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ベルリンフィルと時差ぼけ

2013年12月04日(水)

時差ぼけでゆうべは一睡もできず、朝の10時ごろにアレルギー薬(スイミン薬のかわり)をのんで寝たら夜の6時すぎまで起きられなかった。陽の目を見ない地下生活者のようだ。飛び起きてベルリンフィルに行ったが、当然ながら5時のズンバは行かれなかった。Potsdamer platzで降りて歩いて行ったが、建物も人もクリスマスツリーもいっぱいで、なかなか方角がわからなかった。でも通りすがりの親切な人に教えられたとおりに歩いているうちに、向こうに見覚えのあるベルリンフィルの建物が見えた。Potsdamerplatzは町の要所で、前にもここに来ている。やっと記憶と地図が重なり合った感じだ。ピアニストはIgor Levit 若いにいさんと思っていたらおっさんぽく、後頭部は薄くピアノにおおいかぶさる背中は厚くて丸かった(つまり後ろ上の席をとったのでそればかり見ていた)。最初のは蛇口から水だしっぱなしにしたようなバロックで、げげと思ったが、3曲目のジェフスキはよかった。「北米バラッド」2だ。ジェフスキ、こうしてきくとミニマリズムな感じがよくわかる。そしてそれをきいたあとでは次のワグナーのリスト編曲のなんとかなんて、ろまぁんーーーって感じで力がたわまずに流れていってしまうのが気にかかる。不安にすらなる。イゴールくんはジェフスキを弾きながら足をふみならした。それから力をこめて終わった。
帰りがけにスタバみたいな店で、ケーキ買って帰った。ひとつはマーモクーヘンだった。甘くなくておいしかった。Monsterで殺しやの男がいつもたべていたアレである。ドイツ風のケーキをたべると、昔よんだ、好きだったヘッセの短編で、ケーキがすきで、食事にもケーキを食べる男の話を思い出す。きょうも思い出したが、今日も、そこしか思い出せない。題もすじもなんにも思い出せない。昔の新潮文庫の、水色の表紙の高橋健二訳だったはず……。しかしこれだけ甘くないなら、食事代わりに食べられるし、毎朝食べようという気にもなる。アメリカのマフィンやなんかとはずいぶん違う。
行きの地下鉄の中で、中高校生くらいの男の子たちがどやっと乗ってきて大声でしゃべっていた。たいてい黒っぽいジャンパーみたいのを着て、スニーカーで、にきび面で、髪はリーゼント崩れの子が多くて、だらだらとしたしゃべりかたをした。でも泥まみれの子犬の群れみたいでかわいかった。中年のパンクな格好の女が引率者らしく、男の子たちを見守っていた。帰りの地下鉄の中もまた若い男の子でひしめいており、周りの話し声をなんとなく聞いていて、ドイツ語ってのは口をとじないでしゃべるのかなあ、よだれがたれないのかなあという感想を持った。つぎの駅でぞろぞろ降りていったのだが、行きに見かけた引率の先生がそこにいて、同じグループにまた行き会った、あれは思春期少年特有のしゃべりかただったのだと知れた。
家に帰ったら昼間返信してなかったメールがいっぱい、早く返信しろ、という催促もいっぱい。なにしろ携帯がないから、メールでやりとりしないと人と連絡がとれなくて、みんな困る。あさってからボンにいくが、その切符がなかなか買えなくて困っていた。わけわからないのだ、どの駅に行けばいいのか、どの電車を買えばいいのか。Iさんの秘書に泣きついたら手配してくれかけたが、印刷したやつを明日とりにいかねばならない。そしてあたしは、あしたも一日、うちで何のしばりもなくリラックスしていないと、眠れなくなるんじゃないかと思って、駅で買うことにした。

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