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また ズンバと自分の分析
2013年01月14日(月)
(つづき)やたらにうまい人も何人かいる。もともと、若いときから運動全般とくいだったのだろうなという動きの人もいる。ダンスの心得があるのか、天然のものか、動きが華麗な人もいる。ある人は、年の頃は70代、はでな動きはぜったいしないし、腰が悪いらしくて、スクワットもローンチもしないのだが、その都度、自分でてきとうにサルサをしている。そのサルサが、じつに堂に入っている。サルサはじめて50年とでもいいたげな貫禄がある。 で、あたしはどういう動きをしているのかといえば、まじめ。地に足がつきすぎていて、躍動感に欠ける。これは子どものころ運動をしなかった祟りだろうし、田んぼの中をはいずりまわって生きてきた祖先たちの血かもしれない。ただ観察力はある。いや、うぬぼれじゃなく。先生の動きを瞬時に解読して、先生が使いたいと思っている筋肉はどれなのか見抜くのだ。ところがそこで、身体能力がついていかない。ちゃんとできていたら、ものすごく正確な、四角四面の、ラジオ体操みたいなものになってるだろうが、できないので、ぞろっぺいな動きにとどまっていられる。右と左がわからないという致命的な欠陥はいかんともしがい。ズンバをはじめてから、よりその欠陥が気になるが、いっこうに直らないのである。つまり右だの左だのいわれてもわからないし、右腕と左足を同時にしぜんに出す動きができない。体の部分を別々に動かすことができない。まあしかし、あたし程度にへたくそな人はたくさんいる。あたしの前と右隣にいつもいるPやKも、クラスの中では大ベテランだし、腰はめまぐるしく動かせるが、あたし程度のへたくそさがある。特別、運動をせずに生きてきて、今ここでズンバにであった、という身体の動かし方だ。
漢である ズンバと観察
2013年01月13日(日)
(つづき)しかし、あたしらは漢(おばさん、と読んでください)である。自分らがCのような未熟者だったときのことはよく覚えている。口には出さねど、一人一人の顔にそんな感慨が浮かんでいるのも見て取れた。だから、みんな、とりあえずとても礼儀正しく、Cを受け入れ、一曲終わるごとに拍手なんかして、Cをねぎらいつつ、腰をまわしておったのである。 きょうあたしは少し遅れた。無意識のうちに、いこうかいくまいかためらいがあったと見える。Cを軽んじる気持ちがあったと見える。漢として、恥ずべきことである。で、2分くらい遅れていったら、いつもの場所はもう取られていた。それは前から2番目のいちばん端っこなのである。それで前から4列目、ほとんど最後列に近かった。でもそれだから全体がよく見渡せた。80人はいるだろうと思われるクラスである。Mのときはもっと多い。なかに二人ほど、もう長くやってるのに手足の動かし方がむちゃくちゃな人がいる。まったく人と揃うということができていない。右も左もあったもんじゃなく、手も足もばらばらである。でも本人たちは一所懸命なのが見てとれる。数人、動いているつもりで動いてない人がいる。それは、やや、というか、かなり高齢な人たちで、熱心に毎回来るし、本人はちゃんと動いているつもりで、汗を拭いたり水を飲んだりしている。あの動きで汗をかくのかということが不思議だったが、あるとき、中の1人が、ズンバに来るようになってずいぶん引き締まったと実際に汗をかいてあたしに言った。でも証言してもいいが、彼女は、どうして?というくらい動いてないのである。人の動きが見えてないのか、自分の肉体が思うように動かないのか。そういうのも観察しているとほんとにおもしろい。
漢である ズンバとMの不在
2013年01月13日(日)
きょうのズンバはつまらなかった。いつものMでなく、Mの助手のCだった。CはMのクラスの最前列、よく見えるとこにいつもいて、クラスじゅう飛び回っているMのかわりに、振り付けをみんなに見せる役目なんかもつとめている。Mの振り付けはぜんぶ伝授されてある。感じはけっして悪くない。棒のような体の、背の高い二十代前半だ。クラス全体、いつものメンツで、いつもの振り付けで、いつものように動いていたが、熱狂がなかった。「熱狂」だ。いつもはそれでむんむんしておる。それは、Mの存在が生み出すのである。だから、いつもより手先は伸びなかったし、しゃがみかたも浅かったし、腰はまわらなかった。きえーひえーと声をかける大向こうも、きょうは静かだった。すべて、Mのリードで熱狂をつのらせていくうちに、火事場の馬鹿力みたいな瞬発力を一人一人が発揮して、腰を沈め、腰をまわし、雄叫びをあげるのである。で、気がついた。あたしはズンバに毎日いってるが、運動が主目的だったんじゃなく、Mの、それからJの、人心掌握術を見学にいってるようなものだ。腰を回すのが楽しいから行ってるんじゃなく、MやJにノセられて、腰を回させられるのが楽しくて行ってるのであった。
父の家の夢
2013年01月02日(水)
父の家を片付ける業者がきている、前をとおって廊下の向こうにある自分の家に入る、オウムの置物がある、父がいつもそばに置いていたもので、捨てるか捨てまいか気になっている、やっぱり取っておこうとトメと二人で戻ると、もう片付けられてしまって無い、という夢。
捨身飼虎
2012年12月31日(月)
トラを飼ってる夢、トラに食われた夢。あとは覚えてない。捨身飼虎じゃあるまいし、なんたる夢だ。見てるときはなまなましかったのに、今はすっかり忘れておる。500マイルを走破してカノコの家に来た。赤ん坊はカノコそっくりだった。LA北境の山々は雪だった。気温は37度だった。
バオバブの子ども
2012年12月30日(日)
きのうプレクトランサスの鉢をついに捨てた(枯れた葉を刈り込んでいったら無くなってしまったのだった)ので、何かぶらさげるものがいるなと思ってHomeDepotにいったのが運の尽き、買いすぎて持ち帰れなくなり、トメと大きい車に迎えにきてもらったのだが、安くてつい買ってしまった大鉢の木が、パキラに似てるけどちがうなあと思いつつ、さっき調べてみたところなんとパンヤ科のバオバブ。wikiにはおそろしげな成木がアフリカの草原にどうどうと立ちつくしている画像があり、どうすんだ、こんなもの、うち草原ないし、とぞうっとしたのであるが、これは幼木。そして悲しいことに、たぶんそこまで保たないのだ。なるべく長く保たせてやる(決意)。とりあえずいそいでいちばん陽のあたるところに移動した。ニコがすでに受け皿におしっこしていた。床のまん中にするのはルイで、立木や電信柱のようなものにするのはニコなのだ。買いたかった吊り鉢は、悩んだ末に結局いちばんカイガラムシがつかないフィロデンドロンのオキシを2鉢とシンゴニウムを1鉢、てのりサイズの小さいオキシを2鉢、吊り鉢作りのシクラメン(これはこないだEちゃんがシクラメンを買ったとかなんとか言ってきたので、たぶん深層心理が買いたくなってたのだと思う)。きのうはHomeDepot、改装中でろくなものがなかった。でもこれだけ選んだからヨシとしよう。トメが植物を運びながら、「おかあさんこういうのは衝動買いっていうんだよ、いつもそれはしちゃいけないってあたしに言ってるよね」とあたしを諭した。小娘が。
Johnの夢とクリスマスの朝
2012年12月25日(火)
夢なので驚かないように。もう1人子どもを生んで、その子の名前がJohnだ。その子は体外受精で生んだ子で、生物学的な父親が男A。ナニーというか、子守が男B。どっちも若くてかわいい男たちで、あたしは2人に言い寄られていた。果報であった。Bとはセックスしていたが、Aとはしてなかった。クリスマスの朝に見る夢としたら最高である。今までの人生で、現実にこんな果報な目にあったことはない。しいていえば、今の、ニコとルイに言い寄られている状況に近いか。 早朝5時に起きて、空港へ行くS子を送っていった。S子はカノコのところに子守に行くのである。カノコたちは、お休み中デイケアが休みになるので、困っているのだった。空港におろした帰り道、車の極端に少ない、薄ら明けかかった暗い高速をゆっくり走っていったら、隣のレインをパトカーが無言で走り抜けていった。
ら抜き
2012年12月25日(火)
きのうの「信じれる」の件、松山出身の友人Eちゃんが、たくろうは広島育ちだから、ら抜きを違和感なく使ったのではないかと教えてくれた。松山もら抜きを使うそうだ。なるほど。
信じられるものが
2012年12月25日(火)
ここんとこずっと(クリスちゃんフィーバーから抜けたあと)よしだたくろうの「イメージの詩」をリバイバルしてるんだが、ネットで歌詞を検索してみてすごいことを発見して慎重に聞き直してさらにすごいことを発見して驚愕しておる。何かというと、冒頭だ。70年からこのかたずっと(まあ途中に40年くらい聴いてなかった時期があるのだが)「これこそはと信じられるものが」だと思い込んでいた。しかしネットの歌詞は「信じれる」となっていて、うそだろーと思いながら聞き返してみると、たくろうの声も「信じれる」と言ってるではないか。しかし70年当時に、あたしたちは「信じれる」なんていってたのか? うーーーむ、わからない。いまだにあたしはあれがいやで、いや日常生活では使うが、使い始めたのもカリフォルニアに来て子どもたちとしか日本語が使えなくなってからだ。相手に歩み寄るつもりで、ご落胤の若殿が遊び人のかっこうで江戸の町をうろつくような気分で、あのはすに結ったちょんまげみたいなつもりで、「食べれる」のなんのと言いはじめたものだ。言った直後は、崖から飛び降りたような気がした。今はもっと慣れたけど、まだ書く気にはならないし、「信じられる」なんてときは、どうどうと「信じられる」を使っておる。しかし70年にすでにあれがそうやって世間で使われていたというのがものすごく意外、いったいあたしは何を見聞きしていたのか。
夢とクリスマス直前
2012年12月25日(火)
すごくおもしろい夢をたてつづけにいくつも見て、書きとめなけりゃと思って(夢の中で)思うそばから忘れていて歯がみしている夢を見た。一つはU野さんが朗読しているか個展を開いているかでそれを見ているか企画しているかで、もう一つはDアンが具合が悪くなって入院した夢だった。その二つは連動していたような気がする。U野さんにDアンを紹介したような気がするからだ。それからM子とどこかの駅にいっしょにいって何か食べようとした夢、それからK森さんと絵本の何かをなんだかしている夢で、これはU野さんの夢と連動しているかも。もう一つおもしろいのを見たが、それは夢の中でもすでに忘れていたのだ。クリスマスの狂騒は、半ば強制的に終わらせた。それで今あたしはものすごい虚無のなかで、こう、なんといったらいいか、無重力みたいな感じになっている。今日は午前中雨だった。
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