかともときどき思っているせいもある。
ウツボカズラとアンスとスパシ
2012年06月25日(月)
庭のホースが一部分壊れたのでその部品を買いに行った。ついでにこないだ壊れたシャベルを買おうと思った。で、そういうのはちゃんと買った。しかし店頭で、ニチニチソウが3鉢で10ドルだったから、ついカートに入れた。ニチニチソウ、好きなのだ。こないだ作った、今はミントだらけになりつつある花壇のミントとイチジクの間に入れようと思った。そしたら室内観葉のとこで、目にも鮮やかなピンクのアンスリウムのものすごく健康そうないい株をみつけ、30ドルくらいしたから、高いなーと思いつつ、いいなーーーと思い、そしたらスパシフィラムの、これもとっても健康そうないい株をみつけ、ちょうどうちのスパシフィラムの大鉢がすっかりみすぼらしくなってるから、新しい株を植え込んで元気づけたいと思っていたところだったので、これは買わなくちゃとカートに入れ、そしたらHomeDepotじゃめったに見ないようなウツボカズラの、いっぱい捕虫つぼがついたたくましい株が、ぴかぴか光って、ほかの緑のなかにうずもれていたので、つい手に取ったら、ぴたっとしがみついて離れないのだな、これが。しかたがないから、連れていたトメに、これ買っていい? と相談すると、いいよ、買っちゃいなよ、とそそのかすので、えいやっと、それから、あのアンスリウムは? と相談すると、買えば? というので、すなおに意見を受け入れて、これはいらないんじゃ?とトメがつぶやくスパシフィラムともども買い取ったのであった。高かった。これも逃避じゃ。
今回のコンブチャ
2012年06月22日(金)
旅に出る前に仕込んでいったコンブチャが、今回ものすごく良い具合にできておる。醸造用のビールびんに入れてしっかり密閉してみたら、あけるたびにしゅわっっと音がする。……ここまではtwitterに書いた。ひさしぶりに書いた。もうすっかりやる気を失っていたのである。でも書いてみたら、もっと書きたくなって、こっちにそっと持ってきた。そのびんとは、昔、Jミーにもらった巨大ビールびんで、おいしい中身が入っておった。飲み干してびんだけとっておいたのだ。広口びんで醸したコンブチャはしゅわしゅわではない。しかし密閉するとたちまちしゅわしゅわになる。こないだまで、醸しても醸しても、うまく醸せなかったことがつづいて、甘すぎたり醸し足りなかったり醸しすぎてお酢になったりしておった。あるいは菌のかたまりそのものが弱く、悪くなってるのかと心配していたが、今回の出来をみるかぎり、OKであろう。
ビールとタパス
2012年06月22日(金)
Tくんがもたせてくれた、自家醸造のベルギー風トリペルをいま、冷蔵庫にいれてあり、ちびちびと飲んでいる。ものすごく強くてものすごくうまい。旅先で飲むとうまいが、家に帰ると、金のどんぐりみたいに色があせ、うまくなくなるかと思ったが、かわらずうまいのである。 ポートランドでは、Eちゃんがポートランド在住の友人にきいて、教えてくれたスペイン料理の店にうつつをぬかした。帰りがけにまたポートランドによったとき、またその店にいって違うものを食べた。Toro Bravoというのだ。タパス中心の居酒屋みたいなとこである。まんがいちポートランドにいこうという人は、ぜひ。予約は受け付けていないので気楽に入れる。揚げたアンチョビがうまかった。タコの辛いシチューもうまかった。オリーブと漬け物もうまかった。カヴァもうまかった。シアトルでは、マーケットのなかのレストランでAlaskan Amberをのんだ。うまかった。
日系人の現在
2012年06月22日(金)
行きがけに、LAで、数年前にアメリカに移住してきたMさんに会ったのはもう書いた。Mさんは日本人用のフリーペーパーの編集をしている。編集室は天井が高くて、アメリカ的な空間だったが、日本語が飛び交っていた。バンクーバーで、Eちゃんをつれあいに紹介する前に、まず日本語でつもる話をしたくて、ホテルのバーで二人で待ち合わせて日本語でしゃべりまくった。もっとしゃべりたかったが、レストランの予約をしてあったので、つれあいたちが加わり、しかたがない、英語に切り替えた。無念であった。Eちゃんはもうこっちに長い。あたしより長い。息子のTくんはいきいきとしておもしろい青年だった。外見はトメと同じくあんまり日本人っぽくなく、そしてトメと同じく日本語ぺらぺらであった。8年も日本人学校(文科省のやつ)に通わされたといってて、3年だとEちゃんにいわれ、「ぼくにとっては8年だった」といってたのがおかしかった。その日本人学校はSDにもあり、ほんの一学期間、カノコたちを通わせたことがある。いやがるのですぐやめてしまった。Tくんの通ったのもSDのも、土曜日だけで一週間ぶんの勉強をやろうというところだ。あたしが昔ワルシャワで働いていた日本人学校は、現地の学校をかりてふつうの日本の学校みたいに毎日授業があった。しかしポーランドの現実からかけ離れていて、狭い日本の仮想現実しかないようで、とてもばかばかしい、何の意義があるんだろうと働きながら考えたものだ。トメには最初から無理だと思って、通わせたことはない。トメが通ったのは、日系人用の日本語学校だ。Eちゃんが浜辺でパーティーを企画してくれて、Eちゃんの教え子のNさん、Jさんが、子ども連れで来てくれた。それぞれ日本で生まれて育って、カナダ人と結婚して移住してきた女たちだ。子どもたちは英語を使うが、日本語で話しかけてもちゃんとわかる。子どもたちとトメとのふざけあいが「だるまさんがころんだ」に移行した瞬間はちょっとどきどきした。どの子もちゃんと「だるまさんがころんだ」が言えた。Eちゃんちの前で、Eちゃんの別の教え子たちにも出会った。みんなこっちに長く住む日本人の女だった。浜辺のパーティーでトメとあたしがまず手を伸ばしたのがおにぎりだった。Eちゃんちでごはんを食べたとき、Eちゃんがごはんをおにぎりにして持たせてくれた。それを食べながらバンクーバーからポートランドまで駆け抜けた。
植物のみなさん
2012年06月21日(木)
あといろんなものを見た。コウホネ、カリフォルニアの北部でマメ科のクズみたいな赤い花。白い低木に咲くトラノオを切りそろえたようなの、ヤグルマギクみたいの、フキみたいの、巨大スギナで先端が開ききっていて、まるでパンドラの植物みたいに見えるもの(これは名前が判明した。北ジャイアントウマノオというのだ。トクサも英語ではウマノオで、スギナもウマノオ。区別しない)、湿地に生えていたゴボウみたいな巨大な葉群、路傍の禾本科のみなさん。人ならば、すれ違う人々、群れ集う人々、ひとりひとりの名前は聞きゃーーわかる。聞かないだけで。植物はそれができないのがもどかしい。その上、動物ならば、とりあえずひとつひとつの個体は判別できる。目をこらしておれば、頭が赤いの、毛が長いの、判別できる。ほとんどの植物は、それができないで、群れでぼんやり把握しなければならないっていうのがさらにもどかしい。
フレディ・マーキュリーと僕はビートルズ
2012年06月21日(木)
車の中ではえんえんとトメのipodから音楽をきいた。好きなのはジェイソン・マラーズのI'm Yoursとクイーンのボヘミアン・ラプソディだ。ままーーーー、というシャウトを何回きいたことか。トメが一部始終を熱唱するそばで「ままーーー」と「ガリレオ、ガリレオ」だけあたしもいっしょに歌うのであった。あとトメの好きな現代の人々をさんざんきいたが、Lily Allen 以外はどれも忘れてしまった。やはり寄る年波にはかてない。ビートルズもいっぱい入っていたから、それもさんざん聞いた。ききながらあのくそつまらない形でおわってしまった「僕はビートルズ」をしきりに思い出し、ストーリーを考えていた。やっぱりレイは帰国子女、マコトはハーフの茶髪という設定にして(言語の不自由さはそれで解決できる)、あんなときにベストアルバムを出さず、元祖の四人について、まーともかく、ポールとジョンはきっとなんらかのかたちで世に出てくれると思うから、考えないことにして、マキさんをエプスタイン代わりにして、世界のファブフォーにのしあがるのだ。そしてビートルズそっくりの成功を手にいれる。ショウは日本的な生まじめでおどおどしたキャラで、コンタはすごい日本人なまりのブロークン英語で、世界じゅうの人に愛される。しかしマキさんは、エプスタインのようにナゾの死をとげる。盗作だということを知っていたのはマキさんだけで、いいのかこれで、と悩み苦しんだあげくに自殺するのである。そしてやっぱりファブフォーは解散して、レイはダコタハウスの前で射殺される。レイの死に際の表情や、コマわりなんかを想像しながら疾駆しておった。
レッドウッドの調査結果
2012年06月21日(木)
調べてみたら、北米太平洋沿岸の巨木たちと、シエラネバダ山地の巨木たちは、微妙にちがう属らしい。前者はセコイアで、後者はセコイアデンドロンだそうだ。もう一つ、中国産のメタセコイアというのがあるそうだ。そういえば巨木たちはジャイアントセコイアと呼ばれていた。あれはたんなる形容詞ではなく、そういう種名だったのだ。ジャイアントパンダとレッサーパンダのように違うものだったようだ。高くなるのはレッドウッドで、デカくなるのはセコイアデンドロンのほうだそうだ。デンドロンはギリシャ語で「樹木」の意味、メタは「のちに」「ともに」だそうだ。きのう見たレッドウッドは、数百年から1000年という感じらしい。むかしは(雨の多い)太平洋沿岸はずーっとレッドウッドの森で覆われていたそうだ。その90数パーセントは失われてしまったそうだ。葬式まんじゅうでっかいそうだ。
レッドウッド
2012年06月21日(木)
しかしやはりなんといってもレッドウッドの森がつぎつぎに現れてきたあたりはすごかった。セコイア国立公園はいちおう「国立公園」なので、こっちも身構えていくけど、オレゴンからカリフォルニアにいたるレッドウッド群は、ふつうの高速道路の周辺にぞくぞくと現れ、もうなくなったかと思うとまた現れ、セコイア国立公園の「シャーマン」ほどぶっとくはないが、それでも千年くらいは生きてるかと思えるような木がどんどん道端に立っており、車をとめて眺めることができるのであり、眺めていると足元に咲いてる花や群れている葉がじつにきらきらとして、しかも幼木の新芽がいくらでも生え出ていて、それは、小さなおててをひろげたような、なま緑で、いきいきとしてこれから伸びるのであった。 何人もからその道(101)はすごいから通るべしといわれ、じっさいすごかった、海はひろがり、波は寄せ、崖は切り立ち、小島はつらなり、そして一転内陸に入ると、草木の生い茂る畑地であり、野原であり、森であり、川が流れ、湖水は深く、うちのほうではとんと見ない標識「ELK」がときどきあらわれた。エルクに注意せよということなのであった。エルク、エルク、出ておいで、でないと目玉をほじくるぞと歌いながら、そこいらを駆け抜けた。
一路
2012年06月19日(火)
あしたは12時間くらい走らなくちゃいけないのでよく眠らないといけない。でもおとといブヨに刺されたところが腫れ上がっておそろしくかゆいので目が覚めてしまった。101から外れた森の中の小さなモーテルにいる。その名もシャーウッドの森モーテルだ。薄闇のなかでvacancy のサインにつられて入っていったら、あと一室しかない、禁煙室だが、こないだだれかが吸ったらしくタバコ臭い、それでよければ、といわれた。しかたがないので、そこに泊まることにしたが、なかに入ったトメが、これはタバコではない、マリファナ臭いのだといった。なんであんたそんなこと知ってるのというと、カリフォルニアの子どもはみんな知ってると堂々といっておった。臭かった。 ポートランドからここまでひたすら101を、レッドウッドの森をみたくてつっ走ってきた。暗くなりはじめたのでここに宿を取った。ほんとうはゆっくりユーレカの町にでもとまって、あしたはカノコのところにとまって帰るつもりだったけれども、トメとふたりで、もう一刻も早く帰りたい思いにとりつかれて走り抜いた。あちこちで見たオレンジ色のユリは土着だった。どこにもかしこにも咲き終わっているシャクナゲもまた土着だった。レッドウッドももちろん土着だ。そこかしこに群生しているジギタリスは帰化植物だった。
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