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時差ボケと冷え
2009年04月03日(金)
夜の11時から朝の6時半まで。寝たのである。起きていたのではない。で、今は時差ボケがなおったかというと、そうでもなく、なーんとなくかったるく目が薄らおもたくやる気がなーんにもおきずただぼーんやりしている。でも少なくともまともな時間に眠れたということは、なおりかけの途上にいきつつあるということなんだろうと思わないでもない。K子が、あしたの0時から3時まで(つまり真夜中)ラジオで演奏するから、まだ時差ボケだったらきいてね、とかいっていたが、なおっちゃったらきけないではないか。しかしどういう番組じゃ、それは。 起き抜けに牛乳とかヨーグルトとか食したら、からだが芯から冷えて、難儀したのである。これは更年期のせい。たぶん。むかしは冷たい牛乳を飲んでもへいきだったものだ。ついこないだまで朝にシリアルかなんか食べてたものだ。今はとうてい無理だ。からだが冷えると、全身がかたく、おもたく、ぎこちなくなっていって、動けなくなる。やっぱ更年期。トメは、あたしの目の前で果物をおわんいっぱい食べて牛乳を一気のみして、学校にいった。若い人は、冷たいものを食べても動けるのだ。冷えて動かなくなったからだは、あついお茶をのみながらお風呂に浸かって、内外からあたためるよりほかに手はなかった。
時差ボケと桜の森
2009年04月01日(水)
まーた混乱しておる。今朝は5時起きで合計4時間寝た。午後1時間仮眠しただけなのに深夜まだ起きている。さっきまで、日本人学校の高校生たちに読ませたくて「桜の森の満開の下」にせっせと註をつけていた。逃避である。こうして外地でそだつ子どもたちがいつか満開の桜というものを見る機会があったときに、この一節を思いだせれば、より桜の本質がとらえられるだろうと思ったのは逃避というより親心。青空文庫で太宰を読んでいたからその毒消しの意味もあったかも。
時差ボケ
2009年03月31日(火)
ゆうべは10時ごろから午前1時半まで眠ってそれから朝の8時半まで起きていた。それから眠ったら、起きたのは午後の4時半だ。時間が短くってしょうがない。8時間ぐっすり眠れた。睡眠のことしか考えていない。
時差ボケと鳥の巣とエスキナンサス
2009年03月30日(月)
出入り口の脇にエスキナンサスの鉢がつるしてある。きのうの朝、水をやろうとして鉢をおろしたら中に小鳥の巣があった。巣をつくってほったらかしてしまったとなぜか考えて、ただ水をやって元に戻した。午後S子に、ほらほら巣があるよ、とみせたところ中に卵が一個入っていた。おどろいて元に戻した。もう親は来ないかもしれないと思ったが、そのあと、よくよく見ていると、親鳥が来てすわっているではないか。出入り口なので人は出入りするし、犬はうるさい。しかしそこに親鳥はすわっている。ずっとすわりっぱなしではなく、ときどきいなくなる。ごみ出しに出ようとしたら、ちょうどすわりに来た親鳥が「おっとっと」という感じで、逃げて行った。そしてあとで戻ってきた。すずめくらいの大きさのすずめのような色形の地味な鳥である(野鳥図鑑がみつからない)。卵はくすんだ白である。ゆうべは明け方6時まで起きっぱなして、それから10時半まで眠った。午後また2時間ほど眠った。目を覚ますたびに、ドロドロの泥沼から無理矢理引き上げられているような、いやーーな感じを味わうのである。
時差ボケと合気道
2009年03月29日(日)
明け方の3時ごろに起きた。それからずっと起きてたので午前中寝たいところだったが、S子の合気道昇級テストがあるので起きていた。S子は2級になった。でかい、髭面の男たちをばったばったとなぎなおしていた。2年前は人生の闇にかきくれて弱々しくめそめそしていた娘が、2年間で、実に天晴れな女武芸者になったのである。午後3時間ばかり寝て、さあどうなることやら。
きのう着いた
2009年03月28日(土)
ゆうべは10時すぎから朝まで寝て、7時ごろ起きてトメを送り出してまた寝て、トメが帰ってくる2時半まで寝切った。寝ても寝ても寝たりない。これからだ、時差ボケがはじまるのは。今はただ旅の間にいためつけられたぶんを取り戻そうとしておる。ベッドに入るととうぜんのようにニコが寄り添ってくる。きゃわいい。自分のベッドから動かないタケは、あたしが近づくと、まってましたというようにおなかを出す。きゃわいい。飛行機の中では「ベンジャミン・バトン」を見た。「ビッグ・フィッシュ」のような、「フォレスト・ガンプ」のような、味わいであるが、じつは「ぢいさんばあさん」のような「いちずな純愛もの」であるところに、とてもとても感動したのである。のっけから老人たちの描写がつづいて、じつに親身な世界であった。 こっちには桜が無い。熊本は満開のきわみであった。いっときも心が安まることがなかった。桜を見なければという思いに急かされて。
カリフォルニア
2009年03月27日(金)
ぼろぼろ。今回はつらかった。命がちぢんだ。
勝った
2009年03月24日(火)
あさって帰るかと思うとがっくりしちゃって、老人の世話と銀行をいくつかまわったのと買い物いったの以外は、なんにもできなかった。なんにもできないのなら父といっしょにWBCの試合のおわるとこを見てあげようと思って父のところに行ったが、延長戦でダルが四球出したとこでどきどきして見ていられなくなって家に帰り、片づけをしようとしたが何にも手につかず、俗に言う「落ち込み」というやつかもと思いながら、夕闇の中を椅子に座りこけていたのである。なんだかガス欠したような感じであった。この場合のガスは、なんなんだろう。ずっとそうしていたかったが、そうもしていられず、母のところにいったら見当識障害でむちゃくちゃなことをいってるのでそれをなだめ、父のところに帰って書類の整理しながら7時のニュースから「太平記」までいろいろとテレビ番組を見た。ゆうべはK畑さんB場さんとバスク料理、ほんとうにおいしゅうございました。しかし料理の名前を覚えられなかった。カタカナ四文字で、ナス科の野菜を卵で煮てあるもの。タマネギの焼いたのもおいしゆうございました。
大家さんへ
2009年03月23日(月)
大家さん、あれテイカカズラとばかり思ってましたけど、イチジクそっくりのあの実がなるとこをみたら、あれはきっとクワ科、フィカス・プミラ、和名をオオイタビというやつじゃないかと思っています。もしかしたらイタビカズラというのかもしれないです。でもテイカカズラと「とげ抜き」にはかいちゃった。そっちのほうが名前がぴったりくるからいいか。もうひとつ「とげ抜き」にかいたことでうそをかいたのは、4月下旬にさいているツバキである。あれは12月にさいてたサザンカがモデルであったが、花ごと落ちるツバキにどーーーしてもしたくて、しらべまわったあげく、まあ4月下旬でも咲いてるだろうと思ってツバキにしたが、ちょっと無理がある。ううう、かなり無理がある。ミドリノオバサンもたまには無謀なことをするのである。
きのうは父につきあって「ダーウィンが来た」と「天地人」をしっかり見た。おかげでやたらと直江なんとかと上杉なんとかにくわしくなった。メガネザルにもくわしくなった。父が、巣にかかる昆虫を待ってるみたいにあたしのことを待っている。その父と時代劇や野球のことを話すのがちっともいやじゃないのである。人生が、子どもの頃からのつづきのような気がして、あの結婚してたり子育てしてたりした日々はなんだったのだろう‥‥という不思議な感覚に陥る。
夜桜
2009年03月22日(日)
夜桜を白川沿いに見てきた。大甲橋のたもとには、二三、焼き肉やったりおべんとう食べたりしている人々がいたが、それを過ぎれば、暗くて、だれもいなくて、桜は黙々と咲いていた。
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