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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

リスの供養

2014年05月14日(水)

家の前の道、家のまん前じゃなくて、ななめ前くらいのところの歩道近くに、リスが死んでいた。場所からするに道に飛び出し、はねられて死んだようだ。朝、ズンバにいくとき気がついて、帰ってきたときは目に入らなくて、すっかり忘れていて、犬たちを散歩に連れ出したときにまた見た。あたしは何がきらいといって、死骸がきらい。生きてるものはリスでもネズミでもクモでもヘビでもいくらでもさわれる。ミミズやケムシは好きじゃないけど、まあさわれる。しかし死んだものはだめなのだ。さわれない。近づけない。なんだか小さい頃にトラウマがあるような気がしてしかたがないほど。しかしサンタアナだった。じりじりと干し上がるような酷熱の車道に転がしておくのはあまりに哀れだった。脳裏を、さまざまな話、霊異記や発心集や法華験記や方丈記やらの死者の話や死者を供養した人の話が行き来した。しかたがない、あたしだってこう見えても仏教関係者のはしくれ、死骸こわいさわれないなどといってる場合じゃない、今までの仏教三昧はなんだったのか、ここは万難を排してでもこのリスをきちんと供養してやるべきではないのか、そう決意して、犬どもを家に入れたあと、ちりとりを持って近づいて、ちりとりにすくい取ろうとしたが、リスは大きくて重たくて、なかなかちりとりにすくい取れないのである。死体の体重が手に伝わってきた。一瞬手でつかんで、ちりとりに(てか、それしかないじゃないか)と考えたが、やはり、ちょっと、それはこわすぎた。それでしかたがない、歩道のすみまでちりとりごと死体を押して、なんとかコジ乗せると、そのまま重たいちりとりを捧げ持って、うちの前庭のニオイゼラニウムの藪までそっと運んで、そこにぽとんと落として、「ニオイゼラニウム葬」にしてやろうと思っていた(近刊『木霊草霊』参照のこと。岩波書店)。ニオイゼラニウムは肉食で、そこに落とし入れると、死んだネズミも死んだスズメも何もかもあっという間に食って、無にしてくれる。あたしもやってもらいたい「ニオイゼラニウム葬」だ。ところがゼラニウムの藪には枝が縦横無尽に張っていたので、その上に落ちてしまった。それで長い棒を探してきて、死体を転がし、動かして、下に、地面の上に落として、上からニオイゼラニウムで覆いかぶせるということを必死でやった。車は道をばんばん通りすぎていった。へっぴり腰でリスをすくい取る、リスを運ぶあたしの姿は人に見られ、あのおばさん何をやってんだと思われていたはず。リスの供養とは誰も思うまい。

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