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       大晦日と父 
        2011年12月31日(土) 
         はめ殺しの窓をふいて、ドアを拭いてたら、通りかかった近所の人たち何人もから、大掃除?と言われた(驚かれている)ので、いや小掃除、と答えておる(平田から声をお借りしました)。とにかくキレイになった。父が食卓でお昼を食べてる間に、父の座りこんでいたあたりも掃除機をかけた。「まったくぶっつぁりこんでるだけなんだから」という母のののしり声が聞こえてきそうだ。子どもの頃、この時期になると聞いたものだ。こうして母がいなくなって、しかも父が老い果ててみると、まったく父は、ぶっつぁりこんで「陽炎の辻祭り」を見ているだけなので(時代劇専門チャンネル)ある。そして三食ひたすら食べるだけなのである。そして新聞を読むだけなのである。きょうはまだ時代劇だからいいものを、たいていはくだらなさの限りを尽くしたようなバラエティ番組を轟音で見つづけているのだ。あたしがそこにいても、あたしの存在はどうでもいいようだ。ただし全身全霊であたしに甘えてはいる。あたしの家族は妻と母を欠いて年末年始をやり過ごしており、あたしは仕事がぜんぜんできない。父のこの自分のことしか見えていない生き方は、独居歴が長いせいかと思ったが、もしかしたら、その前から、母と暮らしていても、こういうふうだったのかもしれない、あのののしり声を思えば。こうまでして人間というのは生きていかねばならないものかと1日に数回考える。いや、親子関係はとても良好なんだけど。何にも用意しないと思っていたが、やはりはぜの甘露煮とか、昆布巻きとか、お多福豆とか(黒豆の鉄っぽい味が好きではない)、きんとんとか、かまぼことか、だてまきとか、買ってきてある。正月用の白菜みたいな花もユリといっしょに生けてあるし、小さい門松もある。お雑煮の用意もしてある。 
        
      
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