中沢けい公式サイト 豆畑の友
ホーム プロフィール・著作リスト 中沢けいへの100の質問 中沢けいコラム「豆の葉」 お問い合わせ
伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

時差ぼけ

2014年05月31日(土)

摂食障害の人が食べ物について考えるように、胃潰瘍の人が胃について考えるように、あたしは睡眠について考えているといっていい。あと数日すれば、きれいさっぱり悩みは消えるんだから、そんなに悲壮感持たなくてもいいのに、つい、ままならないことへの焦りに浮足立っておる。昨夜は10時半には眠くなり、寝たのに1時半に起き、それからまた2時に起き、3時に起き、ついにメラトニンなる薬を飲んでみたが、また4時に起き、5時に起き、6時についに起きだした。ちっとも効かないのに、体だけはおもたーーーくずぶずぶと沈んでいくようで、10時半にズンバに行くまで体をひきずるようにして動いていたのであった。もう二度と、時差のあるところに行きたくない…。

NYから出た 

2014年05月30日(金)

時差ぼけの時差ぼけで、前々夜は夜明かししてしまい、そのかわりに朝から午後の2時すぎまで寝たのだが、前夜もまた。寝なくちゃと思ってとろとろ寝入ったけど、1時間も眠らずに目が覚めて、また夜明かしだ。朝は7時半には出ようと思っていたので、いっそのことと思って夜明かしのまま、6時半にホテルを出た。で、最寄りの地下鉄から地下鉄カード買って、地下鉄に乗ったのはいいが、51ストリートで降りてレキシントンに乗り換えというのを、レキシントンで降りて乗り換えというのに思い違えており、いつまでたってもレキシントンにつかないので、メモを見たら、間違いに気づいた。それで降りて乗り直して51で降りて乗り換えて、さらにエアトレインに乗り換えて空港についたのである。すごい冒険であった。二つ目のE線はがらがらで、かばんから本を出そうとしたら、手元のケースが高速でがらがらと動いていってしまった、それを足でキャッチしてくれた男が、なんとまあいい男、濃い顔がすっきりとして、中東系かというような、あたしはにこりとしてお礼をいい、男もうなずき、男が降りるときにも目があったので、またにこりとしあって、いや……すごい冒険であった。
NYの地下鉄は、なりふりかまわぬ小汚さ。ホームの広告にはテレビの広告がやたらに多いのが目についた。あとは…同じだな、よそと。地下鉄カードがぺらぺらで驚いた。これがNYで見たことのすべてかもしれない。
こういう短いひとり旅は、レストランに入れないのが辛い。きのうはめんどくさいのと眠いのとで一日外に出ず、パワーパーをかじっていた。夕方外に出て、スーパーでカリフォルニアロールとりんごを買って食べた。朗読のあとはみんながいっしょだったからちゃんと食べられた。今朝は空港のセルフサービスのとこでチキン野菜シチューと卵とチョコレートブラウニー。卵が、なんのためかわからないが、ゆで卵が二つ、プラ容器に入れられて、平然と棚に、サラダやなんかと並んでいたのには驚愕して、何がなんでも食べねばならぬとせっぱつまって買ったのであった。いや、冒険であった。……というわけで、JFKからの5時間弱のフライトは前後不覚に爆睡して、今、アリゾナのフェニックスにいる。ここで4時間半待って、サンディエゴ、こんなに待つのはそもそもこのチケットがタダ券だからだ。しかしこれは、PoetryProjectのAが苦労して手配してくれた。文句はいうまい。粛々として待つ。今はPeetsでケーキ食べながら待ってるとこだ。Peetsなら入り慣れてるから気楽に入って注文できてすわって食べられる。ここには電力の接続もある。窓から外をみれば、パロヴェルデ(近刊『木霊草霊』にくわしく書いてあります、よろしくです)の木がわさわさと生えている。

朗読おわった

2014年05月29日(木)

PoetryProjectの朗読@St.Marks教会はおわった。ふーーー。演目は「カノコ殺し」を日本語で。「新訳般若心経」を英語で。「ヤキソバ」を英語で。案の定PowerPointがうまくつかえなくて、たまたま来てくれた日系のYくんとKさんにずいぶん助けられた。終わった後、同年配の女の詩人たちとワイン飲んで、フムスとフレンチフライ食べた。ちょーおもしろかった。ま、来てよかったのかもしれないな。←いつもいやいや出かけて、いつもこう思う。素直なんです。

忘れ物

2014年05月28日(水)

時差ぼけの時差ぼけで何がなんだかわからなくなって、夜明かししてしまって、外は明るくなり、車が行き来し、人々が歩いたり走ったりしており、おなかはぺこぺこ。今回また忘れものをして(旅のたびにいつもする)それはここんとこ手放さずに読んでいた「文語訳新約聖書」。おもいっきり読めると楽しみにしてたのに、忘れてきた。飛行機のなかで、かばんに入ってないのに気がついたときには自分をのろった。持ってきたのは自分の詩集と「説経集」と「日本霊異記」だ。しかたがない。「説教集」の解説を粛々と読んでいる。タメになる。おなかすいた。でもそろそろ寝ないと。

NYについた

2014年05月28日(水)

深夜のNY。イーストヴィレッジというところの安ホテル。この近所でPoetry Projectという朗読会シリーズがあり、そこに呼ばれている。Poetry ProjectのあるSt.Marks 教会の住所と「ホテル」をgoogleに入力したら、最初に出てきたのがこのホテルだったというわけだ。しかし見るからに安ホテル。わかーい頃、前夫と旅行したパリの安ホテルなみの安ホテル。支払いは現金のみというので、あわててATMでお金をおろした。ネットも別料金。受付のおにいさんの声が小さくて3回くらい聞き直さなければわからないとこも、ほんとに安ホテルっぽかった。部屋は、迷路みたいに階段をのぼったりおりたりして行き着いた先で、火事でもあったらここが死に場と思いながら、案内のおにいさんについていった。部屋には机もない。バスタブもない。まんがいちと思ってシャンプーとリンスもってきといて正解だった。大きな鏡があって、すすけたラジエーターがある。窓には木枠と木の扉が嵌っている。雰囲気だけはある。何か起こりそうではある。外は荒天で、かみなりが鳴ったり風が吹いたりしている。周囲には24時間営業のベーグル屋とかがある。出迎えてくれたAは、名前からすると、太った髪の毛が肩まであるようなおばさんかと思っていたのだが(この人の熱意にほだされたのだが)小柄でやせた、14、5歳の男の子たちみたいなレズビアンカップルの一人だった。ちょー感じイイので、たちまち気を良くして、あしたがんばろうと思ったのであった。でも客の入りはわからないそうだ。英語使わない詩人も、Aが担当しはじめてからは初めてなんだそうだ。

ぐちをこぼす

2014年05月27日(火)

きょうNYにいくのですごくすごく気が重い。呼んでくれた人の熱意にほだされてついOKしてしまったがほんとにほんとに行きたくない。呼んでくれた人たちはどうせ日本語なんか読まないだろうし、こんなブログも知らないだろうからぶっちゃけて言うが、ほんとに気が重い。30分かそこらの朗読するのに3日使って、空港で辛い思いして、出かける意義がわかんない。しかも行き来に使う航空会社はUSAirwaysで、いつものUAじゃなく、ついこないだスターアライアンスから脱退したという。それで空港のラウンジが使えない。とっても不快な数時間をフェニックスかどこかで過ごすのだ。待ち時間がやたらに長い。きのうはトメに英訳を表示するPowerPointを作ってもらった。前自分でやったら、2つ作るのに3日かかったから、今回はトメに下請けに出したのである。とにかくJもいない、一人でやるしかないのでよけい不安。車で動けないからさらに不安。知らない大都市はだいっきらいだ。仕事多すぎて、遊んでるひまはないし、遊ぶつもりもない。一人旅がそもそもきらい。旅そのものがきらい。知らないとこに行くのがきらい。芭蕉も西行も誰ソレって感じ。せめて音楽だけでもと思い、ずっとほしかったKeenlysideの出ているCDを2,3枚買い込んでiPodに入れた。しかしそのiPodもむかーしのclassicだから、すごーく重くて使いにくい。トメのは新しいからちょー軽くて使いやすい。うらやましい。もういい加減ねないと。

時差ボケと聖書

2014年05月26日(月)

日本に1週間しかいなかったのに、しっかり時差ボケておる。夜(宵の口)猛烈に眠くなり、眠りこけ、真夜中に起きだして今に至る。朝は犬に起こされるのでいやいや起きて、ズンバやってるうちに紛れ、午後また猛烈に眠くなり、泥のように眠りこけて夕食前に起きて、ないしは犬に起こされて、ごはんを作って食べる。というスケジュール。ここ数日、夕方のズンバがないか、Mが教えてないから行かないかで、夕方はリラックスしていたのである。
聖書の翻訳は、さいしょ漢訳聖書からやってたようだ。そしてそれは「遺詔全書」(1822)や「神天聖書」(1823〜1824)をもとにした改訳版の「新約全書」(イギリス版は1852、アメリカ版は1861年)のようだ。ってとこまでわかってきた。ニコライも最初は漢訳聖書を使っていたらしい。ニコライのはまた独特ですごく読みにくいけどすてきなのである。なんてことやってないで、さー仕事仕事。

ありのままの

2014年05月26日(月)

Frozen、つまり「アナ雪」が、ダブル女主人公というのが話題になったそうだが、ダブル女主人公なら、「トトロ」も「ナウシカ」もそうではないか。1人の人格の裏表という面でも。「いい子」からの逸脱という面でも。って、みんな言ってることかしらねー。

『瞼の母』

2014年05月25日(日)

日本で買った本の中に小林まことの『瞼の母』がある。長谷川伸シリーズの完結。いやーーーよかった。結末を変えてある。うちの母も『瞼の母』が大好きだった。その結末に、ものすごく悲しい思いをしながら、それでも感動して、もだえ泣いていたはずだ。母がこの漫画を読んだら、結末に、違うと思いつつも、ああ、でもこうなってほしかった、この結末を読むのが夢だったと、心の底から思ったはずだ。主役は東三四郎、脇役では森の石松役の千代崎がよかった。このシリーズの『沓掛時次郎』、雨竜光二という比較的マイナーな役者が主演だったが、絶品だった。この小林まことの『瞼の母』と『沓掛時次郎』の話をY折先生にしたら、「家族の話なんだ、震災以来、家族の話がもとめられているんだ」とおっしゃっておられた。なるほどーーー。

逃避…聖書のことば

2014年05月24日(土)

前々回の日本行きで、岩波文庫の『文語訳新約聖書』をかひもとめ、昔、初めて読んだ聖書というのは父の持ってたやつだから、たぶんコレ。で、読んでいるうちに、このことばはどこから来ているものかものすごくものすごく気になったのである。なんか違う、江戸とは違うし、鷗外とも違う。鴎外の翻訳のことばがどこから来ているのかもずっと気になっていたけど、聖書はもっと古い。そしたらこないだベイエリアで、Jが『聖書の日本語』(岩波書店)という本がおもしろいと教えてくれた。それで今回の日本行きで買ってきた。で、鴎外そっちのけに読んでるがすごくおもしろい。最初の「明治元訳」(1879年に翻訳しおえた)は中国語訳聖書からの影響とともに、『親鸞聖人御一代記』『童蒙をしへ草』(福沢諭吉訳1972年)と貝原益軒(1630-1714)の文章をモデルにしたんだそうだ。親鸞聖人御一代記はみつけられなかった(蓮如の一代記はみつかった)、をしへ草はみつけた、でも他の福沢諭吉(1835-1901)をいろいろ読んでみると、『西洋事情』(1866〜)『学問のすすめ』(1872)おおっコレコレというような明治元訳聖書の日本語への近しさを感じるではないか。諭吉は、明治初期ないしは江戸末期に共通する話し言葉的書き言葉を使ってたのかもしれない。諭吉による造語もいっぱいあるようだ。鴎外より27年も早く生まれて、もっとずっと早く外国語と格闘し始めた人だ。鴎外、黎明期とばかり考えていたが、諭吉はもっともっと暗闇の中だった。ああ、あたしもこの時代に生まれたかった。手探りでことばを作り出す。この時代の人たちはみんな明治元訳聖書みたいなことばでものを書いていたのかもしれない。他に誰がと考えたが、龍馬は青空文庫に入ってない。勝海舟はくだけすぎている。榎本武揚どうかと思って青空文庫をさぐったら、なんと鴎外の本の跋文書いてるが、漢文だったーーーーー。てなことしてないで、さー仕事仕事。

カリフォルニアに帰った

2014年05月23日(金)

とはいうもののLAXで待ち時間が長くて睡魔とたたかいながら待っている。仕事する気になれないし。Nちゃんちで読書用のメガネを踏んで壊してしまったので、本読むのがちょっとつらい(でもまあ読める、コンピュータ用のメガネで)。頭のなかで、機内で見ていたFrozenの「れりごーれりごー」が鳴り響いている。

リスの供養

2014年05月14日(水)

家の前の道、家のまん前じゃなくて、ななめ前くらいのところの歩道近くに、リスが死んでいた。場所からするに道に飛び出し、はねられて死んだようだ。朝、ズンバにいくとき気がついて、帰ってきたときは目に入らなくて、すっかり忘れていて、犬たちを散歩に連れ出したときにまた見た。あたしは何がきらいといって、死骸がきらい。生きてるものはリスでもネズミでもクモでもヘビでもいくらでもさわれる。ミミズやケムシは好きじゃないけど、まあさわれる。しかし死んだものはだめなのだ。さわれない。近づけない。なんだか小さい頃にトラウマがあるような気がしてしかたがないほど。しかしサンタアナだった。じりじりと干し上がるような酷熱の車道に転がしておくのはあまりに哀れだった。脳裏を、さまざまな話、霊異記や発心集や法華験記や方丈記やらの死者の話や死者を供養した人の話が行き来した。しかたがない、あたしだってこう見えても仏教関係者のはしくれ、死骸こわいさわれないなどといってる場合じゃない、今までの仏教三昧はなんだったのか、ここは万難を排してでもこのリスをきちんと供養してやるべきではないのか、そう決意して、犬どもを家に入れたあと、ちりとりを持って近づいて、ちりとりにすくい取ろうとしたが、リスは大きくて重たくて、なかなかちりとりにすくい取れないのである。死体の体重が手に伝わってきた。一瞬手でつかんで、ちりとりに(てか、それしかないじゃないか)と考えたが、やはり、ちょっと、それはこわすぎた。それでしかたがない、歩道のすみまでちりとりごと死体を押して、なんとかコジ乗せると、そのまま重たいちりとりを捧げ持って、うちの前庭のニオイゼラニウムの藪までそっと運んで、そこにぽとんと落として、「ニオイゼラニウム葬」にしてやろうと思っていた(近刊『木霊草霊』参照のこと。岩波書店)。ニオイゼラニウムは肉食で、そこに落とし入れると、死んだネズミも死んだスズメも何もかもあっという間に食って、無にしてくれる。あたしもやってもらいたい「ニオイゼラニウム葬」だ。ところがゼラニウムの藪には枝が縦横無尽に張っていたので、その上に落ちてしまった。それで長い棒を探してきて、死体を転がし、動かして、下に、地面の上に落として、上からニオイゼラニウムで覆いかぶせるということを必死でやった。車は道をばんばん通りすぎていった。へっぴり腰でリスをすくい取る、リスを運ぶあたしの姿は人に見られ、あのおばさん何をやってんだと思われていたはず。リスの供養とは誰も思うまい。

またサンタアナ

2014年05月13日(火)

またサンタアナ。今週いっぱい続くらしい。しかも木曜日には気温も36度くらいまであがるらしい。この湿度の低さに36度は強烈だ。今日は月曜日、つまり1週間まるまる続くわけだ。地球温暖化だ、昔はサンタアナといえば1日で過ぎ去った、1週間続くサンタアナなんてありえなかった、と土地の古老は言ってるが、気づくのがおそいっての。東京の温暖化はこんなもんじゃないぞうー、熊本の温暖化もこんなもんじゃないぞうー、と大声で唱えながら歩きたい感じ。でも酷い。何もかも乾き上がって死に絶えている。ゼラニウムの花の色も乾いて褪せている。賢治に見せたら、もっともっとおろおろして歩きまわるであろう。

アルファ犬と名著『バリトンの一生』について

2014年05月12日(月)

きょうスーパーに買い物にいったらばったりズンバ仲間に出会った。へんな感じだった。人間だったのかという感じ、自分が。ここ数日間風邪ひいてたから、ズンバやってなかった。それで人としゃべってなかった。風邪ひいてたから、年寄りにうつしちゃいけないと思って、夜も下の客用寝室で寝ていた。ここはベッドが低いから犬どもが大っぴらに乗ってくる。それでもう二晩、犬たちにまみれながら寝ていた。もちろん仕事部屋は犬部屋である。外に出るといったら犬をつれて散歩である。すっかり自分は、犬の群れのα犬の気分になっていた。人間らしいこともろくにしてなかった。これで満月にでもなったらあぶないとこだった。
いや、人間らしく仕事もしている。今は『女の一生』というのを書いてるのだが、なかなか書けなくて悶々としている。悶々としながら、一日じゅう、Keenlyside の声を聞いている。『女の一生』より『バリトンの一生』や『パパゲーノの一生』のほうが書けそうな気がしている。

ついに完成 Zurek(Zの上に丸点)

2014年05月10日(土)

żurek(ジュレック ポーランドの発酵ライ麦パンのスープ)がとうとう完成した。まずライ麦粉にぬるま湯を混ぜ、にんにくを数かけ、サワドウブレッド(ないしはライ麦パンでも)のかけらも入れて、放置する。ライ麦粉はほかの粉より空気中のイーストを捉えて発酵しやすいそうだ。そしてパンのかけらを入れるのは発酵を助けるためだ。毎日、少し捨てて、新しいライ麦粉とぬるま湯を足してやる。数日して発酵してねばってくる。うちは涼しいのでなかなか発酵しなかったから、一週間近くかかった。←これでジュレックの素はできた。にんにくを入れずに、ただ発酵だけさせると、これがサワドウブレッド(文字通り、すっぱい生地のパン、なわけだ)のたねになる。イースト入れずに発酵ができるわけだ。
ソーセージの切れ端、人参、じゃがいもなどをてきとうに煮て、チキンスープを入れて、ジュレックの素を入れる。大さじ1〜2杯で充分。発酵しまくっているから、とろとろして気持ち悪いが、勇気を出して。そしてザワークラウト(これもキャベツの発酵したやつなわけだ)の汁を足す。キャベツ汁はすっぱいので、適当に調節しながら。乾燥マージョラムをけっこうたくさん振り込む。大さじ1杯くらい入れるといい感じ。出来上がりにサワークリーム(これもまたクリームの発酵したやつなわけだ)をひとさじ混ぜる。お皿につぎわけたときに上に固茹で卵をのせる。←どうしてか、いつものっている。
ついに完成したポーランドの純正ジュレック。もういつでも食べられる。ずっとずっと食べたかったのだ。昔は、八百屋で、びん入りの素を売っていた。よく買ってきて、みそ汁みたいだとかいいながら食べていた。今考えるとあれは発酵ライ麦粉にキャベツ汁を足して水で薄めたやつだった。

The worst thing, ever!

2014年05月09日(金)

この間つれあいの旧友に会った。杖をついてよれよれのつれあいだが、相手もまたよれよれだった。つい最近腎臓を一つとる手術をしたといっていた。若い頃はコンピュータと事業でぶいぶい言わせていた人だ。同じコンピュータ関係者でも、アートに引きこもっていたうちのつれあいよりずっと裕福な老後ではある。ひとしきりお互いの健康の衰えについて報告し合った後で、「ほんとに年取るっていうことは not fun at all」とつれあいがつぶやくと、友人は「The worst thing, ever!」と強く頷いた。訳したら、「今まで経験したことの中でいちばんいやなことだ」みたいな感じだが、英語の表現の簡潔な力強さにちょっと感動して、覚えておきたいと思ったのだ。

もうすぐ日本とつれあいの不調

2014年05月09日(金)

最近書いてないのは、もうすぐ日本行きが迫ってストレスに押しつぶされているせいと、つれあいの調子がおそろしく悪いのに振り回されているせい。父の経験から鑑みるに、まだしばらく生きるとは思うんだけど、年寄りはわかんないから。黙ってしずかに老いていけばいいのに、伴走するつもりはあるのに、ため息やらうめきやらののしりやら……騒がしいことである。老いるというのは、いたくて苦しいことなのかもしれない。そして当然ながらこの男はあたしのおとうさんじゃない。それであたしも、父に持ってたような忍耐やら辛抱やらは持ち合わせない。それで、無視したり抗ったりしているので、よけいつかれる。今から考えると父のエゴ度はほんとに低くて、つきあいやすい人であった。

ゆうこさんのダンス

2014年05月07日(水)

いちどゆうこさんと組んでみたい。可世木祐子さんである。何をやるのか、たぶんゆうこさんは体を動かして、あたしはことばをだすんだろう。こないだもちょっと構想しかけたが、ゆうこさんはベルリンであたしはカリフォルニアで、なかなか実現しないのである。その上、いったいダンスと詩に何ができるのかというのもまだ皆目わかってない。もしかしたら今というよりは、じっくり考えていって、ゆうこさんが皺くちゃの婆さんになり、年上のあたしが歩けないくらいの老い果てた婆さんになった頃、肉体をさらしながら組むのもいいかもしれないなと考えている。今のゆうこさんの肉体があんまりスリリングなので、皺くちゃ婆さんになったゆうこさんの肉体を見てみたいのだ。そしてその肉体とことばを絡ませてみたいのだ。で、東京で、いくつもゆうこさんの公演がある。

◎5月10日(土)開演19:00
「Unspelled」
カセキユウコーソロダンス
志賀信夫さんとのアフタトークと懇談会

料金:2000円
お問い合わせ先:butohart@gmail.com
090-2452-2116 Shiga(要予約)
場所:アートスペース .kiten
135-0016 東京都江東区東陽4-7-10 
東陽町ハイホームA棟121
www.facebook.com/arts.kiten


◎5月13日(火)開場19:30 開演20:00
即興公演
「A step to dust - unfinished moment」
カセキユウコーダンス
森重靖宗ーチェロ、ヴォイス

Artspace 呼応/co-oh
新宿区四谷3-6 結城ビル地下1階
東京メトロ丸ノ内線四谷三丁目駅4番出口より徒歩1-2分

入場料 2000円+500円のワンドリンク
お問い合わせ 先:coohtokyo@gmail.com
http://www.cooh-studio.com/
https://www.facebook.com/events/312403532244268/

森重靖宗 / morishige yasumune
チェロによる独特な即興演奏を行う。国内外の音楽家、舞踏家等と数多く共演。従来のチェロの奏法にとらわれない自由な演奏から生み出されるその音響は、繊細でありながら自在にして豊饒である。チェロとヴォーカルによるオリジナル曲の弾き語りや、ピアノによる音響的な即興演奏なども行なう。音楽活動以外にも写真作品集 "photographs" を powershovel booksより出版。

◎5月14日(水)開場18:30 開演19:00
Club Lunatica presents
「CONNY OCHS / BABY Universal - Japan Tour 2014」

ドイツを拠点にヨーロッパ各地を旅するダーク・フォークの詩人Conny Ochs、初のジャパンツアー!
【出演】Conny Ochs with Hannes Scheffler、KANABOON、西山正規&ジャッカル、谷口マルタ正明グループ+カセキユウコ

ご予約¥2,000 当日¥2,500 (税込みドリンク別)
お問い合わせ先:contact:03-6427-4651, lastwaltz@shiosai.com
場所:Last Waltz
150-0002 東京都渋谷区渋谷2-12-13 八千代ビルB1F
http://lastwaltz.info

サンタアナと反省

2014年05月01日(木)

サンタアナなのにLong Beachのカリフォルニア州立大学Long Beach校までかっ飛ばして、Jに再会し、朗読し、しゃべって笑って、かっ飛ばして帰ってきた。呼んでくれた先生、JSさん、すごくおもしろい人で、あたしの震災のときの詩(朝日に書いたやつ)について、川端がノーベル賞もらったときのスピーチに(本来の変態性なんか棚に上げちゃって日本の古典文学や古典文化をひきあいに出してきている)似ていると指摘され、げげっと思い、ぎょっとし、しかし冷静に見なおしてみると的確な指摘で、たしかにわからないもの、巨大なものに直面したとき(川端の場合はノーベル賞と国際社会、あたしの場合は311)日本の文化に隠れ、あわよくば逃げようとしている態度である。ものすごく反省したのである。

サンタアナ

2014年05月01日(木)

サンタアナでものすごい風、ものすごい暑さ、枯れた蔓を手にとったら蔓も葉もこなごなに砕けた。

   
談話室 リンク集「豆の茎」 メルマガ「豆蔵通信」 サイトマップ