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さらに時差ボケ
2009年01月19日(月)
きのうは一日ずーっと寝ていた。だから夕食はメキシコ料理だった。ごはんだけあたしが日本のを炊いた。熊本にいるS子がいうには、病院の母が、「しろみどこにいるの?」ときくんだそうだ。「今はカリフォルニアだよ」というと、「あらそう」といって「こないだ来てたときはぜんぜん会いに来なかった」というんだそうだ。(毎日いってたぞ、二回いったこともなんべんもあったぞ)それを何度も何度もくりかえすんだそうだ。 K子はグリーンカード(永住ビザ)が切れてるのを空港で発見されて、おおさわぎであった。
時差ボケとメキシコ料理
2009年01月18日(日)
帰ってみたらつれあいがメキシコ料理にはまっていて、お母さんのいないあいだずっとメキシコ料理だったとトメがささやいた。きょうはかんたんに、買ってきたトルティーヤ(つくろうとしたそうだ)に鶏に数種類のサルサに数種類のソース。ぜんぶ手作り。すごくオーセンティック。時差ボケで寝られない。ドイツにいた間ずっと時差ボケでよく寝られなかった。
フランクフルト経由でカリフォルニア
2009年01月17日(土)
M田さんが送ってきてくれた。空港でポンチキをたべた。今回もこないだも、ドイツ料理をまんぞくに食べられなかった。
ベルリン
2009年01月16日(金)
鴎外記念館のBテさんと話していて「ぢいさんばあさん」がわかった。るんはエリスだ。伊織は林太郎だ。エリスの正体はるんなのである。夜は文学館でT和田さんと。T和田さん人気で人が入りきれないほど。旧知のAヒトに再会した。同年配の男であるAヒトはぜんぜん変わらないのにどうしてあたしはおばさんになってるのだろう。まあいいんだけどさ。おばさんになって楽しいから。M好さん、M田さん、U田さん、そしてS藤H美さんにはさんざんお世話になった。ありがとうございました。そしてIメラさん。ありがとうございました。
バッハ
2009年01月15日(木)
昨夜はフランクフルトの文学館で。司会してくれたGプハルトさんにフランクフルトソーセージをもらった。そこから空路でベルリンに、それから日独センターのS藤さんや大使館のM好さんM田さんといっしょにライプチヒ。バッハ協会のT野さんが、聖トマス教会の中のバッハのお墓に案内してくれて、パイプオルガンの演奏をきかせてくれた。かんどーでした。夜は文学館で朗読。
トリーアからフランクフルトへ
2009年01月14日(水)
「黒い門」のまんまえのホテルで、夕暮れの黒い門、夜中の黒い門、ライトアップした黒い門、灯の消えた黒い門、夜明け前の黒い門、明け方の黒い門、とさんざんみられた。ゆうべはローマ料理であった。といってもイタリア料理ではなく、ローマ時代の料理。やっぱアーティチョークが出た。ローマ人食べてるはずと前々から思っていたのだ(カリフォルニアは産地なのである)。まず大麦と鶏のスープ。それから松の実入りソーセージ、ディルの葉添え、それからアーティチョーク、マヨネーズみたいなソースに粒赤胡椒、ワインロール(月桂樹入り‥‥どこがワインなのか)、あたしのえらんだ主菜はズッキーニとにんじんのソテー、コリアンダー粒入り。デザートに梨入りのプディングの重たいの、ハチミツと黒胡椒入り。食前酒にハチミツ酒、アニス風味。むかしS子の宿題で、一週間ロマ時代の農奴の食生活をしろというのがあって、やってみたが、あのときより、王侯貴族風のいい食事、しかし基本的には、同じようなものであった。トリーア大学での朗読会は、学生いっぱいきて、こっちの学生はノリがよく、Aレアスさんという文楽や歌舞伎専門の若い先生が逐語通訳してくれたので、とっても楽しく全開大。もちろんIメラさんがそこにいて、ドイツ語訳よんでくれたし、説明もしてくれたのである。大学側のHリアさん、みなさん、どうもありがとう。きょうはフランクフルト。同姓別人のO西さんと宗教について話し込みながらフランクフルトへ。
ケルンからトリーア
2009年01月13日(火)
とまったホテルはもと修道院ということで(でもとても近代的)建物のつくりが荘厳で、フロントに作り物の神父さんがいて、額に青筋たてた機嫌わるそうな老人が微動だにせず(作り物なので)虚空をにらみつけていて不気味であった。ケルン大聖堂は、夏にいったグロースターやソールズベリの大聖堂よりすごかった‥‥のは、ひとりで見上げていて、クリームティーを食べたいの、足腰が痛いの、いってる家族がいなかったせいかも。Iメラさんがベルリンからきてくれて、ゆうべは日本文化会館で、その翻訳と解説のもとに朗読したけど、申し訳ないことにぜんぜんノレなかった。20パーセントの出力。10かも。きょうはいっしょに一路トリーアに。きょうはちゃんとやるツモリ。
ケルン
2009年01月12日(月)
M子が成田まで送ってくれた。ケルンは雪景色。国際交流基金のO西さんが出迎えてくれた。疲れはてていて顔を洗いたくないからぐずぐず起きているが気が遠くなるくらい眠たい。
東京
2009年01月10日(土)
9日出がけにNさんのおとうさんがなくなった知らせが。それでK子、S子をカリフォルニアから京都と熊本に送り込む算段をしていて東京行きが大幅におくれた。訃報にうちの父ががっくりきてるので、懸案の「延命治療はしないでください。救急車はよばないでください。サインとハンコ」を早急にしあげた。ナメクジに塩をふるような行為だなと思いつつ、しないではいられなかった。行く予定だった赤坂のJ聴先生の法話にはまにあわなかったけど、そのあとで合流できたので、うれしかった。10日は、目黒美術館の「ひろしまヨコスカ」にいった。すごくよかった。「1.9.4.7」も大きな画面でみられたし。I内さんにもひさしぶりに会えた。アウシュビッツとの関連をきいたら、ちがうわよ、これは現在よ、今のあたし、といっていた。納得した。絹の素材がよかったからのこってたのよともいっていた。納得した。会えてよかった。それからNちゃんにつれられて、Nちゃんが熱心にすすめる「コート・ドール」。うまかった。サービスもすんばらしかった。かきたまごのトリュフ。想像つかない味が食べたかったのだ。食べられた。Nちゃんの熱弁を、しみじみと納得した。
ルイ
2009年01月07日(水)
父の犬ルイと心の交流。ルイはあたしをボスと認識しているので、まるでニコや3年前のタケのように、あたしのあとをついてまわる。いつも舌を出しているので、犬としてはかなりかしこいのにこれでだいなし。きのう父の電気ストーブが壊れたので買いに走ったが、「犬が焦げない」のを探したのであった。父に食べさせようと七草を買ってきたら、そんなもの食べたくないといわれた。あたしがいつもいるので、父が元気にしあわせそうなのである。母も。父はあんまり母のところに行きたがらない。ぼけていってる妻を見るのはつらいらしい。
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