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       父と蜘蛛の糸 
        2012年03月01日(木) 
         2月半ばにこっちに帰ってからというもの、ずーーーっと、父に電話してもろくにしゃべることができない。無意識の不機嫌さに、めんくらってしまう。しゃべれないのは、ほんとに彼のいうように機能的なおとろえなのか、不機嫌だからか、怒りのせいか、わからない。「耳がわるくなって、つまったようになって、あんたの声がきこえない」と父はいうが、「手の力がなくなって受話器をもってられない」ともいうが、声もよれよれ、会話もとんちんかん、電話はうまく聞こえないそうだし、すぐ疲れたと、もういいだろというし、なんだかほんとに電話するのが苦痛である。ミシガンにいたとき、あんまり電話しないのもなんだから、スカイプを設定してやっとしゃべれるようにして、電話してみたら、自分の用だけいって(駐車場の件で問題があった)すぐ切ろうとした。おとうさん、あたしはおとうさんがどうしてるか知りたくて電話したのよ、といっても、聞く耳をもたない。などということをぜんぶ、悪意、とまではいかないが、怒りや不満の表出とみるからいかんのだよ、それはぜんぶ老いの衰えのダダ漏れにすぎないのだよと、思おうとするが、やはりそこはなかなか思えるものでもない、そして思えないという事実がとても辛い。あー電話したくない。やはり電話というのは楽しさがあるからできるもので、毎日毎日ああもけんもほろろじゃ、まったく苦痛でしかない。しかしそれでも、電話しないわけにはいかない。しゃべらないわけにはいかない。蜘蛛の糸みたいな感じがする、父は罪人、あたしはかんだた。 
        
      
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