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       夢の解釈 
        2012年09月13日(木) 
         たぶんさっき書いた酒屋の夢は、このところずっと気になっている父のことだ。正当化というか、自己弁護のための夢だ。父の最期の日々、もっと親身にそばにいてやれぱよかったと悔いてしかたがない。日々だけじゃなくて8年間、もっとそばにいてやれなかったかとも悔いておる。しかし父の無聊は、8年前にはじまったわけではなく、その前から老いた老いたといって、絵もやめ、頭を使うこともやめ、一日じゅうすわりっぱなしで、母に頼り切っていたから、母ととても険悪になっていた。その頃の父を、支えろといってもそれはむなしすぎる。で、母のいなくなった8年間がそれにつながる、ずるずると。で、それはずるずると重たくなっていった。おさむらいがちょいと抱かされた赤ん坊がどんどん重たくなっていくようなものだ。で、そうなると、根本を考える、なぜあたしはカリフォルニアくんだりまで来てしまったか。その根本に父や母の住む家、その環境から出たかったというのがある。それはわかっていたけど、板橋のあの家のことは思い出さなかった、これまで。無意識がほじくり返してくれたということか。なんかさっぱりした。 
        
      
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