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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

断続的に豪雨

2009年07月27日(月)

Birth講演会大盛況。豪雨の中、たくさんの若い人が来てくれた。Y田さんの話すごくよかった。M角さんの朗読すごくよかった。若者、おもしろかった(聴衆、M角さん)。熊本の若者は何もいわないと思っていたが、活発に手をあげ、ものをいうすがたを少しずつ見られるようになってきた感じ。すごいことだ。
隊員のみなさま、お疲れさまでした。こんどもどれだけの隊員が、働きにやってきたことか。すごいことだ。
今朝犬を散歩させていたら、このへんで仕事はありませんかと声をかけられた。聞けば某社の新人社員研修の一環で、数十円しか持たずに町へ放り出され、自分から町の人々に声をかけ、金かせいでこいとのプロジェクト。とんでもない新人研修だなと思いつつ、ついつい情にほだされて、自分の家までつれていき、庭の草むしり、棚直し。時給650円に弁当つきで雇い入れた。近所のE藤さんにももちかけたらE藤さんも雇ってくれた。唐茄子屋政談に出てきた、かぼちゃかついで困ってる若旦那を手伝ってやる町のおっちょこちょい、ああいう感じであった。長崎から出てきている子連れのAさかさんが、うちの窮状をみるにみかねて、午後トメと遊んでくれた。Aさかさん、LなちゃんとMきくん、ありがとうございました。あんまり疲れはてたので坪井温泉のT湯にいこうとしたがお休みでD湯に。銭湯のような温泉であった。ぐったりした。

2009年07月25日(土)

雨。
メールソフトからメールが消えてしまう。どんどん。記憶障害とはこんな感じなのかと考えるほど。不義理のメールがいっぱいあるのに手につかない。

日食と大雨

2009年07月22日(水)

きのうM子から電話があって、雨ふってるんだってーというから、たいしたことないよというと、でも山口ですごいよというので、山口って熊本からすごく遠いよといったのだが、わかってるよと言われたのである。それで、老いた親のぐちをこぼしあって電話を切った。きょうは日食で、朝、父に御飯食べさせにいったらすでに緊張して日食だ日食だといっており、熊本では9時37分にはじまるというので、犬をつれて外に見にいったところ犬は木陰にばかり行きたがるのでよく見えず、木陰じゃなくとも分厚い雲がおおいかぶさっていて(その半分は雨雲)ところどころ薄くなって空の地のようなところが見える気がしたが、それも青くはなくうっすらと膜が張ったように白く、つまり太陽の在処はなんとなくわかっても太陽そのものは見えなかった。次回の日食の時と所もわかるというので、それなら、アマテラスオオミカミが隠れたのも九州で見える皆既日食と考えていけばだいたい時が特定できるではないかと考えたが、こないだの阿蘇の火山博物館で知った事実、つまり二万年前の洪水とその決壊の記憶を、たかだか千年や二千年前の人が神話として伝えているということ、それなら数千年から数万年前の日食と、ヒミコなりなんなりがごっちゃになっていてもおかしくはないのだなと考えた。おお、きょうはとってもまじめ。

また映画

2009年07月21日(火)

ゆうべは9時25分からのレイトショーの「ハリー・ポッター」に。トメは終始くすくす笑っていた。こういう思春期少女をよろこばせる思春期恋愛が満載。ほんとはDenkikanでやってる「小三治」がみたいんじゃ。でもたぶんトメは飽きる。そういえばあたしも子どもの頃、休みになると父が「しびや」の映画館につれてってくれたが、父が映画を選ぶので、どきゅーんどきゅーんといった、殺し殺される映画が多くて子ども心に閉口したものだ。あれがトラウマになって、いまだに人の殺される場面が怖くて見られない。

ヤキトリ屋

2009年07月20日(月)

ゆうべはたいへんおいしいヤキトリ屋につれていってもらった。N田さん、K枝さん、そしてM脇さん。ついでに弁護士のくずの6、7、8とBilly Batを買った。きょうは湿気が多くてたまらなく不愉快。

黒塚、清経

2009年07月19日(日)

きのうは暑かった。午後3時になったら暑さもまさに極まって、お城の木々はおおいかぶさってくるし、光は強すぎて見えないほどだし、運転しながら、これはてんぷらだろうか遠火でローストされてるのだろうかとつまらないことを考えていた。段山(だにやまと読む)の能楽堂に、金春松融会の練習をみにいったのである。社会教育課のA山さんが誘ってくれた。数年前、A山さんに誘われて見にいった薪能であたしは能に出会った。それは「とげ抜き」に書いた。あれはほんとにありがたい出会いだった。ずっと前にかってあった謡曲集が、ずっと待っててくれたように感じたものだ。きのうのは黒塚と清経だった。テキストをみながら、聞いて観察するので、たいへん、たいへん、おもしろかった。謡というのはうただった。みんな歌っていた。そしてテキストにはちゃんとスコアが、つまり文字のわきにいろんな印がついており、それを読んでいけば、ちゃんと歌える、初見奏もできるかもというようなきっちりしたスコアだったが、やはり、間のとりかたなどは、かなり人によるので初見奏はむりでしょうということだった。
この時期、外には風が吹いて涼しい気持ちにときどきなるのに、家の中は閉塞的でじつに暑苦しい。そういう家なんかなけりゃいいのにといつも考えるものだが、古い能楽堂の木だけの建物はものすごく涼しかった。ところどころあけっぱなしなので風が通り、陰になってるので日差しは射し込まず、これなら平安時代の人々も(こないだ京都で御所を見学したのだ)戦国時代の人々も(きのうは「センゴク桶狭間戦記」を買った)室町時代の人々も、夏は空調なしで楽しくすごせたにちがいない。暗い室内から外を見ると光は実にとげとげしいくらいに明るかった。照葉樹がぎらぎらしていた。暗い室内で、だらだら汗を流しながらうたい、動く人々を見ていた。

香港

2009年07月18日(土)

香港の大学に一ヶ月滞在してinternational writer's programというの、やらないかと何人かから誘われたが、もちろん無理である。カリフォルニアと熊本の行ったり来たりならできるけど、それ以外は。どうせいっちゅーねん、父も干上がる、家族も干上がる。しかし仲介のY田さんが、これは日本の女の詩人指名なので、ぜひともこの枠を確保したいので他にだれか知らないかときかれ、いろいろ模索して、メールとか各方面にうちはじめた矢先に、もう男の詩人にきまったということで、もんのすごく、もんのすごーーーく、がっかりしている。むかし、M郎さんがミシガン行った後、あたしも行きたい行きたい行きたいと騒いで、アイオワにもそういうのがあるので、行きたい行きたい行きたいと騒いでみたが、行かれなかった。なぜかわからない。いつも遠い熊本に住んでいて、人脈もなく(それなりにあったはずだ)、主婦で子持ちで大学で教えてもないし男でもないし翻訳もないし(ちょっとずつあったけど)行かれなかったのかなあと思うと(ひがんでみた)、すごく口惜しい。英語も、ぜんぜんできなかったけど、そのために英会話学校にさんざんかよってできるようになったってのに。それで、とうとう待ちきれなくなって、自分で行ってやらあっと出かけていって(故K関先生に紹介していただいて)帰れなくなっちゃった。しかもそういうプログラムじゃなくて個人でいったから、立場があいまいで、人と思うようにつながれなかった。だからぜひこの「日本の女の詩人枠」を後輩(つーか若い人たちに)につなげたいっっっ‥‥と思ったのである。数年前にもどこだかの大学のプログラムで同じようなことがあった。そのときもあたしは行かれず、人を探してくれといわれて、さんざん探した。たしかあのときは「女の詩人」じゃなくて「女の作家」か「男の作家」が行ったんじゃなかったっけ。それも、なんかとてもくやしい。

らくだ

2009年07月17日(金)

朝、馬場、それから父の朝食、それから馬場、それから家に帰って少しだけ仕事して、父の昼食。父はこのごろあたしが力の3/4を子どもにそそいでいるので不満げである。「銀行のほうをそろそろ済ましたい」とへんなふうに催促され、もうとっくにやっちゃって、やったよと報告したことなのにムカツク。それからトメをプールに落として獣医にいったが、思いがけず時間がかかり、2時間たってもまだ終わらず、いったんトメを迎えにいってまた獣医にとって返し、診断はしっぽの「ホットスポット」(湿疹によるかきむしり、いらいら‥‥タケもコレだった)ということで、帰ったのは5時近く、薬をのませようと格闘したががんとして飲まないのであきらめた。ムカツク。父から待ちくたびれたと不満げにいわれて、たいへんムカツク。きょうは映画を見にいくからもう帰るといったらますます不満がられて、ますますムカツク。夜は「らくだ」と「連獅子」を見にいったが、トメはつまらなかったそうである。まだ劔岳のほうがおもしろかったそうである(あれも最初のうちはつまんなかったけど、といわれた)。これにもMとRを連れてこようとおもってたが、時間切れでできなかった。連れてこないでよかったそうである。わかっちゃいるけどやめられない。それでもトメに日本文化を教えたい親心。DVDを借りてソフトクリームを食べながら家に帰った。しかしあらためて落語には死体が頻出することに気づいた。らくだ。黄金餅。野ざらし。粗忽長屋。死んだ人への冒涜である。連獅子のほうは宗教への冒涜である。それを冒涜と思わずにファニーと思う日本文化なのである。

子どもらは帰った

2009年07月16日(木)

もんじゃ焼きが食べたいとRがしきりにいってたので、飛行機の時間を計算しながらもんじゃ焼きの店に寄り、「はいあと5分で食べ終わるように」「あと2分でここを出る、ついてこないやつは置いていく」などと子どもらを急かしながら食べて空港に送り届けた。はじめて食べるもんじゃ焼きはへんな食べ物だった。子どもの頃は男の子が駄菓子屋で食べてたものだ(女の子は食べなかった)。クッキー生地を生で食べるような感覚であった。というわけでMとRは離熊した。こないだH田さんにメガネの安い店というのを教えてもらい、つねづね行きたいと思っていた(アメリカのメガネ屋は、顧客が広辞苑を読んだり古い岩波文庫を読んだりすることを想像できないのである)、空港からその店のあるアメリカにあるような大型ショッピングモールに行って、広辞苑の読めるメガネを買った。ついでにトメの服もいろいろと買わされた。破けたシャツとかすり切れたジーンズとか。こういうモンを買う必要あるのか。あたしは「センゴク天正記」を大人買いした。ただの「センゴク」より作家がうまくなっていて、じつにおもしろい。じつに、じつに、おもしろい。「家族」だなんだという青臭い主張はなくなっているし、あいかわらず引用参照はまめまめしくしてあるし。大家さんからよなよなエールがっっっっっ。ううううまいっっっっ。ありがとうございます。

阿蘇

2009年07月15日(水)

月曜日。午前中は獣医だ銀行だと黷スジーンズとか。こういうモンを買う必要あるのか。あたしは「センゴク天正記」を大人買いした。ただの「センゴク」より作家がうまくなっていて、じつにおもしろい。じつに、じつに、おもしろい。「家族」だなんだという青臭い主張はなくなっているし、あいかわらず引用参照はまめまめしくしてあるし。大家さんからよなよなエールがっっっっっ。ううううまいっっっっ。ありがとうございます。

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