冬時間
2008年11月04日(火)
土曜日から日曜日にかけて冬時間になったから、いっぱい寝られてとくした気になったけど、夕方はやばやとまっ暗になるのにはまいった。そしたらきゅうにこの秋いちばんの曇りと寒さで、セーター着ている。暑さ寒さもハロウィーンまで。っていわないってそんなこと。でもいきなり感謝祭仕様の気候になってきた。ヘンリーズ(いきつけの食料品屋、安くて新鮮でオーガニックでビタミンとかも豊富)のカボチャの飾りつけは終わって、殻つきのナッツ類が出てきた。もう少ししたら生クランベリーが出る。カボチャももう一回出る。パンプキンパイ用のカボチャマッシュかんも出る。荒れ地の公園では、トヨン(ピラカンサスやヒイラギみたいな赤い実の生る常緑の繁み)が色づいてきた。
笹あめ
2008年11月03日(月)
ハロウィーンの夜、サウスカロライナで12歳の男の子が射殺されたそうだ。ハロウィーンの夜は、入り口の灯火が消えていれば、訪れない、が原則である。うちも例年のごとく灯火を消して息をひそめていたが、それでも戸を叩いた一群がいた。驚いたことにおとなが子どもをひきつれていた。無灯火の合図を知らないおとながいるとは。しかもうちは町中ではあっても家の立ち並ぶ一画とはいえず、隣は学校の校庭で、ぽつんと離れている。よく来るよ、こんなとこにと思ったものだ。しかしサウスカロライナで子どもを射った家の灯火は、ついていたのである。週末はミツワで全国銘菓フェアがあった。小川軒のレーズンウィッチ。それから越後の笹だんご。清の‥‥と思ったが、あめじゃなくだんごであった。家に帰ってどっち食べるときいたら、トメが「やっぱりだんごでしょう」というので、レーズンウイッチは冷凍庫へ。
山姥の火を吹き消すやハロウィーン
2008年11月02日(日)
ハロウィーンでひとけの無くなった町で、オリバー・ストーンの「W」を見てきた。館内にはけっこう人が多かった。みんな、子どもらの来襲から逃れたい民主党の人々と知れた。映画は‥‥いまいち。作りはじめたのがたぶん1、2年前だろうから、ブッシュのことが描き切れてない。ま、とうぜんである。オリバー・ストーン、何を急いだのか。現在進行中の事実や実生活を描くなら虚実ないまぜにしないとだめだが、それはたしかにやってると思うんだが、他人がやったってなあ。役者はみんなそっくりさん。でも主役以外は、なんというか、それぞれの本物の持つ存在感を出せてなかった。パウエルもライスも、外側は似てるが本物たちほど頭よさそうでない。カール・ローブ、へんてこすぎ。チェイニー、渋すぎ。ラムズフェルドは、ちょっとよかった。「シルヴァラド」の勇姿を覚えているから、そうか、年取ってこんなになっちゃったのかと。パイを大口あけて食べるシーンが印象的であった。トメは魔女の帽子と黒い羽で飾り立てて目のまわりまっくろに化粧して、口紅真っ赤に塗って、猫になった友人のSラとどこかへ行った。
ハロウィーン
2008年11月01日(土)
ハロウィーン(この日記の日付は日本時間なんですよ)。 ところがカボチャを買い忘れていたのにきのう気がついて、買おうとしたがもう売ってなかった。しょうがないから小さな普通サイズの食用っぽい赤カボチャを買ってきた。このごろスイートポテトや各種カボチャ/ウリ(英語的には各種ウリというのが正しいが、日本語の語感ではウリというとどうしても胡瓜、真桑瓜、西瓜といった水っぽいものをウリというのでカボチャと総称しようとしたがしきれなかった、つまりウリだが粉っぽいもの一般のこと)を使った秋のスープに凝っていたので、しょっちゅう買ってきてたのに、不覚である。いろんなカボチャ/ウリを味見してそれぞれの違いがわかった。赤カボチャ黄カボチャプディングにパイ。 今朝犬の散歩に行ったら、警察の車が5台停まっていて男がひとり後ろ手に縛られていて、警察官がまわりを取り囲んでいた。映画やテレビだと捕り物はおもしろいのに、実生活で見たって事情がわからないから、何の興味もわかなかった。
ぴーちゃんと教え子とシッサスとシダ
2008年10月31日(金)
この頃二代目ぴーちゃん(ホオミドリウロコインコ)が、グリーングリーン(セキセイ)のカゴに入り浸っていて、人間を忘れかけておる。手を差し出すと怒ってやたらに噛むばかりで愛想もくそもないのである。さすがのあたしも、めんどくさくなってほうっておいたが、これではよくある気の荒い感じ悪いもてあまし者のインコじゃないかと思い立ち、きのうからせっせと肩にのっけている(そして噛まれる)。ワルシャワで日本人学校の教員していた、むかーーし。現地採用ってかたちであったが、実は先に行っていたNさんを追いかけていった。当時は戒厳令だったから、ビザをとるのもたいへんだった。Y上先生やM菱のO田さんに尽力していただいた。行こうかどうしようか考えているときに、当時親しかったH泉社のM浦さんには、「売り出し中の今そんなとこに行ったら、みんなに忘れられるから絶対行ってはいけない」といわれ、ずっと年上の詩人のY木さんに親が反対しているんだけど行きたいんですよねといったら、「親を殺してでも行った方がいい」といわれて、決意したのを覚えている。なんていうことをなぜ思いだしたかというと、当時の教え子がこのサイトにメールをくれたのである。管理人のNしろBりさんが転送してくれた。ちょっとこれには、かなり、感激した。ろくな教師じゃなかったけど若かった。その子のことは、顔も名前も家族もくっきりと覚えていた。日本人学校には世界のクラシック大全集みたいなのがあって、放課後それをむさぼるように聴いていたものだった。数年後二回目に行ったときは、ワルシャワ大学の日本学科に入り浸って、そこの蔵書の中のだれも読まない古典全集をむさぼるように読んでいた。今は植物にむさぼるように水をやっている。きのうはブドウ科のなにか(たぶんシッサス。葉が裏紫)と見たこともないようなへんなシダの仲間(クラマゴケに近い感じ)‥‥いま、HomeDepotで1鉢3ドルセールやってるのである。
スリップと独居老人とエピデンドラム
2008年10月29日(水)
スリップしてた。こんな日記がつづいたしにゃ、読者が閉口しちまうなあ、園芸サイトじゃないんだし、とやっと気づいたあたしである。 ここんとこの植物三昧はただごとではなかった。まるで『ミドリノオバサン』(筑摩書房)書いてた頃の日々がもどってきたみたい。夫の不在で、思いっきりマーキングしたかったのかも。 うんと掃除して、ものを捨てて、片付けて、夫が帰ってきたときにはぴっかぴかの我が家で、「すごい」と言わせたかった気持ちもあるにはあったが、家の中のぐちゃぐちゃは手つかずで、植物の整理整頓と植え替えばかり出来てしまった。数も増えたし。 きのうはついでにエピデンドラムの高芽取り(茎の上に高芽が出るので、それを集めて小鉢に植え込んでやると、そこからまた伸びていく)もしたが、もうこれ以上、何もしないと決意した。父の禁煙のようである。86歳になった父は今、禁煙中。 父(独居老人)と母方の伯母(やはり独居老人)は同い年、一月ちがいの誕生日、こないだ伯母の誕生日に電話して、いくつになったの? ときくと、伯母は「87よ、いやあねえ」といっていた。で、父に、いくつになったの?ときいたら「もう85だよ、おれは」といっていた。おかしいじゃないか、計算が合わないじゃないかと思い、計算してみると、実は二人とも86である。この年になると、年取ったという事実だけでじゅうぶんなのだな、ということを知った。そのあと伯母に電話して、87じゃなくて86じゃない?といっても「そお?」ととぼけているし、父に、86だよ?といっても「そうかい?」ととぼけていて取り合ってくれない。
サンセベリアとザミオクルカス
2008年10月28日(火)
小学4、5年生の子どもくらいに育った(身長の話をしている)大ザミオクルカス(ここの左に写真があるでしょ? 手前にちらりと見えているのがこのザミオクルカス。向こう側はこないだ動かした大モンステラ)、このごろ葉っぱがばかに汚れているので、外に出してシャワーしてやった。このあいだのシャワー日に、これだけは出してやらなかったのである。そしたら殻状のカイガラムシ発見。あわててアルコールで除去し、洗浄し、ついでに背の高い鉢がほしかった入り口ワキに移動させた。 サンセベリア、2鉢を外に出してシャワーしようとしたら、ひと鉢は、以前ニコがあんまりほじくるので土の上にニコよけの石をしきつめておいたのだが、それがかたまって、息ができにくくなってる感じ。で、石をぜんぶ取りだして、風とおしをよくしてやった。もう一個の鉢は、ぎゅうぎゅうづめになってきたので、植え替え。あいた鉢(白い陶器鉢である)にはちょうど行き場所のなかったディフェンバキアを入れた。 ザミオクルカスをそのまま外においておくか、植え替えたほうのサンセベリアと交替させて、ザミオは中に入れるか、ずっと考えている。
ザミオクルカスとヤブソテツ
2008年10月27日(月)
ゆうべ、つれあいが帰国してたいへん忙しい。きょうはつれあいが台所の改装したいから、イケアにいこうというので、連れて行き、あまり良くない植物のセレクションの中から、ザミオクルカスの小鉢とヤブソテツの小鉢、テラコッタの大鉢(これは安かった)を買った。ザミオクルカスの鉢は、茎のほかに葉を何枚も土に挿してあった。それで考えたのが、水漬けにしたら根が出てきたやつを鉢に植え込んだがそのまま育たなくなってしまったザミオクルカス。伸びもせず、腐りもせずに、だまって鉢の中でゆゆらゆらしていたが、あれもこうすればいいかもと思って、さっそく掘り出して、植え替えた。掘り出してみたら、なんと土の中に大きくふとった芋のような根ができていた。これは折れちゃった茎を水漬けにしておいて根を出させたので、こんな大きな芋根は、土に植えてから出たのである。上の方の葉を切り取り、茎そのものは短くして、もう一回植え直した。葉は挿した。
カラテアとスパシフィラムとアンスリウム
2008年10月26日(日)
調子のよかったカラテアにカイガラムシ発見し、たちまち洗浄、なんとか食いとめたい考えであるが、まんがいち、広がった場合にも、入り口外の半日陰園芸場に出せばいい。そこはけっして墓場でも病院でもないので、気が楽である。どうして風に吹かれるとカイガラムシはいなくなるのであろうか。 調子の悪かったスパシフィラムとアンスリウムを抜いて、よく洗い、水漬けにした。このアンスは、カノコが高校生のとき、何を思ったかふと買ってきたのである。あたしだって花くらい買うわよ、みたいな勢いで。それにしちゃ、アンスはへんてこな花だ、高校生少女が選ぶには。あれから7年。長く保った。よく咲いた。 きょう、夫帰る。だから掃除している。こうしてせっぱつまった掃除しないでも、いつ夫が帰ってきてもいい状態で暮らしたいものだとしみじみ思った。
ナツメヤシ用の鉢とシクラメン
2008年10月25日(土)
きのう買ったナツメヤシに合う鉢がどうしてもない。ほんとはあるが、それは室内用に使える良い鉢なので、外に置くナツメヤシには使いたくない。外にはやはりメキシコ産の焼きの甘い鉢を置きたい。それはテラコッタで、ぶ厚く、軽めで、とても安いが、すぐぼろぼろになるといってつれあいなどはとてもいやがる。しかしあたしは、外に置く鉢はそうやってぼろぼろになってもらいたい。ぼろぼろはぼろぼろで味があり、植物の生長とともに変化していく。変化しないしっかりした鉢など、生あるものとの伴走に役立たないではないか。と思ってまたHomeDepotへいき、大鉢2個と土の大袋と小さなてのひらサイズの赤シクラメンを窓際用に3鉢買ってきた。 ここまで書いたらEリンがグチこぼしにきたので聞いていたのであった。「女の絶望」を地でいってるあたしの生活である。 つづける。それでナツメヤシを植え替え、ベンジャミンを植え替え、汚れた鉢をぜんぶ洗った。だいぶ家の中も家の外も植物で立て混んできた。しかもみんないきいきしてきた。その上ここ数日の大整理で、大きな良い室内用鉢が二つもあいた。そこにぴったり入るものがないので、室内用植物(サトイモ科かシダの仲間かクズウコン科が欲しい)の中サイズを買ってこねばならない。もぐらたたきのような生活でもある。
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