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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

父のお風呂と娘の洗濯

2011年10月06日(木)

友人の母がアルツハイマーで、きょうはお風呂入ったことを忘れたのだという一部始終を聞いていて、うちの場合は父がお風呂嫌いで一週間ほども入らないが、あたしはもちろん遠くにいるから何もいえないのだが、近くにいてたとえ臭ったとしても、父が今の父の意識で生きているかぎりは(友人のご母堂のように、世話してやらねばならなくなったら関係性もかわるであろうが)、お風呂に入れとも入るなとも言わないだろうし、言ったこともなかったなあと考えた。たぶんあたしは、頭のどこかでそれは個人的なことだから口出ししたらいけないと考えているフシがある。父娘なのになんとつれないではないか。しかし同じ理由で、あたしはつれあいのお風呂にも洗濯にも口を出さない。妻といえども、トイレにこもってうんこしてるときは見ちゃいけないというのと同じ理由で、立ち入るべきではないとも思うのだ。前の夫のときはけっこうがさがさやっていたので、このつれあいとの関係を作るときになにか戸を閉めて(メタファです)閉めっきりなのだ。そして実は、娘どもが大きくなってからは娘どものそれにも口を出してない。末っ子の洗濯はたまに請け負うが、あとはほったらかしてある。つれあいが洗濯機に自分のものを入れたまま忘れておれば、それを乾かしてたたんでしまうのはぜんぜんヤブサカじゃないのだが(それをしないと次に使えないし)。こんなやり方で、父ともこっちの家族とも、家族として穏やかに暮らしている。しかし父はしょっちゅうあたしにうんこでたの出ないのもらしたのもらさないのという話を聞かせたがるので、ほんとうはそこんとこをもっとつっこんでもらいたい、でないと家族って気がしないのではないかとなんとなく感じている。

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