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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

つれあいと向かい合って仕事

2014年04月07日(月)

せっかく仕事机が二つあるアパートメントを借りたというのに、食卓で仕事しているあたしのそばにつれあいがコンピュータをもってきて仕事を始めた。食卓は大きいので、居心地がいいとみえる。あっちいけとはいえないし、あたしのものはあたりいちめんに放り出してあるのであたしが動くこともできず、向かい合ってもう数時間。あたしはなかなか集中がつづかずに、YouTubeで音楽きいたり、なんか検索したり、メールしたり、ブログかいたり、貧乏ゆすりしたり、水のんだり、チョコ食べたり、ときに踊ったりしてコマ切れに仕事するのだが、つれあいはがーっとやっている。小さいラップトップの上におおいかぶさって、ぶっとい指でうちにくそうに打っておる。ラップトップ使いにくいといって、わざわざマウスを持ってきたけど、結局使ってないようだ。コンピュータの専門家のくせに、ものすごく使い方の要領が悪いので、家族はいつも笑っている。でも今は、自分のプログラムをなんかしているらしく、要領のいいわるいや指の太い細いは関係ないのだと思う。昔、カリフォルニアに来たばかりのとき、彼の仕事机のとなりで仕事していて、その集中度がうっとうしく、息が詰まるようで、別の部屋に仕事場を作って離れたのである。ひさしぶりに見ていると、前より集中度が気にならない。慣れただけかも。ときどき、「あっ」とか「はっ」とか声を出して驚く。首を左右にふったり、顔をしかめたりもする。どうかしたかと最初は聞いていたが、もぐもぐ答えているつもりでことばにならないで、また集中していく。足腰はこんなに衰えて10メートル歩くのがやっとで、全身の関節はつねに痛んでおり、身動きするたびにため息をついているというのに、こうしてみると上半身の動きはあんまり変わらない。性格も、前からもってる因業さはさらに濃縮されて、物忘れと攻撃性は強まっているが、まあ本質的には変わらない。さぞやもどかしいことだろう。どんどん見えなく聞こえなく動けなくなっていく自分に向かい合うということは。そして死がすぐそこにあって、とりあえず健康体でいながら、つねに「おれが死んだら」と考えねばならない、しかもかなり具体的に、ファンタジーとしての「死」ではなく。(あ、読んでくださってるかたがた、コレ、なんかのためのメモ書きなので、どうかお気になさらず)

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