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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

友人の家に行く

2014年03月31日(月)

起きたら11時、よく寝た。同じヨーロッパでもベルリンとロンドンはこんなに違う。同居人がいるだけで、うちにいる気分なのかもしれない。12時につれあいの古い友人のうちにお昼に。美術評論家と美術史家の夫婦で、絵に描いたようなロンドンの郊外の古い横並びの家の一軒に、絵に描いたようなイギリスの美術家らしいインテリアで、絵に描いたようなイギリスっぽい室内植物とともに住んでいる。夫はイギリスっぽいユーモアにあふれた人で、紳士とか殿方とか言いたくなるようなたたずまいの人で、上品な可笑しいことをイギリスっぽくいつも言っており、イギリスっぽいユーモアのあふれた漫画みたいなイラストを絵に描いている。ついてすぐ、奥さんの評論家が「つげ義春」特集の「芸術新潮」を持ってきて、この漫画家はなんだと聞かれ、ロボット漫画について説明しろといわれ(何かに使うらしい)日本のロボット漫画には、自立ロボット漫画と人が操縦する他立ロボット漫画の二種があり、意識を持って自立する方はアトムから始まってPlutoにつながり、人が操縦する方は、鉄人28号から始まって、武器的なガンダム、農機的なパトレイバーとさまざまな進化を遂げ……などと持論を展開したのであったがわかったかどうか。この人は子どもの頃ポーランドから、まるで「ペインテット・バード」か「悪童日記」かという経験をしながら逃げてきた人で、彼女を探し出したイギリス在住のおじさん夫婦のどちらかが、A・ジャリの「ユビュ王」のイラストを描いた人だった。「ジャリおじさん」の元ネタになってるあの絵である。評論家がつれあいの若い頃の資料をいっぱい集めているので見せてもらった。若い頃の写真が何枚もあった。性格がわるそうだった。これじゃ人とうまくいかなくてこっちの社会おん出てしまうだろうなあという写真の中の笑顔であった。Sohoの家に帰ってきてしばらくしたら熊本文学隊のNさん来訪。三人で少し話して、疲れ果てたつれあいを置いて、Nさんとあたしだけ外に食事に出た。

アゴラ

2014年03月30日(日)

迷っていて気がついたが、ところどころになんとかスクエアという場がある。小さい町の公園風なところからトラファルガーの大きいのまでさまざまだ。小さいところは市民が憩っておる。飼い犬がリードを解かれて走りまわっておる。スクウェアもあるが、サーカスというのもある。ピカディリーやオクスフォードだ、そこは車が行き来する多叉路、ロータリーというのとどう違うのか考え中。イギリスに多いラウンドアバウトともちょっと違う。この頃カリフォルニアのうちのそばにもラウンドアバウトができた。アメリカ人の運転はまじめで情がある(日本人に比べて)ので難なく使っている。日本にあれができても、だめだろう。
ベルリンではプラツというのがあちこちにあった。それがおもしろくてたまらなかった。なんのための場所だろうかと考えた。鴎外記念館のBが、プラツはもともと市の立つ場で、ちょうど鴎外が来たころに公営の常設市場ができたのだといっていた。交通の要所でもあった。しかしこんな広場を作って、人を集まらせ、そこで謀議などして政府のてんぷくを図ったら、どうするんだろうと思ったものだ。

WholeFoodsに買い物と客

2014年03月30日(日)

ランチに客がくることになっていたので、朝、ピカディリーのWholeFoodsという、アメリカ資本の高級スーパーにお総菜を買い出しに。WholeFoodsがその町に来れば、その町は成熟したといわれ、カリフォルニアのうちの町にも数年前にできた。お総菜は高級でおいしいが、高いので、あたしはもっと庶民的かつ知的なと思えるTraderJoe'sに行ってしまう。朝、裏通りを伝い歩いて行った。そこらへんはゲイ関係の店が多くて、行き交う人たちもほとんどゲイだ。そういえば今日(ロンドン時間で29日)から同性婚OKになる。WholesFoodsで2つの買い物袋(持参したTraderJoe'sの袋とNちゃんにもらったKINOKUNIYAの袋)いっぱいに詰め込んで帰ろうとしたら迷子になった。大きな通りに出て、花屋の店先のライラック、これぞヨーロッパの春ーーという花束にみとれていてはっと気がついた。そこはLibertyという有名店であった。何かおかしい。道が大きすぎる上に向こうの道筋には、まるで阿蘇の外輪山のように、荘厳で重厚な建物群がそびえたっておる。ここはもしやRegent street、あの銀座や日本橋の(ちょっと前までの)町並みは戦後再興期にここの景観を安上がりにパクったにちがいないと来るたびに思うのだが、通り名を見たらまさにそうだ。地理がわかってないので、新宿二丁目を歩いていたらいつのまにか銀座に来てしまったような感じで、あわててつれあいに電話したら、タクシー拾って帰ってこいと役に立たない助言をされ、Sherlockじゃあるまいし(カンバーバッチのです)コートのすそをはためかせて、手を上げて「Taxi!」なんていえるわけもなく、そのままもくもくと元来た道を歩き続けて、元の新宿二丁目に出たのであった。
お客はつれあいの友人の美術大学の教授とアーティストの夫で、とてもとてもおもしろい女だった。しかし生粋のロンドン中心で生まれ育った人で、そのなまりか性格か、なかなか聞き取りにくいしゃべり方だったが、おもしろいので一所懸命耳を傾けた。お客をもてなし、つれあいは疲れはて、あたしはまたWholeFoodsに、明日はつれあいの別の友人宅に、太古からの友人の家にお昼にいくので、手みやげの花とワインを買いに出た。こんどは迷わず、表通りを通って帰ってきた。ピカディリーからちょっと行くとShaftesburyという通りになり、中華街になる。だからあたしはinvisibleになる。

ロンドン着いた当日

2014年03月29日(土)

Sohoのアパートメントに着いて、すでに疲れ果てていたつれあいは身動きもできなくなって寝てしまったので、一人で周辺の探索と買い物に行った。もう6時前で、通りには人があふれていた。パブとかレストランが建ち並ぶ繁華な通りである。タクシーの中から街を眺めていたら、街を歩く男がみんなSherlockのWatsonに見えてしかたがなかったが、自分が歩いて個々の男とすれ違うと別にWatsonにみえなくなっておる。Tescoというスーパーで買い物をしていたら、在英7年というインド人の男に「きみの髪は美しい」と声をかけられた。40くらいの知的そうないい男。くふふふ、なんていいとこだろう、ロンドンは。酒とか牛乳とかジュースとかパンとかワインとかハムとかチーズとか買ったら、重たくて、その上寒くて、それ以上うろつく気になれずに直帰したのだが、道々目についたのが、パブの前のおおぜいの人だかり。とんでもない数の人が店の前で立ち飲みをしている。中をのぞくとそこも立ち飲みの人々で(わずかに席があるが)立錐の余地も無い。Mのズンバでもここまで人は集まらない。そういうパブが点々とある。不思議なことにここはSohoでチャイナタウンに隣接しており、街にもTescoにも多種多様な人が行き交っているのに、パブにいるのはいわゆる「イギリス人」ばかり。イギリス文化の根本は、おそろしく社交好きで話し好きな文化じゃあるまいかと思いつつ、ちょービールが飲みたかったが、ひとりで入って、おやじいつものと頼む気にもなれず、泣く泣く家にかえって、お風呂入ったり(ここには湯船がある)買ってきたもの食べたりしていたら、9時ごろつれあいが目をさまして、周辺の探索に行こうと誘うので、外に出て、そういう立錐の余地も無いパブの中に入り、椅子を見つけて座ってLondon prideを半パイント。あーーうまかった。まろやかでこくがあって奥深くて。そして適温であった。カリフォルニアのビール屋は、どこも冷やしすぎ。そのあと、つれあいは杖をつきつつ無理を押して歩き回り、あたしに案内してくれてるようで、ここをまっすぐ行くとトラファルガースクエア、ここを行くとピカディリー、ここには60年代に公衆便所と呼ばれていたレストランがあって(内装が似ているせいで)2シリングでどっさり食べ物が出てきたからよく来たものだなどと若い頃の思い出を語りつつ、適当なレストランに入って食事をしたが、気がつくと客は若者ばかりで、ウエイターはみんなゲイだった。帰ったら11時近く、つれあいはもちろんコートも脱がずに虚脱しており、あたしもさすがに疲れて12時前には寝て6時まで寝た。

ロンドンへの機内、着いてすぐ

2014年03月29日(土)

今回はつれあいがいっしょなのでビジネスクラスの大名旅行(つれうあいは高齢すぎてエコノミーに耐えられない。じゃあたしはエコノミーいくからといったら、まあそんなことは言わずにと無い袖を振ってくれた)。飛行機は同じUA でもずっと快適で、同じUAなのに食事もうまく、よく食べよく飲み快眠で、しかもSherlockの新しいのをやっていたからそれを見て、American HustleとDallus Buyers ClubとSaving Mr.Banksと永遠のゼロと清洲会議もなんとなく見て、ぜんぜん仕事はできずにロンドンについた。つれあいは食べ物にも不満だらけでよく残し、映画も見ないであたしの見ているのを横目で見ているばかりで、横になって明りも消したのにぜんぜん眠れなかったそうで、よろよろで、トイレに立ったが、前の人がなかなか出てこず、長い間待っているうちにちょっともれた、年寄りはおしっこが近すぎると自分をののしりながら帰ってきた。とうぜん飛行機から出てもまったく歩けなくなっており、予約しておいた車いすで、ヒースローの長い道のりをなんとか済ませた。旅券審査場で、商用か観光かという質問に、商用半分家族に会うため半分と答え、商用とはなんですか?と聞かれて、子どもみたいにほこらしげに、Gで展覧会がありTと商談するのだ、Gは自分の展覧会というわけじゃなく自分はその審査員なのだ、と異様に詳しく答えていた。つれあいは「生まれた場所」にはLondonと書いたが「国籍」はUSと書き込んだのである。外に出て、タクシーでSohoに向かったが、外は花ざかりで、桜その他、レンギョウその他、あと草の上の花々も満開であった。煉瓦の壁がやたらに目立ち、煉瓦の歴史について考えた。19世紀に煉瓦の製造が盛んになり、大量にできるようになり、それで都市が形成されていったそうだ。Sherlockの冒頭に毎回出てくるロンドンの街の風景の一つ、ピカディリーのSanyoはHyundaiに取って代わられようとしていた。

Mとズンバ

2014年03月26日(水)

土曜日は12時のMのズンバを休んだ(8時半のCは行った)。行けるのに行かなかったのは初めてだ。今は出発前で、しかもしめきりで、ものすごくせっぱつまっている。日曜日に2時間もズンバに消費するとなると、土曜日は朝やっといて昼間そわそわせずにうちにいた方が仕事になると思ったから英断した。それほどせっぱつまっている。日曜日は大きなお祭り会場で(夏になると農業市民祭りが開かれる場所。英語にすればCounty Fair 『11の声』を訳しているとき、訳語に困ったものだ)Mのズンバがあった。Mを崇拝し追いかける女たちが(いっぱいいる、あたし以外にも)YジムからもTジムからも集まってきて、みんなで踊り狂った。バッコスの信女たちみたいだった。Kが夫を連れて来てたが、夫は見物席にすわってずっと携帯をいじっていてぜんぜん妻のズンバはみてなかったというのがおもしろかった。まあ、そうあるべきだ。月曜日はMのクラスがYジムで朝と夕方と2回。遠くにひっこした友人Aも2回とも来た。Bも、比呂美が来ると思ったからといって来た。Dもいた。もともと人なつっこいのか、こういう生活(想像してください)で人恋しいのか、どの人とのかかわりもとても楽しかったのである。きょうはTジムでMのクラス、Mに「あんたはあたしにfed upしないのか?」と聞かれた。そら、聞くわなーー。「ぜんぜん」と答えた。

橋本さんとTさん

2014年03月24日(月)

橋本さんどうしたといろんな人に聞かれたが、関係なかったみたいだ。泰山鳴動して鼠一匹? とにかくあたしは不死身。きょうは大きな会場で「健康まつり」というのがあってMがズンバやるのでみんな(いつものズンバなかま)で行く。あたしはDと一つ車で行く予定。
Tさんと40数年前の話をしみじみと交わしている。Cちゃんがいなくなったあと、Tさんと仲良くなったのも、お互いなんとなく孤立していたのを清水先生がくっつけてくれたんじゃないかという気がしてしかたがない。小5小6の頃だ。そんな話になり、Tさんが遠くの板橋で涙ぐみ、あたしもカリフォルニアで涙ぐんでおる。縁とは不思議だ。40数年経って巡ってこようとは。

南インド洋

2014年03月23日(日)

南インド洋は、「強風が吹き荒れ、潮の流れも速い」ところだそうで「巨大な渦巻があることで知られる“最も困難で危険な海域”」であるそうで、「風波も強く『世界で最も荒い海』」といわれているそうで、ここ数日は天候も視界も悪かったんだそうで、どんな海なのか想像がつかない。天草の海沿いを下って行くとやがて有明海から東シナ海に出る。東シナ海は広くて荒い。有明海とは比べ物にならない。太平洋ともぜんぜん違う表情の海だ。で、南インド洋の荒さとはどんなものか。見てみたい。
きのう新しい仕事の第一回目がなんとか終わって(いやまだ直す)ほーっとしているし、ぼーっとしたいが、大幅に遅れている他の仕事やんないと。終わった方は、編集のKさんから、今月も無理と諦められていたらしい。民話によくある話である。

Tさんと再会

2014年03月22日(土)

SがDとベイエリアに行ったので、ぴーちゃんがうちにいる。まあ数日と思うから、そんなに義理も責任もなくて気楽である。きのうは一日かごの戸をしめて中に入れておいた。きのうの夕方には、外から帰ってくるとおかえりの声をあげるようになった。それで今日は首のまわりに防御用タオルを巻いて、仕事場に連れてきている。ぴっぴっ言いながら、歩きまわっている。これでつっつかなきゃいいのだが。明日はトメが学校から帰ってくる。なんとか休みで。ぴーちゃんはトメが好きなので、後は任せようと思っているのだ。
きのう小学校のときの親友だったTさんとメールのやりとりをしていた。高校時代の同級生のMくんがひょんなことでTさんと知り合って、Mくんからあたしにメールが来て、あたしがTさんに再会(といってもメール)したのであった。小6のときはほんとに仲が良かった。中学もいっしょだったので(離れてしまったが)矢田先生の話でもりあがった(『あのころ、先生がいた』参照のこと)。Tさんも矢田先生のことをよく覚えていた。みんなにとってすばらしい先生だったというのを知って、ちょっと悔しい、あたしだけの先生と思っていたから。ところが不思議なことがある。Tさんのことは、『先生がいた』に書いてないのだ。ぜんぜん出てこない。ものすごく仲が良かった。なんであんなに仲良しだったTさんのことを書かずにいられたか。というか何も思い出さずにいられたか。そしてあたしは、小学校高学年から中学校について、ネガティブなことばかり思い出して書いていたのである。あの時期がそういう時期だったからとしか考えられない。5年のとちゅうまで、あたしにはCちゃんという、発達障害のある友人がいた。とても仲良しだったが、ある日とつぜん特殊学級に転校してしまった。それからTさんと仲良くなった。Cちゃんとは、あたしが保護者みたいな立場だったが、Tさんとは、ほんとに同等なつきあいができて、信頼しあっていたのを、今になって思い出した。Cちゃんがいなくなったあとの喪失感だけ覚えていたとは。Tさんとは、中学になったら組が違ってつきあわなくなってしまった。それもなぜかわからない。そのあとあたしは三年間、すごい孤独感と違和感を抱えていた(でも自分じゃ気がついてなかった)というのに。

ベルイマンの魔笛と犬

2014年03月21日(金)

きょうはカノコにすすめられたイングマル・ベルイマンの「魔笛」のパパゲーノを見た。感じよかったし、他のよりバカっぽくもしつこくもなかったし、ぱぱぱのところで最初パパゲーナの姿が見えないとこ、冬服を少しずつはぎとっていくとこ、キスしそうになってしないとこが早春の鳥っぽくてよかったが、如何せん70年代で、パパゲーノの髪型がダサすぎた……。
荒れ地の上の公園の庭木、つまりここのローカル植物じゃないと思うが、この時期に芳香のある花の咲く灌木群がある。生け垣みたいに作られている。たぶんクサトベラ科じゃないかと思うが調べてない。それが今、キンキンするくらい匂っている。それを嗅ぎにいくのが楽しみなのだ。きょうは草地に犬がいたから、ぐるっと遠回りして上の方からクサトベラ(仮)の繁みの脇を通って草地に下る一本道に出たところで、草地から上ってきたその犬とばったり会ってしまった。向こうはオフリーシだったが穏やかな犬のようだったし、こっちは二匹ともリーシつきだったので事なきをえた(ニコがいつだって喧嘩ごしなのである)。下の草地に降りて行ったら、ニコが後ろを振り向いて「てめーこのやろー」と言い出したので見ると、さっきの犬が遊びたそうにそこに独りで立ってこっちを見ている。ダディはどうしたと話しかけてるうちに、飼い主(男)があわてて降りてきた。どうも遊びたくてついてきたようだ。黒くて、ボーダーコリーとレトリバーの間みたいな感じの犬だった。あたしたちが車に乗り込んだあと(草地の先に車をとめてあった)黒い犬はまた飼い主にフリスビーで遊んでもらっていた。ニコは「てめーこのやろー」といいまくるが、リーシを離してやるとおもしろそうに近寄って遊ぼうとするので、「てめーこのやろー」の動機がよくわからない。ルイは昔は無関心だったが、この頃おっさんっぽい声で「てめーおれだってー」といちおう威嚇するようになった。でもまだつきあい方の基本ルールを知らないようなので、あぶないからリーシを離してやれない。

「のだめ」からパパゲーノにはまる

2014年03月20日(木)

すごく落ち込むことがあって(別に理由はないのだ。食あたりかも)ちょうど見ていたYouTubeの魔笛のROH版の最後のほうのSimon Keenlysideのパパゲーノの絶望シーンにもらい泣きして、それから1〜2分で「ぱ、ぱ、ぱ、ぱ」の歌がはじまって、大笑いして、ほんの5分くらいのうちに泣き笑いしたら、気持ちがすっかり浮上して、それからそればっかり見ている。お勝手してても、ベッドの中でも、仕事中も見ている。なぜそんなものをちょうど見ていたかというと「のだめ」の24巻と25巻が魔笛やってるのである。どんなんだっけーと思って見てるうちにひきこまれたというわけだ。ありがたいことだ、こうして漫画に救われる毎日だ。しかしいろんなとこのパパゲーノを見てみたが、ROHのSimonにかぎる。よそのは、バカっぽかったり、クドかったり、シツコかったりするが、Simonはただのやさぐれた鳥刺しだ。笛ふいて「いち」(ドイツ語)また笛吹いて、「に」という。そのときのうつろな目。そしてそのあと笛はやめて、ゆっくり口笛吹いて、「さん」とつぶやいたときの目が、絶望を見据えていて、たまらないのである。何回見てももらい泣きする。そしてあとで出てくるパパゲーナが、よそのどこのパパゲーナより豊満で、山折先生が言っていた「マリリンモンロー」とか「ルノワール症候群」なのだ(『先生!どうやって死んだらいいですか?』山折哲雄・伊藤比呂美 文藝春秋を参照のこと)。この女とこの男なら何十人も子ども作れるだろうと確信して、自分が作ったような気になってものすごく幸せになる。

うえのさん

2014年03月18日(火)

うえのさんの講演会、また開催にきまったようだけど、山梨市長のいいぐさが(朝日新聞で読んだ)すごくムカツク。かえってムカツク。なんにも解決してないような気がする。
夫婦だけじゃなく、人というのは、人によっては、なんだろうが、いったん意見が対立すると、いや、意見が対立しても、か、けっして自説をまげない。討論とか議論とか言い合いとか話し合いとかは、相手にどれだけ、自説を披露するか、というだけのものだ。小学校の頃清水先生が教えてくれた「話し合い」というものは、そんなものじゃなかった。片方が片方に、ないしは双方が双方に納得して、歩み寄りがありえた。このごろ人と口論していて、そういうのがないなあとしみじみ感じるのだよ、かなしいことに。で、あたしはもともと口論や議論がだいっきらいなので、そこから先に行くのは、めんどくさくなってしまうのだ。人によっては、と思いたいが、そういうことばかり経験する。だったら距離とって人とつきあえばいいのに、そうもいかない。
人っていうのは変わらない、と万事OKの日々でほんとに身にしみておる。

料理力と海力、集中力とズンバ力

2014年03月15日(土)

Sが食べにきた筑前煮のあと、日に日に料理力が落ちていくのを感じていたのである。昨日はついにインスタントラーメンだった。北海道のNさんが北海道でしか売ってないからといって持ってきてくれたのである。インスタントラーメンおそるべしというおいしさだったし、野菜や海老もいっぱい載せたし。その上つれあいにとってはラーメンも日本食で、天ぷらそばやうなぎご飯みたいなものらしいし。でも、ラーメンでいい? とつれあいに聞いた時点で、あたしは後ろ向きであった。
だから今日は外に食べにいった。もっと近くて気楽で安いとこでと思ってたのに、牡蠣たべたいとかつれあいが言い出して、のっちゃって牡蠣食べにいったらうまかったのだ。熊本オイスターは小さいがぎゅっと味がつまっていた。ついてきたトマト味のソースもレモンもいらなかった。ホースラディッシュの千切りは好きなのでちょっと載っけた。何年も前に天草の冬の海で牡蠣うちの人たちに食べさせてもらった採りたての小さい小さい牡蠣を思い出した。NちゃんやBさんやKさんと食べたやつだ。口に入れたとたんに海が襲いかかってきて溺れそうになった。牡蠣を食べるたびにあの海の味が身体にみなぎる。
ここのところ身体力もなんだか落ちていて、今週まだ6回しかズンバやってない。あした2回いくから8回だ。まあいいか。8回やれば。きょうは『木霊草霊』の再校ゲラが来た。手にとったのが11時で、5時まで6時間、わき目もふらずにやって終わらせた。集中力おちてきた、甲状腺のせいじゃないかとか言ってたが、やる気がなかっただけだったのである。

家族

2014年03月10日(月)

SとDがごはんに来たので、筑前煮とか餃子とか、ていねいに作ったのであった。やっぱ、つれあいとだけの殺伐とした夜よりずっと活き活きとして笑い声も起きるし、食べる物もおいしく感じる。こうして活き活きとして何もかもおいしいと、いつもの夜が、どれだけ殺伐としているかということ、何の話題もないのをむりやり絞り出して意見が合わなくてむかつきあってるかということを、思い出させられてしまうのである。きょう時間が変わったので1時間損した感じ。

橋本さん

2014年03月09日(日)

旧友に伊藤製作所楽しみにしてるんだけどと言われて、うれしくなって再開したのはいいが、生来のぐうたらでつい忘れていた。きのう医者にいって説明されたのだが、どうも甲状腺がどうたららしい。ハシモートと医者がしきりに言ってるので、それは日本人の名前みたいだというと、日本人だそうだ。それがうたがわれる病名(いや、病気というほどではない、ただの傾向)だそうだ。で、家に帰ってしらべてみたら、いろんな諸症状のなかに、太る、集中力がなくなる、というのがあり、どんぴしゃりという感じだった。あたしがなんでこんなにズンバやって1日に1000カロリーくらいも消費してるというのに(1回だいたい500カロリーだそうだ)しかもそんなに爆食してないのに、いっこうにやせないのか、なんでこんなに仕事に時間がかかるのか、なんでこんなにしめきりがせっぱつまっているのにネットばっかりやってるのか、つまり集中力がないのか、なんだかみんなその橋本さんのせいにしてしまいたくなってきた。というかぜったいそうだ。おとなのADHDという記事を読んで、ぜったいコレだと、何回目かの確信を得たばかりである。しかしADHDじゃズンバやってるのにやせないという点を解決できない。橋本さんならできるのである。でも死んだ母の行動や体格を思い出してみたら、少ししか食べないのに太っていた、うつっぽかった、むくんでいた、など思い起こすと、母も橋本さんだったような気がする。実はうちのつれあいも橋本さんに違いないと思い始めた。そんなに食べないのに太っている、うつっぽい、むくんでいる、集中力がなくなってきた、等々。男は女よりはるかに少ないそうだが、いないわけではないらしいし。それをつれあいにいったら、すごくいやな顔をされた。

鈴カステラ

2014年03月07日(金)

今年のユッカの花は小粒で、色も形もまるで鈴カステラを袋からこぼしたみたいである。そもそも雨がふらないからいつもの100分の1くらいしか花が咲いてない。セージもすっかり枯れている。枯れて繁みがなぎ倒されている。でも先週の3日つづいた雨嵐で、今は少しだけ咲いている。鈴カステラもその一つだ。しかし鈴カステラといえども、この広い荒れ地で、ユッカがたった2本しか咲いてないのはいかにも危機的だ。トヨンの白い花も少ない。赤い実は去年からのひきつづきだからいっぱいついている。でもライヴオークが木全体に花をつけていた。黄色い垂れ下がった花で、遠目では小汚いボロがぶらさがってるように見える。例年は咲き乱れる木立ポピーがたったの3株咲いている。
Floraは瀕死だがfaunaは元気。このごろルイがあたしのことを注視してにこにこしながら走ってくる。前みたいに自分の世界しか見てないで好き勝手に匂いを嗅ぎまわって、あたしを見失うとてきとうに好きな方向へ歩いて行って迷子になる、なっても平然としている、ということはなくなった。きょうはリードがひっかかって身動きがとれなくなった一瞬があった(いつもリードをつけたまま歩きまわっている)。ニコとまったく同じように、あたしを探し、眼力であたしを呼び、助けてくれと無言でいいながら、ちょこんとすわって待っているのであった。

ズンバのMと

2014年03月07日(金)

虚脱状態なんてふっとんでしまうようなことがおこったのであった。Mとランチにいったのである。Mはズンバの先生で、Mがいたから、あたしはズンバにはまった。Mには、驚くべきカリスマ性と存在感がある。Mのズンバは、他のズンバより、歌に依存する度合いが強く(Mが歌いながら踊るからだが)、振り付けにストーリーがある。Mの動きはなめらかで、筋肉と体幹の鍛錬に中心をおき、リズミカルで力強い。あたしもあんなふうに筋肉もりもりになって、あんなふうに腰をふりまわしながら動きたいが、なかなかそうは動けない。Mのズンバにはまるあまりに、あたしはYジムとTジムをかけもちしてしまったのだ。きょうはTジムで、クラスのあと、他の何人かとMとで、近くのタイ料理店にいった。いやーーー、なんだかあこがれの相手とはじめて食事にいく少女の気持ちだった(…あの男やこの男との最初の食事をくっきり思い出した)。
いつどこで練習するのかときいたら、うちで、コンピュータの前でする、とMはいった。なかには3回くらいやっただけで、もう覚えてしまう曲があるそうだ。なかなか覚えないのもあるといった。Mは踊りながら、ずっと歌っている。スペイン語はできるのかときいたら、意味を調べるのもあるがたいていはわからないで歌っていると言っていた。ズンバのほかには、歌をやって、子どもたちのミュージカルの監督をして、数学おしえて食っているそうだ。有意義な日であった。

なんにもできてないという愚痴

2014年03月07日(金)

なんかこのごろぷちスランプっつーか、虚脱状態で、次のことが始められない。ま、あたしも人間だっつーことだな。漫画よんで音楽きいてばっかりいる。これまで死というものとがっぷりよつに組んで、仕事してきて、まるでマウスが輪っかをまわしてるように走りつづけてきたのだが、父が死んじゃって、タケも死んじゃって、死がちょっと遠ざかり、輪っかを動かそうという根性がなくなったような気がする。生と死シリーズの最後の一冊「木霊草霊」がゲラのまま停滞してるのも一つの理由…ったって停滞してるわけじゃなく、次のゲラが出るのを待ってるというだけなんだが、あたし的には、なんにもやることがなくて、停滞してるように感じているのである。楽しかったズンバでの人づきあいも、このごろかったるく、クラスが始まる頃に入っていって、終わったらさっと出ている。つきあいが悪くなったと人には思われているだろう。ズンバそのものに対する熱意は失ってない。おとといは3回いった。きのうは1回できょうは2回だ。はじめなきゃいけない、進んでなきゃいけない仕事がいくつもあるけど、進めてない。で、漫画読んで、音楽きいてるのだ。「のだめ」を丹念に読んでいる。出てくる音をいちいちYouTubeでききながら読んでいる。ANAの機内でやってたKleiber祭りもあたしのなかでつづいていて、ろくにききもしないようなものをいっぱい買い込んだ。こないだ日本で買いあさってきたいろんな本はぜんぜん読めてない。あまつさえ血液検査でなんとかとなんとかの値がよくなくてこんど専門医にいけと主治医にいわれた。寄る年波にも勝ててない。でもその専門医がなかよしのBの夫で、ちょっと楽しみ、受付にいるはずのBにあってしゃべるのは、まだ好きなままだ。

昔の写真

2014年03月06日(木)

旧友が、むかーーーしの写真が出てきたといって、何十枚も送ってくれた。「らんだむ」という同人誌をやっていたときの旧友である。で、その写真群は、昔も昔、大むかし、70年代に「草木の空」という第一詩集を出したときの出版記念会の写真だ。で、あたしは22くらいで、若くて、やせてて、ノーブラである。そして周りにいる人たちが若いの若くないの、その旧友や当時の仲間たちに混じって、阿部岩男さんや鈴木志郎康さんや清水哲男さんや辻征夫さんや長谷川龍生さんや、みんな生若い男なのには驚いた。そしてこんな小娘の第一詩集の出版記念会にわざわざきてくれていたのだという事実に感動した。ものすごく感動した。いったいあたしはかれらにちゃんと感謝の意を伝えたのか、この恩を返したか、もう伝えられない人たちだっているのだ、恩を返すといっても、かれらに直接ではなくてもいい、若い詩人たちに同じように接すればいいわけだ。と考えるが、なんにも返せてない。なんだかいつも自分本位で生きてきちゃった。ごめんなさい、そして、ありがとうございました、先輩の詩人のみなさん。

   
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