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金ちゃん
2013年03月11日(月)
どういうわけか金ちゃんの水槽に藻がびっしり生えていて、気になっていたので、今日ついに、ぴーちゃんのかごを洗いがてら、金ちゃんを小さい容器に移し、水槽を洗って、金ちゃんを戻したところ、死んじゃったようなのである。トメに、こっちに移してといったら、ごにょごにょやっててちっともできないので、ほらあたしが、と手でつかんで容器にうつしたのであるが(おかあさんマジですごい、とトメに感動された)、もしやあまりの荒技がショックすぎたのか。しかし家人どもは、けっこう冷ややかに、寿命じゃないかといっておる。そういえば数ヶ月前から赤い金魚だった金ちゃんが、みるみる白い金魚になった。年のせいだったのかもしれない。そもそも金ちゃんは何年も前に、トメが日本人学校の夏祭りでもらってきたものの一匹で、まだあった庭の池に放してやった。ほかのは死に絶えたが、一匹だけ生き残った。しかし。そのあと池はホテイアオイで埋め尽くされ、それからそのホテイアオイがみんな枯れ果て、落ち葉がつもり、水を定期的に足すなんてこともしなくなり、泥沼状態になり、ついに去年の今頃か、池をさらって取り除き(埋め込み式だった)、あとにいちじくとハーブを植えたが、それはすっかり枯れ果てた。ともかく、そのとき池の泥をさらっていたら、きらりと赤いものがあり、「シンドラーのリスト」みたいで、よくみたら、なまずかどじょうみたいに生き抜いていた金ちゃんであった。それから、しかたがない、池はもう半壊していたので、水槽を買ってきて水草を買ってきて金ちゃんは、ふつうの金魚みたいにそこに住んだ。「白河の清きに魚も住みかねてもとの濁りの田沼恋しき」という古歌を(古歌っつーかなんつーか)思い出しておったものだ。金ちゃん、庭のレモンの木の根元に植えてやる。木はときどき、こうして死骸を埋めてやると、よく育つしいい実がなる。
熊本県人に告ぐ
2013年03月09日(土)
こないだからこっちの、ミツワやニジヤでデコポンが売ってある(熊本弁)。日本語でデコポンと書いてあるが、英語ではSumo と書いてある。お相撲のスモウだ。なるほど、言い得て妙なり。スキヤキ(上を向いて歩こう)やコンブチャ(紅茶キノコ)よりは、よっぽどセンスのいい命名だ。しかし熊本でデコポンを買おうとすると、たいへん厳しく選別されているのに気がつく。デコポンと名乗れるのは、糖度がなんとか以上の甘いのだけで、あとは不知火と呼ぶそうだ。スモウもほんとは不知火かもしれない。値段が7こ入りで15ドルとかだから、不知火かもしれない。おいしいので、もう二箱めである。
外務省の人々
2013年03月07日(木)
きょう領事館に各種証明をとりにいったら、ナビがどうもへんな方向にあたしを連れて行くではないか。何度も停まって聞き直しても同じである。4年前に行ったときはたしかLAのダウンタウンにいったような気がするが、はて、日本は景気が悪いっていうから、家賃の安いところに引っ越したのかな、庶民的なイメージをつくろうとしてるのかなとのんきなことを考えつつ、たどりついてみたら、庶民的すぎるところで、領事館らしいものはなんにもないじゃないの、あわてて領事館に電話してみたら、LAには350 South Grand Aveというのが2カ所ありますということで、仰天したのであった。ほうほうのていでたどりついた領事館だが、係の人はほんとにほんとに感じが良くて、親身に助けてくれた。たしか数ヶ月前に、父の年金用の証明をとりにいったときも(それはLAではなくて少し近いところに巡回出張サービスにきてくれたのだった)係の人はほんとに感じよかった。こないだトロントでお世話になった総領事さんも、おどろくべき感じのよさで感激した。あたしら作家一行をごはんに招待してくれたのだが、なんと、K上さんの本とあたしの本をちゃんと事前に読んでくれたのだ。あれにはほんとに感激した。考えてみれば、若い頃はさんざんワルシャワの大使館に世話になっておった。当時は物資が不足で、買い物が不自由で、みかねて大使館が月に一回、在留邦人のためにベルリンから日本食屋を呼んでくれたのだ。で、あたしらは月に一回、大使館を、生協の配達場みたいな感じで利用していたものだ。でもあの頃の大使館の人たちは、今そこここで出会う大使館や領事館の人ほど感じいいと感激はしなかった。こっちがおばさんになって、親切を親身に感じるようになったのか。とにかく考えてみれば、今までのかなりの人生を、在留邦人として外務省にお世話になっておる。
名古屋の夢
2013年02月24日(日)
夢ばっかり見ていて夢に溺れているような日々である。夢はつぎからつぎへ湧いて出て、とどまるところを知らない。今回時差ボケからなかなかもどらないのは、ズンバもあるけど、夢のせいもある。あまりいやな夢で覚めたとき息ができなかったこともある。書きとめておきたくってつい仕事場へ来ちゃったのもある。どの夢にも人が出てくる。複雑な事情や展開がある。あたしは日々ここで、ものすごく単調に暮らしておる。ズンバ、犬の世話、鳥の世話、植物の世話、家族とのわずかな共有時間、それだけ。なんで夢のなかでこんなに人とかかわり、人としゃべり、いやなのも善いのも感情を噴出させ、歩きまわったり動き回ったりして生きてるのかなあと不思議になる。きのうの夢は、どこかの研究室でいろんな人と何かを相談していた、大きな塀のある道を何人かで歩いていた、つねに人と話していた、それから名古屋に行った、親戚にあうためだ、叔母と叔父が迎えにきてくれた、そしたらバスのなかで、連絡をとっていた若い人とばったり会って、今後の相談をした、瀬戸(叔父や叔母の家のあるところ)からは遠いので、レンタカーして動き回ろうと考えた、というような。
父の夢
2013年02月23日(土)
父が生き返っていた。死んで数日してからだ。うちはべつに葬式なんかもろくにしなかったから、なんとなく生き返ったままだ。何のめんどくさいこともなかった。父は前よりも元気になっていたし、よく食べるようになっていたし、頭のなかもしゃっきりしていた。ああよかった、と思った。もっと帰って来ようとか、熊本に移住もちらと考えたが、いやいやだめだと。S村さんに連絡したら、よかったですねーーとすごく喜んでくれた。医者(身元不明、かかりつけの先生ではない。しかし夢のなかでは知り合いだ)も来てくれて、タイコ判押してくれた。でもかかりつけのK先生に知らせようとすると、その医者が自分に診せてくれと言い張る。S村さんが、でも、K先生のかかりつけに戻らないと、わたしたちが来られない(K医の病院のヘルパーステーションの人たちなのだった)と。それでみんなが悩んでいたが、どう解決したかわからない。気がついたら、凍りついた道を友人夫婦と走っていた。友人妻の運転はとても危うい上に遅くて、うしろに車が何台も何台もつづいて、あたしは気が気ではなかった。
父と板橋の家の夢
2013年02月18日(月)
きのうはすごくいやな夢をみて飛び起きたので、忘れようとつとめてちゃんと忘れた。きょうは父の夢だった。昔の板橋の家に、仕事の人たちがやってきて、家だの仕事場だのを見せているのだ。母はもう死んでいて、父と二人だった。工場に使っていた別棟が大きくなっていて改装されていて、そこにはあたしの仕事場もベッドも、父のベッドも箪笥も運びこまれていた。トイレもあったし、壁には絵がいろいろとかかっていた。あたしが熊本の自分の家に運びこんだ母の和箪笥もあった。ホビットの家みたいな感じであった。父は「おれが一人でやった」と得意だった。父は子どもみたいになっていて、知らない人がいるのでうれしくて飛びはねて、箪笥からいろんなものを出して、着物を着たり、着物にブーツはいてさらに女もののハイヒールをはいたりもした。父とあたしはけっこう幸せにそこで暮らしているのだった。というところで目覚めて、感じたのが多幸感というか、霊というものがあるなら、今ここにおとうさんが降りてきてても不思議はないなあという。下に降りて仕事しようかと思ったが、したくなかった。ベッドにいたかった。そのうちまたとろとろした。父はアメリカ人の田舎者の男になっていて(危険なふうじゃなくごくあたりまえに)長い銃を持っていた。ここは、Melting Coyote Canyonといって、向こうの家との境に50センチ、だれのものでもない土地がある。そこがカナダの国境だといっていた。でもそのときはもう父というわけではなくて別人の男になっていた。
馬と坐禅
2013年01月25日(金)
あと馬にも。いつもどおり。23日は速歩、マルコで。24日は軽速歩、ロカビリーで。肩ががちがちにこるのがわかる。きのう、ロカビリーを降りたころに、トラックが一台来て、どさんこが乗っていた。会員のひとりが買ったばかりのどさんこだそうだ。小さくて、毛がふわふわのぼわぼわで、ずんぐりして、目がきょろきょろしていた。かわいかった。2歳の雄で、名前はブルー。つまり黒馬(あお)なのだ。飼い主がいうには、もう3か月いっしょに暮らしているから、ずいぶ慣れて、自分を飼い主とみとめているそうだ。かわいかろう。今日はしめきりがせっぱつまっていて行かれなかった。きのうの夜は坐禅だった。馬と同じようなものだった。いつものとおり雑念ばかりだったが、40分はあっという間に過ぎた。
熊本とレトルトカレーと落語
2013年01月24日(木)
今回の日本はレトルトカレーにはまっておる。朝に晩にレトルトカレー。日本てすごい。カリフォルニアにはこんなにない。あたしはじゃがいもの入ってないカレーが好みなんである。あとは欧風もインド風もアジア風もなんでもOKなんである。スパイスの効いた本格的なのが好きなんである。こういう食べ方は父譲りだ。同じものをずーっと飽きるまで食べていたい。22日の夜に、新春寄席というのにいった。歌丸の「紙入れ」と小三治の「うどんや」凄かった。いやマジで凄かった。
いやな夢を忘れた
2013年01月15日(火)
ものすごくいやな夢を見て、夢を見ながらいやだなこれを書いたら残ってしまうので書かないようにしようと思っていたようないやな夢だ。それで目が覚めてもそれについて書きもしなかったし、言いもしなかった。そしたらちゃんと忘れられた。それがきのうかおとといの話だ。今になってどんな夢だったか思い出そうとするが、数人の人とケンカしてるような、身体的にケンカしてるようなそんな場面が入っていたような気がする。
お知らせ 佐賀の講演会
2013年01月14日(月)
「人生万事OK」 日 時:2013年1月19日(土)14:00から 場 所:エスプラッツ 3Fホール 参加費:1000円 (予約、チケット等のお問い合わせはピピンまで) TEL:0952-27-8846 Email:pippin@po.bunbun.ne.jp
ひさしぶりなので全力投球、まかしといてください!
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