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逃避…聖書のことば

2014年05月24日(土)

前々回の日本行きで、岩波文庫の『文語訳新約聖書』をかひもとめ、昔、初めて読んだ聖書というのは父の持ってたやつだから、たぶんコレ。で、読んでいるうちに、このことばはどこから来ているものかものすごくものすごく気になったのである。なんか違う、江戸とは違うし、鷗外とも違う。鴎外の翻訳のことばがどこから来ているのかもずっと気になっていたけど、聖書はもっと古い。そしたらこないだベイエリアで、Jが『聖書の日本語』(岩波書店)という本がおもしろいと教えてくれた。それで今回の日本行きで買ってきた。で、鴎外そっちのけに読んでるがすごくおもしろい。最初の「明治元訳」(1879年に翻訳しおえた)は中国語訳聖書からの影響とともに、『親鸞聖人御一代記』『童蒙をしへ草』(福沢諭吉訳1972年)と貝原益軒(1630-1714)の文章をモデルにしたんだそうだ。親鸞聖人御一代記はみつけられなかった(蓮如の一代記はみつかった)、をしへ草はみつけた、でも他の福沢諭吉(1835-1901)をいろいろ読んでみると、『西洋事情』(1866〜)『学問のすすめ』(1872)おおっコレコレというような明治元訳聖書の日本語への近しさを感じるではないか。諭吉は、明治初期ないしは江戸末期に共通する話し言葉的書き言葉を使ってたのかもしれない。諭吉による造語もいっぱいあるようだ。鴎外より27年も早く生まれて、もっとずっと早く外国語と格闘し始めた人だ。鴎外、黎明期とばかり考えていたが、諭吉はもっともっと暗闇の中だった。ああ、あたしもこの時代に生まれたかった。手探りでことばを作り出す。この時代の人たちはみんな明治元訳聖書みたいなことばでものを書いていたのかもしれない。他に誰がと考えたが、龍馬は青空文庫に入ってない。勝海舟はくだけすぎている。榎本武揚どうかと思って青空文庫をさぐったら、なんと鴎外の本の跋文書いてるが、漢文だったーーーーー。てなことしてないで、さー仕事仕事。

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