阿蘇
2009年07月15日(水)
月曜日。午前中は獣医だ銀行だと用ができて、出発はおひるすぎになった。で、まずミルクロード、大観峰で草波と大地の波、それからカルデラの中に降りて、猿まわし劇場、それから地獄温泉の清風荘。清風荘は、古めかしくてひなびていて貧乏くさくて、夕食も気取った旅館食なんかじゃなくて、豪快にいろりばたで田楽なので、おきにいりなのである。 夜、部屋に、思いがけなくB場さんが、ケーキ持ってあしたの打ち合わせにきてくれた。阿蘇高校の国語の授業に、MとRとトメを参加させてもらう予定なのであった。 火曜日。B場さんの授業に3人を放り込み、あたしは三年のM山さんのクラスで朔太郎の「こころ」について。次の時間には一年の英語で、三人は前にたち、観客としてのB場さんに支援されながら(ここもB場さんの凄い一面‥‥講演者をノセて話しやすくしてくれるのである。あんまり気づかれてないけど。Mは気づいていた)、アメリカの高校生活について話し、高校生ふう英語を教え、まったく、アメリカの高校生の地力が出たのであった。Mたちが、「日本の高校生、何もいわないから何いっていいかわかんなかった、困った」といいながら教室を出たら、後ろから、ほんとは話したい女の子の集団が、連中に教わったばかりのカリフォルニア高校生英語を連呼しながら追いかけてきた。 豊後街道をとおって池山水源へ。滝室というあたりは大地の波が木々におおわれてせまってくるようで凄かった。 火口へ行く途中阿蘇に異動したK野さんとこに寄ったら、火山博物館でS藤先生に案内していただけるようアレンジしてくれて、ほんとにラッキー、まさにあの滝室が、断層が走っているところだそうで、それであの地形の妙も納得した。二万年の前の出来事が阿蘇の神話にしっかり反映されている事実にも感動した。いったいだれがどうやって伝えたのか。 それから火口を見て、俵山をとおって市内にもどり、ガストでごはんたべてフォンティーヌでケーキ買って帰った。つ・か・れ・は・て・た。B場さん、M山さん、一年の英語の先生、S藤先生、ありがとうございました。
今日はお城
2009年07月12日(日)
「劔岳」をみた。凄い映画だった。大きなスクリーンでみてよかった。しかし子どもらにはむずかしかったか(わかっていたことだ)。劔岳のあたりから富士山が見えるシーンがあって、それがどういうことかもわかんない子どもらだから。エンドロールの「仲間たち」も、左右に小声で「なかまたち、とかいてある」とささやかねばならなかった。でもいいJapan体験になると思ったのだ。予告の「HACHI」で泣けた。ずるいと思う。 今日は晴れたので子どもらはお城。あたしは家で仕事と洗濯。暑いのに気の毒だが、天守閣の上まであがってくるようにと送り出した。M子さんにもらったCDをやっと落ち着いてきいている。夕方はE藤さんちでお茶のお手前を体験させてもらう。夜は映画の「ごくせん」に行く。あたしゃ行きません。あしたは阿蘇の地獄温泉に一泊してくる。
雨は蕭蕭と降つてゐる
2009年07月11日(土)
ゆうべは巨人がおいつかれ、同点で膠着したまま延長戦にもつれこんだところで父から電話がかかり、もう疲れはてたから寝ると悲愴な声で訴えられた。それで気になって、そのあともネットで刻々状況を把握せざるをえなかった。勝ってほっとした、父のために。きょうは朝から雨だったが、やんだのでトメを馬場に落っことし、父のところにむかったとたんまた雨が降り出したが、父に朝食は食べさせなけりゃならず、子どもは濡れてもいいやってことでそのまま父の家に、まず新聞をとどけて機嫌のいいところへベーコンエッグと小さなサラダとトースト、そのうち土砂降りになってきたのであわてて馬場へ行くとなんとか終わって濡れねずみになって待っていたのをさらに待たせて、奥さんと立ち話して、伊藤さん、むかしはきりきりしていたが、今はとってもやわらかくなった(ふとったけど)といわれ、アメリカにいってよかったんですよといわれてなんだかうれしかった。昔、ほんとに世話になった馬場の奥さんなのである。あの頃は、やるせなかった。息するのさえつらかった。人間とつきあいきれなくなってそこに逃げてたが、馬とさえつきあい切れなくなってやめた。それ以来乗ってない。2年前、トメにねだられて阿蘇の山のウエスタン牧場に乗りにいったら、すっかり乗り方を忘れていた。でも10分もしたら思い出して、しかも、乗ってなかった15年間に、犬をさんざん訓練したので、そのやり方が身に染みついており、馬にもふつうに向き合えた。 きょうは雨なので、子どもらをつれてモスバーガーを食し、「劔岳」をみる。ついでにT夏ちゃんにちょこっと会う。それから子どもらを野に放ち、あたしは帰って仕事する。仕事終わらす(決意)。
からおけ
2009年07月10日(金)
きょうは朝トメをたたきおこし、乗馬にひったて馬場に落っことし、父にごはん食べさせにいき、犬の散歩させ、トメひろって帰り、家でまだ寝ていたMとRをたたきおこし、朝食を食べさせ、とってかえして父を病院につれていき、診察がおわったのでとり天弁当かいつつ家に送りとどけ、薬をとりにいこうとしたところ汗みどろになって歩いてくる子どもらに出会い、今日は雨模様なのでからおけに行くことにしたらしく、アメリカの子どもにとってからおけというのはアニメやマンガと同じく魅力たっぷりの日本文化であるらしく、MとRは前にも経験したがトメはじめてのしかも念願の経験であり、わくわくしてる三人をからおけやに送りとどける前に病院によって薬ゲットし、ヘルパーさんと立ち話をし、からおけやにいって会員になって割引券をゲットし、三人をおいて、懸案の銀行にいって、ついにそろえ尽くした相続用の書類を提出したところ、まあだなんだかんだあいまいなことをいいやがるのでむかつきつつも書類一式あずけ、家にかえって仕事したけど身が入らず、梁塵秘抄など読みちらし、子どもらつれて「劔岳」でも見にいこうと思ったが子どもらなかなか帰らず、やっとかえってきたのは夕方で、暑さとうたいすぎでぐったりしており、3時間半で50曲うたって三人で1200円だったということで、アイスあたえてとにかく父のところに夕方の見回りに出かけ、きょうは映画にいくからとことわってそうそうに帰ってきたが子どもらはまだぐったりしているので映画はやめにして、父のところに相手をしにひきかえし、巨人勝ってるのをみとどけて、ステーキ弁当とからあげ弁当とビビンバ弁当とわかめごはん弁当をかい、子どもらの注文の「ポニョ」を借り、注文されてないが「マジックアワー」も借り、阿蘇の伏流水まんじゅうと、あしたの朝食用パンをかいもとめて、家に帰ったのである。とても蒸した日であった。
若人
2009年07月10日(金)
カリフォルニアからトメの友人二人(MとR、姉弟である)が遠路はるばるやってきて一週間ばかり合流する。かれらはあたしらと同じく、日本で生まれて育ったけど、アメリカに来て、日本に帰るつもりはとうめんない日本人家庭の子どもたち、アメリカで生まれた子たちなので、トメと同じように「アメリカ人」の意識をもちつつ、日本文化にどっぷりつかって生きている。熊本には祖父母のいる関西からやってきた。 ついてすぐ長崎ちゃんぽん、それから家に荷物をおろして熊本の街へ出かけて、このくそ暑い中を3時間歩きまわり、さらに父の犬を連れて河原を一時間歩きまわり、ものすごい体力である。 夜は近所のK子高校一年が学校帰りの制服のまま立ち寄ったので、同世代で話しこみはじめ、そこにK子妹のR子も加わって、ただの冷麦が冷麦パーティーになって、夜遅くまで盛り上がっていた。みんなよく自分の意見をいうすっきりした子たちなので、会話が、どんなおとなの夕食パーティーよりもなめらかにすすみ、もりあがり、みていてたいへんさわやかでおもしろかった。あたしひとり、テーブルのはじっこで、まっかな熊本トマトやあまくとろける熊本赤なすや熊本豚の冷しゃぶで、熊本工場直送の(かどうかわかんないけど)プレミアムモルツを晩酌してたのであった。ばばくさー。
やったらめったらむしあつい
2009年07月09日(木)
蒸し暑さにへきえきしながらかけずりまわっている。A井さんにあって、T尻さんにあって、B場さんにあって、番頭さんと電話で話して、I牟礼さんにあって、K二さんにあって、そのあいまあいまに、トメの夏服をかいあつめ、水着(スクール水着‥‥プール用。アメリカふうのいろっぽいビキニなんか着せて県立体育館に泳ぎに行かせられるかっての)とか下着とか買って(日本のティーンズ用プラはかわいい)、トメを県体や乗馬場(「乗馬を極める」がトメのこの夏のプロジェクト‥‥くそ暑いのに)に送りとどけ、迎えにいき、父の相手をして野球をみて、不振がつづいた坂本の本塁打に安堵した。 先日ブックオフで買って気に入って、おとな買いしておいた「センゴク」、これはおもしろい。さいしょは井上さんの影響の強い少年漫画という印象であったが、なんの、読み込むにつれ、巻がすすむにつれ、ものすごくおもしろくなってくる。なにしろ気に入ったのがいろんな文献からの参照、引用。じつによく調べてあり、読み込んであり、それをまたイキイキと引用している。古文がじつに美しくはめこまれている。「家族」ということばと論理で、あの時代のたたかう原動力をまとめているところは、なっとくできるようなできないような、感動はするのだが。 というか。 これは熊本にとどいていたので帰ってきてから読んでいるのだが、移動中は「仮往生伝試文」にむちゅうになっていた。つい漫画を読む。いけないことである。「仮往生伝試文」、マジですごかった。重たいのを運んできた甲斐があった。
東京
2009年07月07日(火)
いまはNちゃんちで時差ぼけで起きている。いったん乗り込んだアメリカン航空機が故障かなんかで突然キャンセル、降ろされて再スケジュールされたのが深夜発の大韓航空ソウル行きで日本航空に乗り換えて東京、それで12時間をトメと二人でLAX空港で過ごして独立記念日の花火も見た(窓から)。ソウル着は明け方の4時で空港はがらーんとしていた。そういうわけで昨日の仕事には遅れて、関係者各位にほんとにご迷惑をおかけしました。成田でできるだけ早く待ち合わせ場所に着こうとして走った。トメには「ついて来な」とさけんで先に走って切符買ったりして、10年位前にもこんなふうに子どもつれてさんざん空港を走り、空港で食べたり寝たりしたもんだ、となつかしく思い出した。あのころの子どもと子どもが違う。あのころ抱いて走ったのが、今は荷物持ってちゃんとついてくるようになった。たどりついたところでN村うさぎさん、O野あつこさんと。メークのUとみさんに「ちょっとふっくらした?」といわれてぎくりっ。ここんとこストレスにまけて爆食していたつけが、やはり回ってきたのである。そのあとNちゃんがトメを迎えに来てくれたのでA部さんのお宅へ。奥様としみじみと。ほんとにしみじみと。A部さんの写真とお骨に手を合わせながら、いろんなことを思い出した。お会いした最初の一瞬はいまでもきらきらひかって思い出される。それからK森さんとたぬきについて。Nちゃんちに帰ってトメの注文のからあげとNちゃんの仕事の残りの天むす。
もうすぐ暑いとこにいく
2009年07月03日(金)
あと二日でここを出るので秒読み。部屋はぐちゃぐちゃ。仕事はほうりっぱなし。頭のなかがうずまいてる感じ。きゃーーーーーーてなぐあいである。そしたらamazonの中古屋さんに注文したCDがぎりぎりセーフで今日とどいたが、題名同じで、ちがうやつが来た。ゲルギエフのチャイコフスキーの注文したのにジャズがきた。同じ題名(White Nightsというありがちな名前だ……)で同じようなロシア名の人の演奏なので、しかたがないとは思いながら、あーあである。日本は、熊本も東京も、みんなが暑い暑いというので行く前からうんざりしている。たんすをひっかきまわしたらここ数年のうちに買い集めたらしい、薄物の、はおるものが、何枚も何枚も何枚もでてきた。下にタンクトップとか着て、おばさんなので肉体の線を隠したいので、その上にはおるものである。「あっすずしそう」と思うと、矢も楯もたまらず買ってしまうんだと思う(自分でも意識しないで買ってた)。まるで、一時期の母みたい。ねたきりになって入院する前の母はちょっとぼけかけていて、冷蔵庫をあけると、マーガリンがずらりと並んでいたし(ほとんどそれだけだった)、台所の戸棚にはしょうゆがずらり。入院した後、洗面所の戸棚をあけてみたら、下地クリームがやはりずらり。それはありがたく使わせてもらった。資生堂のけっこう高いやつだった。きっと同じ無意識のなせるわざだ。しかしこれだけ無意識を動かすとは、ここんとこの夏の暑さがこの身によっぽどこたえていたにちがいない。と他人ごとみたいなことをいってるが、じつはほんとにこたえていたのである。そこに身を投じるのがものすごくいやなのである。
観音経偈とMシ
2009年07月02日(木)
観音経偈が訳しおわった。Dと、やっとふたりだけでごはんを食べた。Dが、こんなのをみつけたといって、このあいだ亡くなった夫のMシとあたしがうつっている写真をくれた。二人とも若かった。あたしはDに、黒い皮財布をプレゼントした(Dはもう国に帰るので、そのおせんべつ)。渡しながら以前、クリスマスの前に忙しくてきゃーーーっとなっていたMシに(Mシはいつもきゃーーーーっとなっている男であった)Dにまだクリスマスプレゼントを買ってない、悪いけど買ってきてと頼まれたことがあった。それはイブの日で、あと一時間でお店はぜんぶしまるというときで、指定された黒い皮n條の母みたい。ねたきりになって入院する前の母はちょっとぼけかけていて、冷蔵庫をあけると、マーガリンがずらりと並んでいたし(ほとんどそれだけだった)、台所の戸棚にはしょうゆがずらり。入院した後、洗面所の戸棚をあけてみたら、下地クリームがやはりずらり。それはありがたく使わせてもらった。資生堂のけっこう高いやつだった。きっと同じ無意識のなせるわざだ。しかしこれだけ無意識を動かすとは、ここんとこの夏の暑さがこの身によっぽどこたえていたにちがいない。と他人ごとみたいなことをいってるが、じつはほんとにこたえていたのである。そこに身を投じるのがものすごくいやなのである。
観音経偈とMシ
2009年07月02日(木)
観音経偈が訳しおわった。Dと、やっとふたりだけでごはんを食べた。Dが、こんなのをみつけたといって、このあいだ亡くなった夫のMシとあたしがうつっている写真をくれた。二人とも若かった。あたしはDに、黒い皮財布をプレゼントした(Dはもう国に帰るので、そのおせんべつ)。渡しながら以前、クリスマスの前に忙しくてきゃーーーっとなっていたMシに(Mシはいつもきゃーーーーっとなっている男であった)Dにまだクリスマスプレゼントを買ってない、悪いけど買ってきてと頼まれたことがあった。それはイブの日で、あと一時間でお店はぜんぶしまるというときで、指定された黒い皮のスケジュール帳は買えなかった、それをDに、黒い皮財布を渡しながら思い出した。それでやっと、数年前のMシの頼み事を完遂したような気がした。それからDとさんざんMシの話をしてわかれた。そしたらあたしはMシの夢をみたのである。明け方にNちゃんからの電話で起こされた。それまでその夢をみていた。Mシは若くて、ティムロビンスみたいに立っていて(本人はぜんぜんティムロビンスに似てないが、でもそれはMシだった)これから死ぬので、最後の時間をDと子どもたちと過ごすのだといった。それであたしたち(うちの家族もそこにいた)はみんなでMシをハグして、じゃーね、ありがとう。ほんとにたのしかったといって、Mシが家族と部屋に入っていくのをみおくった。NちゃんとD、Mシは、しりあいなのである。黒皮財布をわたしながら、あたしもむかしNちゃんがくれたお財布をずっと使っていて、財布をあけるたんびにNちゃんに守護されているような気がするとDに話したのである。でもNちゃんにそのときは夢の話をしなかった。電話をきってまた眠ったが、またMシの夢のつづきをみた。でもそれは覚えていない。他人にいうとつくり話だと思われそうな夢である。きょうになってNちゃんには話したが、信じてくれた。Nちゃんはこないだ日本にきたDとあっているが、Mシはまだそのときかろうじて生きていた。Mシが死んだってあらためて気づいたとメールにかいてきた。
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