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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

Keenlyside祭り つづき

2014年04月30日(水)

KeenlysideがReneeFlemingに舞台裏でインタビューされて、あなたはsingerかactorかときかれているYouTubeをみていた。そしたらKeenlysideは、いままでdistinctionしたことがない、むしろ自分はstory tellerだ、narratorだ、お話を語りたいだけだ、私がやってきたこと(オペラ)は、けっきょく人間の本質に、自分たちが何かについて、そして普遍的な人間性に、つながっていく、というようなことを言っていた。泣けた。だからスキ。

佐々木幹郎@橙書店

2014年04月29日(火)

佐々木幹郎 トーク&朗読会 
   『東北を聴く―民謡の原点を訪ねて』
          橙大学 2014 第一回
 
「唄のうまれる 瞬間に迫りゆく 稀有な旅の記録」
           
詩人・佐々木幹郎さんをお招きして、
『東北を聴く―民謡の原点を訪ねて』をめぐる
トークイベントを開催します。

修羅場をくぐり抜けてきた語りのことばの強さ。
聴く人がいるときに始まる物語。   
詩人が、津軽三味線の二代目高橋竹山とともに、
東日本大震災の直後に被災地の村々を行脚した
稀有な旅の記録。

詩の朗読をまじえ、
その旅のお話を中心に語って頂きます。

日時   5月31日(土)
     13:30開場 14:00開演
料金   1500円(1ドリンク付)
場所   橙書店
お問合せ orange/橙書店 096-355-1276    
     http://www.zakkacafe-orange.com/
     kumamotoband@gmail.com(熊本文学隊)
     ご予約ください。 

パパゲーノの詳細

2014年04月28日(月)

あいかわらずKeenlyside祭りが激しく続いていて、CDも買ったし、DVDも買った。そしてネットを探しまわるうちに、「魔笛」で、ROHで、同じMcVicarの演出で、知らない人が同じ服着てPapagenoやってるやつをみつけた。知らない人といってもあたしが知らないだけで知ってる人は知ってるのであろう。ところがなっちゃないのである。よそのバカっぽいパパゲーノをちょっと自然主義で味付けしただけの、生ぬるさ。同じ演出だが、Keenlysideが表現する、笛を咄嗟に双眼鏡にするおかしさや、やっと会えた興奮や、ベッドに飛び乗る楽しさや、女の子の顔にぶつからないように帽子を直す仕草や、子どもたちを引き受けるお父さんらしさは、ないのである。オペラというもの、こうしてあちこち見てみると、みんな演技が子どもだましで、もちろん演技以上の凄い能力があるから、みなさんああして舞台に立ってるわけだが、いちど宝塚というのを見たときにも演技が子どもだましで驚いたが、まああんな感じがした。つまり真に迫る演技と歌は別物で、子どもだましでもぜんぜんかまわないのだろう。むしろ語り物と同じで、おはなしの枠があるから、リアリティなんて必要ないのであろう。とくに「魔笛」は、どこのやつも子ども向けっぽく作られていて、「おかあさんといっしょ」みたいな子どもだましさが感じられるものばかり。しかしKeenlysideにかぎってはそうじゃない。絶望と恍惚をいったりきたりで、太宰みたい。荒唐無稽な話の、ちょー適当なキャラなのに、歌なんか歌わずに、歌えずに、普通に生きているあたしやあたしたちと同じ人間に思えて、切なくなるのである。手の動き、からだの動き、表情、視線、見ても見ても見飽きないが、この熱意は多分にKeenlysideだけじゃなくて、仕事においつめられているところから来ている、つまり逃避だということもよくわかってるのであります。

漫画

2014年04月28日(月)

ネット書店の無料漫画雑誌を読んでいたのだが、ときどき読んでいるのだが、新人用の雑誌なんだが、新人たちがいいネタでおもしろいものを描いてるんだが、いかんせん井上雄彦の影響強すぎ、と文句をいいかけて、いやまて、漫画という分野そのものが、こうやってアシあがりか何か知らないが、人の模倣することからはじめていく分野なのかもしれないなあと思ったのである。あの浦沢直樹にも大友克洋そっくりだった時期があるし、いくえみ綾も一時期紡木たくだった(この人の場合は、ちゃんと確立した漫画家になってからそういう変化を通過したので驚いて読みやめてしまったが、こないだひさしぶりに読んだらよくなっていた)。吉田秋生なんて、さいしょの頃は吉田秋生でとてもよかったのに、そのあといろんな影響受けすぎて、なにがなんだかわかんなくなってそのまま評価できるもの描いてるからなあ。かくいうあたしも、子どもの頃うつしたうつした、丸うつしして、なるべく似せるように。コピー機なかった頃だ。あたしの場合は石森章太郎だ。漫画家なら「デビュー前のいい話」で終わるが漫画家じゃない。実は詩も必死でうつした。中也とか中也とか。中也とか。朔太郎とか。賢治とか。

雨とビゴス

2014年04月27日(日)

昨日一日、雲が多くてかんかん照りじゃなくて気持ちがよかった。そしたら夜になって雨が降った。これはすごいことだ。夜半、車を外に出した(洗車である)。朝になったらすっかり洗い上がっていた。こういう雨が一週間に一ぺんずつ降ればいいのだが。そうしたらみんな緑になり、植生がすっかり変わってしまうんだろう。それはそれでいいじゃないかと思うけどね。
で、今朝の散歩は荒れ地へ。まあ一晩の雨じゃそこまで変化はないが、気持ち的に余裕がみえるというか。いきいきしているというか。雨がふるといきなり葉をつけるというパロヴェルデの木には花が咲いていたが、前から咲いていたのかもしれないし。
ワシントンのPからもらい受けてきたサワドウのたねはたぶんダメになった。もういちどやり直さねば。なにがいけないのかわからない。午後、Sたちが来るというのでビゴスを作った。しょうゆもみりんもしいたけも入ってない純正ビゴスだ。前はみりんとかしょうゆとかどうしても入れずはいられなかったが、ロンドンのポーランド料理屋でひさしぶりに本物を食べたら、脳内にしょうゆみりんなしのビゴスの味が蘇った。玉ねぎをよくよく炒めて、千切りキャベツと酢キャベツ(洗わない)、人参、マージョラム、粒胡椒、ネズの実、ソーセージやベーコンの切れ端、きのこ(ほんとは干したやつ、でもしいたけだと和風にひきずられるのでダメ)、トマトペースト、チキンスープで、くつくつ煮る。

日本語

2014年04月26日(土)

あしたはMのズンバがない。いや、あるけど、Mはいなくて代わりの先生だ。なんたることだ……。きょういっぱい日本語でしゃべった。ANAの人としゃべり、「さくら」のM子さんとしゃべり、ズンバでSさん(日本人)としゃべり、東京のSさんとしゃべった。

熊本文学隊

2014年04月25日(金)

いま、熊本文学隊はふつふつと沸騰しております。

おちこみ対策秘伝

2014年04月24日(木)

おちこみ対策としては、おもしろいサイトで笑うだけじゃなくて、まだいろいろやってみておる。まず、以前Sさんにもらったようかん、とらやのすごいやつ、とうとう開けて、爆食したのであーる。1/3くらい食べたかも。あまかった。甘さでだいぶ癒えた。それから、ひさしぶりに手裏剣、イギリスにいってからしばらくやってなかった。それを何十本か、ばすばすとたてつづけに撃ち込んだ。実に爽快。だれかを殺してるつもり、なんていうのではなく、単純にとても抽象的な快感だ。しいていえば射精に近い…とやったこともないくせによく言うよ。それから犬の散歩。だれもいない道をリーシ放してさんにんでうろついた。ときどき呼ぶ。呼べば来る。来たら撫でる。撫でればよろこぶ。それでこっちに力がみなぎる。それからズンバ、あいにくと、Mのクラスはなくて、Kのクラス。しかしKのクラスはこれまた激しいので有名だ。おもいっきり動いて腰を回した。それから極めつけはROHのパパゲーノ。これはYouTubeでコマ切れなのを見る。やっぱいい、Simon Keenlysideはいい、と思いながら、Simonの絶望と喜びに身を浸しているうちに、目の前の苦を忘れる、忘れて立ち直るという寸法だ。ワイン冷やしてなくて酒に溺れることはできなかった。今、『翻訳の日本語』(川村二郎)という本を読んでいるが、鴎外マジですごい(川村二郎は鴎外のことを辛辣にいってるときもある)あたしの説経節(WEB平凡に連載中)まだまだだ、と心から反省した。

おちこんだので

2014年04月24日(木)

あたしも人間、ちょっと落ち込むことがありまして、ネットで、「別種の犬をかけあわせたミックス犬」や「珍名ネタ」や「動物のびっくりした顔」や…を見て、笑っておりました。でも仕事はしてます。今日は「さくら」老人会の日だが、しめきりがせっぱつまりすぎて行ってない。ずっと行ってない。あたしが行かれないでいるうちに、おばあさんたち、来られなくなった人が何人もいるそうだ。

マーマイトと逃避

2014年04月23日(水)

イギリス名物のマーマイトにあたるものは、日本文化ではなにかと考えていたのである。労働者階級が、チープにごはんにかけ(イギリスではパンに塗って)食べられるもの、大量生産のもの、どこへでも運べて、それなりの栄養を期待できるもの、とすると、ふりかけか、のりの佃煮(色も形状も、もしかしたら味も、マーマイトに似ている)と思って調べてみると、丸美屋の「のりたま」が1960年、永谷園の「お茶漬け海苔」は1952年、桃屋の「江戸むらさき」が1950年、おお、どれもよく食べた。ちなみに「魚肉ソーセージ」が1951〜2年、「かっぱえびせん」が1964年、「チキンラーメン」が1958年、と。高度成長期なんである。してみると、イギリス文化における産業革命の変化とは、つまり日本文化においては、高度成長期であったのか、などという愚にもつかぬリサーチをして逃避してないで、さー、仕事、仕事。ああ、1粒のめばぱっと集中できるような薬、ないしはドリンクがあれば、後先考えずに濫用するのだが……。Monsterなるものを愛飲しているが、集中できるかというと、効果はプラシーボ。でも飲む。

Mの道場

2014年04月22日(火)

ZumbaのMが自分の道場を持つそうで、facebookでみんなが(といってもzumba仲間ね)inviteされている。着々とみんなが応えている(あたしも。行かいでか!)。しかしここに問題が。おばさん(ズンバの仲間は例外なくおばさん)という生き物は、侠気があり、つきあいやすく、物怖じせず、あけっぴろげで、大好きなのだが、シブいのが玉に瑕なのだ。今まではYなりTなりのジムに属しておれば、つまりそっちの会費を払っておればズンバのクラスとりほうだいというビュッフェ式だったが、こんどの新道場は毎回10ドル。それできょうも、Yジムで、あたしたちはYのメンバーなんだから安くしてくれるかもね、みたいなことをおばさん仲間が話しておった。おして知るべし、新道場の集まりはあまりよくない。以前、T(個人トレーニング道場を経営しているが、昔、Yジムでクラスを教えていた)に、Yジムで教えたらいくらもらえるのかときいたら、1クラス30ドルとかなんとか、えっというような答えがかえってきた。あたしは、1クラスにつき2〜300ドルはもらえているんじゃないか、価値からいったらもっとだと思っていたのである。浅墓であった。新道場をはじめるにあたって、場所代もかかるわけだし、みんなの大好きなMが、決意してはじめたんだ、シブいこといってないで、応援してあげようよー、とイライラハラハラしておる。まさにこの年代層の女があたしの読者なんである。本質的にみんなシブいはずなのに、本を買ってくださる。みなさん、ほんとにありがとう。

マーマイト

2014年04月22日(火)

イギリスの片田舎のJの家でみんなで食べた、イギリス名物マーマイトを塗ったトーストがとてもウマかった。また食べたくてしかたがないが、イギリスの食料品ばかりおいてあったイギリス屋(仮名)は数年前に閉まってしまい、アジア物がわりと豊富なRalph'sという大型スーパーにもなく、Trader Joe'sにないのは知ってるし、Sproutにあるとは思えないので、今日はWhole Foodsにいってみたのだが、ジャムの棚にもソースやしょうゆの棚にもスパイスの棚にもなかったのである。あとはイギリス人のCに入手先をきくしかない(前にCの家でマーマイトを見た)、ないしは来週ベイエリアにいったとき、カノコの家の近くのヨーロッパ食品専門店で買うか(前にそこでイギリス名物のゴールデンシロップを買った。カノコは父の日とかクリスマスとかにそこでイギリス名物のマーマーレードとかを買って、つれあいに送ってきてくれる)と思いつつ、Amazonいったらあるじゃないの。さっそく注文したのである。どんなものかというと、どす黒い、タールみたいな色と形の、しょうゆを煮固めたようなものだ。何よりすごいのは、発酵臭がすることだ。ぬったりとぬってもなかなか伸ばせないが、最初にバターをぬっておくとよく伸びる。しょっぱい上にしつこいので、あんまりたくさんは塗らない。少しだけでいいのである。これもまた、他の多くのものと同じように(フィッシュ&チップスやシリアルや煉瓦の建物やお酒のジンや……)イギリスの産業革命で需要がのびて、工業化で、大量生産が可能になって、広がったものだ。つまり都市部に流れ込んできた大量の労働者が、かんたんに食事を摂るためのチープな食材。

イースター

2014年04月21日(月)

きのうはズンバに2回行った。からだは案の定なまっていた。1回めは8時半でCだが、Cは休みでかわりの人が教えた。エアロビっぽい動きをする人で、今いちおもしろくなく、これなら犬を散歩につれてったほうがよかったなあと思いつつやって、犬を散歩につれていって、12時のM。やっぱMはすごい。おもしろいもへったくれもなく、動かされてしまうのである。Mはもうすぐ自分のズンバ道場を持つのでいつもよりさらに気合が入っていて、それがみんなにも伝わって、みんなが雄叫びをあげていた。そしてあたしはときどき息が切れた。今日は犬を洗ってのみよけの薬をさした。もう咬まれてあちこちかゆい。その上、2匹ともユーカリの花殻を全身にこびりつかせて、家中にこぼし歩いておる。世間はイースターで、きのう(土曜日)から、近所のルーテル派の教会には「イエスがライジング」というのぼりがたっている。きょう(日曜日)は人の出入りが多いから、犬たちは夕方まで散歩につれていかない。小さい子どもがいないとイースターもなんとなく過ぎる。ちょっと前はパスオーパーだったが、つれあいはそういうことに何の興味もなく、毎年なんにもしない。

かへりまひた

2014年04月19日(土)

犬はすごく喜んだ。

ケイ・スカーペッタとエルマーのぼうけん

2014年04月18日(金)

ケイ・スカーペッタとクラブケーキの話、東京の友人Aさんから、その蟹料理のところがすごくよかったけど、ケイがいきなり若返ったのに憤慨してそれっきり読んでないというメールが来た。まさに昨日、愛読者だったというCとその話をしていたのである。ほんとうにあれは噴飯物だった。それまでのケイの物語は、アメリカに移住したばかりのあたしに、どれだけアメリカでの女の生き方とアメリカの現実を教えてくれたかわからない。残念である。ケイの老後を、アメリカの女のすさまじい老後をじっくり読んでみたかった。
『エルマーのぼうけん』については、いい話がある。
あたしは、たぶん、あの本を、日本で最初に読んだ子どもなのである。60年代のあの頃、父は凸版の下請け印刷工場で働いていた。ある日、今作ってる本がおもしろいといって、今でいったらゲラ状のものを家に持ち帰ってきた。倫理的にどうかはわからない。でも、それを自分で本のかたちにしてあたしに渡してくれた。63年初版発行だから、あたしは8歳。むちゅうで読んだ。もしかしたら『ドリトル先生アフリカゆき』みたいに、父が声に出して読んでくれたかもしれない。そのあと、父は本になったやつを買ってくれたから、たぶん岩波には迷惑をかけてないのだ。そしてそれはうちの娘たちもみんな読んだ。上の二人は日本語で読み、トメは英語で読んだ。英語版のタイトルは『My father's Dragon』、ルイ(my father's dog)のことを人に説明するたびについ「my father's dragon」といいかけて、おっとと思う。

旧友と蟹ケーキ

2014年04月18日(金)

つれあいの学生時代の友人は、つれあいと同じくらいの年頃の女で、夫も同じくらいの老人だった。待ち合わせたレストランについてすぐ、つれあいはトイレに駆け込んでいき、あとからCとあたしが車から出たところ、少し向こうに停めた車から出てきた小柄な、白髪の、脚のわるそうな高齢の女がこっちをじっとみつめているのである。××ですか? ときいたら、そうだと答えた。そこにつれあいもトイレから出てきて、テーブルについたのであるが、××はひたすらつれあいに向かい、熱心に、学生時代のあれやこれやをしゃべりまくっていた。それはつれあいはほとんど忘れていることのようだった。つれあいはこの再会にあきらかにショックを受けており、ショックを受けてるということを××にはひた隠しに隠していた。帰りの車の中でつれあいが言うには、「非論理的な頭で考えていたのだ、あの頃と同じような生き生きしたきびきびした若い女がやってくる、と」。それじゃ論理的な頭ではどう考えていたのかと聞くと、「ばかなことに、なんにも考えていなかった」と言った。××は、学生時代のことを、あの時代のことをかいておかなくちゃいけないと思うと強く主張し、今、回想録を書いているのだと言っていた。かいたら送るわね、みたいに言われて、あいまいに「ぜひ」とかなんとか言ってたつれあいであった。まあしかし、そのレストランのクラブケーキはおいしかった。蟹肉を少しのつなぎで豪華にまとめて、丸めて焼いた料理である。『検死官』シリーズ(舞台はまさにこのへん)にも出てくるクラブケーキ、ケイ・スカーペッタが、懇意の魚屋で、作り方も教えてもらいながら蟹肉を買うところが印象に残っている。

メリーランドの植物

2014年04月18日(金)

つれあいが旧友に会いたいというので、Cに運転してもらって、あたしはいやいやついていった。チェサピークベイの向こう側(そこもメリーランド州)に行ったのだが、道々すごいものを見たのである。白い花の咲く、バラ科落葉高木で、満開であった。いい感じの上に伸びる木で大きすぎず小さすぎず、道路脇などにいかにも植えられたように生えていたが、そのうち、道路脇から逃げ出して林をつくり、いちめんの林になり、野生だったのかなと思うとまた道路脇などに植えられたみたいに生えていて、色もいろいろ、あるものは葉のない木にまっ白に花だけ咲いてるが、あるものは白い花に淡緑の葉がまじりこんでいて、あるものは淡緑の木の中に白い花が咲いているというぐあいで、つまり白から緑までグラデーションになってるのである。木は細長く、紡錘形をしており、幹は枝分かれをする。あれはなんだろうと話しながら向こうについて、土地の古老に聞いたところ、ホーソーン(サンザシ)だ、旺盛にいくらでも殖えるという。ホーソーンか、とうとう見たなどと思いつつも、なんか違う、サンザシというのはたしか藪状の灌木だったはず。で、帰ってきて、いつもの伝で調べ上げてるうちにたどりついたのが、Pyrus Calleryana 和名でマメナシないしはイヌナシという東アジア原産の植物。東海地方には自生地がいくつもあるそうだ。アジアナシの原種だそうだ。花は清楚で紅葉も美しく、観賞用の植物として手びろく植えられて(他にも使い道はあるようだ)まんまと逃げ出し、うち広がり、野山をおおい、今じゃこの辺で、invasiveな植物として扱われているそうだ。いやまったく、その広がり方は尋常じゃなかった。
それからinvasive plantとしてのクズをとうとう見た。みたいみたいと思っていたのだ。アメリカで生きてるクズ。カリフォルニアにはないのである。クズは枯れ果てて無残な骸をさらしていたが、骸でさえ、いろんなものの上にからみついて生前のエネルギーをあたしたちに見せつけるのだ。どんなに死んでも、クズならいくらでも蘇ってくる。毛の生えた先端をするすると伸ばしていろんなところにもぐりこんでくる。これについては『木霊草霊』にじっくり書いたので、そっちをぜひ読んでください(岩波書店近刊)。
それから湿地帯を通り過ぎたとき、見たのがなんとスカンクキャベツの大群、もう花は終わって、緑の葉を思い切り生やしていた。これは日本語ではザゼンソウ、サトイモ科だが、雪を突き抜けて花(ミズバショウをどす黒くしたような花)を咲かすとき、熱を発して雪を溶かすんだそうだ。そしてエルマーの友だちのりゅうの大好物なんだそうだ。

ナショナルモール

2014年04月17日(木)

ワシントンの町には、ナショナルモールなる大広場があって、国会議事堂からワシントン記念碑まで、まるまる見渡せる広大な芝生の大通りで、両側に豪壮な壮大な荘厳な建物がうち並び、それがスミソニアン博物館や国立ギャラリーや先住民博物館や歴史博物館や植物園などである。まず連想したのは、ウンター・デン・リンデンと博物館島。つくりがまったく同じで、豪壮さもよく似ている。俺様な感じも似ているし、虚勢張った感じもよく似ている。ロンドンのサウスケンジントンやトラファルガー広場のあたりともよく似ているが、ロンドンはもっと狭くてごちゃごちゃとある。もうすでに古いものがいっぱいあったから場所が取れなかったようだ。万博(1862)のあたりでいろんなものが揃えられるが、古いものはもっと古い。100年くらい古い、つまり18世紀に作りはじめられた印象。で、ベルリンはロンドンより少し新しい。20世紀にかかっているのもあって、鴎外のいたときには半分くらいはできてたが、あと半分はその後だ。そしてアメリカのはさらに新しい。広くて大きくて古めかしくて19世紀ヨーロッパの威勢をかたどっているけど、たいていのものは20世紀になってから作られている。ついこないだできたのもある。
ナショナル・モールも、ウンター・デン・リンデンも、規模は小さいがキューの庭園も、建物を目指して遠くから道が参道みたいにながながとひらけている、両側に木立がある、という構成になっている。ゴシックな教会の作りを、屋根を取り去って空の下に広げたみたいにも見える。
植物園はベルリンやキューよりずいぶんコンパクトであったし、中でへんな音楽を流してるとこがダサかった。あたしの植物好きは知れ渡っているので、もっと見ててもいいよとPたちに言われたが、やっぱベルリンとキューをじっくり見ちゃったので、植物園をみたい欲望はすっかりおさまっていて、一階のランの展示だけ見た。スミソニアンには松本喜三郎の生き人形が何体もあるはずだ。これはいつか見てみたい。
国立ギャラリーではつれあいの希望でセザンヌを中心に(神様だそうだ)。つれあいと絵をみるのはほんとーに嫌い。テイトでつれあいがいなくてほんとによかった。たまには一緒に見るかと思ってそばに行くと、セザンヌ、神様なのに文句たらたらでうっとうしかったから、すぐ離れた。あたしが離れても、Pは果敢につれあいのそばに行っておった。つきあいが長いからさすがに慣れてるのもしれない。
孝行息子のPが軽便な車いすを用意しておいてくれたので、つれあいはそれに乗ってどこまででも行けた。この町の車いすOKさはマジですごい。

花はさかりに

2014年04月17日(木)

月はくまなきをのみみるものかはといったって、こうまで散っちゃっちゃあ、花見とは言えないなという花見をしてきた。きのう空港の周囲で咲いてたのは正確にいえばサクラじゃなく他のバラ科落葉高木だったようだ。すごく寒かったが、きのうの雨で雲がぜんぶ吹き飛ばされて(花びらもすべて吹き飛ばされて)ぴーかんの青空。ジェファソン記念堂、ワシントン記念碑、リンカーン記念堂を遠くにみつつ(これは数年前に来たときじっくり見た)それから数々の美術館や博物館や植物園を回り抜いた。お昼は、先住民博物館で先住民食。バイソンステーキやワイルドライスや。Beech が花ざかり。いたるところで。ハナズオウも花ざかり。よく見たらマメ科だった。 

ワシントン

2014年04月16日(水)

ワシントンDC。マンチェスターから8時間だ。近い、近い。ものすごく楽だった。『河原荒草』に「待ってたら、待ってたへやが、そのままバスになって、動き出して、それから飛行機に、合体したよね、私はその乗り物を覚えていないのです」と書いたことがある。冒頭だ。そして最終章で「空港の待合室で待っていたら、待合室全体が動き出して、飛行機に合体しました」となるのだ。あれはもしかしたらワシントンのダレス空港のことだったのかも。ゲートから出て、たどりついた待合室で、待っていたら、その待合室全体が動き出して、合体した。飛行機じゃなくて、旅券審査場のある別の建物に。空港の敷地を、そういう待合室みたいな乗り物が何台も走っていた。P夫婦が迎えにきてくれて、Pの家に。途中はサクラだらけだった。満開のもあった。これから咲こうというのもあった。
P宅では、P夫婦が話をきいてくれ、ねぎらってくれて、あたしは気持ちがいい。Pたちはこの旅の本質をちゃんと見抜いていたのである。日本の社会的に言えば、あたしはPの義理の母だが(結婚してないけど)われわれは友人のような関係で、むしろPの方が万事おにいさん的にふるまっておる。現実をいえば、がんこ親父の処遇に苦慮する兄妹同盟なわけだ。以前はPの妻のCが、取っつきが悪くて、苦手で苦手で、頭が痛くなるほどだったが、この頃はどういうわけかまったくへいきになり、Cの善意ばかり見えてくる。人間関係って、考え方ひとつで、うそのようにすっきりすることもあるのだなと、万事OKのあたしとしては、新発見をした心持ちなのであった。しかしきのうまでの水道水のうまさがうそのように、ここワシントン郊外のバージニア州の某所(どこにいるかよく知らない)は水が不味い。

あしたアメリカに帰る

2014年04月15日(火)

来たときには浅かった春が、いる間にどんどん深くなって今や春らんまんだ。明朝、空港にいき、車を返して、飛行機に乗る。ワシントンに寄って帰る。そこにつれあいの息子がいる。つまりこれはつれあい孝行の旅なのである。あと一息でうちに帰れる。ほんとは一刻も早く帰って、犬に会い、Mのクラスに出たいのだが。なにしろ、つれあい孝行の以下同文。グラスゴーから乗ってたのはVauxhallというイギリスでしかうってないらしい車の、Astraというスポーツタイプなコンパクト車。マニュアルに最初はびびったが、むしろこっちの方が車の動きがびんびん来て、清志郎の歌のようだ。こんど車買うときはマニュアル車に、と思わぬでもない。

カレー・マイル

2014年04月15日(火)

マンチェスターにはカレー・マイルなる通りがあって、両側をインド料理屋が埋め尽くしているとつれあいの娘たちが言った。もともと世界でいちばん(インド以外に)いいインド料理に出会えるところはマンチェスターとつれあいがうたにうたっており、今回もマンチェスターではインド料理と心に決めてきたわけなので、カレー・マイルに行くのはやぶさかではなかったわけだ。ところがナビなしで、地図とgoogleマップのプリントアウトしたやつだけで、たどり着くのは容易ではなく、迷い、迷い、迷い、険悪になり(こういうとき、偉そうにしてあたしに責任をおしつけるいやな性格なのだ、つれあいは)さらに迷い、とうとうあたしが道を行く男に声をかけ(こういうとき、なるべく人にきかずに、なんとかしようとする狭量なのがつれあいなのだ)「カレー・マイル」ときくやたちまち男は要領よく教えてくれた。けっこう遠かった。近づくにつれ、道行く人がインド人ばかりになっていき、ついに、ほんとに両側がインド料理屋だらけの通りに出たのである。たまたまみつけた駐車スペースに車を入れると、ラッキーなことに、「カレー・マイル」のサイトで調べておいたおすすめ店の一つが目の前で、難なく店に入れたのである。
インド料理好きのつれあいは、日頃からカリフォルニアのインド料理屋に対する不平不満を大声で言いたてている。曰く「カリフォルニアではどこの店でも、ヴィンダルーを頼むと、辛さはどれくらいですかと訊く。ヴィンダルーはヴィンダルーだ。マスタード油で作り、ものすごく辛いのしかありえない」と。何を細かいことをと、あたしはせせら笑っているが、こっちのイギリス人たち(みんなインド料理にはくわしい)に言うと、みんなさもおかしそうに笑うので、それはいかにもへんてこなことらしい。そもそもアメリカでは、マスタード油は食用に許可されてないから、インド料理で使えないそうだ。気の毒に。
ともかくそういうわけで、店に入って注文したのが、キノコのパコラとチキンのヴィンダルーとオクラのなんとかとカリフラワーのなんとかだ。すごくすごくおいしかった。ヴィンダルー辛かった。マジで辛かった。からかったし、おいしかったし、食い過ぎた。その店には甘味部もあり、インド菓子を作って売っていたので、いくつか買ってきた。一つは四角くキャラメルっぽい牛乳味でくそ甘くしっとりしている。一つは丸くてシンプルな牛乳味でとってもしっとりしていてくそ甘い(これがいちばん気に入った)。一つは四角くてピスタチオのみじん切りが入っていて牛乳味でしっとりしてくそ甘い。つまりどれも牛乳味で、どれもくそ甘く、とてもウマかった。
迷いつつホテルに帰ってきたら、いっぱいの人出で駐車場も満杯で、人々は男がほとんどで、たくましくて短髪で、フーリガンみたいな顔をしておる。マンチェスターなんとかというサッカーチームのHPを調べてみたが、別に試合があるわけじゃないようだった。

マンチェスター

2014年04月15日(火)

みんなに別れて一路マンチェスター。チェシャーという地域を通り抜けつつ、ああここに猫が、と思いながら、北進し、迷い迷いホテルにたどり着いた。このあたりはサッカーのさかんなとこらしい。あちこちに、Footballがどうのという標識がある。こっちの文化の姻戚とのつきあいやすさに感動する。つきあいにくい人もいないわけではないが、それはたんに性格の問題で、こっちが素直になれば向こうも素直になって、あけっぴろげでつきあってくれる。日本の姻戚づきあいとは比べものにならない。年が近い女たちというのもあるかも。父親のつれあいといえども、年は同じくらいで、しかもたどたどしい英語の外国人(あたしのこと)、女たちの一人はオランダ人で(息子の妻)で、あたしほどではないが、多少はことばに苦労してきたそうだ。
こっちの春の田園風景の美しさにも感動しておる。看板がない。ノボリもない。ノボリや看板を立てたいとこっちの田舎の人は思わないらしい。小さい町や小さい村は昔のままの眠たそうな暮らしを維持しておる。昔のままの家々や庭々に住んでおる。ま緑の野にタンポポが咲き乱れ、垣根にはバラ科落葉灌木の白い花が咲き誇り、庭々のリンゴやナシやスモモの木々は満開で、ヒツジたちはのはらでねむそうです、おっとつい石井桃子から声をお借りしてしまった、ヒツジたちは野原で子だくさんであった。

きょうはお休み

2014年04月14日(月)

きょうは娘の家にもう一人の娘が孫をつれてやってくるので、あたしは別にいらないだろうと思って、しめきりが……という口実で(というかほんとにしめきりがあり、すべて遅れ果てて首がまわらなくなってるんだけど)ホテルに残っておった。自由な時間だった。そして夕食の直前に合流した。娘たちはあたしと同世代で、すごく話しやすい。スカイプで遠くにいる子と話したりもした。フィッシュ&チップスをあたしが食べたがっているので、近くのパブにつれていってくれた。今回のイギリス旅行で初めてでたぶん最後のフィッシュ&チップス。大きかった。おいしいが、ものすごくおいしい、また食べたいというものではない。この半分量で、ごはんと味噌汁と漬け物がついててしょうゆがついてりゃ言うことないわなー。とか思いながらも完食だ。ビールも1.5パイント、地元のShropshire Lassというのを。それから黒い、作りかけのスコッチみたいな、発酵中というふんいきのやつを。

さらなる考察 修業が足りない

2014年04月13日(日)

(承前)つれあいの老いは、前項で話したようなことがらだけじゃない。忘れっぽくなり、忘れたあげくの思い込みや勘違いが激しくなり、それをほとんど攻撃的に主張するようになった。それに対して、最初はこっちもむかついて、相手の間違いを正そうとしていたが、すでに慣れた。そのまま受け取って、相手が間違いにきづくのを待つのである。気づかなくとも、たいていの場合、そのままでOKなのである。
おしっこの失敗や心身の痛みで打ちのめされ、いつもいつもため息をつき、暗い顔でうなだれているということに関しては父のときで慣れている。ここに書いてるくらいだからうっとうしく思ってはいるものの、どうすればいいかはわかる。鬱の大渦が彼のまわりにごわああっと作り出され、渦巻いて、ちょっと近寄ればぐぎぎぎっと(抵抗して掴んだものがひっぺがされひきずられている音です)巻き込まれそうな勢いだ。とてもコワイ。
自分の世界に入りこんでこっちには無関心、というのは、いっしょに暮らして、ヘルパーさんと老人という関係じゃないわけだから、たいへんいやなんだが、こっちはこっちで自分の世界に入りこむ隙をいつもねらってきたわけだから、まあヨシとしなければならない。
こっちにも改善すべき点は多々ある。あたしは、父の経験もあってあれこれと気がまわりすぎる。つれあいを助けようと思ってやってることで、実際助けることが多いのだが、難しいのは、人間てのはそれだけじゃないということ。認識が人それぞれ違う。「おれはまだできる」と思ってる気持ち(おうおうにして、現実に即してないが)と「おれはおれだ」という気持ち(俗に言う自尊心)がある。それでつれあいを助けるというより、うるさいほっとけと思わせてしまうときがある。なるべく思わせないようにやってるつもりだが、それでも、彼の自尊心を考えると、まだまだこっちの修業が足りないようだ。自尊心という点では、父のが20としたら、つれあいは120くらいある(out of 100)。
自尊心というのはすごい。これがなければ彼は彼でない。認めねばならない。まわりのものがとやかく言う問題ではない。……と自戒をこめて。
こっちがいらいらして、つい、「なになになのよ、わかった?」みたいな口調になってしまうことについては、ただただ反省するよりしかたがない。父には言わないできた。それができた。なぜ今になってここでつれあいに連発してしまうのかわからない。関係性が違うということか。遅ればせながらの主権争いを微妙な感じでくり返しているような気がする。
なんてことを考えるのも旅の間はずっといっしょで、つれあいのdisability に面と向かいあうことも多いからだ。カリフォルニアの生活は、ほんのわずかな時間を別にすれば、生活そのものが別々で、家庭内別居とはいわないまでも、家庭内キャンプみたいな感じで暮らしているのである。ぶつかっても、ズンバ、自分の部屋、仕事、犬、植物、娘などと逃げ場がある。つれあいもまた、うなだれるのもため息をつくのも、たいてい自分の仕事場でやっている。そもそも旅行中よりは動かないし食い過ぎることもないので、disabilityに気づくことも少ない。

つれあいの老いと

2014年04月13日(日)

そもそもつれあいは「予定の変更」「とっさの変更」ができない。柔軟性がまったくない。決まったことをじゅんじゅんにやっていくしかできない。昔からだが、老い果ててきて、よけいそれができなくなった。ときどき父をほーふつとさせるように、おれはもうわからないと投げ出したりもしている。ならば父のように、投げ出してあたしに任せてくれればいいのに、また蘇り、事態を仕切りたがる。「仕切りたがり」もまた前々からの傾向で、これはだいぶ弱くなってきたとはいえ、まだまだ残っている。こないだ「モラハラ DV 被害妻の傾向」というのを読んでいて、被害妻たちが、衝突を避けようといいなりになりがち、自分が悪くないのに謝ってしまいがち、というのを読んで、あてはまるかもとどきっとしていた、なんてことも昨日の長旅で何回か思い出した。とにかく仕切りたがるつれあいに対して、あたしは、80%くらいは仕切られても気にしない、しかたないと思いつつ、20%くらいは「なにをぅっ」と思ってむかついて反撃するあたしもココにおり、だからよけい事態がうっとうしいことになるのである。その結果、会話はとげとげしくなり、そもそも耳が悪いから何回いっても聞き取れなくなり、それでこっちも声を張りあげ、「なになになのよ、OK?」みたいにちょっと見下したいい方をするようになり、そこのところはおおいに反省しているが、その結果、さらにつれあいは感じ悪くなり、いやみな話し方になり、こっちが聞き取れなかったり、まちがえたり、言うことに従わなかったりすると、この世のおわりみたいな感慨をこめてため息をつく。これがまたむかつく。この人は、あたしのことをいったいどう思っているのかと考えるのはこういうときだ。アイラの旅だって、「比呂美の提案だ」と会う人ごとにいってるが、こっちはせめてつれあいのできることを、楽しむことを、と考えた末の提案をしたのである。あたし一人なら、ハドリアヌスの壁走破+イングランド乗馬の旅+各町でズンバ、みたいのを企画してるっての。で、あたしのことを何と思っているかと疑いたくなるが、嫌いでいっしょにいるわけじゃない、たんに老いがいらいらを身近なあたしに表現させているだけだと思うし、そう思いたい。ねーそうでしょう? と問いただしたくなるが、相手の反応は問いたださなくてもわかっていて、けっして「おれの対応がわるかった」なんつー反応は返ってこないというのは経験上熟知しているので、問いただしてみることは絶対にないと思う。昔、父と母が(まだ母が家で暮らしていたころだ)あんまりいがみあってるので、ヘルパー主任のSさんに話したところ、お年寄りの介護にかけては百戦錬磨のSさんが、「お年寄りはみなさん、そうなんですよ、いがみあうのもある意味、刺激ですから」といっていたのを思い出す(『父の生きる』光文社デス)。父と母も、母が入院したらいがみあわなくなったし、父は孤独にさいなまれるようになったから、あれでも刺激にはなっていたはず、しかし困るのはあたしもまた老い果てているのならいいのだが、あたしはまだそこまで老い果てていないということだ。こうまで「自分である」ことをシイタゲられるような言動をくりかえされちゃっちゃあ、たまりませんよ、と心で思っているのである。

スコットランドからイングランドに

2014年04月13日(日)

今回のスコットランド旅では前回(20年以上前になる)の旅で驚嘆したようなものすごい風景は見られなかった。グラスゴーの周辺、そしてグラスゴーからイングランドに下っていく道すじでは、なだらかな耕作地がつづいていただけだ。それはそれで実に美しい。前回はことばができなかったからスコットランド弁に驚きおののくひまもなく、ただただ風景に感動していたのかもしれない。今回はスコットランド弁のすごさにいちいち感動しているだけで時が過ぎた。
グラスゴーから南下したが、道路工事に高速が渋滞し、その上ナビが壊れて(使用科が一日3000円くらいするのである)ひどい目にあった。「ハドリアヌスの壁」にいく途中だった。「ハンディキャップ ハドリアヌスの壁」で検索してちゃんとどこにいって何をすればいいか調べ尽くしたあった。ところがナビが壊れてわけがわからなくなり、あたしのメモと道標を頼りにたどりついたのが見張り台みたいなところで、すばらしいイングランドの眺めがひろがる小高いところだった。たとかに壁みたいのがあり、見張り台の遺跡みたいのもあり、「ここはハドリアヌスの壁のいちばんよい眺め」みたいなことも書いてあったので、まあ、見たことにした(あとで地図をみたら、そこから東にいけばもっと見られたはず)。つれあいはせっかくの絶景にたどりついたというのに、おしっこして(年寄りはおしっこが近い)車の中にもどっただけだ。
Wemに行く時間もせまっていたので、そのまま南下し、とちゅうで大きい地図を買い求めて、Wemにたどりついた。ここにたどり着くまでの風景はこれまた絶景のイギリスの田園風景だった。ロードキル(路上で死んでいる動物)はアメリカとはちがって、キジ、ハリネズミ、そしてウサギ。もう一体、アナグマかなあというのを見た。生きてる大きなタカも見た。Wemにはつれあいの娘の家族が住んでいる。だからここの町には何度も来たことがある。ここの人たちもなまっているが、今回はよくわかった。田舎の風景のかわらなさには驚く。たぶん何百年も大筋のところは変わらないのだと思う。新しいものをとりいれなくちゃという焦りもないようだ。だからあいかわらずの石と煉瓦と木なんである。チープなプラ素材を使ってないだけで、風景が美しい。ほかと違う色や形が風景にまじってないだけで、美しい。町に入ると今ふうに小汚くなるが、熊本周辺の小汚さとはスケールが違う(熊本のほうがすさまじい)。ただ、イングランドの道の要所要所にかならずあるラウンドアバウト(日本語ではロータリーというのかな?)最初はおもしろいのだが、やがていやになってくる。これが最良の方法なんだろうが、とめどなく続くから、イギリス文化の頑固さを見せつけられているような感じ、イギリス人の車の運転はアメリカ人よりずっと感じ悪い。(たいていの)アメリカ人たちの他者に親切で弱者を大切にするところは、国外に来るとほんとに身にしみる。それが国になるとなんであんなに横暴になっちゃうのか。

ヒメリュウキンカと長旅

2014年04月13日(日)

ついに探し当てた。ヒメリュウキンカであった。アイラの野原でデイジーといっしょに咲き乱れていた黄色い花。タンポポに似てるがぜんぜん違う、キンポウゲに似ているが少しちがう、葉は心臓形だし、いったいなんだろうと思いつつ絨毯爆撃みたいな探し方で見つけ出した。ヒメリュウキンカ、キンポウゲ科、リュウキンカ属、立金花だった。英名はlesser celandine(小セランダイン)。今日は長旅で疲れはてている。Wem という小さい小さい町までたどりついた。

グラスゴーのマッキントッシュ

2014年04月12日(土)

つれあい孝行の旅なので、彼の自尊心と老い衰えた肉体とそれに向かい合う不機嫌と依怙地さ(モラハラじゃね?と思うこともたびたびあったが、こうして老い果てたのを見ると、たんに性格が悪くて頑固で依怙地だったようだ)を我慢しようと思えども、やっぱりむかつく。
とにかくホテルはグラスゴーの町のど真ん中だった。駐車事情がとても悪い。隣はオペラハウスだ(行かれない)。今日はつれあいの趣味で、まずグラスゴー美術学校にチャールズ・マッキントッシュの建築を見に行き、終わった頃、グラスゴー在住の友人が迎えにきてくれて、ヒルハウスというマッキントッシュの設計した個人の家を郊外の方に見に行った。なにしろつれあいは植物や動物や自然よりも建築や町のありように興味があるシティボーイなのである。あたしも実はシティガールなのに(だからこそか)植物や動物がおもしろくてたまらない、なんでこんなに違うか、喧嘩ばかりなのもむべなるかな。町は、歩けない老人にとっては実にむずかしい。というか不可能だ。だからせめて蒸留所めぐりならできるかと思ってアイラに行ったが、蒸留所はLagavulin一カ所で精一杯、それ以上は歩けなかった。その上なんとこの頃つれあいはスコッチを飲みたがらなくなっている、薬のせいで体質がかわったと本人は言っている。あたしは年のせいだと思う。景色を見ていても、つれあいは、動植物には目もくれず、島のいたるところにある石塀を見て、作り方を解説し、白い壁の家々を見て、建て方を解説し、荒れ野を見ても花なんか見ずに、ピートが切り出された跡なんかを見ている。
マッキントッシュの建築は、アールデコの装飾にオリエンタル趣味、図書館の障子みたいな壁と欄間みたいな装飾は、まるで日本の意匠をとってつけたようで、ルシウス・モデストゥスのお風呂もこんな感じかと思った。きょうはシャクナゲが咲いているのをあちこちで見た。これは2年前オレゴンにいったとき目についてそのときさんざん調べたのだ。北米原産のもあるとわかったような気がする。ブリテン諸島原産のもあったのか、それとも園芸植物か。ここ在住の友人は夫婦で、妻がグラスゴー大学で中世文学の研究者で、前に『マリー・ド・フランスのレー』というのをすすめられて読んだことがある。それは岩波文庫に入っている。会って話したかったのに今は学会でどこかにいる。残念である。
夜はレストランでハギスを前菜。鹿肉のハギスであった。いいレストランで(ホロホロチョウをはじめてたべたが、実においしかった)伝統的なハギスより上品につくりあげてあり、不味くはなかったが、明日も食べるかと聞かれれば、いや食べないと答えるものだ。

グラスゴー

2014年04月11日(金)

グラスゴー。←つれあいにむかついていてこれ以上書く気になれなかった。

フィンラゲン

2014年04月10日(木)

天気がナニコレというほどよく、お日さまが輝き、野山はみどりで、雲は複雑で、じつに美しい日であったが、その午前中の日差しで、原っぱにいきなりデイジー(白)とタンポポが増えた。フィンラゲンという古い遺跡にいった。つれあいは博物館で待たせて、あたしだけ、湖の島の中の遺跡をみにいった。まるで『メリダとおそろしの森』のお話そのまま、昔の族長たちが(王かもしれない)ここで集まったそうだ。その周囲にデイジーと黄色い花が(よく見るとタンポポもあったが、多いのは別の花だ。キンポウゲともちょっと違う)咲き乱れ、これから伸びるアザミがまだ冬のすがたのままあちこちにうずくまっていた。糞があちこちにあったが、ヒツジのでもシカのでもウサギのでもなく、正体がわからなかった。空は青く、雲は白く、野はみどりで、花が白、黄色にちらばって、湖は空の青より深い青。実に美しい風景だった。

ボウモアの町

2014年04月10日(木)

朝、出発前にボウモアの町を歩きまわった。崎津の天主堂のある町よりも小さい、何十年も、もしかしたら何百年も、なにも変わらないんじゃないかと思わせる、ひとつひとつの有機体は生き死にをくりかえしても町そのものは何もかわらないんじゃないかと思わせる町だ。ピアの突端にすわってしばらく入り江の向こうをながめ、町をながめ、波の模様をながめていた。雲が流れ、陽がさしていた。それから町を歩き回った。いくつかのレストランや宿屋も、co-opのスーパーも目医者も獣医も歯医者もみやげものやも、ガソリンスタンドも、白い四角い家々の中にひっそりと在る。うらんかなとか目立とうとかの意識はあんまりないみたいだ。ボウモアの蒸留所が町の経済の中心に違いないが、それも同じような白い四角い建物で海際にへいぜんと建っている、それがそれだとわかるのは海に面して白壁に黒字で書かれたBowmoreの字ばかりだ。町の小高いとこに教会があり、Church of Scotlandで、裏には墓地があり、War graveとかいてあって、Two sailors, A sailor, A flying officer, などと書いてあった。39-45と書いてあった。流れ着いた遺体を葬ったんじゃないかと考えた。それはふつうの墓石だったが、むこうのほうにはケルト風の円の中に十字のある墓石がいくつも立っていた。

鹿肉

2014年04月10日(木)

夕食は鹿肉をたくさんのカルダモンとネズの実で煮込んだものにLagavulin(アイラ産シングルモルトの一つ)をかけて焼いたものを、ホテルのお兄さんにすすめられて食べた。つれあいはハドック(コダラ)の燻製のワインとクリームのソースがけ。うまかった。このホテル、部屋はみすぼらしいが料理はうまい。鹿肉、初めてだと思う。こないだ『山賊ダイアリー』を読んでいたのだ。あれはおもしろかった。漁師になった男のエッセイ漫画である。カラスを撃って殺して解体して料理するところも、鹿を撃って殺して解体して料理するところも、如実に描いてある。

動植物

2014年04月10日(木)

まず朝はCaol Ila蒸留所に行ったが、ツアーはお休みで酒だけ買った。それから島を北端まで、行こうとしたが途中で道が切れた。それから南端まで走り抜けた。途中Finlaggan。Askaig。Portnahaven。Mor。これは地名だが、みんな『オシアン』に出てくる人たちみたい。けっきょく走り回っただけで、夕方Bowmoreのホテル着。ビールのんで、食堂で仕事していたら、ホテルのおにいさんに話しかけられて話しこみ(若い人だからか、60%は理解できた)いろんな話を聞かせてもらった。それは今「honto」に書いてるので。
道々の荒れ地にはGorseという黄色い花が満開。和名はハリエニシダ。西海岸でいやがられているエニシダによく似ている。黒いものがいっぱい見えるので、きのうはピートというものかと思っていたが、どうも植物のようだ。それで車を停めて、よく見ると、たぶんエリカだ。ツツジ科の、ひねこびたような葉であった。まだ何も咲いてない。たしか92年(いつだ、それは)の8月にH田とアイルランドに行って、そこで見たエリカでおおわれたピンクの荒れ野の美しさは忘れがたい。8月にはここもああなる。道端や石垣の脇には葉が出始めた黒イチゴのたけだけしい蔓。これもアイルランドのアラン島いちめんにのたくっていたやつだ。あのときは赤い実と黒い実をつけていた。8月にはここもああなる。畑地の斜面の水はけのよさそうなところには、プリムラの黄色いのが花を咲かしていた。逃げ出したかと思ったが、調べてみれば自生の可能性がある。もちろんラッパ水仙はいたるところにあった。植えたんだろうと思っていたが、自生かもしれないと思い始めた。人家の庭にはピンクの花が花ざかりの藪があった。園芸植物で、たぶんスグリと見当をつけて、探してみたら、北米原産のハナフサスグリのようだ。たれ下がる簪みたいにきれいな花だった。湿ったところにはアヤメみたいな茎がいっぱい伸びていた。何かわからない。
動物でいちばん多かったのはヒツジと野ガン。ヒツジは子どもを生む時期で、赤ん坊ヒツジがいっぱいいた。野ガンの多さには驚いた。調べてみたら渡りの時期だ。キジを一羽、白鳥を何カ所かで見た。カモメ、とんがったカモメモドキ、顔の黒いカモメモドキ。ヒツジモドキもいると思ったら、アルパカだった。馬もときどき見たが、どれもがっしりしていて脚はぶっとくて毛がもしゃもしゃ生えていて、熊本なら、肉馬か?と思わず思うだろうが、そうではないのがありがたかった。乗馬場もあるらしいがつれあいを置いて一人で乗馬もはばかられ、まあ運良く前を通ったら中に入って聞いてみて、縁があればできるかもとちょっと期待していたのだが、道に迷っているうちにその前を通りそびれた。縁はなかった。残念であった。ああいうごっついぶっといずんぐりした馬に乗ってみたかったが、乗馬用のはふつうの馬かも。

朝食のハギス

2014年04月09日(水)

この小さなホテルの朝食は、卵2こにベーコン2枚、ソーセージが2本に煮た豆、ブラックプディングにハギス。それはつれあいので、あたしはそんなに食べられないというと、卵1こにベーコン1枚を作ってくれた。とにかくハギス。食べてみたかったもののひとつだが、食べられるかどうかわからず、というのもあたしの苦手なものの一つに動物の内臓や脂肪があるからで、つれあいのを少しもらった。今どきの出来合いハギスで、まわりはプラで、胃ではなかった。中身は、ほとんど脂肪とスパイス、ハーブと穀物で、たぶん内臓の極細ミンチもまじっていたはず。ヒツジの肉は嫌いだが、これは気にならずに口に入った。しかしおいしいかと言われれば、むずかしいところで、脂肪の多さは閉口した。ある意味、北米先住民のペミカン(細肉やナッツ、ベリーを脂肪で固める)やポーランドのスマレツ(りんご入りのラード)に似たものかも。黒プディングはポーランド料理のカシャンカと同じ、血を穀物に混ぜたもので、もちろん苦手である。

生牡蠣にスコッチに幹郎さんの本

2014年04月09日(水)

幹郎さんに勧められたのが、生牡蠣にシングルモルトを滴らせて食べるというもの。さっそくホテルのレストランでみつけた。注文とりにきたホテルの人に、友人に勧められたと言うと、このへんではそうやって食べるんだ、と(言ったそうだ、つれあいに通訳してもらった)。頑固で保守的なつれあいはそんなことをしたら生牡蠣の味をスコッチが殺し、スコッチの味を生牡蠣が殺すはずだといってきかないので、あたしだけ注文してみた。そしたら来たのが、牡蠣にほんとにスコッチだけ。そしたらウマいのなんの。あたしはスコッチは飲まないというか飲めない。一滴も飲めない。それなのに生牡蠣の塩気の効いた冷たいおつゆに混じり合ったスコッチはぜんぜんいやじゃなかった。すごくウマかった。また食べたいが、さすがにこの島でしか出ないと思う。来る途中の機内でIslay祭りの一環として、岩波新書の『東北を聴く』(佐々木幹郎)を読んでおった。すごくいい本だった。

Islay島

2014年04月09日(水)

10日間暮らしたSohoのアパートメントからロンドンシティエアポートに行き、空港内のレストランでOld speckled henを飲みつつ、グラスゴー行きの飛行機に乗り、グラスゴーについて、こんどは小さい、小さい、小さい飛行機でIslay島に。車借りてBowmoreの町のホテルに。よそのところが取れなくてここになった。ちょうど崎津の天主堂のある漁村みたいな小さい村の小さいホテルである。グラスゴーについて驚いたのは人のしゃべる言葉がぜんぜんわからないことだ。ロンドンのタクシーの運転手さんたちのコックニー弁もわからなかったが、ここはさらにわからない。これがあの有名なスコットランド弁というものかー。まったくわからない。英語じゃないみたいだが、こっちの言うことは通じるし、つれあいは聞き返しながら(耳が遠いせいもある)会話している。あたしはほんとにわからない。「あい」といってみんなうなずく。「いえす」らしい。Islayは、アイレイじゃなくてアイラと読むらしい。
ここに来た理由はスコッチ。つれあいが飲むのがここ産のスコッチだけだからだ。だから言っておる、これはつれあい孝行ツアーなんだって。あたしはこれまで20年近く誕生日とクリスマスとバレンタインデーにはかならず、そしてそうじゃなくても日本に行く前にも、かならずスコッチを買ってきた。そのスコッチ群の蒸留所を訪ねまわる予定である。すでに飛行機から見慣れた名前のでかでかと書いてある蒸留所がいくつも見えたし、空港にはここをせんどとスコッチが飾ってあったし、ホテルのバーもスコッチだらけだった。まだ明るいからその辺歩いて、といきたいところだが、つれあいは疲れはてて虚脱して動きそうにない。明日明後日、島をまわる。スコッチに詳しい、もうすでにサントリーの企画でここも訪れたことのあるMさんにも情報を得てある。ひさしぶりでマニュアル車を運転してがくがくした。黄色い花があちこちに咲いていた。というかそれしかまだ見てない。エニシダの仲間のようだ。

ベイカー通りとライラック

2014年04月08日(火)

はらはらしながら郵便を待った。通常郵便は来たのに、あたしのは届かず、焦って郵便局に問い合わせたりしていたが、昼前になってやっと速達配達専門の人が来た。呼び鈴が鳴ったときにはどれだけほっとしたことか。それからJとNの家にいったが、行きに、タクシーの運転手に、Baker Street 221Bを通ってと頼んだら、ちゃんとその前を通り、ゆるゆる徐行してくれた。おまわりさんがいて、人がたくさん並んでいた。思ったより広い通りだった。思ったより広いと言ったら、親切な運転手さんがいろいろと説明してくれたが、ものすごいコックニー弁で、何いってるのか皆目わからなかったのである。すずめのチープサイドは、もしやこんなことばをしゃべるのではあるまいかと考えた。JとNに向かうと、つれあいが因業なじじいというより、ただのなまいきな男の子みたいになる。
タクシーの中から外を眺めていて、植え込みにライラックが咲いているのを見た。ついに見た。一度見つけたらあちこちに見えてきた。紫のや白のや。山ライラックの繁みさえ見かけた。八重桜は満開。

寝てない

2014年04月07日(月)

仕事が終わらなくて根をつめてやっていたら、寝そびれてしまったのである。根をつめてといってもあたしの場合、YouTubeでなんかききながら(そういうことは勉強中はやめろと、いつも娘にいってるのに、けっきょくおんなじことをしておる)で、どうにもオペラにハマっていろんなものを聞いてしまう。あれこれあれこれ聞いてるうちに、どんどん広がって、こないだ亡くなったロバート・アシュリー(ご冥福をお祈りします)やフィリップ・グラスなんかも聞いてるうちに、なんかむらむらとしてきて、ついに作曲家のFさんにメールして、ねーねー、オペラやろうと持ちかけてしまった。Fさん、すてき、打てば響くようにのってくれた。ほんとにそんなことできるものなのかどうかもわからない。でもこうやっていろんなこと思いつくから人生は楽しい。寝てない理由のもう一つは、カリフォルニアに免許証忘れてきてしまって、Sに送ってもらったのであるが、なかなか届かなくてはらはらしているのであるが、今日くらい来るかもしれない。つか来ないと困る。郵便屋さんが呼び鈴鳴らしたら、ぱっと出て行かないとと思っているうちに寝そびれた。いったん横になったのだが、寝つく前に何か読む習慣だ。きょうはついにここのところ読んでいた『森鴎外 文化の翻訳者』(長島要一)を読み終えた。数年前に出た本だが、諸般の事情で読み返そうと思って持ってきて読んでいた。これがおもしろくてたまらず、つい頭が興奮してしまって寝そびれた。数年前に読んだときもとても興奮して、自分は自分であるとカウンセリングにかかったような快感というか治癒感を覚えたものだ。いや、表題のとおり、鴎外の本であってカウンセリングの本じゃないんですけど。それから続けてこれも読みかけの『和音羅読』(高橋陸郎)を読んでたらカトゥルスのあたりでやっぱ興奮してきて、それでも寝そびれた。とにかく睡眠不足ハイな感じ、今日は郵便屋さんと会って、つれあいの友人夫婦と会って、夜はレストランにいくだけで、コンサートもなけりゃ運転もしないから、睡眠不足でもOKなんである。

つれあいと向かい合って仕事

2014年04月07日(月)

せっかく仕事机が二つあるアパートメントを借りたというのに、食卓で仕事しているあたしのそばにつれあいがコンピュータをもってきて仕事を始めた。食卓は大きいので、居心地がいいとみえる。あっちいけとはいえないし、あたしのものはあたりいちめんに放り出してあるのであたしが動くこともできず、向かい合ってもう数時間。あたしはなかなか集中がつづかずに、YouTubeで音楽きいたり、なんか検索したり、メールしたり、ブログかいたり、貧乏ゆすりしたり、水のんだり、チョコ食べたり、ときに踊ったりしてコマ切れに仕事するのだが、つれあいはがーっとやっている。小さいラップトップの上におおいかぶさって、ぶっとい指でうちにくそうに打っておる。ラップトップ使いにくいといって、わざわざマウスを持ってきたけど、結局使ってないようだ。コンピュータの専門家のくせに、ものすごく使い方の要領が悪いので、家族はいつも笑っている。でも今は、自分のプログラムをなんかしているらしく、要領のいいわるいや指の太い細いは関係ないのだと思う。昔、カリフォルニアに来たばかりのとき、彼の仕事机のとなりで仕事していて、その集中度がうっとうしく、息が詰まるようで、別の部屋に仕事場を作って離れたのである。ひさしぶりに見ていると、前より集中度が気にならない。慣れただけかも。ときどき、「あっ」とか「はっ」とか声を出して驚く。首を左右にふったり、顔をしかめたりもする。どうかしたかと最初は聞いていたが、もぐもぐ答えているつもりでことばにならないで、また集中していく。足腰はこんなに衰えて10メートル歩くのがやっとで、全身の関節はつねに痛んでおり、身動きするたびにため息をついているというのに、こうしてみると上半身の動きはあんまり変わらない。性格も、前からもってる因業さはさらに濃縮されて、物忘れと攻撃性は強まっているが、まあ本質的には変わらない。さぞやもどかしいことだろう。どんどん見えなく聞こえなく動けなくなっていく自分に向かい合うということは。そして死がすぐそこにあって、とりあえず健康体でいながら、つねに「おれが死んだら」と考えねばならない、しかもかなり具体的に、ファンタジーとしての「死」ではなく。(あ、読んでくださってるかたがた、コレ、なんかのためのメモ書きなので、どうかお気になさらず)

犬たちとヒイラギたちと朝コンサート

2014年04月06日(日)

何が不便といって、ロンドン、国際時間の感覚が違う。とんでもない時間に日本の人たちが起きてたり、さっきまでやりとりしていたカリフォルニアの人たちがぱたっと黙ったりする(寝たわけだ)。カノコのところに預けてきたルイとニコがいまいち適応できなくて、はらはらしている。カノコも困っている。ルイの方が不適応が甚だしいらしい。吠えて困るといっていたがそれは前からで、つれあいの耳が遠いのとあたしは慣れてるのとで、気にならなかっただけだ。不適応は、それだけ頭がよくて複雑なせいだとみんなが言う。かわいそうなニコ、あんなにかわいいのに。そして実はけっこうかしこいのに。Sが、もしカノコからSOSでたら迎えにいくといってるが、どうなるか。Sも今は家を離れてアパートに住んでいるので、そこじゃ犬2匹引き取れないし、トメの寮でも無理だろう。ああ頭がいたい。
ところで、ヒイラギはモクセイ科でギンモクセイとかの近縁だ。自然に雑種もできるそうだ。そして東アジア原産である。一方、Hollyはモチノキ科で、日本語でセイヨウヒイラギというそうだ。ヨーロッパその他原産だそうだ。あたしがローカルなHollyだと思っていたToyonはバラ科だ、つまりサンザシに近いが、カリフォルニア・ホリーとも言われるそうだ。いったい科は何のためにあるのか、あたしのような素人にとってはそれが道標、きちんと筋道たててほしい、まったく。
今朝はWigmore Hallにシェリーつきの朝コンサート。ドビュッシーとシュトラウスのviolinとpiano。シェリーつきで楽しいよとつれあいの弟夫婦にいわれて、予約してみた。楽しかった。ドビュッシーもシュトラウスも好きじゃないので、できたら違う演目のがよかったが、旅行者は無理はいえない。遊んでばっかりと思われるだろうが、それは違う。つれあいの最後の日々(いやまだ生きてるし、とうぶん死ぬ予定も兆候もないのだが)を楽しく過ごさせるためにあたしは心血をそそいでおるのだ。なんのために? こういうとすぐ「愛してるからだ」などとひきつけを起こしたくなるようなことを友人たちに言われるが、それもちょっと違う。なんだろう、この熱意と衝動は。今を逃したら後悔するような気がするのだ。で、ど根性の音楽好きのつれあいは、オペラもコンサートもシェリーもとっても楽しそうに味わっている。

Kewに行く

2014年04月06日(日)

きのうのFaust、すごくよかった。YouTubeで何十回見たかわからないパパゲーノのKeenlysideは、お兄さん役で出ていたが、血まみれで死んでしまった。それがまた、お軽勘平の勘平の切腹シーンみたいで、なんともエロかった。潔くどさっと倒れてかっこよかった。しかもそのあと、ワルプルギスのバレエのとこでまた出てきて、ダンサーに混じってバレエ的なマイムまでやっていたのが感動であった。しかしそんな感動も興奮もなんのその。今日はつれあいを置いて、はじめてオイスターカードを使って地下鉄を乗り継いで、Kewに行った。
春の盛りであった。サクラが満開、ナシやリンゴもほとんど満開、入り口は人がざわめいていたが、少し奥にいったらもうだれもいなくて、降るといってた雨も降らなくて、ひとりで花の下にすわり、花のついた枝と話し込み、空を眺め、風に吹かれ、マグパイにからかわれていたのである。『木霊草霊』(近刊、岩波書店から)をやったおかげで、観葉植物語だけでなく、木語もしゃべれるようになっておる。セイヨウグリや各種オーク、ナラ、シデといった木々たちが美事であった。それからHollyたち。これは訳語がいまだに把握できてない。お、これはと思った木々のラテン名をかきとめてきて帰って調べて日本語名をつきとめてみた。見たかった木の一つ、ニレは、1970年代に病気がまんえんして、イギリスでほとんど滅び絶えてしまったという悲しい事実を知った。足下の小さい野花が、どれも見たこともなければ、名前も知らなかった。カリフォルニアの野花たちは、20年かけて、やっと慣れたし、名前もずいぶん突き止めた、それなのにまたここでイチからやり直しかいと、ちょっとうんざりした。ライラックを見たかったが、たぶんまだだったのだ。ヘイゼルナッツもみたかったが、どれがそれがわからなかった。どっちもポーランドの春にちら見して、印象に残っていて、また見たいと思っていたものだ。……まだあるけど、とりあえず仕事しなくちゃいけないのでこれで。

仕事とオペラ

2014年04月05日(土)

きのう食い過ぎました。今朝はつれあいは友人に会いに出かけていったが、あたしは部屋にこもって仕事をしていた。さっき帰ってきたので入れ違いに買い物、薬とか、オイスターカードとか。やっぱロンドンに来たんだから、ロンドンみやげのつもりでオイスターカード買っとかないと。明日はキューに行くつもりである。本来はNとRと行くはずだったが、Rが具合悪くなり、かわりに彼らの家に誘われて、すっかり行く気になっていて、Kewは月曜日に行くことにした。ところが、帰ってきたつれあいが、月曜日はJとNと約束してあるのにと悲しそうな顔をするので、しかたがない、明日のNんちキャンセルしてKewに行く。Kewには絶対行かねばならない。そしてNんちにはまた将来いつでも行けるが、JやN(ともに高齢)とつれあい(いちばん高齢)がランチするところに居合わせるのは、今回が最後だろうから。
今夜はオペラ♡ 鴎外も訳し、手塚治虫も描いた「ファウスト」である。数年前に来たとき、Nにそそのかされて当日券を買い、ちょー特等席で「フィガロ」を見たのはいいものの、あんまり小汚いかっこうのまま入ったのではずかしくて立ち上がれなかったという経験がある(2008年の7月10日の記述参照のこと)。こんどはリベンジのつもりで、いい服(あたしにしてはいいというだけなんですが)持ってきた。しかしつれあいは小汚いままだ。

ポーランド料理

2014年04月04日(金)

つれあいの甥のNと妻のRさんとポーランド料理屋でごはんたべた。昔はもっと大衆的なポーランド料理屋だったのが、いいレストランになったとRさんがいっていた。それはサウスケンジントンで、Sohoからは、バッキンガム宮殿やハイドパーク、自然科学博物館などを通っていった。しかしなつかしい。自分のつくる以外のポーランド料理は何十年ぶりか。ビゴス(キャベツのごった煮)はみりんもしいたけも入ってない本物だったし、ジュレック(発酵ライ麦パンのスープ)は感動だった。ベフシュティクタルタルスキ(タルタルステーキです)は変わらずおいしかったし、ピェローギ(餃子)は中の肉のじゃりっとした感じがなつかしかった。シレヂ(にしん)はともかくとして(あたしは青魚がいまいち好きではない……)つけあわせのシメタナ(発酵クリーム)和えのツェブーラ(タマネギ)もなつかしかった。コレこのようにカタカナで書くのなら、今でも食卓の上のものはたいていポーランド語で言える。どう書くのか(じつはどう正確に発音するのかも)皆目わからないだけだ。こんどビゴスをつくるときはみりんもしいたけもしょうゆも入れない本物の味に近づけようと誓ったのである。Nたちは土曜日にあたしをKewに案内してくれる。きょうタクシーの中でつれあいが、いっしょにこの辺を歩き回ってやれなくて残念だ(おまえに気の毒だとおもってる、みたいなニュアンス)といってたが、タクシーから眺めるだけでもけっこういろんなことを考えておる。

つれあいの商談

2014年04月04日(金)

昨日はテイトと商談していたつれあいは、今日は某ギャラリーと商談に。画家とディーラーの関係は、まるでなめとこ山の小十郎と町のお店の旦那みたいだ。画家は自恃も虚栄も尊厳も年の功も持ち合わせているから、小十郎よりはずっとましなだけで。そしてつれあいの心は、よーよーのように自恃と虚栄と得意と失意、失望と焦燥の間を行ったり来たり。その観察もまたロンドンに来てよかったと思えるものだ。この世界はあたしのいる日本の出版の世界とずいぶん違うが、やはりここも出版界と同じように経済的に厳しいらしい。

カーネーション、ユリ、ユリ、バラ

2014年04月03日(木)

テイト・ギャラリーで、つれあいが友人と会って、それから仕事の打ち合わせというのでいっしょにいって、ギャラリーの喫茶店でビール飲んでたら(ドイツ風の小麦ビア、やっぱペールエールにすればよかったと後悔した)、VAの旧友という男が通りかかり、話し込み、そこに約束していた友人夫婦(アーティスト)が来て、みんなで話して、それからつれあいは打ち合わせにいった。で、あたしは急いで、閉館まで30分で館内を回ったのである。いちばん古い部屋に飛び込み、そこから探していくつもりだった。ターナーよりもブレイクよりもベーコンよりも、見たかったのは前に父のもってた画集にのってた絵だ。感傷的な、漫画みたいな(大島弓子や山岸凉子)絵だと思いながら、漫画好きだし、その雰囲気に息をのんだ。頭にずっと残っていた。前にちょっとつれあいにその絵について話したら、けっあんなものーみたいなこと言われてそれ以来、その絵のことは黙っていた。だからつれあいがいないのをコレ幸いと、つれあいの友人たちが案内してくれようというのも断って(彼らもアーティストだから何いわれるかわかんないと思った)ひとりで探していたら、たまたま「イギリス絵画の来た道」みたいな展示があった。その中にその絵の小さい画像があった。Sargentという画家で、19世紀のおわりにそれを描いた。それで係の人に、ユリと女の子の絵を描いたSargentはどこですかと聞くと、あそこだと、あたしたちのいた、その部屋の向こう側にかかっている絵を指さした。それがそれだった。前に見たときは、ユリばかり心に残ったが、こうして見ると、ユリとバラとカーネーションがあった。油絵の具の大きな筆で、一見雑に、ちゃっちゃっと描いてあるのに、カーネーションは茎も株も、実にナデシコ科であった。ナデシコ科らしくばさっばさっと茎が乱れ生え出ていた。提灯は日本の提灯で、ユリもなんと日本のヤマユリだ。ヤマユリにしては点々が薄かったが形はたしかにヤマユリだ。ユリ科やナデシコ科の葉や草の一本一本が正確に読み取れた。ヤマユリの香りが絵から読み取れた。夜の湿度や、女の子のうなじのうぶ毛まで読み取れた。そしてその絵のタイトルは「カーネーション、ユリ、ユリ、バラ」というのだった。

慣れてるところに行きたい行動

2014年04月02日(水)

夜にぜんぜん眠れないのは時差ぼけで、いつものことだから何も驚かない。それで今日も午前中は寝ていた。カリフォルニアなら6時間睡眠では起きないのだが(7時間半ねないといやな感じ)旅行中だから起きて、胃が悪いというつれあいがMaaloxなるものを買ってきてくれというのでBoostという、うちの方のドラッグストアよりは格段におしゃれな、でも機能的には似たようなチェーン店に買いに行き、スープがいいというのでWholeFoodsに。行くとちゅうで「わさび」という日本食のファストフードを見た。にぎり寿司や巻き寿司やおむすびが個売りしていた。2つで、かっぱ巻きは1パウンド、魚のネタのは1.75とか2ちょっととか。うちの周りにもデリみたいな店はいくつもあって、テイクアウトしているレストランや屋台もあるというのにわざわざWholeFoodsへ行くとはコレいかに。外国にいってはアメリカチェーンのホテルにとまってマクドナルドたべてるアメリカ人みたい、反省しておる。で、当然、見慣れた感じのスープやお総菜が見慣れたシステムでうってるから気楽に買える。しかし高い。何もかも。イギリス人はどうやって暮らしているのか。ワトソンがシャーロックと同居はじめた理由も、経済的な理由だった、そういえば。

ヨーコオノ

2014年04月02日(水)

そういうわけで、疲れ果ててよれよれのつれあいを引っ立てて、シャーロックみたいに路上からTaxiに乗り込んで、WigmoreHall、あこがれのMarc-Andre Hamelinだったが、Pacifica Quintetのみなさんが全面でピアノは奥で、ペコロス状の頭しか見えなかった。柔和そうないい男だった。Hamelin 自作の曲と、Dvorakの五重奏とOrnsteinの五重奏。Dvorakは……まあくわしい感想は後にしよう。いいたいこといっぱいある。Dvorakは華やかで可愛くてけっこう重かったし、Ornstein は激しいとこはすごく楽しかったが、緩いとこはダルかった。でもとにかく楽しかったし、つれあいと不穏だったのも直ったのである。ホールを出たときは、なによりパブでビールの気分だった。遅かったから、とにかくSohoに帰り、うちの近くのFrenchHouseという、60年代はアーティストのたまり場だったと60年代に青春だったつれあいも彼の弟も言い、今でもそうだとS(つれあいの友人で、今50のアーティスト)もN(50くらい)も言い、とにかく店の前の人だかりはいつもものすごいのでよっぽど人気のある店だと思う。そこでOld Speckled Henを半パイント。これはうまかった(は、といったが、こないだのLondon Prideもうまかった)。LondonPride よりもっとまろやかでクリーミーで軽いといえば軽いがその軽さは、筋肉でできてるような軽さであった。飲んでたら、隣にいた、かなり酔ったペコロス頭のおっちゃんが話しかけてきて、つれあいに「おまえはおれより毛がある」と。それで、わはははとなり、話し始めたら「おれはライオンキングの劇場で、歌とギターをやっている、もう44年歌ってギター弾いている」ということだった。結婚したときは髪が肩まであったが、だんだん禿げてきて、今は頭を毎日剃ってるそうだ。アイルランドのベルファスト生まれで、70年代からこのあたりにいるそうだ。いろんなパブに行くが、このパブがいちばんお気に入りで週に一回は来るそうだ、きょうは6時からいるそうだ(そのときは10時)。ビールでどんだけ酔っ払えるのかなと思ってたらそういうわけだった。それで、つれあいも、すごいコックニー弁で(カリフォルニアにいるときはそれは出さない)「おれはこのへんで育って60年代はこのへんのアートシーンにいたんだ」といっておった。それからおっちゃんは、カラオケの極意をくわしく教えてくれた。要約すれば、人のことは気にせず自分が楽しむんだそうだ。別れ際に、「ジョンレノンのワイフ、知ってるか」というから、ヨーコオノ、というと、「そうそう、おまえはヨーコオノに似てる、また会おう」といって、抱きしめてくれた。

騎乗の人と兄弟

2014年04月02日(水)

いま、ぱっかぱっかぱっかと聞き慣れた音がしたので外を見ると、なんと路上に騎乗の人が。おまわりさんらしいが、こんな町中でなんで騎乗? しかも馬は蹄鉄の足でアスファルトの上を歩きにくそうに歩いているではないか。
今朝はつれあいの弟夫婦と近所のフランス菓子のカフェで朝食、途中でかれらの息子のNも加わった。弟は少し年下だが、実によく似ていて、二人とも同じ学校を出た、同じような絵描きである。兄は早くに国をおん出てしまったが、弟はここに残って数年前まで母校で教えていたのである。弟は兄を全体にコンパクトにした印象で、あごが兄よりたるみ、髪が短い。兄は全体に弟をだらしなく、しまりなく、拡散したような印象で、髪が長い分(うしろで結んでいる)禿げてる部分が多く、あごのたるみがやや少ない。カリフォルニアぼけしている兄より弟の方が英国人ーーという感じがするが、やっぱり、ユダヤ系移民の子として、ブリティッシュという意識はあるにはあるけどそんなに強くないそうだ。どうでもいいそうだ。話していたら、知らない男がつかつかと来て、うちのつれあいの顔をみて、やあしばらく、などといって握手した。つれあいも、おお、とかいって握手していたが、その男はふと弟のほうを見て、おおっと驚き、兄と弟(知り合い)を取り違えていたのがわかった。兄は知らないくせにてきとうに返事していたのだということもわかった。あたしはNとは、奥さんのRさん(日本人)ともども何回も会っててなかよしなので、Nと話し込んでいたが、兄弟には兄弟のつもる話があったようである。親戚の寄り合いのあと、つれあいは商用ミーティングに出かけた。夜はWigmore Hallで Marc-Andre Hamelin のコンサートなので、さー仕事仕事。

Tesco に買い物

2014年04月01日(火)

ちょっとスーパーまで買い物に行った。パンとかオレンジジュースとか。爪切り買ってきてくれとたのまれたが、スーパーのTescoになくて、それを探しに、さらに向こうの、Oxford streetまで行ったのだが、歩き回りながらつらつら考えた。
横断歩道に信号のないところが多々ある。車道側には信号がついてるからドライバーはそれを見て停まる。歩行者はそれを見て判断するという仕組みだ。小学校に入ったとき、父に横断歩道の渡りかたを確認され、「むこうのしんごうがあかになったらわたる」と言ったところ、叱責されて、手を引いて学校にいく道筋の横断歩道まで連れていかれて、「いいか、こっちの信号が青になってから渡る、むこうの信号が赤になってからじゃない」と父があたしに言い含め、あたしは泣きながらうなずいた。母がそばで、「もういいじゃないの、同じことなんだから」と言っていたが、父は真剣な顔で「いや、まちがって覚えたら比呂美の身があぶない」と言って、放してくれなかった。今、道を渡りながら、心の中で、「おとうさん、ロンドンでは向こう側の信号が赤になったら人間が渡る仕組みになってるよ」と話しかけておる。
歩き回りながら、SohoSquareに立ち寄り、人々がどう憩っているか眺めてきた。芝生で何か食べたり、たばこふかしたり、寝転んだりして、とても憩っていたが、ぎっしり人がいて、まるでお祭り日の人出のようで、アメリカ的にはあれでは憩えないのではないかという気がしたが、こっちの人たちは平気なようだ。
ロンドンに来た真の目的は、つれあいの仕事でもなく、オペラハウスでもなく、パブでビールを飲むことだったのに、まだ一回しか目的は達せられていない。この通りには一軒おきにパブがあって、まっ昼間でも外には少なからぬ人が立ち飲みしている。おばさんじゃなく、いかついおじさんならよかったなと思うのはこういうときだ(熊本の細道を車で離合しながら通るときも、おばさんじゃなくて、押しの強い、人にゆずってもらえないこともないおじさんなら、よかったなとたびたび思う)。あたしはいまだにああいうところに一人で入って、一人で飲むないしは食べるということができない。H田はうなぎ屋でもバーでもラーメン屋でも一人で入れると豪語していたから、パブなんてへのかっぱで、一人で入って一人で飲んで、Fish&chipsも食べられちゃうんだろうなあと、おじさんでなかったらH田になりたい気分だ。
パブの二階には食事のできるところがあり、そこでイギリス的なFish&chipsとか、スコッチエッグとか、食べられる。日曜日はローストビーフとヨークシャープディングが出る。すごくいってみたいが、たぶん行かれないだろう。

ヒストリエ

2014年04月01日(火)

きのう会ったいろんな人たちの中でおもしろかったのはマケドニア人のパリのアメリカ系大学で教えている人だ。マケドニア人って初めてで、隣に座ったから、つい、漫画って知ってますか?と話しかけてしまい、今の漫画でいちばんおもしろいものの一つがマケドニアが舞台なんですよ、と話し始めてしまい、とうとうと「ヒストリエ」について語ってしまったのである。主人公はアレキサンダーの父親(Philipだとすぐマケドニア人は言った。そうそう、フィリッポス、ガタイがよくて眼帯をしている中年男…とあたしは説明した)の秘書みたいな人なんだといったら、驚かれた。同様にノルウェーに行ったときには「ヴィンランド・サガ」について語らずにはいられなかったし、ドイツでは「エロイカより愛をこめて」についてつい語ることになった。今ここでロンドンの人々にも「バジル氏」について語りたいが、語ってないのは、読んでから数十年が経ってるからだな。あたしのロンドンについての知識なんてのは、メアリー・ポピンズとバジル氏と最近は「Sherlock」から来てるんですから、どうぞお買いかぶりのないように(正蔵の声をお借りしました)
ともかく、その後、マケドニア人から旧ユーゴスラビアの歴史と文化について、かんたんレクチャーをしてもらってよくわかったのである。

ベルリンとロンドンと講演とパン

2014年04月01日(火)

Nちゃんが読んでるよっていってたからがんばって書いちゃうぞ。おとといよく眠れて、ほっとしていたのもつかの間、きのうはぜんぜん眠れなくて朝の6時まで起きて仕事していたのであった。ベルリンもロンドンも変わらない。同居人がいようがいまいが、ぜんぜん変わらない。むしろつれあいがぜんぶタクシーで動くので(歩けないからだ)ロンドンの交通事情も場所もなかなか覚えられない。そういう意味ではベルリンの方がおもしろかった。タクシー(シャーロックが通りに飛び出してコートの裾をはためかせながらTaxi! と呼んで停めて飛び乗っているアレ)に何回も乗ったが、アレよりミニキャブといわれるものの方が安いということを知った。それはあんな団子型の車じゃなくて、ふつうの乗用車が迎えにくる。シャーロックがミニキャブを呼ばないのは、急いでいるからとお金の計算できないからなんだな、きっと。
きょうはつれあいの仕事でGoldsmithという大学に行った。トラファルガースクウェアとかビッグベンとかロンドンアイとか、めぼしいシャーロック印のものを通りすぎながら、川向こうに渡って、貧しげな町並みのなかに大学はあった。そこでA.I.とアートの関係の展覧会をやっていて、そこで講演をしたのである。講演は思いがけなくとてもおもしろかったし、いつもそばで見ていることだから、言ってることもよくわかった。あたしも愛想よくいろんな人としゃべったし、つれあいも、いつもの隠者癖をひっこめて、社交的にいろんな人としゃべって飲んでごはん食べておった。
ベルリンもここも、19世紀のヨーロッパ人ってなにか勘違いしてたんじゃないのと詰問したくなるような、こういうのを見ちゃったから漱石も鴎外もフリークアウトしたんだろうなと納得できるような、重厚さ、荘厳さ、ばかでかさが共通しているのだが、大きな違いは、ベルリンは町じたいが(そして国家も)新しくて、ここは古いということだ。ふるーいものが、産業革命で新しくなったが、隠しきれずににょきにょき出てくる、押さえつけても出てくる、そんな印象だ。
Goldsmithのパーティー、といっても酒はいっぱいあったが、つまみはポテトチップスやクラッカーだけだったのだが、へんなものを食べた。プリッツみたいなものでなにか塗ってあった。まずかった。イギリス人が好むマーマイト味(しょうゆを固めたような、不思議な発酵臭と塩気)だったのかもしれない。あ、あと、食べ物で気がついたのはパンの軽さだ。日本をはじめ、アジア系のパンやのパンが「炊きたてのご飯的もちもち」を追究し、ある程度成功し、あたしなんかカリフォルニアでそれ以外食べなくなっちゃったのだが、ここのパンは軽い。トースト用のパンも、かたまりで買ってくるパンも、トーストして食べると一様に軽くなる。日本のトーストがこっちの人たちにたいへん評判が悪い(とくにうちのつれあい)のもわかる。かるくてかさかさすかすかな何かをそこに追究しているのだ。かるくてすかすかだからWholeFoodsのパンが、ブールみたいな大きさのが、1パウンドという、カリフォルニアのWholeFoodsでは考えられない安さであった。これはパウンド貨の高さを考慮に入れてもなお安い。安いのに、きちんと軽くて、乾いて、すかすかで、たいへんおいしい。イギリスの文化が追究してるものを知りたい。その味覚の根源にある味はなんなんだろう。

   
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