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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

Tさんと再会

2014年03月22日(土)

SがDとベイエリアに行ったので、ぴーちゃんがうちにいる。まあ数日と思うから、そんなに義理も責任もなくて気楽である。きのうは一日かごの戸をしめて中に入れておいた。きのうの夕方には、外から帰ってくるとおかえりの声をあげるようになった。それで今日は首のまわりに防御用タオルを巻いて、仕事場に連れてきている。ぴっぴっ言いながら、歩きまわっている。これでつっつかなきゃいいのだが。明日はトメが学校から帰ってくる。なんとか休みで。ぴーちゃんはトメが好きなので、後は任せようと思っているのだ。
きのう小学校のときの親友だったTさんとメールのやりとりをしていた。高校時代の同級生のMくんがひょんなことでTさんと知り合って、Mくんからあたしにメールが来て、あたしがTさんに再会(といってもメール)したのであった。小6のときはほんとに仲が良かった。中学もいっしょだったので(離れてしまったが)矢田先生の話でもりあがった(『あのころ、先生がいた』参照のこと)。Tさんも矢田先生のことをよく覚えていた。みんなにとってすばらしい先生だったというのを知って、ちょっと悔しい、あたしだけの先生と思っていたから。ところが不思議なことがある。Tさんのことは、『先生がいた』に書いてないのだ。ぜんぜん出てこない。ものすごく仲が良かった。なんであんなに仲良しだったTさんのことを書かずにいられたか。というか何も思い出さずにいられたか。そしてあたしは、小学校高学年から中学校について、ネガティブなことばかり思い出して書いていたのである。あの時期がそういう時期だったからとしか考えられない。5年のとちゅうまで、あたしにはCちゃんという、発達障害のある友人がいた。とても仲良しだったが、ある日とつぜん特殊学級に転校してしまった。それからTさんと仲良くなった。Cちゃんとは、あたしが保護者みたいな立場だったが、Tさんとは、ほんとに同等なつきあいができて、信頼しあっていたのを、今になって思い出した。Cちゃんがいなくなったあとの喪失感だけ覚えていたとは。Tさんとは、中学になったら組が違ってつきあわなくなってしまった。それもなぜかわからない。そのあとあたしは三年間、すごい孤独感と違和感を抱えていた(でも自分じゃ気がついてなかった)というのに。

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