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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

すぎたことだが

2014年09月02日(火)

つらつらと考えるに、なんでこんなに書けなかったかというと、やっぱり始まりが準コピペだったというのが大きいと思う。つまり「女の一生」ならずっと書いてきたわけで、『良いおっぱい悪いおっぱい』『おなかほっぺおしり』『おなかほっぺおしりふともも』『おなかほっぺおしりトメ』『おなかほっぺおしりコドモより親が大事』『伊藤ふきげん製作所』『あのころ、先生がいた。』『とげ抜き』『女の絶望』『万事OK』『読み解き「般若心経」』『閉経記』『父の生きる』。ああ『あんじゅひめ子』も『ラニーニャ』も『家族アート』も『河原荒草』も『青梅』も……ぜんぶ「女の一生」、生涯いち「女の一生」。曲もなや。
最初は『女の絶望』のフェイク江戸弁書き直して標準語にすればいいんじゃないかと考えていたのにできなかった。やっぱり一回書いたことは発想しにくかった。想像力が足りないよってやつである。(谷啓の声をお借りしました……スイマセン古くて。しかもオリジナルはタンパク質だ)。で、書き始めたら書けるようになったのはいつものとーりだ。で、書けるようになったら自分の声が出てきた。なんでコレがあと3か月早くできなかったのかと今回ばかりは自分を恨んだ。それにつけてもありがたいのは岩波のUさんで、叱りもせず、動揺もせず、粛々と待っててくれた。最初は8万字とかが目標で、すごく遠く感じられ、いちばん字数少なくいちばん薄くといっていたのが書きすぎて、けずらねばならなくなった。まるで「マシニスト」で痩せた後「バットマン」で元に戻さねばならず、がんばったら太りすぎてバットマンスーツが入らなくなったクリスちゃんみたいだった。
しかしおかげでいくらCDに費やしたか。机の上の山また山、半分はCDだ。この頃オペラのDVDを買って画面のすみっこに小さく出して見ながら仕事ってな荒技も開発した。好きな声が聞こえるとさっとそっちを見るのだ。で、Monsterを箱で買ってチェイン・ドリンカーというやつ。部屋のすみの紙袋にどんどん空き缶がたまっていくのが怖かった。人にもらったとらやの羊羹は食い尽くした。あとはチョコレートと生卵。ズンバは一ヶ月以上行かれなかった。Mのクラスさえも! そんな余裕すらなかった。ああ、末期的な作業光景であった。さー過ぎたことを考えてないで、山椒大夫山椒大夫。

へろー もう9月 近況

2014年09月02日(火)

いやー、今回ばかりは危機だった。岩波新書の『女の一生』9月末刊行。
サラ金借りまくっていた零細町工場のおやじが闇金に手を出して、返せなくて、おっさんいっぺんコンクリのブーツはくかといわれているような状況と、人には説明していたのだが、ほんとなんである。それで番頭さんからは「詩人くん」と呼ばれていた……わかる人にはわかるジョーク、ともいえない切ないジョーク。で、それが終わったんです。とにかく3月には終わらす、といってたのが4月になり、5月になり、厳戒態勢を敷いて(つまりほかの仕事みんな滞らせて)6月末には絶対何がなんでも、と言ってたら、なんと終わらず、というかろくに始められもせず、あたしも焦っていたけど、担当の岩波書店のUさんの心や如何に……。さらなる厳戒態勢で、何もかも打ち捨てて、7月に突入した頃にはなんとか書き始めていたのであるが、どう考えても9月半ばはムリなので、刊行を9月末に遅らせてもらい(このあたりで「おっさんコンクリのブーツ」的心境であった)、しかし7月は大移動で、書き仕事なんかしてられないくらい立ち仕事が入っていたのに、とにかく書きながら移動をつづけた。7月末に東京で平凡社のOさん(平凡社の新書編集部にいた)に「いま、こんな状況なんですー」といったら「ああそれは無理だ」と断言されて、心底びびったのであった。その直後に会ったUさんの顔が心なしかひきつっていたのを忘れられない。しかしその日は、同じ岩波から出した『木霊草霊』の販促講演会だったので、つい、Uさんも交えて、「ほんとはこんなことしてられないんですけど」と言いながら、遅くまで飲んでしまった。で、8月のアタマにこっちに帰り、すぐにバンクーバー、これはつれあいの講演であたしはただの車いす押し係だったので、ホテルにこもりっきりで書いた書いた書いた、バンクーバーでほぼ書き終えて、カリフォルニアにもどるとすぐ、どばしゃーっとゲラが来て、ゲラ見は早い、直して返してまたゲラが来て、直して返して、そのあいだにイラストを必死で描き、ここんとこイラスト仕事はやってなかったから、筆がなまっており、画材も散逸しており、画材屋に走りこんで、たった8枚描くのに、イラストレーター開業できるくらい買い直し、描きあげ、またゲラが来て、直して返して……もうあと、やるべきことはほとんどない。ああ、ほんとにUさんには迷惑と苦労と心配をおかけしました。で、そのために滞っていた他の仕事の中でもいちばんコワいのが、Getty Museumに頼まれていた石内都論、これはこれでなかなか書けず、というのも英語で提出というものだから、何枚かいていいのか見当もつかず、英語文化の中での書き方がわからず、しかも頼みの綱のJがヨーロッパの奥地に巡業中で、連絡がつきにくく、S(実はこの人は翻訳家修行中)に頼むことにして、でも、あんまりあたしが遅いもんだから、ついにGettyのキュレイターが怒っちゃって、怒りのメールを英語で寄越し、怖かったのなんの。それはSに助手のふりをしてもらって、手紙の返信かいてもらい、翻訳してもらい、送ってもらった(もう自分では返信したくないほど怖かった)ってなことを2度ばかりくり返して、昨日仕上げた。で、今日、残っているのはあとすこしになり、今は必死で平凡社の説経節やっておる。これもまたOさんの温情で、ほんとはもっとがばりとやらなくちゃいけないのを少しずつでいいことにしてもらい、延ばし延ばしにしてもらっていたのであった。今は山椒大夫の途中、厨子王が逃げていくところをやっている。

虫心

2014年08月04日(月)

クモ恐怖症のトメが、クモ恐怖症について調べようとしたら、どのサイトにもかならずクモの写真があったり、動画があったり、クモが卵から孵るところがあったりして、怖くて見られないから、なかなか調べられないとぼやいていた。クモ恐怖症に悩む人がそういうサイトを見ることも多いはずで、それは明らかな戦略間違いではないかとトメは言うのである。あたしは怖くない。
ニコのお腹が短く刈ってある。トメがノミ取り用に刈り上げた。往年の夏のルイみたいである。刈ったとこはピンク色なのでノミがすぐみつかる。きのうは指でやっていたが、トメに毛抜きを買ってこさせたら作業がすごく楽になった。道具とはなんとすばらしいものだろう。つまんで水に漬ける。潰しては卵が散乱することがあるそうだ。しばらく動いてやがて死ぬ。もう朝から20数匹、取っても取ってもまだ取れる。そのうちノミたちに「おなかのピンクのとこと白い毛のとこはだめだ、黒い毛のところに逃げろ」という知恵がついてくるんじゃないかと恐れている。

カリフォルニア

2014年08月03日(日)

たどりついたら、今は雨降り。空港も濡れていた。うちの周囲も濡れていた。そして今まだ降りつづいている。滴っている。おどろくべき湿気である。日本のあの暑さはないものの、一難去ってまた一難。何もかもべとべとしている。
ルイはいなかった。どこにも、影もかたちもなかった。ルイの寝ていたベッドもなかった。ニコは全身の毛を短く刈り取られていた。ノミがひどいそうだ。犬や猫が死ぬとノミが蔓延する、何回も繰り返してきた。ニコはあいかわらず、わたしのひざに乗り、いっしょの椅子にすわり、甘えてくる。前はそれをじとっと見ているもうひとつの、もうふたつの、存在があったが、それはもう無い。ニコだけを、思いっきりかまっていられる。
机じゅうに留守中の郵便物がつみあげられており、注文したCDがいくつも届いていた。コープランドとアイヴスの歌曲、サミュエル・バーバーの歌曲(これはJに勧められたので日本にいたとき注文した)、グルダのベートーベンの110と111入りの、それからROHの魔笛、これはあたしがさんざんYouTubeで見たやつの完全版。これはカノコからの母の日のプレゼントが遅れて届いた。もしかしたら誕生日の早渡しかも。

ルイ大往生

2014年07月25日(金)

朝、例によって見回りに行ったSから電話があり、「きょうだめかもしれない」と。それで覚悟はしていたのだ。むこうの11時ごろ、こっちの3時ごろにトメから「ルイ死んじゃった!」とメールが入り、Sからも入り、それを聞いたカノコからも連絡が入った。タケと同じくあたしの部屋で寝ていて死んだそうだ。13歳。よく生きた。「おじいちゃんとおばあちゃんに会ったら、『おじいちゃん、自分はアメリカに行ったよ。英語覚えたよ』って自慢できるね」と言ってSが泣いた。

早朝のルイ

2014年07月24日(木)

Sからメールが来た。
「今朝、うちに寄ったの七時過ぎだったんだけど(仕事行く前だったから早かった)、二階にあがったらまだしーんとしてて、Hの部屋覗いたらHもルイもまだ寝てて、外はすごく明るいから白い光が差してきている中で仰向けで手をお腹に置いたまま寝てるHは死んでいる人みたいだった。で、床を見たらルイも少しも動かず横たわっててやっぱり死んでる犬みたいだった。トメ起きてるかなと思ってトメの部屋にのぞきにいったら、ぐっちゃぐちゃの暗い部屋でやっぱりまだ寝てて、でもその姿はどう見ても生きてる人だった。生気がむんむんとしていた」
と書いてあった。ちょっと感動した。(Hはつれあいのこと)

ルイの命

2014年07月22日(火)

ルイの命が終わろうとしている。カリフォルニアで、それをトメとSがみつめている。もう2日も何も食べず、ただ眠っているそうだ。

温泉なう

2014年07月11日(金)

温泉なう。しかしつらつら考えるとへんなとこである。熊本の阿蘇らへんの(コレ熊本弁)温泉は、ほんとに山の中にある。いきつけの地獄温泉も、ちょっと遠いからなかなか行かれないがいつも行きたい小田温泉も満願寺温泉もあんなに都市化した黒川温泉でさえも、山の中にある。露天風呂はその山の中の風情をそのまま切り取ったものだ。へたすると猿も入る。植木あたりの日帰り温泉も、山の中でなければ田畑の中で、濃厚に牛馬のニオイがする。湯田温泉は市街地で、地理はよくわからないが、空港から高速やら国道やら乗り継いでどんどん行くと市街地に入り、そこがいきなり温泉街だった、つまり林立するホテルや旅館はどれも市街地にある。で、露天風呂も市街地のど真ん中にできている。たとえばこのホテルの露天風呂の周囲は建物でただその囲いの中に植え込みがあり、山の中の風情をかなり強引につくりだしている。昔行った伊香保温泉も、山の中なのに、そこだけ温泉街として市街地になっていて、あたしたちの泊まった旅館もすっかり密閉されたつくりで、その中に、小さな野趣がかもしだされてあった。天草の温泉旅館もそんなふうだ。古くからあるところはとくに、海の真ん前なのに、海に向かって開くというより閉じて、露天の小さい囲いの中に仮の自然を作り出してみせる。で、ここもまったくそうなのだ。なんだか日本伝統文化芸能の根本ではないかえと、非日本文化の人間みたいなことをつらつら考えながら、朝湯であった。

万年筆

2014年07月10日(木)

午前中は中也記念館で、次の展示に使う直筆の中也関係文書の制作、と思っていたら、午前中でおわらず、2時半までえんえん5時間かかってしまった。ペンの替え芯は2本使い(つまり3本近く)原稿用紙の束は1束半使い、手はごわごわ、書けども書けども何にも見えてこなかった。たいへん苦しかった。筆記用具はこの日のためにかいもとめたパイロットの万年筆の太字である。書いたのは「とげ抜き」の「道行きして病者ゆやゆよんと湯田温泉に詣でる事」の部分。終わってほっとしたと思ったらJ来る。

着るものと卵

2014年07月10日(木)

いつものことだが、今回は夏服、つまりカリフォルニアのふだんぎなので、とくに感じるのは、あたしが小汚いおばさんであるということだ。いちおう、きれいな服は買ったにもかかわらず、機内でリラックスをこころがけて、ふだんぎのまま出てきちゃったわけだが、ふと鏡にうつる我が身の小汚さよ、父は、これを見て、いつも「あんたは小汚い」といってたのだなあとしみじみ思い返した。このごろは、布類(スカーフとかマフラーとかストールとか領巾とか)もつけてない。昔は大好きでいつも巻いていたのに、ある時期からかなぐり捨てたのである。空港を渡り歩くときにからまったりずり落ちたりして不便だからなのと、更年期に入ったとき暑くてたまらなかったのが原因だ。もうその時期は過ぎたはずなのに、今はズンバのせいで(おかげで)ジーンズに戻り、そしたら全体的に昔みたいな小汚い格好にもどってしまった。そうだ、世代だ。ヒッピーの末裔だ。70年代、みんなこんなふうに小汚かった。ただそれを自分のアイデンティティにしているだけだ。
アイデンティティといえば、ゆうべ、コンビニで味付け卵を買って食べた。マズくはなかったが、このごろこの手のフォーミュラ味というのか、企画的な味を食べたいと思わないのである。だからランチパックも買わなかった。バナナクリーム味があったのだが。今朝はホテルの朝食に温泉卵がついてきた。生卵もつけてもらった。生卵が好きだといったら、これから4泊、毎朝生卵にしてくれるそうだ。湯田温泉のホテル松政、さいこーである。てなことを卵友のH松さんに話そうと思った。

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