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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

熊本

2009年03月04日(水)

各地を転戦しつつ熊本に来たのが1日の夜遅くだ。それからというもの、忙しい。今回しみじみとあたしは今、ここ、伊藤さんちの、大黒柱であると認識した。おん出たはずなんだが。経済的には、親はあたしに頼ってないのだが。でも大黒柱。母の顔を撫で、父と時代劇について語り合い、犬を叱り、犬と遊ぶ。カリフォルニアじゃ住み着いた野良猫のようなもんなのである。各地で未発表の新訳般若心経を読みまくってきた。

片づいていない

2009年02月28日(土)

片づいてないまま出てきてしまった。いつものことだ。年々出かけるのがつらくなってきている。持って行くものの取捨選択が出来ない。早朝に出発だというのにぐずぐず起きていて、ストレスばかりあらわになっていくのをなすすべもなく見つめなくちゃならないのはつらい。あんなに悩んだのに結局コンピュータのチャージャーを忘れてきてしまった。飛行機の中でラッセルクロウとデカプリオの、リドリースコットの、中東のスパイ映画を何回も、というかずっと見ていた。別に好きなテーマでも好きなジャンルの映画でもない。というかむしろこういうリアルな殺人シーンの多い映画は見たくないのに。ラッセルクロウがものすごく太っていて目が離せなかったせいかも。
今日三宿のStarPoetsGalleryで朗読する。ここでやるといつも完全燃焼できるので今日もすごく楽しみなんである。今日はたぶんTリッパーの連載「海千山千」からこのごろ夢中になってやっているお経の新訳を読む。
そういえば、ここでそれをお知らせするのを忘れてた。「豆畑の友」のHPでは出してもらったけど。あと3月17日には銀座のユマニテでやる。いずれも「詩人の聲」という天童さんの企画。これをやるようになって、朗読が戻ってきた感じ、いや、あたしの中に。

夜半また鳥が

2009年02月27日(金)

またMockingbirdが鳴いている。あした早く出るのだが、なんにも片づいてない。そういえば隣の荒れ地には野ライラックが満開で、ここ数日で白は満開をすぎ、紫は満開に近づいている。いなくなったはずの蜂が、あちこちで花に吸いついている。

Mockingbird

2009年02月26日(木)

モッキングバードがうるさくて寝つけなかったと、S子もトメもいっていた。それは、日本語にしたらモノマネドリ、といってもオウムや九官鳥とはちがって、人のことばをまねするのではなく、ほかの音、ほかの鳥をまねしている(のかどうか)。とにかく鳴き声が一定しない。ふつう、鳥は、ぴーちくならぴーちく、かーかーならかーかーと鳴き声に特徴をみつけてそれで何々と種類を特定できるものだが、これは、声がまったく一定しないで、てきとうに、鳴きたいように鳴いている感じなのである。ぴーぴー、ちょんちょん、つくつく、ぎゃーぎゃー、ついーついー、るりるりるり、と一羽でえんえんと、どれだけいろんな声が出せるか、試しているように鳴いている感じなのである。わりに大きな鳥なので(マネシツグミ科という)声がでかい。そしてうるさいほど歌うだけあって声がきれい。「つぐみん」よりもソソとした感じ。わからないのは、昼間公園でさかんに鳴いていたのだが、夜更けても、さかんに鳴いていることだ。昼夜兼行性なんてことがあるのか。モッキングバードといえば、To Kill a Mockingbird、邦題は「アラバマ物語」。アメリカの中学の必読図書である。トメもこんど読むそうだ。映画の主演はグレゴリー・ペック、アカデミー賞もとってるし、アメリカ人にとって「理想のヒーロー」である。映画の「カポーティ」にはその作者(ハーパー・リー)が出てくる。‥‥となんだか熊本文学隊HPのようになってますが。http://d.hatena.ne.jp/kumamotoband/

母の気がかり

2009年02月25日(水)

あさって出かけるので、今から片付けなくてもいいもんだ(いつもは出かける前の晩に夜っぴてやってる)が、入れ違いに縁戚Pがくるので、客用の部屋がごちゃごちゃであり、それを片付けなければにっちもさっちもいかなくなっており、ついでにものを捨て、処分し、きりきりまい。やりかけている仕事はかなり集中度を要する仕事なので、片付け掃除しながらはできないのだということを、仕事部屋にこもったっきりの夫はわかっておろーーか。いやわかっていない。とにかくきのうもやった。(途中でいやになってやめた)きょうもやる。こういう仕事は昼間じゃないとできないのが不思議である。むかつく。ほんとにむかつく。何もかにもに。こういうとき、日本にいないで人と会わないのはほんとにいいことである。昨夜DとJがお茶のみにきてだらだらしゃべっていったが、あたしはぼーっとして会話に入らなかった。家を離れるにあたって、いちばん気がかりなのは、トメのこと。S子のこと。タケのこと。ニコは生き延びるであろう(夫のお気に入りなので)。ぴーちゃんのこと。植物はいわでもがな。しかしもうこういう生活を数年やってるから慣れてもよさそうなもんだし、みんななんとか生き延びているので生き延びられることはわかってるのである。むかつく。マジでむかつく。何もかにもに。
(番頭さん、タイトルはとりあえず、カフカから声をお借りしてるつもりです)

倫敦便り

2009年02月24日(火)

きのうの夕方、近所のスタバに、M美さん、U野さんとあつまって、日本人学校最上級クラスのカリキュラムについて謀議した。M美さんとあたしは、U野さんの受け持つそのクラスの、おばさんボランティアアシスタントなのであるが、おもしろいので、このごろ心魂かたむけちゃっている。今週からしばらく行かれない。
きょうは倫敦にいった文学隊のO山隊員から6か月ぶりの便りがあった。生きていたのだ。倫敦だし、倫敦は漱石だったりするから、もしやと心配していたが、元気そうであった。そしてやはりO山さんは倫敦で漱石を読んでいた。
あたしはこのところのストレスにすっかりやられて、眠りは浅く、仕事は手につかない。体はぎしぎしいい、髪の毛はそそけ立っている。

ラザーニャと不安夢

2009年02月23日(月)

ゆうべはDたちが来たので、子どもメニューとしてラザーニャをつくったが、やはり「きのう何たべた?」に影響をうけて、ベシャメルソース入りのミートソースのラザーニャであった。ここであたしの秘訣を披露すると、まずタマネギなどをいため、つぎに挽肉をいためてぼろぼろにした状態で牛乳をひたひたに入れ、それを煮詰めてからトマトやワインを入れて煮込むのである。そうするとええっというくらいおいしくミートソースが仕上がる。牛乳でトマトの酸味が緩和され、牛肉の臭みも緩和される。筧史朗におそわったようにベシャメルソースとミートソースを段々にしたらきゃーっというくらいおいしくなった。
夫と天草を疾駆していたら、道が凍りついていて、どの道を行くかで夫と口論しながら走っていた。もちろんあたしの判断のほうが正しいのだが、それを夫に納得させられないので夫のいうとおりにしたら立ち往生して、顔には出さねどざまあみろと思っている夢を見た。いやな後味に目を覚まして、しばらく仕事場にいったり本を読んだりしてまた眠ったら、こんどは友人M子と日本の山岳地帯を疾駆している夢で、なかなか目的地につかず、道は険しく、雪ははげしく、そのうちあたしが財布をその前に立ち寄った店に置き忘れてきたことを思い出したり、M子が家で用があったのを思い出したり、はらはらしっぱなしであった。いわゆる不安夢。飛行機のきっぷを買ったりするとこういう夢を見るんだな。

梅安

2009年02月20日(金)

ここのところの背中の圧迫感がひどくなって、おとといの夜は座っていられず、ひんぱんにため息をつかないと苦しくってしょうがなかったので、とうとうきのう医者にいった。そしたらストレス、気のせい、なんともない、と。ため息つかなくちゃならないようなことが生活にあるから、ため息をつくんでしょう、と。ため息つきたくもなるわな、この生活、この人事。また来週はひこうき乗りにいかなくちゃいけないし。ストレスを取り除きましょう、と。ばかにしてやがる(太宰の声をお借りしました)。お地蔵様じゃあるまいし。このごろ仕事していて、やたらとちぢこまっているので、背中伸ばさなきゃとは思っていたのである。T中M津観音にすがるしかないかも。しかし行く時間がとれるかどうか。あの鍼はほんとに痛い。でも効く。

生鮭みそホイル焼き

2009年02月19日(木)

こないだカラメルソースがおぼれるほどかかってるプリンをつくったのは、「なにたべた?」じゃなかった、よしながふみの「きのう何たべた?」2巻めの113ページでケンジがそういってたからだが、きのうは126ページの「生鮭のみそホイル焼き」をつくったのである。これは漫画からのレシピだといいながらつくっていたら、つれあいが、知ったかぶって「Bambinoだろう」とすごい発音でいうので笑った。トイレに積んであるので、読んでるらしい。「あれはイタリアンレストランの話で、これは安い食材でおいしくジャパニーズな日常食をつくる男の話」とS子が説明していたがむなしいことである。

おれは一人の修羅なのだ

2009年02月16日(月)

大丈夫ですか、大家さん。病み上がりでそんな過激なものを見て。といいつつも、あたしも馬乗りのはしくれ、すごくすごく見たいです。
昔通いつめた熊本の北熊本乗馬場は、武道としての乗馬というのが感じられて、とてもよかった。このごろよく思い出す。機会があったらまた通いたいけど、今は心の余裕がぜんぜんない。
きょう、いろんなことを考えながら車を運転して坂道を疾駆していたら、とつぜん「おれは一人の修羅なのだ」ということばに共感した。

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