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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

たどりついた

2010年12月02日(木)

大阪から帰ってから、丸一日熊本にいて、走りまわっていた。それから朝早く起きて、羽田、成田、LAX、そして小さい最寄り空港、と渡り歩いてほんとにぼろぼろ。帰りついて、気分が悪くなり、吐いて、寝込んで(18時間ねた)、起きた頃、DアンとJリーが感謝祭の残りを持ってやってきて、いっしょに食べたけど、あまりのあぶらっこさに「う」となった。今のコンディションで食べたいのは、梅干し添えのにゅうめん(枝元なほみレシピ)なんである。LAXの空港では、3時間半も待ち時間があったので、原稿を手直した。持ち歩くコンピュータはこっちで買ったラップトップなので、キイボードをつながないとかなうちができない。つまりいつのまにか、ローマ字うちで、原稿かけるようになっておった。感動である。帰ってみたら、大きいコンピュータのメールソフトが調子悪くなっていたので、今までのMacの MailからThunderbirdというのに変えた。熊本にいた最後の数日からこっち、ぜんぜんメールの返信ができていないのは、そういうわけだ。父に電話して、具合悪いといったら、「いつものことだから」とさらりと。がちょーんとなったが、さっきH田に、メールで同じことを言われた。そうなんだ。一時がまんすればまた元気がもどる。

大阪と伯母と叔母たち

2010年11月29日(月)

大阪に出前。大阪女性文芸協会のO川さん、みなさん、ありがとうございました。ふぐの白子おいしゅうございました。ヤングコーンの串カツもめっちゃおいしゅうございました。わに肉もジューシーでした。宇治のY子さん、カリフォルニアのY子さん、そしてRさんと再会をはたした。翌日には、つまりきのう、M子さんともT村さんとも再会をはたした。それから伯母たちのところに行った。伯母はこのあいだ(9月)よりはよくなっていて、病室に入ったとき、あたしを見て一瞬ぱっと笑った。それからまたぼんやりしたが、耳元で「ちゃーちゃん」(子どものころからそう呼んでいた)と呼んで、「あたしよ」というと、「しろみちゃん」といった。それまでちゃんと受け答えしていたのに、施設にうつらなければならないから荷物を片付けるよといったら、「わかんない」といった、意思表示だと、伯母の世話をしているいとこ(叔母の息子)はいった。叔母たちは元気だった。このごろこの叔母たちに会うのがむちゃくちゃなつかしい。帰りはびーぐるの詩祭に遊びに行き(みなさんおじゃましました)ヤスとハグして、熊本連詩の相談をして、いとこたちに空港まで送ってもらった。きょうはゴミを出して、I牟礼さんにあいにいって、父を養って、荷造りして、原稿送って、一日をおくる。婦人公論ではじめる新連載の声がやっときまった感じだけど、長丁場だからまだいくらでも変わだろうと思うと、怖くてなかなか送れずにいる。

ハノイと大阪

2010年11月26日(金)

しめきりでひきつっていても父はごはんを食べるのだ。きのう、I芹さんたちをハノイへ送り出す送別会だった。ハノイ行きたい。あした、「女が書く──更年期と老いと死をみつめて」というタイトルで、話をして朗読します。14:30から。大阪のドーンセンターで。この頃のマイブームは「ラニーニャ」なんですが「とげ抜き」かなあと思ってます。おいでをおまちしています。

Read Cafeと好信楽とカラスウリ

2010年11月24日(水)

きのうは太宰府インター付近が工事中で渋滞ということで、泣く泣く電車で博多にいった。そして薬院大通のRead Cafeで、三角みづ紀ユニットとトークと朗読と演奏。それからF枝さんが歌づけしてくれた「般若心経」をSやかちゃんの声とオルガンで。それから「般若心経」を朗読して、「ライブ万事OK」。Read Cafe、T島さん、M角さん、F枝さん、来てくださったみなさん、ありがとうございました。それにしても、いつやっても楽しくてやりがいのあるのが「ライブ万事OK」。いろんな悩みを聞いた。それに答えた。定期的にやりたい。Read CafeはStarPoetsGalleryのような至近距離だった。至近距離で、人の悩みに触れた。これは、すごいことだ。もちろん、笑いながらだけど。
きのうは薄着で出かけてしまって、電車の中で寝くたれて博多についたら、ものすごく寒かった。しかたがないからそこらの服屋に飛び込んで羽織るものを買った。こないだY子さん(更年期の先輩)に、(ほてりのひどいときは)薄着しすぎて風邪をひくといわれたけど、ほんとにそんな感じ。Read Cafeのあと、好信楽によった。N田さんK枝さん、ひさしぶりだった。きのうはRead Cafeの手打ちパスタについ目がくらんで食べてしまったので、好信楽の非馬肉メニュー(これがうまい)は注文できなかった。残念である。バタ焼きこんにゃくしか味わえなかった。うまかったけど。行きの電車の窓から見たのは、からみついて枯れかけているヤマイモとカラスウリであった。いみじくもRえさんがRead Cafeにもってきてマイクにからみつかせてくれたのは、そんなような、枯れかけて実のなったつるくさだった。

2010年11月22日(月)

転戦して熊本。雨は雨で、父は父だ。イチョウは終わりかけ。今日は獣医と銀行だ。コンピュータのバッテリーも調子悪いので買いに行く。カリフォルニアも雨だそうだ。雨ってすごい。降ると濡れる。濡れて潤う。

きのうはゾンビだった

2010年11月20日(土)

おととい疲れすぎて、きのうはぼろぼろであった。でも朝はF子先生のところにホルモンもらいに行ったし、お昼はK地さんに会って装幀のことをいろいろ聞けたし、午後はEやKやOさんたち若い詩人と会って楽しかったし、夜はR子さんと再会し、いろんな人との出会いもすごくおもしろかったのである。が、さすがに8時すぎたら、ゾンビになった。建物の中も電車の中もくそ暑いので、脱いで脱いで、Tシャツ一枚なのはあたしばかり。汗だくになって東京から横浜へ行った。横浜へ着いたときには我が身の汗臭さに堪えられなくなり(基本的に体臭は大すきなのに)コンビニへ駆け込んで制汗剤を買った。

詩人の聲(StarPoetsGallery)

2010年11月19日(金)

きのうの「詩人の聲」於三宿「StarPoetsGellery」おもしろかった。いや、やった本人がいうのもなんだけど、そしてもしかするとそれはやってた本人だけで、きいてた人は飽きてたかも知れないけど、本人は1時間あっという間だった。もっとやりたかった。声がどんどんでた。目の前の他人たちからは不協和音はきこえてこなかった。どんどん行けた。演技はできないが発声ならできる。声がいつもあたしのそばにいて、待っててくれた。行きたいと思う方向に、あるいは思ってもいなかった方向に連れて行ってくれた。そういう感じは詩の朗読の時にはちょくちょく起きるが、きのう読んだのは、いわゆる「詩」じゃない、「散文」、「ラニーニャ」と「おっぱい」なんである。T童さん(この連続朗読会を企画した人)が「聲をうちこめー」などど女子バレーの監督みたいな声で女子バレーの監督みたいなことをいつもいってるが、監督、一理あるかも。というか、昼間さんざんN川さんと「さとり」とはなにか、道元は座禅といってるけど、それはなにかと話していたのだが、座禅でえられるさとりってもしかしたらこういうものか。もしそうだとしたら、そうぞうしいさとりではある。

ついた

2010年11月18日(木)

きのうは4時すぎについて外に出て荷物を預けて西荻へ。機長アナウンスでは東京は8度ということだったが、まあ、こんなもんか。西荻の駅前でY介くんが待っててくれてほんとに助かった。善福寺川に落っこちずに済んだ。H田の朗読をきいてNこの家へ駆け戻る。あうはずだった縁戚Nとはすれ違いだった。で、Nこのつくってくれたれんこんのやいたのやたまごやピーマンを食べながら1時すぎまで、老いた親について親鸞にちて食べ物についてしゃべっていた。飛行機おりたてのあたしとしては、画期的なことだ。H田の朗読は奥が深かった。

ゲルの解体と朗読会

2010年11月16日(火)

ゲルの解体、ゲルの解体。忙しくてコンピュータの前におられません。では買い物にいってくる。twitterだな、まるで。
そうだっっっ。もう書けなくなっちゃうので。
またお知らせ(前にもかいた)。twitter みてない人のために。

朗読です。天童大人企画「詩人の聲」第569回
11月18日午後7時から
三宿のStar Poets Galleryにて。

ひさしぶりのStar Poetsでちょっとわくわくしてます。
詳しくはここのHOMEみてください。

ゲルの解体とまぐろと詩人

2010年11月15日(月)

あと二日で移動なのでむちゃくちゃ忙しい。仕事で忙しいとかいってたきのうとかおとといなんて目じゃなかった。犬のかんづめはなくなってるし、出さなきゃならないゆうびんはあるし、銀行にはいかなきゃならないし、洗濯物はたまってるし、まだいろいろとしとくべき買い物はあるし、毎回毎回どうしてこうもゲルの解体と移動がたいへんか。こんなにたいへんではモンゴルの人たちはおちおち暮らしていられないではないか。つまりあたしは、モンゴルの人でもまぐろでもくじらでもなくて、ねっからの定住農耕民のくせにこういう遊牧民のような、回遊魚のような生活を、営んでおるから適応しないのである。今回は日本に帰りついてもしばらく放浪するので、なんだかとっても落ち着かない。片づけなくちゃいけない仕事は、最後のひとつを残してほぼ制圧した。ところがこの最後が。某所に詩をかいておる。某手帖とか某イカとかなら気楽(まだ気楽という比較級)、いくら長くなってもどんなに逸脱してもOKだ。でもここは、字数も行数も制限がある。短い詩は、S匠に言われなくとも苦手である。その上、なんとなくこっちにも「詩」みたいのを書かないと、という意識がある。その上いつものことだが、書き方をすっかり忘れておる。この「『詩』みたいの」という意識は、まったく、詩を書く上での、なんというか、がん細胞みたいなものなのである(いや比喩としては最低、だってがん細胞のことなんて何も知らないので、ことばを使った気がしない)。しかし、いやしくも詩人が、詩を書いているという状態は、なんかとってもfestive!  お、英語なまりが。

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