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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

タケとベッド

2012年03月31日(土)

きょう仕事中に眠くて堪らず、二階に寝にいくだけの力もなく、足元にごろんと横になったが木の床は冷たくて固く、すると目の前にあったのがタケ用ベッド。とうぜんタケはそこに寝ておったが、少し端からはみ出していた。そこでこっちの端に場所をとって、タケと顔と顔をつきあわせるようなかたちで、眠りこんだ。眠りこむ直前は臭いなと思っていたのを覚えているが、そんなものはほんの1秒か2秒で、すぐ眠ってしまった。昔なら、こんなことをすればタケは黙って立ち上がってよそに行ったものだが、今のタケはただ寝ておる。そうしてあたしらはベッドを共有できた。おひるねも共有できた。起きたときは半身がすごく臭くて、毛だらけになっておった。ニコのおじぎの特訓についても話したいが、それはまた今度。

トメと運転免許

2012年03月31日(土)

きのうトメが運転免許を取得した。親の役目が、なによりもまず「タクシードライバー」であるカリフォルニアで、子どもが免許取得ということは、もうどこかへ同伴しなくていいということなのである。子どもには自由が、親にも自由が与えられるということなのである。子どもは親から離れるということなのである。それできのうの午後、つれあいに連れられて、免許センターに行き、運転テストを受けて、100点満点で合格したそうだ(いつものトメの運転を見ているかぎりでは信じられない)。仮免になってもう何ヶ月か、仮免で運転させることにすっかり慣れちゃっておった。カリフォルニアは、仮免とってから、家族が運転の練習をくりかえす。3回、プロの教習所の先生がやってきて、ブレーキ2つついてる車で1時間くらい運転させる。そして規定の時間と、3回の教習がすむと、実技の運転テストがうけられる仕組みである。きのうはあたしが連れて行くつもりだったのに、なぜかとつぜんつれあいが乱入してきて、おれが連れて行く、と。彼は彼なりにしみじみしているらしい。そして合格して帰ってきた。きのうはそのあと、夜の合気道にひとりで行って帰って来た。これは、近いし、行き慣れた道だし、フリーウエイもほんの少しである。だから心配しなかったが、きょう、友人とコンボイで待ち合わせて遊ぶという。コンボイといったらうちから修羅場のフリーウエイを乗りついで20分。乗り降りもかなりむずかしく、その上、アジア系の店ばかりで、どういうわけか駐車場の1台分がやたらに狭い。その上金曜日の夕方は道が渋滞するから、進んでは停まり進んでは停まりをくりかえさねばならない。注意散漫なトメがそれに耐えきれるか。あたしは、ほっんっとーーーに、行かせたくなかった。豪放な母を自認しているあたしが、ここでこんなに躊躇するとは思わなかった。しかし、出さざるをえない状況であった。天気もいい。外は明るい。ついてしまえばわが庭のようなコンボイで、遊ぶ相手も気心の知れた仲良しで、しかもしっかりした年上の少女である。まあ、それで出した。はらはらしながら。トメはあとも振り返らずにぶうううっと猛スピードで走り出していった。で、生きて帰ってきた。

本を読んだ

2012年03月31日(土)

この頃やっとツキ物が落ちたのか、ちゃんと本を読めるようになった。ずっと岩明均祭りをやってて、他のものが読めなかった。ミシガンからかえってからずっとである。「七夕の国」も「寄生獣」も「ヒストリエ」もすみずみまで読み尽くしたのだ。きのうは植木雅俊「仏教、本当の教え」これはもうど真ん中。ずっと疑問だったこといいたかったことがいっぱい書いてあった。それから、山折哲雄「デクノボーになりたい」を読んだ。わかるわかるの連続だった。なにしろ賢治の本と思って読みはじめたら中也は出てくるわ千葉徳爾先生は出てくるわ景戒は出てくるわ。とにかく、ひさしぶりの漫画以外の、というか岩明均の漫画以外の本であった。リハビリとしてはいい選択であった。どちらも、岩明均なみに血みどろだった。ヒストリエのこの全編を支配するのどかさはなんなんだろう。エウメネスの母は田宮良子だ。あちこちに血みどろはあるが、それを抑えて、表面的にはじつにたんたんとエウメネスは生き抜いているのだ。寄生獣であれだけ血みどろやって、血みどろになんの抵抗もなくなったのかも。よくわかる。その感じ。

父と巨人

2012年03月31日(土)

朝、文句言いたいだろうなと思って電話すると、案の定「どうしようもねえよ、おれゃもうジャイアンツは一生見ない」「きのうは見て損した」「原はもうだめだ、キャッチャー四番にしてどうすんだ」「原やめさしちゃって阿部を監督にすりゃいいんだ」「巨人大鵬卵焼きってのやめようかと思ってる、大鵬は白鵬にすればいいんだけど、巨人にかわるものがなかなかない、ソフトバンクじゃゴロが悪いし」などといきおいよくしゃべっていたのである。

巨人負けた

2012年03月31日(土)

「今日から野球がはじまる」ときのう父が言った。「原が、阿部が、坂本が」と。おとうさん、ソフトバンクに変わったんじゃないのときくと、「いや、まだ今のうちは、やっぱり巨人に期待してみる」と。それがーーなんだー、ニュースみたら最悪の完封負けじゃん。今日、話すことがない。

たどたどしく声に出して読む歎異抄

2012年03月30日(金)

『たどたどしく声に出して読む歎異抄』がとどいた。ぷねうま舎。菊池信義さんの装幀。白地に暗い赤の文字。1600円。朗読会は4月20日7時から池袋ジュンク堂で。

Engrish

2012年03月29日(木)

Jフリーが、こないだ西ミシガン大学でやった朗読をYou Tubeにアップしてくれて、Yakisobaという詩だ。でもすごいのは、って自分でいうことはないのだが、冒頭の語りである。あたしゃ今まで15年、もっとか20年かもっとかも、英語使って世間を渡ってきたが、こんな英語使ってるとはつゆ知らず、いや知っていたかも、娘たちからは「おかあさんの英語はヨーダみたい」(つまり英語なのに、語順がむりやり日本語なのである。いけしゃあしゃあと何の反省もなくそういう英語を使っておる)だの「おかあさんの英語はEngrish」(つまりわれわれの宿命ともいえるLとRの問題だ)だの、言われてきたが、いやー、こんな英語を今まであちこちでしゃべり散らしてきたのかと思うと恥ずかしいというか、ぶざまというか、おどろいたというか。むにゃむにゃいっててすごいなまり切ってるじゃないか。英語をしゃべる友人一同の英語を思い返してみると、だれのも、それぞれ、その人の個性が、環境が、来し方が、出ていて、その人らしかった。ということはこの英語があたしか。あたしはこれか。あたしって、なんて、いけぞんざいで、てきとうなんだろうと思うと、ちょっと、穴があったら入りたい。で、それはこれ。もういいんだ、なんかもう、これで15年以上、移民の生活暮らしてきちゃったから。これがあたしの「とげ抜き」の「河原荒草」の「レッツ・すぴーく・English」の、あと何があったか、あー、いまやってる「テリトリー論3」(日系人の現在あらため)もだな、そういうのの根本の語りなのでありますよ。http://www.youtube.com/watch?v=zREZkzBF0bI&feature=player_embedded

ニオイゼラニウムと蘇り

2012年03月28日(水)

車をバックして外に出るとき、つい前庭のへりに満開のニオイゼラニウムの群れ、というか繁みの中につっこみ、かなりの被害を出してしまった。折れて、つぶれているのがおびただしく。切り取って束にして、前庭に挿し芽してみたが、挿しきれるものではない。長く切り取って束にして、かびんに入れてみたが、それも限度があり、相当数がつぶれたまま残っている。どうよみがえるか見てみる。

ズンバと塩麹

2012年03月27日(火)

今日はズンバに行けた。サポーターしていったら足全体がかったるーーくなった。おわったあと、先生に、腰の振り方を教えてもらった。片方の腰に従心をすっかりかけて、もう片方をくいっと持ち上げ、持ち上げた方の腰骨から下を左右に動かすそうだ。夥しい人がうごめくクラスの中で、数人、先生と同じように腰が動く人がいる。数人、先生が意図しているのと同じように筋肉を動かしている人がいる。でも、ほんの数人である。終わったあと、いっしょにやっているA子さんにさんざん塩麹教への勧誘をしておった。きのうはマスを買ってきて、みりんと酒でのばした塩麹につけたのだ。そして朝から晩まで、外に出して発酵を進ませてみた。そしたらマスは、なんとまあ西京漬けのような味になっていた。焦げた麹が香ばしかった。ここにいながらああいう高級料理に似たものが手に入るとは! というか作れるとは! 発酵のいりょくである。発酵のひゃくまんばりきである。発酵教徒としては、「白い麹の発酵経」かなんか書かなくてはならない。きのうは折角の西京漬けもどきを、芋のミルク焼きみたいなものと食べてしまったが、白いご飯で食べるべきだった。でも昨日で塩麹使い切ってしまった。今回のコンブチャはやや熟成が足りてない。

父と待つ時間

2012年03月27日(火)

「こんどあんたがこっちに来るときはさ」と父がいった。「こうやって早いうちにいつ来るって教えないでさ、言わないでおいて、明日行くよって突然言うようにしてもらいたい。そうでないと、いつ来るって知ってから、待ってるのがばかに長くってしょうがない」と。

父との会話

2012年03月26日(月)

父との電話の問題は解決したので、和気藹々と楽しい会話になるかと思いきや(実は期待してなかったのだが)電話が調子悪くなる前の「退屈だ」にもどってしまってちっとも会話が楽しくない。うまく聞こえなくてうまくしゃべれなかったときは(毎日電話しても、1分や2分しかしゃべらないときがままあった)しゃべれるようになればいいと思っていたが、たいしてかわらないのだ、今も。

雨と勘

2012年03月26日(月)

雨はやっと降り出した。そしてものすごく寒いのだ。まだ降らないうちに散歩に行った。このままやまなきゃいいのに、でも、そしたらカリフォルニアじゃなくなってシアトルとか熊本とかになるなあ。Tormisというエストニアの作曲家、Jフリーが1つ送ってくれたので、聞いてみたらものすごいのなんの。さっそくiTunesで買ってみたら、「clean」という表示がある。なんだろうと思って、しらべてみたら、「不適切な内容が含まれているが編集されている」ということで、なにを歌っているのかとどきどきしながら(声の音楽なので)ききはじめたら、指突き出して頭降ってきくような、DMCみたいな、ロックみたいな感じである。おどろいてよくよくみたら、Rockとある。どうもちがうらしい。でも、Tormisの名前はあるし、エトスニア国立男声合唱団とかかいてある。よくわかんないからすごくむかつく。何回きいても指おったてて頭振らなくてはいけないような気にさせられる音楽であってぜんぜん好みではない。むかつくから、もう一枚ちがう、ほんとのTormisをかってやった。思わぬ散財だ。でも考えたら、若い頃はジャケ買いして、よくはずれたものだ。むかしは、試し聞きなんてなかったし、情報も今ほどなかったから勘が勝負だった。そして勘は、ときどき当たったが、ときどきはずれた。

「しらないわよ」また

2012年03月26日(月)

いや、またやったわけではない。しかし今も、仕事場で仕事していると足元が臭い。ふと見るとぐたーっと心身をリラックスさせてタケは眠っている。でもただ眠っているだけでうんこしているわけではない。おかしいなと思ってしっぽを持ち上げてみると、その下には何もない。うんこしてない。あたしの手の中には、しっかりタケのしっぽの感触があり、重みがある。しっぽを持ち上げられて、タケは「なに」みたいな顔でちょっとこっちを見るが、また眠りにもどる。あたしの手の中のしっかりした感触は、タケそのものの存在の感触のような気がする。で、今この臭いのはただのオナラで、熟睡しながらタケはオナラして、でも眠りから覚めないわけだ。

「しらないわよ」アゲインまたアゲイン

2012年03月26日(月)

雨降らない。予想ちっともあたらない。タケの「しらないわよ」はこれで3日連続である。ちょっとタケー、いい加減怒るよといいながら片づけている。犬は楽だ。何いっても言葉の虐待というのがなくて。タケはさすがに気が引けるのか、たんにテリトリーにうんこがあるのがいやなのか、した直後は何くわぬ顔で居間にいってそこのベッドにすわっている。片づけると帰ってくる。

父と受話器

2012年03月25日(日)

ここのところずっと、父がろくに話したがらず、電話をしても、聞こえない聞こえないと文句ばっかりいわれて、ほんとうに電話をするのがつらかった。話はかみあわないし、むだに声をはりあげねばならないし、いくらはりあげても聞こえないというし、受話器を持っていられないからだというし、こっちの存在を全否定されたような気持ちになって、いらいらするし、むかむかするし、父にぶつけたくなるし、ぶつけちゃいかんと思うし、とってもいやな気持ちだった。今朝のヘルパーはS村さんなので、電話してS村さんにかわってもらった。そしたら「わたしにも聞こえにくいですよ」と。それでS村さんに受けてもらって(父はそういうめんどくさいことは徹底的にいやがるから)親機と2台の子機にぜんぶかけてみたら、父が常用している子機がとくべつ聞こえにくいということがわかった。そこで、常用するこたつの上には、ちゃんと聞こえる子機を置いてもらった。きのうの夜は、電話を「ハンズフリー」にするキカイを買おうと、いろいろ検束していたのであるが、S村さんは「伊藤さんはわたしたちにはそんなことおっしゃいません、比呂美さんに甘えてるんですよ」と。そして受話器を持つのもリハビリだから、ハンズフリーになどしないほうがいいと。一件落着であった。さっき(日本時間の午後1時半ごろ)電話したらひさしぶりによくしゃべった。「退屈で退屈でしょうがねえよ、まったく」と。「頭のなかはたべものでいっぱいだ」と。何が食べたいの、ときくと、スパゲッティ(今晩、S村さんにナポリタンをつくってもらうそうだ)とうどんと薄皮あんぱんと、あとまだいっぱいあるそうだ。目が悪くなっているからテレビが見られない、新聞も読めないそうだ。大宝堂はうちまで来てくれるから、こんど頼みに行ってくる、ということで、電話を置いた。10分近くしゃべれた。しばらくしゃべってないから、話がつづかない。

タケと「しらないわよ」

2012年03月25日(日)

タケはあたしの足元で犬用ベッドにすわり、あたしは自分の机にむかっていたのである。ふと臭うので、タケのほうを見ると、タケはそ知らぬ顔ですわっており、しっぽの下にうんこがある。ちょっとタケ、といったら、タケはつーんとした顔で、「しらないわよ」といって、出て行ってしまった。片づけて窓を開けて空気入れ替えたら、つーんとした顔で戻ってきて、「ほんとに、しらないのよね」といいながら、何事もなかったようにもとのベッドにすわった。

ズンバと雨

2012年03月25日(日)

おとといズンバで足をひねって、きのうも今日もお休みしておる。サポーターはいているがよく効くかも。歩くのはぜんぜん支障がない。なんでお休みしなくちゃいけないのかわからないが、うちの合気道家たちが休んだほうがいいというから従っておるのだ。あしたは雨だというはなしだ。

エピデンドラム

2012年03月23日(金)

前庭にニオイゼラニウムを4株と友人にもらったラベンダーとミントを植え込んだらおもしろくなり、ほかに植えるものはないかと見渡したらあったのなんの、エピデンドラムがほったらかしで高芽をたくさんつけてぽろぽろこぼれておるので、取って束にして、何束も何束も、植え込んでみた。うまくつけば、マチュピチュへの山道の斜面に咲き乱れていたというエピデンドラム(S子の報告であった)みたいになるかもしれない。でも以前にも何回も植えてみたことがあったが一度もうまくいかなかった。だめかもしれない。

ひさしぶりに植物

2012年03月22日(木)

トメを迎えに行った帰り、トメにあの巨大なリュウゼツランを見せたくて、ちょっと寄ったのである。そこは植木屋さんの敷地で、車を停めて近くまで見に行ったところ、リュウゼツランにたどりつくまでに目にするお店の植物たちは、あれもそれもこれもあれもそれもこれも、買いたいものばっかりで、つい、メイヤーレモンの木(大きいブシュカンみたいなレモンが1個生っている)、ニオイゼラニウムの苗を4株(前から、この春にニオイゼラニウムをいくつか買ってきて前庭に植えようと思っていた)、セラギネラ・アポダ(ちょーかわいいイワヒバの仲間、アメリカ原産だ)、見たこともないようなピンクの大花の咲くフクシャ、フィロデンドロン・オキシカルジウムの斑入り、どっさり連れて帰ったのだ。で、リュウゼツランの花茎はマジで直径15センチはあり、数メートルに伸びていた。americanaと思っていたがdesertiiかもしれない。その区別のつけかたがよくわからない。葉はぶ厚くて肉々しくみずみずしく重たげで、切ったら水がだばだば流れてきそうな感じであった。

コージくんとビンちゃん

2012年03月22日(木)

こないだ塩麹の作り方を、M里さんに教わってさっそくニジヤで乾麹を手に入れて作り始めてからというもの、すっかりはまって、名前はコージくん。しかし冷蔵庫に入れた時点でコージくんは発酵しなくなっているし、食べているので、ただの塩麹のような気がしている。ペルシャきゅうり(日本キュウリの代用品)やラディッシュで漬け物はもちろん、もろきゅう、もろにんじんももちろん、コージくんとサワークリームとヨーグルトとパセリとにんにくとショウガで漬け込んで焼いた鶏はとてもうまかった。コンブチャのびん入りビンちゃん、前回は緑茶でやったら、すっきりさわやかな、アロエ汁みたいな感じの飲み物になった。紅茶のほうが複雑怪奇な味になるのは、紅茶の製造段階で一度発酵してるせいか(とゲスしておる)。今は紅茶で発酵しつつある。

ぷねうま舎と雨とリュウゼツラン

2012年03月20日(火)

万事OKが、今週はむずかしくて書きあぐねている。ぷねうま舎のN川さんから見本ができたとメールが。『たどたどしく声に出して読む歎異抄』だ。雨は思ったほど降らなかった。きょう近所の道端に、大きなAgave Americana日本語でアオノリュウゼツランの株から電信柱のような花茎がすっくと起ちあがり、花をひとつ咲かしているのを見た。Uターンして戻ってきて、道を折れたとこに車を停めて、しばらく眺めておったが、いや、豪気な様子であった。

友人のことば

2012年03月18日(日)

「病と老いはどんどん拡大して、父を消していくと思う。でもでも、見送ると、また立ち上がってくるよ。ここまで来た道を。あの父とあの私が、確かにいたことを」と父を見送った友人がいった。ちょっとほっとした。

雨だ。

2012年03月18日(日)

雨だ。先週の予報ではずーっと雨となっていたのでなんと太っ腹なことだとワクワクしていたが、その日が(つまりこの週末)近づくにつれて、予報は、軽い雨だの曇りだのと及び腰になっていった。きのう、ずんずんと雲が低く垂れこめる中、LAにいって帰ってきたら、サンオノフレ(ここの原発が、破損箇所があるとかで問題になっておる)あたりでとうとう降り出し、さーさーと篠つく春の雨っぽくなり、よろこんだのもつかの間、うちの近くに来るや雨は止んだ。今朝も豪雨を期待していたが、降りみ降らずみ、無念さに歯ぎしりしたが、やがて雨脚は少し強くなり、一時は前の車のはねあげるしぷきで視界が悪くなるほどの雨が降った。植物たちを数鉢外に出した。

父と飛行機のきっぷ

2012年03月17日(土)

で、父のことだが。ここのところマジでストレスフルになっていて、書きたくなかった。しかたがない。書かないと(メモなのである、あたしの)。きのうS村さんとじっくり話せた。肩をうってから痛みがあって、それでどうしてもほかのことがおろそかになってるようだ、と。だいぶ続くでしょうけど、と。そのとき、いつものR病院に、それからもっと専門的なK病院に連れて行ってくれた。その結果、骨折ではないということだった。そしてそのとき、R病院から出されている眠剤を減らしてもらうようにした。わたしもR病院のかかりつけの先生に電話してそのことを話した、どうも薬のみすぎで昼夜逆転しています、薬が残っているから午前中一杯、午後もときどき寝ていて、夜寝られなくなり、夜中に眠剤のんでまた昼間寝ての悪循環、その上いつも眠剤が残っているようでふらふらします、と。眠剤が夜まで残っているのは、呂律がときどき回らないので推測できる。そしてその結果、かかりつけ医は眠剤を出さないでくれた。ところがそれについて父が文句を言う、言う、とうぜんだが。「3時まで眠れなかった、S村さんやあんたが先生にいったせいで眠剤くれなかった」と何回も何回もくり返した。この頃の父は、まるで入院する直前の母みたいに、何回何回も同じことをくり返すのである。まあしかし、眠剤がいきなりなくなったのだからそれはつらいと思う。数日間そうだった。そうして少しずつ慣れてきたのかなと思う。しかしおととい、電話したらすごく動揺した声で、「きょうはリハビリの日だったのに忘れちゃってた」と。「おれ、そういうこともわかんなくなってる。おれはこの頃スカパーみるのもできない、前は洋画チャンネルすぐまわせたけど、今はどうやってやるのかわからない」と、切々と混乱した声でうったえるのである。そのときにはすでに7日出発の便を抑えてあった、でももっと早く帰らないとだめだと思った。「早く帰ってきてくれよ」と父はいう。しかしぱっと行ってぱっと帰れる距離じゃないのである。その上、諸般の事情で予定がくるい、あたしは日本に4月末までいなきゃならぬ。ますます、ぱっと行ってぱっと帰るわけにはいかなくなってるのである。こっちの家にも家族がいて、こんな、てきとうな母だけれども、必要とされていると思う。それを考えると、ほんとに、ほんとに、行きたくない。でも行かねばなるまい。この頃は父に電話するのもほんとにつらかった。受話器をとると、父が大声で「はい?」というのである。その声にひとかけらの「話したい」という気持ちも感じられないのである。で、いつものとおり、どうしてる?というと、そっけなく「テレビみてるよ」という。そうして、なんとか話をつなかげていると、眠れないの、転んだの、テレビがこわれたの、孤独死だのという話題にたどりつくのである。しかしその話す声が、声そのものが、こわれているような気がする、こわれていて、何も把握できなくなっていて、ばらばらになってるような気がする。父は父ではなくなっちゃったような気がする。あたしを、害する気持ちなんかちっともなかったはずだが、今はもう、これをいえば比呂美を悲しませる、苦しませることになるのだ、なんてところも考えられなくなってるのだと思う。で、それはしかたがないことだと思う。などということを書いてると、でもこうなることは前からわかっていたんでしょ、と友人に言われた。そうなんだけど、これほどつらいとは思わなかった。ベルリン行きはキャンセルした、そのあと、日本に行こうと思えば行けたのだ、しかし、さすがに、あたしのなにかが「やめとけ」と。あたしはふつうの人よりずっと体力があって、どんなに動いても動けちゃうのかもしれない。まあどんな人でも、こういう状態になれば、こんなふうに動いてしまうのかもしれない。しかしそれでも、あたしのなにかが、もうタクサンと叫んでいるのが聞こえた。これ以上動いたら、たぶんぷっつり切れて、体力か精神力かが、そうしてもっとひどい状況におちいるから、いま、ここで「やめとけ」と。そう思えば、この家にいた、家にいて、S子やトメや、イヌたちやつれあいの変化を見ていた2か月は、必要だったのだと思う。

4月20日ジュンク堂で朗読のご案内

2012年03月17日(土)

「たどたどしく声に出して読む親鸞」

4月20日 19:30〜
ジュンク堂池袋 4F喫茶店 03-5956-6111

ドリンク付きで1000円

こんど、ぷねうま舎から本が出ます。その名も
『たどたどしく声に出して読む歎異抄』
そのおひろめと景気づけをかねて
親鸞の声を、恵信尼の声を、読みまくります。

4月19日「詩人の聲」のご案内

2012年03月17日(土)



「詩人の聲」(天童大人プロデュースシリーズ第743回)

4月19日(木)18時30分開場 19時開演
数寄和 杉並区西荻窪北3-42-17 
tel: 03-3390-1155
email: contact@sukiwa.net
予約2700円 当日3000円 学割1500円

父と孤独死

2012年03月14日(水)

このごろS村さんの提案でキューネットというのを契約しようかどうしようか考えていた、というのも父がよく転んでおきあがれないからで、そういうときにブザーをおせば、夜中でもすぐ来てくれて起こしてくれるという、そういうシステムだ。でも、父が「まーいい」と。「まだだよ、もうちょっとなんにもできなくなったら頼む」と。しかしもうなんにもできなくなってるように、あたしには思える。「転んで起き上がれなくても2時間くらいすわってればおきあがれるようになる、そのあいだに死んじゃったら、そういうのを孤独死というのかなあと、きょうも考えていた」と。おとうさん、そういうのいわれるとつらいんだけど、とあたしがいうと、「わかってるけどさ」と父はまだいいつづけるのであった。いいたいのはわかるが、心の拷問だった、これは。電話を切ってしばらくしてまたかけて、おとうさん、孤独死というのは死んじゃってそのままだれにも気づかれないことなんじゃないの、おとうさんは、朝と夕方にS村さんたちが来るし、あたしも電話して出ないと大騒ぎしてS村さんに連絡するし、といったのである。というか、いわざるをえなかったのである、いわなくてもいいことなのだし、いわなくてもよかったのだが。

ラジオ局とアメリカ音楽

2012年03月12日(月)

サンディエゴとティワナをカバーするラジオ局で104.9というのが、クラシックばっかりやる局なんだが、アメリカやメキシコの作曲家をよくかける。そんな気がする。きっと日本のラジオ局やヨーロッパのラジオ局より、アメリカやメキシコの作曲家の曲がかかる率がたかいと思う。で、そのアメリカやメキシコの近現代の作曲家が、なんとなく共通するマイナーさと明るさがあって、おもしろい。きょうも、運転しながらぼうっときいておったら、ピアノ曲がはじまったのだが、なにしろサンディエゴとティワナ(メキシコ)だから、曲の最初はスペイン語、最後に英語で曲名をいう。それでわからないスペイン語のほうはつい聞き飛ばしてしまうのである。スペイン語アナウンサー(女)は驚くほどおばさんっぽい地声でしゃべる。英語アナウンサー(女)は硬くてとんがってる声である。各言語の発声の違いなのかなあと考えておる。とにかくそのピアノ曲。それがだれのかわからずにいろいろゲスしていたのでゲスが、マーラーみたいな感じ、つまり浮き世に迎合したような感じのメロディがマーラーみたいで、でもまてよ、マーラーピアノ曲ないじゃんと思い直し、さらにきいてるとコープランドみたいな感じもする、アイヴスみたいな、感じはない、どっちかといったら知ってる音の中ではジェフスキみたいな感じであり、なんというか、こう、ミニマリズムが大げさに手足をばたばたはためかせて歌い踊ってる感じで、好きかといわれれば、ちょっと待ってくれと答えたくなるような、しかし聞いてるうちに、メロディがきつくてうっとうしいけど、好ましくなり、きっとジェフスキ(いや、ジェフスキはとてもスキ)かそのあたりの人のであろうと思いすまして最後まで聞いておったら、何かよくわかんない名前であったので、うちに帰ってネットで調べたらGottschalkという聞いたことのない名前の作曲家、ニューオーリンズ生まれの19世紀末の、その人の、Souvenir de Porto Ricoという作品であった、iTunesで買ってずっときいてるそれから。こないだニール・ヤングが、さいきんのそういうテクノロジーでは音が悪い、悪くなりすぎる、と発言していたが、あたしには区別できない。

日本に

2012年03月11日(日)

黙祷。

父と8分

2012年03月09日(金)

きょうは8分しゃべった。まあまあの成果だ。まだ肩と手が痛いからテレビもみないでたいてい寝ているそうだ。でもなかなかきき取ってもらえないし、あたしも父のいってることがなかなかきき取れない。

七夕の国とイキガミその他

2012年03月09日(金)

きのうはBookOff、1ドルセールで「NANA」をおとな買いした。それから「七夕の国」の1,2巻、有吉京子のバレエも読んでみむとて「SWAN」の何か(いまいち、いまに、いまさんであった)「センゴク天正記」9巻(これはこういうものだ,人がなんといおうと、ちりばめられた古い戦記群からの引用がどんなに生硬であろうと、ことがらだけ追いかけすぎて人が描けてないじゃんと思うことがあっても、歴史の教科書読んでんじゃないんだしと思うことがあっても、そこが好きでついつい読んでしまうのだ)それから「イキガミ」1巻。「イキガミ」昔、O野さんに、これちょっと話題になってるからといわれて、1,2冊もらって読んだが、あざとい設定とあざとい人情ドラマにあまり惹かれなかった。しかしこうしてあらためて読むと、ちくちくちくちくいやな感じの刺激を受け続ける読み応えがとても特殊で、なかなかいいじゃないの、こないだおわったはずの連載のほう、実は楽しみに読んでおった。でも最終回は読むことができなかった。「七夕の国」はもちろんもっておる。でもこっちに持ってきてないし、1ドルだったし。さんざん読んだはずなのにあらためて読むと、伏線がきれーーーーに張り巡らされてあってすばらしい。主人公がエウメネスやシンイチほどかわいくないのが欠点だが、とっても感じのいい青年だし。漫画としてのお話に破綻がなくてじつによくできているが、ある意味破綻がなさすぎて、どきどきする部分がないのも、欠点っちゃ欠点か。やはりある程度の長さがあり、作家が疲れてやぶれかぶれになる時点がなくちゃ破綻は生まれてこないのかも。「よつばと」10巻おもしろかったが高かった、7ドルもした、でもトメからたのまれていたので買ってしまった。トメは、よつばのいってることがときどきわからないそうだ、ひらがなだけすぎて、日本語としておかしいところがありすぎるかららしい。岩波文庫は「ブッダのことば」や「般若心経金剛般若経」が目についたが、もううちに数冊ずつあるので、さすがにこの上引き取るのは泣く泣くあきらめた。「ひゃくまんびきのねこ」の心持ちである。

老人と犬と恩返し

2012年03月09日(金)

S子ちゃん、おねがいが……とS子に話しかけたら、「おじいちゃんに電話?」というから、なぜわかったと聞くと、今おかーさんのブログ読んだ、と。で、S子ちゃんが(ちゃんづけは、感謝のきもち)電話してくれたのだった。あんまりコミュニケートできなかったようだ。今朝、犬たちを散歩に連れ出し、タケがのったりのったりいやいや歩く(それもそのはず、あたしがズンバにいってる間にS子が散歩に連れて行ってたそうだ、タケ言えばいいのに言わないから)のを、犬クッキーでつりながら、歩かせて、考えたのは、こういうことをやったほうがいいとS村さんは提案し、あたしもそう思うのだが、父がやりたがらないんだな、と。そして本来ならば、父にするような手厚い老人の世話をここで犬にやっておるのだなと。ほとけさまの供養のように、どこでもだれにでもいいから供養すればいい、という論理にならないものかなと考えた。師から受けた恩なんてものもそんなもので、受けた恩はなかなか返せないけど、こんどは自分が後から来るものたちの世話をしてやることで、恩返しになるんだと、むかーーしY上先生に言われてすごーく納得したことがある。そのとき、あたしたち(前の夫とあたし)はさんざんY上先生にお世話になっていたのだった。それでY上先生への恩返しのつもりで一所懸命学生の世話をしたっけ。老人の世話も、ほとけさまの供養や恩師への恩返しみたいに、よその老人の世話をすることで、自分ちの老人に返っていかないものかなと。

父と思惑

2012年03月08日(木)

今晩(カリフォルニア時間)はもう電話したくない。あしたもしたくない。しばらく電話しなければ父もなつかしくなって話したいと思うだろうか。しかしそこに何の保証もないから困っておる。話したいと思わないかもしれない。娘が帰らないので(といってもこないだ帰ってからまだ一ヵ月たっていない)娘にたいして腹を立てている、すねている、というより、娘でもだれでもめんどくさくなってしゃべりたくない、というほうが近いのではないか。ならば、父の思惑どおり、このまま電話をせずにいてあげれば、気楽でいいのかもしれないと思いつつも、そんなことできるわきゃないだろうが、と思う気持ちもある。どうしたらいいのかマジでわからない。日本に帰ればいいのだろうが、帰ってまたすぐ帰らねばならないことを考えると、つらすぎる、いくらなんでも。だからここにいたいと考えるのだが、考えがちっともまとまらない。

父はしゃべる気がない

2012年03月08日(木)

朝(日本時間の)電話したが、しゃべる気がないのですぐ切った。手がいたくて電話が持てないという。痛いのは左手なので、右手で持てばいいのである。

父としょうがない

2012年03月07日(水)

電話をすると、また声がかすれており、電話がよく聞こえてないといっており、それでも会話をつづけようとしているうちに、「きのう先生やS村さんなんといってた」というから、眠剤を減らしたほうがいいって、S村さんたちがいるときに少しでもいいから歩く練習をしたほうがいいって、というと、「おれ、あんたたちがいうほど、そんなに弱ってないよ」と。だって足が弱ったっていつもいってるじゃないの、というと「今は手が痛いけど、足は弱ってない」と。「テレビでやってたけど、年寄りってみんなどこかしら悪いものなんだって、しょうがないんだよ」と。もうこのへんで今日はこっちにしゃべる気がなくなって、そうなのーー、じゃしょうがないってことで、まあしょうがないから、あしたまた電話します、といって電話を切ったのである。これじゃいけない、悪循環きわまりない。

漫画の母性

2012年03月07日(水)

岩明均も井上雄彦も手塚治虫も、みーーんな「母性」が好きなんだなあと思うと、なんだかこう鼻白んでしまうのだが。これだけ読んどいて何をいうかと思うでしょ。そうなんですよ。男の子用の漫画ということでしかたないのかも。男の子たちはこういう母親観を持っているのかも。くすぐったいが、あたしには男の子がいないのでわからない。わからないと思うと、孤独である。母を、殺すとこから始まるのが「おはなし」というものだったんじゃないのか、と思っている、思うだけじゃなく実感しているのは、あたし自身が女の子で、娘しかいないからか。岩明均の「母性」は、少しゆがんでいるので、もたれずに済む。子どものころ手塚治虫より石森章太郎をこのんで読んでいたのは、この母性礼讃が石森になかったせいもあったと、今思い出した。石森には、おねえさん礼讃はあるけど、そんなのはへでもないし、安寿と厨子王みたいなもんかと思えばナットクできなくはない。

寄生獣と上条くん

2012年03月06日(火)

「寄生獣」の上条くん、といってわかる人いるかな、ミギーでもシンイチでも田宮良子でもムラノでもなく、とにかくただの同級生なんだが、いい味出している。「スラムダンク」の水戸洋平くんのようだ。上条くんどうなっちゃうかなと心配して読むんだけど、あまりにチョイ役すぎて出番が少なく、どうなっちゃうもくそもないのであった。って、漫画読んでないで仕事仕事。

タケと「はうーん」

2012年03月06日(火)

ずっと、タケのひとりごとを、なんと表そうか考えているのだが、考えつかない。タケはよくしゃべる犬だ。若い頃からよくしゃべる犬だったが、年取ってからはますますおしゃべりになった。といってもナルニアにでてくる動物やドリトル先生に出てくる動物たちみたいにしゃべるわけではない。あたしたちと会話をするわけではなく、むしろひとりごとだ。感情を声に出すのが好きなようだ。ふうーむふうーむ、と車の後部座席でひとりで唸っている。通訳してみれば、「どこにいくのかな」「公園ならいいんだけどな」「まったく運転が荒いんだからな」みたいなことか? なんとなくあたしに対する不満がふくまれているような気がするのは気のせいか? こないだは、トメとあたしが洗面所にいたら、ふとやってきて「はうーん」とひとこと言ってどこかへ行った。あれはたぶん「なんだ、さんぽじゃないのか」みたいなことか? しかしこの「はうーん」はしょっちゅう聞くから、ぜったいタケは言いたいことがあるはずだ。思い出そうとしている、どんな状況でそれを聞いたか。共通するものがあれば、タケの言語が解明できる。と書いてるあたしの頭の上でぴーちゃんが髪の毛にひっからまってひどいことになっておる。

父とサワタ

2012年03月05日(月)

それで、朝(日本時間)主治医に電話し、父の状況をくわしく話し、ほとんどヤク中みたいに生きてることを話し、骨折したかもしれないことを話し、主治医の先生はほんとにフレキシブルで、こっちの意見も真摯にきいてくれるのでとてもありがたく、それから父に電話し、S村さんと話し、同時に、こっちではディナーパーティーやっており、11人分のごはんを作っており(サーモンのペストはさみ、新芋、焼きピーマン、グリーンピーとリークのポーランド風サワタ)、飲み物を用意しており、父から電話がかかり、また父に電話し、ああ、大忙しであった。ああ。でも父はまだ生きてて、あたしは日本にいかなくてもよさそうだ。

父と骨折疑い

2012年03月05日(月)

父に電話したら、夜中に風邪クスリのもうと思って取りに行ったらころんで肩と腕が動かない、と。「いつもは大丈夫だよっていうだけだけど、こういうときこそ、あんたから電話があったら,大丈夫じゃないよといって、なぐさめてもらえるのになあと思って電話まってたんだよ」と。金土は、呂律もまわったし、よく話したのである。そしてあたしは、おとうさんと話せるようになってほんとによかった、と連発した。そしたら父も多少はコミュニケートすることに熱心になってくれるかと。まーなってくれた。大丈夫じゃないと言うのを聞いた後、いつもより四時間くらい早く寝ておった。というのもTムのところで痛めつけられて、筋肉が痛くてたまらず、ズンバでもベラミーでも治らないので、とにかく横になりたかったのだ。うとうととしたところに電話があり、S村さんにかわって、骨折してるみたいなので、明日病院にいきますが、主治医の先生と話しておいてください、と。ああーー何はともあれ、ベルリン行きをキャンセルしてやっぱよかったのだと思えたのだった。四月の東京行きもまだ買ってないけど、買ってなくてよかった。父はとくに寝起きや朝のうちふらふらする。それはどうも夜にのむ眠剤がききすぎているせいではないかとS村さんもあたしも感じている。そしてこわいのは、今回のように転ぶことで、そうしたら、なにもかもがガラガラと。

ニオイゼラニウム

2012年03月04日(日)

ニオイゼラニウムの2つめと3つめが咲いた。つぼみが無数にある。立っているのもあれば、立って垂れ下がっているのもある。昆虫のこどもみたいなかっこをして眠っているのもある。

ユークリプタ

2012年03月04日(日)

きゃーーわかった。ムラサキ科だ。Eucrypta chrysanthemifoliaというのだった。Eucryptaの意味は「よく隠す」。chrysanthemifoliaは「キクみたいな葉の」だと思う。だーかーらー、葉っぱがヨモギみたいだと言っておろうがーー(勝ちほこった声)。このへんの自生種で海辺から山地までひろがる。ニオイのいい、一年生の葉だそうだ。さっきおりとってきた葉をコップの水にさして置いておいた。お茶も飲んでいたので、まちがってそっちを飲もうとしたら芳香があった。レモンのような。San Diego County Native Plants という本で(これは科別にのってるのでみつけやすい)さがしてみようとしたら、あったばかりか、そこにあたしの字で書き込みがあった。「カワヤナギ公園で採集、カワイイ、歩いてきた」と。毎年毎年、苦労して探しあてては忘れてると見える。たしかアカイヌノフグリ(別名なんとかルリハコベ)もピンクセンブリも、苦労して名前を探しあてたなあと思い出した。見つけ出す方法は、こうやってありえそうな科を探し、しらみつぶしにそこの花や葉を見ていくのである。……なにやってんだか。

歩いてきた草

2012年03月04日(日)

「歩いてきた草」と呼んでいる草がある。何年も前にカワヤナギ公園の裏のほうの、ユーカリの大木群の反対側、その日陰になったところに、生えていたのがかわいくて、数株持って帰って移植した、と思ってください。そしたらだめだった。つかなかった。しかし一年たって出てきた。今ごろ、と思ったが、トメがいうには「おかあさんがすごく好きなのを知って、歩いてきてくれた、でも草が歩くとこを人にみられたらいけないから、人が通ったらぱっと生えてるふりをして、行きすぎたらまた歩き出して、そんなことしてたら一年かかっちゃった」と。カワヤナギ公園ではシダの赤ちゃんのような緑がういういしかった。うちの前庭にこうして落ち着いてみると、そだって(でも葉はういういしいまま)、小さい白い花も咲かす。葉はキク科のヨモギなんかに似ているがもっと弱々しい。花はどっちかというとゴマノハグサ科のオオイヌノフグリかなんかの感じである。シダそっくりだが、シダじゃない。それでそれぞれのサイトを目を皿のようにしてみつめているがみつからない。そもそも葉も花も、小さくて低くてわりとふつうで、なんら目立つところはない。だからより見つけにくい。キンポウゲ科かシソ科かもと思ってそっちも調べてみたところだ。花はぜったいシソ科じゃない。うーーむ。

初緑と犬夜叉

2012年03月03日(土)

Agave attenuata ほんとに奇妙きてれつで、今花ざかりなのだが、調べたら和名で「初緑」と。まあまあふつうだった。そして葉の色はたしかに「はつみどり」、しかしこれを探しあてる途中で散見した多肉植物の名前はほんとに、なんというか、「犬夜叉」とかそういう、おどろおどろしい伝奇的少年漫画(でも少女も好きな)に出てきそうな名前ばっかりだ。リュウゼツランたってカタカナで書いてるからふつうに感じるが、竜舌蘭だし。よく探したら、多肉植物のなかまに犬夜叉も、四魂の玉も、鉄砕牙も、飛来骨も、あるかもしれない。で、英名になると、ふつうになる。たとえばAgave attenuataは、ライオンの尾とか、キツネの尾とか、白鳥の首とかいうそうだ。たしかにそう見えるんだけど、想像力が貧困すぎる。もうこうなると、植物とか言語とかいう以前の問題。しかし今、attenuataをgoogle翻訳にかけたら減衰と出てきた。これはどういうことだ。

父とCTスキャン

2012年03月03日(土)

しまった、父のことを書こうとしてつい奇想天外やら黒法師やらについて書いてしまった。父については、きのうの(日本の)朝、ヘルパー主任のSさんとじっくり話した。それだけで気が楽になるのだが(Sさん、スイマセン、そしてありがとうございます)きのうは通院の日で、CTスキャンもするといっていた。病院にはSさんが連れて行ってくれる。耳がつまったみたいになって聞こえないというのが主訴である。クスリも出過ぎていないか確認してもらってきます、とのことだった。その後、「かえった」という電話が父からあり、すべて、どの症状も、「年のせい」だそうだ。「だからしょうがねえよなあ、あちこちひっぱりまわされて、CTスキャンすごく疲れたからもう寝る」といって電話を切った。ゆうべはあたしも眠くてたまらなくて(しめきりには催眠作用があるようだ)、しめきり終わったあと、父に電話する気になれなくて、そのままであった。

奇想天外と黒法師と青尻尾(仮名)と背高大黄

2012年03月03日(土)

前々から不思議に思っていた植物、みずみずしい多肉の葉がぬうと長い大きな穂のようなものが出てきて弧を描いて垂れ下がる、たぶんそこには花がついている、これが今、そこらじゅうにあるので、一瞬、ここはどこ? 的な感覚におちいる、その名前がわかった、Agave attenuataといって、リュウゼツランの仲間だ。tail succulent(多肉植物)ですぐ見つかった。メキシコ原産。いわれてみたらリュウゼツランだが、いわれなければリュウゼツランとは思わなかった。それから、今は、ベンケイソウの仲間のアエオニウム・アルボレウムが花ざかりだ。緑も黒いのも。黒いのは黒法師という和名で、これはいかにも。緑のは艶日傘だって。なんじゃそりゃ、な命名である。多肉植物の命名には、なんだかへんな和風テイストが強くて、江戸時代から園芸品種として扱われてきたせいなのか(ゲスしておる)、日本の戦艦がみんな源氏の登場人物みたいな名前ついてるのや、競馬ウマたちのきみょうきてれつな名前や、一昔前のお相撲さんの名前や(今どきのお相撲さんは、今どきの幼稚園児みたいな名前が多すぎる)、宝塚の名前や、なんかこう、各分野にあるそれぞれのテイストが、おっと脱線した、多肉植物、れいのベルリン植物園にある「奇想天外」も多肉植物、この名前は(たぶん脳裏の片隅にあったせいで)Agave attenuataにひそかにつけていたので、同姓同名(こっちが本物)がいるとしって驚いた。そういえば昨夜は、とつぜんセイタカダイオウが見たくなり、ネットでさんざん検索していた。

父と4時

2012年03月01日(木)

そしたら今日は話す気はあるが、ひどい状態。声がかすれ、口のなかがかわききっているような、ねばねばしているような、そんな話し方であり、またこっちの言ったことにきちんと答えてくれないので、とんちんかんだし。おとうさん、きこえてる?と文節区切りで、はっきりと、言うのにも限界がある。「6時ごろ寝ちゃって9時ごろおきてクスリのんでねたら4時ごろ起きちゃった」となんとかききとれた。しかし呂律がまわってないどころじゃない話しぶりである。4時におきてまたクスリのんでるの、ときいたら、「だってそんなときに起きたってしょうがないだろ」と。父の不安は解る。寂しさもわかる。孤独もわかる。想像できる。想像するだに胸がつぷれる。しかしだからといってこの生き方は、なさけない。納得できない。いやあたしが納得するもしないもないな。それが父の生きざまである。それを引き受ける。ところが、なにもかも引き受けていたら身がもたぬ。むかしの人は、こういうものを引き受けてなお身が持ったのか。

父と蜘蛛の糸

2012年03月01日(木)

2月半ばにこっちに帰ってからというもの、ずーーーっと、父に電話してもろくにしゃべることができない。無意識の不機嫌さに、めんくらってしまう。しゃべれないのは、ほんとに彼のいうように機能的なおとろえなのか、不機嫌だからか、怒りのせいか、わからない。「耳がわるくなって、つまったようになって、あんたの声がきこえない」と父はいうが、「手の力がなくなって受話器をもってられない」ともいうが、声もよれよれ、会話もとんちんかん、電話はうまく聞こえないそうだし、すぐ疲れたと、もういいだろというし、なんだかほんとに電話するのが苦痛である。ミシガンにいたとき、あんまり電話しないのもなんだから、スカイプを設定してやっとしゃべれるようにして、電話してみたら、自分の用だけいって(駐車場の件で問題があった)すぐ切ろうとした。おとうさん、あたしはおとうさんがどうしてるか知りたくて電話したのよ、といっても、聞く耳をもたない。などということをぜんぶ、悪意、とまではいかないが、怒りや不満の表出とみるからいかんのだよ、それはぜんぶ老いの衰えのダダ漏れにすぎないのだよと、思おうとするが、やはりそこはなかなか思えるものでもない、そして思えないという事実がとても辛い。あー電話したくない。やはり電話というのは楽しさがあるからできるもので、毎日毎日ああもけんもほろろじゃ、まったく苦痛でしかない。しかしそれでも、電話しないわけにはいかない。しゃべらないわけにはいかない。蜘蛛の糸みたいな感じがする、父は罪人、あたしはかんだた。

寄生獣と3月のライオン

2012年03月01日(木)

「アドルフに告ぐ」の口直し、といったら悪い意味になってしまう、いやとってもよかったんだけど、表現、創作の基本姿勢に疑いを持ったのは事実だ、手塚治虫だけでなく、あの頃の漫画には蔓延していた、というか、そもそもの基本の基本が、あの世界は文学やなにかとは大きくちがっていた、子ども心にそれを感じ取っていたというのを思い出しちゃった作品だった。で、その思い出を払拭しようと、「寄生獣」に読みふけっておる。これはだいぶ前にK森さんにどさっと送ってもらった。処分するところだったそうだ。最初と最後の絵はちがうが(スラムダンクの最初と最初ほどはちがわない)、漫画そのものが、作家の成長のあとを示してみせてOKなものなのだと考えれば、かえっておもしろい。最初は、ただの暗めの、奇想天外な少年漫画だった。大友の影響なんかもほの見えた。ぶこつなコマわりが好ましかった。それがどんどん深くなる。主人公の顔もどんどん深くなり、かわいくなる。パトレイバー(これは読んで読んで読みつくした)みたいな感じもするが、他人がかかわらないぶん、異物的にはさらに深い。他人がないから、どんどん「自分」と「異物」が深まる。心身の障害が真っ向から描かれる。絵が、うまくなってるのに、ときどきぎくしゃくしてくるところがまたすごい。この作品を知らずにあたしはさいしょ「ヒストリエ」から岩明均に入って(それはT浜さんにもらったのだ)驚愕したのである。で、もうひとつ読んでるのが「3月のライオン」だ。これも文句つけられないくらいいい。前作よりずっといい。前作はいまいち好きになれなかった。若さ若さと連呼するところがうっとうしかった。こなれない紡木たくっぽさがそこここにあるようで、天才たちの描き方もなんだかしらじらしかった。ストーリーも最後は破綻していた。でもこっちは、同じ絵柄なのに、すべての要素でレベルアップしている。ことばがいい、キャラがいい、なにより風景がすごい。こんなに風景がいい漫画が少女漫画にあったろうか。ってちょっと、コレ、少女漫画でOK? 将棋漫画かも。3月に7巻が出るそうだ。楽しみだけど4月まで待たないとだめかもしれない。

ニオイゼラニウム

2012年03月01日(木)

前庭のニオイゼラニウムにはつぼみがびっしりとついておる。最初の花が今朝咲いた、3つぶのピンクの花だった。

   
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