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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

ズンバとベルリン

2013年11月30日(土)

ベルリン。Sさんが迎えにきてくれて、借りたアパートメントに連れて行ってくれた。小ぎれいなところであった。お屋敷通りの中のそこまで大きくない家の一部である。Sさんが買い物も連れて行ってくれたので当座のものはぜんぶそろった。で、ズンバの先生に連絡がつけてあり、すでにメールをやりとりしてなかよしになっており、ヒロミいつくるんだ、今日4時からやるが来ないかというメールが入っており、いくいくいくいくということで、アパートから25分歩いてたどりついたら、FU大学の体育館で、むこうから聞き慣れた音楽が聞こえてきた。いってみると、体育館の大広間で、若い女がおおぜいでのったらとズンバをやっている。先生は体格に妙に親しみのある、あたしよりやや若いくらいの女であった。もうはじまっていたから急いで中に入ったが、おどってるのはほとんどが学生である。学生は学生らしくやる気がなさそうに踊っているのだが、よくよく見ると、日本の学生はこんなもんじゃないだろうなと思うくらいちゃんとやっている子がほとんどだ。ただあたしらのような熱意がないだけ、しかし数人は熱意もあるし腰も回るという動きをしていた。一人摂食障害らしいのが棒っきれみたいな足と腕で動いていた。どこにもいるんだな、たまたまカリフォルニアのズンバにはいないだけで。先生はSだが、SさんとごっちゃになるのでSNと。SNのズンバはかなりてきとうな振り付けで、ローインパクトで、ゆっくりだった。MやPやCに比べたらスピードもキレもない素人っぽいものだったが、ズンバのいいところはそれでも自分でアレンジしつつ自分なりに踊れるのである。カリフォルニアでもよくやってる曲が数曲かかったが、振り付けはMにはかなわないのであった。Mをつれてきたら学生ども度肝をぬくだろうと思った。
しかしSNはおもしろかった。終わった後、もう長年の友人みたいに話し込み、ビールのみにいった。彼女もまた漢なんであった(「閉経記」参照のこと)名前がアフリカ風なのはそういう男と結婚していたせいで、わかれたばっかりだといった。それはざんねんといったら、いやざんねんではなくてすごくよかった、と笑っていった。西アフリカの男とばかりつきあってるそうだ。今のボーイフレンドもそうだし、夫もそうだったそうだ。こんどもボーイフレンドにあいにいくそうだ。遠く離れているから、わくわくするそうだ。向こうのことばもわかるし、しゃべれるし、文化にもくわしい。もしかしたら自分は西アフリカの人間じゃないかと思うことがあるそうだ。ただ生まれた場所がちがっただけで。別に今の自分に違和感はないし、アフリカ人にならなくてもいいのだが、といった。で、結婚には契約を交わしていたから、ごちゃごちゃせずにすんだ、15年暮らしたといっていた。この体型はかわらない、毎日こんなにやってるのにこの体型のままだと、あたしがいつも思っていることをいった。これがわたしなんだろう、と。グリム童話がすきだという話になり、悪魔と三本の金の髪の毛という話がいちばんすきだという、それどんなのだっけと聞くと、るると語ってくれた。覚えてない話だったが、主人公が鬼の家にいって、鬼の母に隠されて、鬼が帰ってきて「人くさいぞ、人くさいぞ」というとこ、その話なのか、ほかの話の同じような部分なのかわからない、語り物なんてそんなものだ、いつも決まり切った節をつなげて、つづいていく、そしてそのときあたしもその一節を思い出して思わず唱和してしまった。ズンバもそうだが、お話をいっしょに語るというのはすごい一体感があった。
雨の中をぬれながら25分歩いて帰った。お屋敷町のおおきな邸宅(とあたしには見える)の前の道や地下鉄の駅の周辺のあかりのついたところや、植え込みのつづくところをとぼとぼと、というのは違うな、ズンバ歩きしておる、こつこつと音をたてたいが、運動靴なので、すたすたと歩いていくのである。鴎外に見せたいこの姿。暗くて(ここは日没が4時ごろだ、カリフォルニアより1時間近く早い)冷たい、ぬれた、舗道をひとりで歩いて行くのはなんだか既視感があった。やったことないはずなのに。

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