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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

信じられるものが

2012年12月25日(火)

ここんとこずっと(クリスちゃんフィーバーから抜けたあと)よしだたくろうの「イメージの詩」をリバイバルしてるんだが、ネットで歌詞を検索してみてすごいことを発見して慎重に聞き直してさらにすごいことを発見して驚愕しておる。何かというと、冒頭だ。70年からこのかたずっと(まあ途中に40年くらい聴いてなかった時期があるのだが)「これこそはと信じられるものが」だと思い込んでいた。しかしネットの歌詞は「信じれる」となっていて、うそだろーと思いながら聞き返してみると、たくろうの声も「信じれる」と言ってるではないか。しかし70年当時に、あたしたちは「信じれる」なんていってたのか? うーーーむ、わからない。いまだにあたしはあれがいやで、いや日常生活では使うが、使い始めたのもカリフォルニアに来て子どもたちとしか日本語が使えなくなってからだ。相手に歩み寄るつもりで、ご落胤の若殿が遊び人のかっこうで江戸の町をうろつくような気分で、あのはすに結ったちょんまげみたいなつもりで、「食べれる」のなんのと言いはじめたものだ。言った直後は、崖から飛び降りたような気がした。今はもっと慣れたけど、まだ書く気にはならないし、「信じられる」なんてときは、どうどうと「信じられる」を使っておる。しかし70年にすでにあれがそうやって世間で使われていたというのがものすごく意外、いったいあたしは何を見聞きしていたのか。

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