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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

河原荒草と英訳

2011年11月27日(日)

咳はまだひどい。あたしの持病の一つは、喘息様のアレルギー発作で、それは風邪で咳がはじまるのだ。で、今は、そうなる前に咳をとめちまおうとしているので、薬をがぶ飲みし、つねにオーバードウズして漂っている感じ。これはこれで嫌いな感覚ではない。しめきりは無事おわった。「群像」のエッセイと「文学界」の小さな新連載「犬心」。ともに新年号です。どーぞよろしく。しめきりが済んだから、懸案の「河原荒草」の英訳のチェック、Jフリーにたのまれていたのをやってて、声に出して読みながら日本語訳に照らし合わせているのだが、はずかしいことに、胸にせまって涙が出てくる。泣けるのだ、つまり。自分の詩を読んで泣いてちゃいかんだろうと思うが、実は、自分の詩じゃない、Jフリーの訳した英語の詩なのである。で、そこにいるのはナツクサという女の子で、彼女の経験はすごくあたしのよく知っている経験であり、彼女の感覚はあたしも感じたことのある感覚であるが、やっぱあたしの経験や感覚とは違う、ナツクサの経験であり、ナツクサの移民の話なのである。ほんとは英語で書きたかったんだけど、書けなかったから、日本語で書いてきたのかもしれない。そして今、Jフリーの英語を声に出して読んでいくと、自分の英語がかなり追いついてきたから、まるで自分の声ではじめからそう語ってきたような錯覚にとらわれる。そうそう、これあたしも経験したっけと思う。日本語でああ書いたけど、実は英語でこう表現したかったのかもと思う。Jフリーには「Killing Kanoko」も英訳してもらったけど、あの頃は英語なんて考えてもいなかったから、その英訳について、ふつうの英訳以上の思い入れはなかった。しかし「河原荒草」は、いままで存在したのはたんなる日本語訳だった、オリジナルはこっちの英訳だったんじゃないかという気がしきりにする。

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