イラク主権移譲
2004年06月29日(火)
30日に予定されていたCPA(連合国暫定当局)からイラク暫定政府への主権移譲が28日、突然、行われました。CPAのブレマー文民行政官は主権移譲後、ただちにイラクを離れたそうです。
このような抜き打ちで成立した政府はたとえ暫定政権と言えども国民から信用されないでしょう。また、この抜き打ちの主権移譲を日本政府も現地の自衛隊も知らされていなかった様子です。
こうしたことは、現地に派遣されている自衛隊の立場を不明確なものにするばかりか、危険にさらすことになると思います。日本政府はアメリカ政府のこうしたやり方に強く抗議すべきです。自衛隊員550名以上の日本人の命がかかっていることがらです。
また日本政府には自衛隊の撤退についてももっと真剣に考えて欲しいものです。このような抜き打ちの主権移譲が行われるのであれば、自衛隊派遣の意義や指揮権のあり方なども、しだいに変化してしまう可能性がきわめて高いからです。
アメリカ政府が言うように、やがて治安が回復されて正式なイラク政府が樹立されるとしても、それまでの紆余曲折はたたごとならぬ道のりがあることは目に見えています。自衛隊派遣の意義が変わらないうちに撤退をすることを望みます。
待ち遠しいのは夏休み
2004年06月27日(日)
「待ち遠しいのは夏休み」という歌がありました。星野智幸さんのホームページの日記を見ていたら、その歌のメロディーが浮かんでくるような記述がありました。
「ほんとうに夏休みが待ち遠しいのは教師の方だと理解した」と星野智幸さんが書いていましたが、小説を書きながら大学でも教えていると、黒板の前でこの歌がリピートで聞こえてくることがあります。
ちなみに冬休みの場合は「もういくつ寝るとお正月」で春休み前は「もうすぐ春ですね」とキャンデーズが歌っています。
かなりなハードスケジュールを押して29日の青山スパイラルホールの「テーマで読み解く日本の文学」発刊記念シンポジウムに星野さんも聴衆のお一人とひてお越しいただけるそうです。会場で星野さんからもお話が伺えればなあと思っています。
26日にパネリストの皆さんと司会の富岡幸一郎さんで、打ち合わせをしてきました。
天下の周りもの
2004年06月24日(木)
天下の周りものと言っても「お金」の話じゃありません。ビニール傘、100円ライター、ボールペンの三つです。なんとなくどこかに置き忘れてきたり、誰かに貸したままになっていたり、別の人のものを取り違えて持って帰ってきたりして使われている品物を三つ上げるとすれば、これになるでしょう。
もともとが使い捨てだけに、自分のものという意識が薄い.また、他人のものという意識も薄くなりがちなものです。ついでに自分のものでも「見覚えがない」ということもよくあります。よく見てから買っていないのです。
喫茶店に置き忘れた100円ライターを、お店の人が通りまで追いかけて来て、渡してもらうとほんと恐縮してしまうことがあります。でも、たばこが吸いたい時に、たばこだけあってライターもマッチもない時くらい中途半端な気持ちになることも、他にないのです。
傘、かさ、カサ、また傘
2004年06月23日(水)
御茶ノ水駅から駿河台下交差点に至る駿河台通りはいつの間にか明大通りという名前になったようです。その明大通りの坂に、傘がいっぱい捨てられていたことがあります。今回のような昼間の台風の時のことです。私はその時、明治大学小川町校舎で卒業生名簿の校正のアルバイトをしていました。台風が関東に上陸したので、アルバイトも帰宅していいということになったのですが・・・。 いったいこんな雨風の中でどうやって家に帰れというのだろうと困ってしまうほどの吹き降りでした。帰宅の許可が出た時はすでに電車も地下鉄も止まっていました。「なんで地下鉄が止まるんだ?」誰かが言ったのを覚えています。丸の内線は四谷近辺で地上に出るし、御茶ノ水駅を出たところでも、ちょっとだけ川の上を走ります。そんなわけで地下鉄と言えども台風の影響は免れがたかったのです。
突然閑が出来た我々はさっさと仕事の道具を片付けて、外の吹き降りを見ながらお茶を飲んでいました。台風はいつもでも居座ったりはしないのですから。
青い空が見え出した頃、戸外に出てみると駿河台通りの坂は傘、傘、傘、あっちにもこっちにも傘が放り出されていました。どの傘も骨が折れたり柄が曲がったり、いずれも風の勢いのすさまじさを語っているものばかりでした。捨てたというよりも強風に持っていかれたので、持ち主があきらめたというような散らばり方でした。なかには並木の枝に引っかかっている傘もありました。
日本は世界で一番たくさんの傘を消費している国なのだそうです。
台風一過
2004年06月22日(火)
台風一過といいますが、台風が通り過ぎたあとは目が痛くなるような青空が広がります。昨日の台風は東京ではさしてひどい被害もありませんでした。 四国では6月に台風が二つ上陸するのは珍しいことなのだそうです。
台風というとなんとなくわくわくしてしまいます。子どもの頃は雨戸が風で飛ばされないように板で打ちつけたりと、台風が来る前に準備をしました。あれが愉快だった。今はそんな準備をするような家はなくなりました。でもやっぱり台風というとなんとなくわくわくします。ひどい被害が出るとそんなことも言っていられないのですが。
発刊記念シンポジウムのことで、スタッフルームに津島佑子さんが
2004年06月19日(土)
スタッフルームに津島佑子さんがお見えになりました。津島さんの書き込みをコピペしちゃいます。もちろん、ご本人のご了解済み。
こんにちは。 中沢さんにお誘いいただき、ちらっと訪問させていただきます。 このところ、中沢さんとご一緒に、『テーマで読み解く日本の文学』発刊記念シンポジウムにできるだけ多くの方に来ていただけるよう、走り回っています(頭の中で、ですけれど)。この本そのものもとてもおもしろいですし、シンポも発刊をお祝いする、思いっきり楽しい祝祭イベントにしたいと思っています。なにが起こるかわからないドキドキもございます。梅雨の一夜、どうぞ、ひとりでも多く、お出かけくださいませ。 それではお邪魔いたしました。 津島佑子
おかげさまで多くの方からお申し込みを頂戴しました。まだ余裕があります。楽しい会になりそうです。
枇杷の葉
2004年06月18日(金)
花屋さんで枇杷の葉をもらいました。黒々と言いたくなるような濃い緑です。枇杷はたくさん実がなります。その実が屋根の上にぽとんぽとんと落ちる音を聞いていると「ああ、鳥になりたい」と思うと言う話を聞かせてくれた友達がいました。高校を卒業してからは会っていません。今はどうしているのでしょうか? 高校の卒業生名簿の住所欄も空白のままです。 房州は枇杷の産地で、出荷用の枇杷を作る枇杷山もたくさんありましたが、庭に枇杷の木がある家も珍しくありませんでした。30年前のお隣さんにメールをいただいたので、そんなことも思い出しました。
30年前の隣人
2004年06月16日(水)
子どもの頃、住んでいた家をこのお正月に取り壊しました。周囲で放火事件があいついだので、空き家を放置しておくわけにもいかなかったのです。子どもの頃に住んでいた家がなくなるのはちょっと寂しく、感傷に弱い私はまだ取り壊したあとの跡地を見に行っていません。
二日ほど前、思いがけず、その家の隣の家に住んでいたお嬢さんからメールをもらいました。同じ敷地の中に2軒の家が立っていたのです。お嬢さんと言ってもその頃は3歳くらいで、私も中学生でしたから、よく遊んでいました。ネットはこんな遠い昔の人とも引き合わせてくれるのですね。
発刊記念シンポジウム 飛び入り参加もありかな 当日はおもしろいことになりそうです。
2004年06月14日(月)
なんと、こんなに長い題名が書けるなんて知りませんでした。やってみるものですね。で、その長い題名の内容ですが、昨日お知らせしたシンポジウムは風変わりなものになりそうです。当日は飛び入りの出し物がありそうです。さてさてお楽しみに。
どうぞ、6月29日にお閑な方は表参道のスパイラルホールまで起こしください。
「テーマで読み解く日本の文学」発刊記念シンポジウム
2004年06月13日(日)
トップページでお知らせしたようように「テーマで読み解く日本の文学」発刊記念シンポジウムを開催します。昨日、文芸評論家で司会をしていただく富岡幸一郎さんと電話でお話しました。読んでいてとってもおもしろいと言ってくださったので、5年もかけたかいがありました。
きっと編集委員だった三枝和子さんも喜んでくださるでしょう。多くの方がこのシンポジウムに参加していただけるとありがたいです。どうぞ、ご遠慮なくメールを私方にください。
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