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虹の橋

2009年11月03日(火)

タケが老いて、なんにもしたがらなくなっている。ポールは好きだが、いったんくわえるともう走らない。あたしたちのあとをついて家の中を影のように動き回ることもない。夜も二階にあがってこない。S子のベッドに寝ているので、こないだ毛布をしいてやった。寝ているのをなでてやると、なつかしそうに顔を差し出す。こうやってひとつの命が生きて、終わっていくのである。でも食欲はなくならない。あちこちで犬がいろいろなかたちで命を終えていってるのを聞くと、タケの終わり方はどんなふうだろうと考える。
そういえばこのあいだ万事OKで、ペットロスの相談があった。それで「虹の橋」というのを、ちょうどいい機会だと思って訳してみた。これは犬猫が死ぬとなぐさめに送られてくるという噂の、ネット上で出回っているよみ人しらずの詩(というか、もとは散文)なのである。ケッこんなもの、と思いつつ訳していったら恥ずかしながら泣けて、犬友だちのJニスにいったら、「何人もから送られてきて、ケッこんなものと思うけれども読んだらかならず泣けるやつ」と定義していたので、ごくごく一般的なものなのであろう。探せば原文がたちまち出てくるはずだ。

虹の橋
     よみ人知らずの英語の詩「Rainbow Bridge」より


  天国の手前に、虹の橋がかかっている。
そのたもとに死んだペットの行く場所がある。
そこはあおあおとした草地で、なだらかな丘があり
動物たちは自由に走りまわって遊ぶ。
食べ物があり、水があり、日差しはぽかぽかあたたかい。
病んで老いて死んでいった子は、若返る。
傷ついて死んでいった子の傷は、消えてなくなる。
どの子も、どの子も、昔のままに
いきいきと、強く、楽しそうに生きているのだ。
夢に出てくるときのように
過ぎ去った日々のように。
ただひとつだけ、どの子にも気がかりがある。
会いたい人がいる。
とても大切な人だったのに、置いてきてしまった。
  みんなが走りまわって遊んでいると、やがてその日が来る。
突然、一匹が立ち止まって、遠くをみつめる。
かしこそうな目が何かをみとめる。
からだは喜びに震えはじめる。
その子は群れから飛び出して走り出す。
緑の草の上を、脚がもつれんばかりに、宙を飛ぶように
いそいで、もっといそいで。
「あの人」が
そこにいる!
  あなたと、あなたのかわいがったペットが
この日、再会する。
ふたつの生き物は有頂天になってからみあう。
もう二度と離れない。
あなたの顔はなめまわされる。
あなたはその頭をなでる。
そしてその目をのぞきこむ。
あなたを信じきっている目だ。
長い間これを見なかった、でもけっして忘れなかった。
今、あなたたちはいっしょに
虹の橋を渡っていくのである。
 

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