中沢けい公式サイト 豆畑の友
ホーム プロフィール・著作リスト 中沢けいへの100の質問 中沢けいコラム「豆の葉」 お問い合わせ
伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

Sビレッジ

2012年09月13日(木)

今日はSビレッジにボランティアだった。先週、友人のA子さんに誘われた。あたしたちみたいな居場所のない女があつまって来てるのよと、A子さんが言った。それに惹かれた。それは、サンディエゴのダウンタウンにある。水曜日だけ、みんなが集まる。朝10時から11時の間に、老人たちとボランティアがやってきて、お昼を食べて、それぞれのアクティビティをして、3時ごろに解散する。きょうのメニューは冷やし中華だった。あたしはきゅうりを切り、たまねぎを切り、葱を切った、それからみんなで食べて、それからあたしは朗読班だ。よくまあ、こんなにおあつらえ向きのことをやってると感動したくらい。ふだんはY子さんがリードするのだが、今回はあたしがやった。それで、朗読用のファイルのなかにみつけた金子みすずと柴田トヨだ。二人ともじっくり読むのははじめてだった。それをみんなで声をあわせて読み、老人たちにひとりずつ読んでもらった。読みながら、「かいこ」のことや「大ばいわし」や「おっかさん」のことなど、説明してもらった。みんなよく話してくれた。「おっかさん」のときに、戦争中はどこにいましたか? ときくと、みんなそれぞれ、米子や清水や福岡や佐世保で「苦労したわよーー」といっていた。お母さんが着物を売って買い出しにいってた、みたいな話をしてくれた。そのあと、読んだ「おっかさん」のことば(柴田トヨの詩にでてくる)にはすごく熱が入るのだ。それから歌のプリントをまわして、みんなで歌を歌った。東京キッドと、大利根なんとかと、トンコトンコというのと、おてもやんと赤とんぼだ。老人たちは80から90の間くらいで、女が多い、というかきょうは女だけだった。しゃっきりしている人もいる。してない人もいる。何子さん、何えさんという人もいるが、TリーとかSディとか英語名の人もいる。みんなさんづけで呼んでいる。

ススキ類

2012年09月13日(木)

ススキの類もすごい。もううちにはパンパスグラスはないが、あちこちで豪壮に穂を立てている。invasiveすぎて、あんまり好きじゃない。シルバーバックのゴリラみたいで。あんまり老いた雄すぎて。数年前に、前庭を占領していたそれを取り払った。そしたら、今、そこには、やはりどこから来たのかわからないが、2種類のススキっぽいものが生えておる。穂を振り立てておる。一つは日本のススキによく似ている。一つは猫じゃらしを大株に、茶色にしたようなやつだ。近所に、青緑の葉の、ススキっぽい草を植えてるところがあって、前からいいなあと思っていた。葉が、青緑というか白青緑というか。夕暮れの光のような色である。こないだみのった穂を集めてきて、前庭にまいた。出てくれるといいなと思って、水をやっている。

夢の解釈

2012年09月13日(木)

たぶんさっき書いた酒屋の夢は、このところずっと気になっている父のことだ。正当化というか、自己弁護のための夢だ。父の最期の日々、もっと親身にそばにいてやれぱよかったと悔いてしかたがない。日々だけじゃなくて8年間、もっとそばにいてやれなかったかとも悔いておる。しかし父の無聊は、8年前にはじまったわけではなく、その前から老いた老いたといって、絵もやめ、頭を使うこともやめ、一日じゅうすわりっぱなしで、母に頼り切っていたから、母ととても険悪になっていた。その頃の父を、支えろといってもそれはむなしすぎる。で、母のいなくなった8年間がそれにつながる、ずるずると。で、それはずるずると重たくなっていった。おさむらいがちょいと抱かされた赤ん坊がどんどん重たくなっていくようなものだ。で、そうなると、根本を考える、なぜあたしはカリフォルニアくんだりまで来てしまったか。その根本に父や母の住む家、その環境から出たかったというのがある。それはわかっていたけど、板橋のあの家のことは思い出さなかった、これまで。無意識がほじくり返してくれたということか。なんかさっぱりした。

タイサンボク

2012年09月12日(水)

タイサンボクがすごい。大きな実をつけている。実から赤い種がはじけている。調べてみたらアメリカ原産だ。

酒屋の夢

2012年09月12日(水)

カリフォルニアの友人夫婦をうちに連れて行った夢をみた。うちというのは、子どもの頃ずっと住んでいた板橋の家である。父と母がいた。まだあんなに老いおとろえていなかった。もてなそうとして、母がいろんなものを作っていた。料理もできて、いざ食卓にはこんでというときになって、ビールもワインもない。酒屋に注文して箱で買って届けてもらおうということになった。そうだよ、箱で買っちゃえばいいよ、でも多すぎない?と母が言った。あたしはしょっちゅう人を呼ぶから必要だからと説明した。父が不満げにぶつぶつ言ってるので、聞けば、千円札がいっぱい必要だから買わなかったというのである。こうやって年寄りにお金を使わせるような社会だと文句をいっておる。酒屋は近所の酒屋じゃなくて、電話帳にも父の携帯(現実にはそんなものもってなかった)にものってるサカイという店で、警察署の近くにあるんだそうだ。で、電話したのはいいが、家の場所をなんと説明していいかわからずに困りはてた。路地の裏のさらに奥まったところにある家であった。車は入ってこられない。バイクでなら来られる。さんざん説明して、交渉して、googleマップみればわかるじゃんと思いながら、もし届けてくださるなら注文するし、それがいやならよそに注文しますといったら、届けますということになった。で、一箱はドライ(あたしは好きじゃないけどお母さんが好きだから)もう一箱はプレミアムモルツ、あと一箱、エビスは何がありますか? ときいたら、ローハイドというのが出たばっかりだというので、それにした。家の外で電話をかけていて、家に帰ったら、まだ食べ物は食卓にも出されてなくて、みんな待っていた。えーー何やってんのよーーとイライラしたがそれを顔に出さずに云々という夢だ。さめていそいで書きつけにきた。明恵みたいと思った。忘れていたことを思い出した。あの板橋の家からどれだけ出たかったかということだ。どれだけあの家に帰りたくなかったかということだ。

公園の犬事情

2012年09月10日(月)

公園ではいろんな人に会う。きょうはルイとニコをオフリーシで(これはつなをつけずに、ということだが、うちの場合はパピヨンたちを信頼しきっていないので、それぞれリーシをつけたまま、自由に歩かせている。首にかかる重みで、多少は抑制がきくし、いざとなると、ひもの先を踏んで寸止めできる)いつもくだる坂道をくだっていったら、向こうから人がきて、ニコが制止を振り切って駆けだしていった。先にいたのは、ピットブルのおねえさん。彼女は30〜40代で、連れてるピットブルと瓜二つ。もう10年くらい、公園や路上ですれちがっておるのだ。むこうはピットブル、こっちはジャーマンシェパードで、遠くから手を振り合って、あたしはこっちに行く、おお、じゃあたしはこっちに行こうとコミュニケートしあい、日々の散歩をこなしてきたのである。ある意味、ピットブルおねえさんが、あたしたちの出会う犬飼いで、いちばんあたしたちの立場、つまり犬嫌いの強い犬を連れた飼い主の立場をわかってくれてたと思う。で、ニコが飛びかかっていったのも一度や二度じゃなく、そのたびにおねえさんは、あたしらがタケにやるように、リーシをしっかり持って、自分の犬を抑えつけ、ときにはニコを蹴散らして、ニコの命を守り、またピットブルのことも守ってくれた。きょうも、ニコにかみついていかないよう、ピットブルを抑えつけてくれてる間に、トメがニコに追いついた。そのあと芝生に入っていくと、そこには以前親しくしていたJとC夫婦が、夫のCだけ犬を散歩させていた。かれらはパピヨン2匹を飼っており、夫婦ともパピヨンの性格によく似た、知的でなつっこくて善良な人たちなのである。ニコは遊びたがるが、むこうのパピヨンたちは少し年上なので、いつもうっとうしがられておった。タケは、パピヨンたちを威嚇するので、嫌われておった。あたしはいつもしっかりリーシを持っていた。J(奥さん)だけのときはときどき長話もしたりしてねそういうときはタケをすわらせておいた。タケはすわれというと、長話の間じゅうずっとすわっているかしこい犬だったのである。Jは数年前に乳ガンをやった。回復したと思っていた。ときどき具合が悪くなると、しばらく前に会ったときには言っていた。具合が悪くて来られなかった、しばらく散歩をしていないのだとCが言った。そこへさっきでくわしたピットプルおねえさんが通りかかり、こっちはみんなきちんとリーシをにぎっていたので、安心して話をすることができた。公園に住み込みの管理人も話にくわわった(彼女は当然ながら、Cとそのパピヨンたちとも、ピットプルおねえさんとも、あたしたちとも知り合いである。そして彼女は小さな、なんだろう、細くてしゃきしゃきした、チワワとイタリアングレイハウンドのミックスみたいな感じの犬、ジョジョを放し飼いにして、なんとジョジョはピットブルともうまくやっているということなのだ)。ピットブルおねえさんとは、長い間、手を振って挨拶しあってるのに、話すのはきょうがはじめてだった。

ズンバと太極拳とヨガ

2012年09月05日(水)

ズンバ、70になったらできないなあと漠然とした不安に襲われて、いろんなのを試しているが、どれひとつとしてズンバほどよいものはない。こないだ座禅がいたく気に入ったので、ああいうのもいいかもと思ってヨガをとってみたが、ささやいて指示を出すので、ききとれないのである。日本語ならなあと何度思ったことか。先生にも、あなた英語あんまりできませんねと指摘されて、すっかりいやになってやめてしまった。その先生は親切心でそばにきて、直してくれていたのだが。ヨガはできても言語にたいするセンシビリティは欠落した先生だったとみえる。で、ラインダンスというのをやろうかと思ったが、先生をひとめみていやになってやめた。それはカントリーミュージックのダンスで列になって踊るからラインダンスという。先生は、古き良きアメリカみたいな顔をしたしわだらけの女で、生とたちもみんなそうだった。しわもしらがも大好きだが、ああいう世界に入り込みたくない。で、きょうは太極拳だ。指示はわかったが、動作が遅すぎた。こんなに時間をむだだと思ったことはない。これなら合気道のほうがなんぼかマシだ、と思ったが、時間の津語で合気道はできないのだ。夕方ズンバにいってやっぱこれはいいと思った。

4匹の犬

2012年09月04日(火)

カノコのとこの犬Pが来ていた(もちろんカノコたちも来ていたのである)。それで家の中に、タケとニコとルイとPがいた。タケはさいしょ気がつかなかったが、やがて気がついて、がうがうと威嚇しまくってPをびびらせた。しかし体の自由がきかないのでPは無事だ。ルイはまったく興味をしめさなかった。やはりあの狭いマンションの一室で、ずっと介護犬をやっていた過去が、トラウマになってるものと見える。ニコは最初動揺しておったが、やがて慣れて、すぐ近くで寝たりもした。Pもそれが平気であった。この2匹はいい性格、というより、2匹とも「オメガ犬」(群れの最下位犬)であるらしい。タケはやたらに元気になった。用もないのに居間に出てきて(いつもはあたしの部屋でぐったりと寝ている)、Pを威嚇し、ルイを威嚇し、台所にもちょくちょくやってきて、他の犬たちに立ち交じってあたしからおいしいものをもらったりもした。そういうときには必ずタケを立ててやるのである。今のところの順位は、あたしの中では「タケ、ニコ、ルイ、(お客の)P」であるが、現実には「タケ、ルイ、ニコ、P」である。
タケはアルファとしてがんばるあまりに、散歩に、みんなといっしょにはりきって出かけ、いつもより遠くまでしゃっきり歩いた。他の犬の手前、ハーネスは恥ずかしいだろうと思ってつけなかったが平気で歩けた。他の犬たちより先を歩きたがり、実際に歩き、ほかの犬たちがぐずぐずしていると、立ち止まって、何してんのよ、まったくといわんばかりに振り返っておった。老いたりといえどもアルファ犬はすごい。
ルイは、ボールを必死においかけるニコを見て、とつぜん「わん」といい、ニコからボールを取り上げて、自分が追いかけた。オレは犬だった、介護ヘルパーの資格はほんとは持ってなかったのだということを思い出したらしい。そういえば数年前には熊本で、散歩のときにいつもボールを持って行った。あの日々のルイはそれを追いかけた。いつのまにかめっきり年寄りじみていたのである。そしてルイは、食卓の椅子にすわっていると(食事どきではなく)膝に飛び乗ってくるようになった。ニコももちろん膝に乗ってくるが、ときどき遠くの椅子でふてくされている(ように見えるがたぶんほんにんは何もかんがえていない。ただ居場所がないだけ)。Pはちょっとストレスにやられて下痢をした。

アカバナ科とロゼットと河原夏草

2012年08月28日(火)

まだ書けなくてもんもんとしておる。しらべれば調べるほど、わけがわかんなくなっていって、マツヨイグサとアレチマツヨイとオオマツヨイとコマツヨイとメマツヨイとマゴマツヨイとがごっちゃになり、アカバナ科のほかの草たちも、ラテン語名と英語名と日本語名の間で、どんどんわけがわからなくなっていく。今日トメを迎えに行ったら、学校の前に一株あった。おりとって持って帰り(茎がすじっぽくて折り取るのがたいへんだった)びんにさしたら、夜になって二つ花が開いた。たぶん湿地マツヨイだ。「サンディエゴ郡の自生植物」という本にのっていたのにそっくり……といっても、鵜呑みしているだけで、あたし自身はマツヨイだなということしかわからない。「エンピツ草」と名づけていたやつが、「アカバナ」というアカバナ科のタイトルロールみたいな存在であったのを知ったのはずいぶん前だ。鉢植えしてあるあれやこれやの鉢に、どこかからやってきてひっそりと咲いている。とてもかわいらしい。これは自生種のようだ。なんでこんなに書けない書けないと思いながらマツヨイグサについて書きたいのかというと、なんだろう、きっと隣の荒れ地にやたらにアカバナ科のマツヨイっぽいものが多いからだ。熊本の河原へんを歩いているとたいていキク科とイネ科とシソ科とマメ科だなーと思うように、こっちの荒れ地はたいていがアカバナ科とシソ科だな(セージが多い)と思うのだ。いや、極論してるのであってナス科もキク科もケシ科もユリ科も多い……(ナス科やキク科やケシ科やユリ科に抗議された)。ともかくっ。「河原荒草」を書いたときは(あたしの詩集ですよ)荒れ地のアカバナ科たちにホレこんでいたので、最後を、ナツクサちゃん(主人公)をコマツヨイに変身させて終わらせたのだ。なんてことは誰にも読み取れまい。でも、じゃーアカバナ科の何にそんなに惹かれてるのかという点だが、まだ自分でもよく掴めていない。ロゼットなとこか? しぼむとこか? きょう折り取ったマツヨイも、株の下のほうはロゼットだった。

ルイの舌と威嚇

2012年08月28日(火)

きのう朝、下に降りてきたら、ルイがうしろから飛びかかってきた。そんな犬らしいふざけかたをするのは初めてだった。トメとふたりで、公園につれていったときも、なんだかうれしそうに走ってついてきた。少しずつ、慣れてきておる。ときどきニコをうなって追い散らす。ニコはいいだくだくと追い散らされているが、あたしの椅子に座っているとき(ニコの定位置)近くにルイが来ると、ニコがうなって威嚇する。きょう、夕方、ゴハンをやろうとしているとき、ルイの舌が口の中にしまわれているのを見た。驚いた。それから何回も、舌をしまって、ふつうの犬みたいな顔になってるのを見た。うちに来て、よその犬というのをじっくりと観察し、舌が出ていてはおかしいらしいということに、気がついたのかもしれない。

↑前のページ / ↓次のページ

ページ移動 / [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28] [29] [30] [31] [32] [33] [34] [35] [36] [37] [38] [39] [40] [41] [42] [43] [44] [45] [46] [47] [48] [49] [50] [51] [52] [53] [54] [55] [56] [57] [58] [59] [60] [61] [62] [63] [64] [65] [66] [67] [68] [69] [70] [71] [72] [73] [74] [75] [76] [77] [78] [79] [80] [81] [82] [83] [84] [85] [86] [87] [88] [89] [90] [91] [92] [93] [94] [95] [96] [97] [98] [99] [100] [101] [102] [103] [104] [105] [106] [107] [108] [109] [110] [111] [112] [113] [114] [115] [116] [117] [118] [119] [120] [121] [122] [123] [124] [125] [126] [127] [128] [129] [130] [131] [132] [133] [134] [135] [136] [137] [138] [139] [140] [141] [142] [143] [144] [145] [146] [147] [148] [149] [150] [151]
   
談話室 リンク集「豆の茎」 メルマガ「豆蔵通信」 サイトマップ