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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

大晦日と父

2011年12月31日(土)

はめ殺しの窓をふいて、ドアを拭いてたら、通りかかった近所の人たち何人もから、大掃除?と言われた(驚かれている)ので、いや小掃除、と答えておる(平田から声をお借りしました)。とにかくキレイになった。父が食卓でお昼を食べてる間に、父の座りこんでいたあたりも掃除機をかけた。「まったくぶっつぁりこんでるだけなんだから」という母のののしり声が聞こえてきそうだ。子どもの頃、この時期になると聞いたものだ。こうして母がいなくなって、しかも父が老い果ててみると、まったく父は、ぶっつぁりこんで「陽炎の辻祭り」を見ているだけなので(時代劇専門チャンネル)ある。そして三食ひたすら食べるだけなのである。そして新聞を読むだけなのである。きょうはまだ時代劇だからいいものを、たいていはくだらなさの限りを尽くしたようなバラエティ番組を轟音で見つづけているのだ。あたしがそこにいても、あたしの存在はどうでもいいようだ。ただし全身全霊であたしに甘えてはいる。あたしの家族は妻と母を欠いて年末年始をやり過ごしており、あたしは仕事がぜんぜんできない。父のこの自分のことしか見えていない生き方は、独居歴が長いせいかと思ったが、もしかしたら、その前から、母と暮らしていても、こういうふうだったのかもしれない、あのののしり声を思えば。こうまでして人間というのは生きていかねばならないものかと1日に数回考える。いや、親子関係はとても良好なんだけど。何にも用意しないと思っていたが、やはりはぜの甘露煮とか、昆布巻きとか、お多福豆とか(黒豆の鉄っぽい味が好きではない)、きんとんとか、かまぼことか、だてまきとか、買ってきてある。正月用の白菜みたいな花もユリといっしょに生けてあるし、小さい門松もある。お雑煮の用意もしてある。

馬11

2011年12月31日(土)

きのうで馬はおしまいだった。初乗りは3日だ。しかし先生にいわれたことをつらつら考えていると、身体の力は、できるだけ抜いてダラッとして、しかし姿勢をくずすんじゃなく、あくまでも、重心とか丹田とかはきちっと保って、でもあとの末節の関節や筋肉は力を抜いて、いつなんどきでも外から力がやってきたら、それに合わせ、自由自在に反応して動く、というのが理想のようだ。それっていつも聞いてる、耳タコに聞いてる、合気道の基本と同じじゃないか(読んでるみなさんはいきなりなぜ合気道? と思われるかもしれませんが、うちの娘らは筋金入りの合気道家です)。昔読んだ骭c一郎の小説にもそういうのが出てきたような気がする。しかもっ、それは腰さえ回しておればズンバの基本でもあるかもしれない気がする。筆に墨をつけて紙に向かうという行為のときもそんなことを考えたような気がするし、朗読とか人前で話をするとかいうときも、まさに基本はそこであるし、詩を書くという行為もまた、基本はそこのような気がするのだな。しかしそれを言えば、子どもを育てるのも、犬と散歩するのも、男とつきあうのもそれかもしれない。いや男は、そうもばかり言ってられないけど、子どもと犬はまさにそうだ。とにかく、そう思って身体から力を抜いて、すっかり抜いて、動くジョーバの上で動きに合わせて動いてみたら、ジョーバから落っこちた。だらだらさせすぎたようだ。

馬10

2011年12月30日(金)

きのうはひきつづき軽速歩。きょうは軽速歩から、手綱をひきしめてただの速歩、もっと、もっと、たづな、たづな、コブシ、コブシ、おしり、おしり、と怒鳴られながら速歩。こんなに怒鳴られるのはひさしぶりなので快感であった。なにしろきのうと今日のテーマは、たづなをぴしっとたるませずに持って、馬の口の動きを感じて、肘に連動させるということなのである。つまり今までのあたしの手綱の持ち方はかなりゆるめで、ほんとはそれじゃだめなのだが、そんなところまで気を配っていると馬の動きに集中できなくなるので、先生は言わずに、ただ並足から速歩、軽速歩とすすめさせてくれたのである。で、今のあたしの状況は、馬の動きには慣れたが、コブシは動くし、肘はかたいし、馬の口の動きは感じてないし、おなかはべしゃっと(このオノマトペは先生が使った)ひっこんでるし、おへそは出てないし、頭はぐらぐらしてるし、背中はまがってるし、速歩の振動で、鞍の上でおしりがあっちこっちに動きまわり、軽速歩すればばっふんばっふんとおしりが鞍にたたきつけられるようにもどるのである。あまりのていたらくに先生が乗ってみせてくれたが、そりゃーー先生はうまいわな。でも伊藤さん、以前、おやじに教わったからここまでできているんですよ、と。はい先生、大先生はもっともっとこわかったっす。

馬9

2011年12月28日(水)

きのうはウマく乗れなかったが今日はウマく乗れた。伊藤さん、特訓の成果が出たじゃないですかと先生にも言われた。きのうできなかったのは、たんに並足しながらあぶみの上にたつことだ。それは軽速歩の練習で、それができないととうぜんながら軽速歩ができるわけがない。ということで、軽速歩もぼろぼろであった。ぼろぼろになりつつもやっていたら、先生が、おへそを前に出して、といった。おへそを前に出すと(初心者は)こわく感じるがそれで安定するのだという。で、家に帰って、うちのジョーバマシンで、おへそを前に出して、肩から上を動かさずに(頭、ぐらぐらしてる、といつも先生にいわれるので)乗ってみたのだ。マシンは15分でとまるようにできているので、やりながら映画を(交渉人)を15分ずつ1日かけて見たのである。そしたら、きょう、あぶみなしで立ったまま、馬場を何周でもすることができた。軽速歩もきのうよりずっと「おへそを前に出して」「おしりの下に卵があるようなつもりで」できた。きのう先生は、すべてのうごきをていねいに、といった。なにかに集中していると(初心者は)そこまで気が回らないかもしれないが、とにかくすべての動作をていねいに、と。それはちょーーど、ユーリ・ミロノフがノンナにいった(ことばはちがうが。パドシャをさせながら)ことだ。うむ、奥が深い。そういえば山岸凉子のごくごく初期の短編は、乗馬漫画だった。

寒さとクレしん

2011年12月25日(日)

やはり人の子なので疲れが出て動くのをやめてぼーっとしておる。うちの中が寒くて寒くて変温動物のあたしとしては動くに動けなくなっておるのかもしれない。うちが寒いのは、ふたん人が住んでないからだ。コート着てマフラー巻いて石油ストーブ炊きっぱなしにしても寒い。たき火かなんかしたいくらいだ。ぼーっとしついでにビデオ屋にいって「クレしん オトナ帝国の逆襲」を借りてきた。こないだたくろうを聞いて思い出したのだ。そんで、(タイマーズから声をお借りしました)泣いた泣いた泣いた。アニメでこんなに泣けるのは「UP」と「Finding Nimo」くらいか。泣くと疲れて、よけい寒い。外に雪がちらついたのをさっき見た。

馬8

2011年12月25日(日)

東の空がほの明るい中、馬に行ったが、はじめるころには明るくなっていた。朝の暗い中でやると、がんばってるなあって気持ちがしますよね、と先生がいった。からかってるような口調であったが、いや、マジで同感である。やはりカラダが忘れていたので、じっくり並足して鐙に立つ練習、これがなかなか保てずにぐらぐらしたが、つぎに速歩。速歩の振動は頭のてっぺんから抜くつもりで、と。膝から下は無いものと思え、と。馬を待ってやる、馬に行かせてやる、いちに、いちに、と心の中でとなえながら、馬の速度にあわせてやる、しかし伊藤さんは先走ってどんどん行け行けの合図を出しているのだ、と。先生の指摘には容赦がなく、あたしの動きには進歩がないのである。しかしズンバと乗馬、名前だけでなく、使う筋肉もよく似ていることがわかった。骨盤と股関節の筋肉だ。

携帯メールとうなぎとB級グルメ

2011年12月24日(土)

そういえば、携帯のメールアドレスを変えた。といってもそれはほとんど使ってないので、M子と業務連絡するか、従弟と業務連絡するかくらいしか使ってないのであるが、成田に降り立って携帯をつけたら、出てくるわ出てくるわ(う、思わず中原中也から声をお借りしたかも)1000件メールが出てきて、ぜんぶジャンクメールで、消したけど、消すそばから、20、40と入ってくる。Nちゃんちについてその足で、念願のうなぎ食べに行った、野田岩というところ。そのあいだにもメールは入り、食べてる間にもメールは入るのだった。それでついに前のアドレスよりうんと複雑でドットやハイフンや数字だらけのアドレスを作ってそれに変えた。ジャンクメール、話にはきいていたけど、ひどいものだ。そういえば、あたしの最初のメールアドレス(携帯のじゃなくて。アメリカのだった)は、最終的に一日に何百となくジャンクメールが入ってくるようになって別のに変えたのだった。で、ねんがんのうなぎはうまかった。白焼きはいまいち好きになれなかった。煮こごりもうまかった。父に、熊本のうなぎ食べに行こうよーとこないだから誘っているのだが、子どもの頃よく登亭といううなぎやに連れて行ってもらった記憶があるのに、「おれうなぎはあんまり食べたくない、それよりB級グルメのほうがいい、やきそばとか、たこやきとか」というのであった。で、たまたまあたしは「う」といううなぎ漫画だけじゃなく「めしばな」というB級グルメ漫画も読んでいるところだったので、反論できないのであった。そういえばまだ今回は、薄皮クリームパン食べてない。

大掃除とくじ引き

2011年12月24日(土)

大掃除してるのだが、やたらに汚いのである。本があっちにもこっちにも積み重ねてあり、着ない服が汚れたままあっちにもこっちにも落ちている。犬の毛がもうもうとしてないし、鳥のふんもこびりついてないぶん、マシか。何もかも捨てたくなるのである。数年前に思い立って、家庭ゴミの回収業者を頼んでごっそり持って行ってもらった。ああいうことをまたしたい。さっき行きつけのスーパーで、くじ引きを2回ひいたら「精肉コース」が当たった。どきどきしながら待っていたら、豚肉の味噌漬け4枚入りのパックをくれた。こういうのティッシュ以外にあたったことがないので、ものすごくうれしかったのである。帰ってきたばかりなのに2回もひけたのは、ビールとアルコールフリーのビールを大量に買ったからだ。

熊本

2011年12月24日(土)

熊本。
京橋の朗読会ははじめての立ち見が出た。申し訳ないような気がしつつもものすごくうれしかった。それなのに声をひそめて読みたかったのが多くて、後ろのほうまで声がとどかなかったとカントクに言われた。まことにまことに申し訳ない。ジクジたる思いである。以後気をつけます。読んだのは「コヨーテ・ソング」をたくさんと「歎異抄」を2、3篇と新作の書きかけを一篇。「コヨーテ・ソング」は、あたしにとってはとても読みやすいのだが、セックスとペニスとうんことげろが満載で、人前で読むといやがられるだろうなあと思いつつ読んじゃった。開催中の吉原洋一「詩人・声・肖像」
われわれの生き様が切り取られてある、声というところに。平面の表現なのに声でいっぱいであった。
で、熊本についたらジャパレンさんが、阿蘇は雪になるかもしれませんよといって、チェーンをサービスしてくれた。熊本の家の中についたら、冷え切っておった。15年ぶりくらいに石油ストーブをひっぱりだしてきて、15年前に灯油を買っていたお店に電話して灯油を配達してもらった。毎年このように冬の家は冷え切って、原始人が冬の洞窟のなかで堪え忍ぶように生きているのだが、今年はもうすぐ人の集まりがあるので、そうもいっていられない。ちょっと前から使っているiMacが調子が悪くて、HD をインストールしなおしたが、なんにも変わらなかった。各マシン(カリフォルニアのiMacと、旅股用のAir、旧股旅用のBookと、熊本の置きiMac)機体によって扱い方を変えねばならないというのがとてもめんどくさいが、受け入れなければならないようだ。

本音

2011年12月20日(火)

マジで、飛行機のりたくない。

12月22日朗読のご案内

2011年12月20日(火)

「詩人の聲」第700回12月22日(木)
場所: ギャルリー東京ユマニテ
開場: 18:30 開演: 19:00
予約: 大人2,700円 
当日: 大人3,000円 

予約はギャラリーへ電話かE-mailでお申し込み下さい。


ギャルリー東京ユマニテ(京橋)  
104-0031中央区京橋2-8-18昭和ビルB1

Tel: 03-3562-1305 

E-mail: humanite@js8.so-net.ne.jp


くしくもそれは「詩人の聲」の詩人たちをずっと撮ってきた吉原洋一さんの個展「詩人・声・肖像」
の初日であり、それを祝して、渾身の朗読いたします。前からつねづねいっておることですが、吉原さんのシャッターを切るチャンスはどうしてああも快いのだろうと思えるほどで、微妙なかつ的確な瞬間に、シターッ、シターッと入り、それはまるで「たぁやっ」みたいに大向こうからいわれる感じで、朗読してるあたしがリードギターとすれば、ベースギターのように、リズムを作っていくのである。

humanité lab vol. 44
 吉原洋一展「詩人・声・肖像」

2011年12月22日(木)〜28日(水)

父の機嫌とゲルの解体

2011年12月19日(月)

ゲルの解体でものすごくばたばたしている上に気持ちが焦っておるのは締切が終わらないからだ。父はきのうもおとといもその前もその前も、おそろしく機嫌が悪く、機嫌がわるいから、電話をするのがおっくうで、後に後に伸ばしていて、電話したときには、夕方になっていて(日本の)、さらに機嫌が悪くなるという悪循環である。仕事していて、とちゅうで心を切り替えて父に電話する気にならないというのもある。それで遅くなって、また機嫌が以下同文。

雨上がり

2011年12月14日(水)

雨はあがった。5時半ごろフリーウエイから海(ここではかならず真西である)を見ると、海の上に大きくて軽そうな雲がひとつ浮かんでいた。奇妙な雲だった。そしてその下、水平線の上にもこもこした雲が起っていた。それは、一瞬、森かと思った。もちろん西に、森があるわけないのである。西じゃなくても、あんな黒ぐろとした森は、このあたりにはないのである。雨雲が、西に、海の向こうに、いってしまったようだ。森みたいな雨雲も、浮かぶ雲も、影絵のように黒ぐろとして、背景の空は、赤色系のグラデーションだった。深くて、静かで、「終わり」感のある色だった。影絵といったが、たしかに光源は向こう側にあるのだ。

今日も雨

2011年12月14日(水)

予報によると今日も雨。このまま止まないとすごいことになる。あたりいちめんもうもうと植物が繁り栄える。セージだらけの荒れ地も岩だらけの山も苔むして緑になる。シアトルとか、オレゴンとか、いや、熊本みたいになる。

2011年12月13日(火)

雨だ。きっちりと降っておる。ひさしぶりに植物たちを外に出した。みんな濡れた。

大石犬

2011年12月12日(月)

昔むかし、高校の裏手に、一匹の犬がいた。その名も「大石犬(おおいしいぬ)」。体育の大石先生にそっくりだとうわさになり、世界七不思議の一みたいな感じで広まっていき、「大石犬、またいた」「大石犬、見た」というのが朝の挨拶になり、とうとうあたしもおそるおそる見に行った。そしたら驚いたのなんの、あのときの「ぎょっ」は一生忘れられない。大石先生の顔をそのまま犬のからだにはめこんだような、茶色くてむくむくした犬が、つながれて道端にねそべっていたのである。そんなものは見たことがなかった。何かの呪いと思われた。大石先生、若めの(というのは、体育のもう一人の先生はベルリンオリンピックに出たという80歳くらいの老人だったから)先生で、おだやかでおもしろくて好かれていた。犬に顔をうつされるようなことをしたとは思えなかった。まるで楳図かずおか古賀新一の世界だと思った。何年かのち、もう少しものをわかってきた頃、チャウチャウの写真を見て、大石犬じゃん、と思ったときの驚きもまた忘れられない。つまり、あれはただのチャウチャウで、無知な高校生はそれを知らなかった。あたしだけじゃなくみんな知らずに、ただ驚いていたのである。てなことをふと今朝、チャウチャウをみかけて思いだし、「あのころ先生がいた」に書きゃよかったと思ったが、あとの祭りであった。

大学

2011年12月12日(月)

おおっバークリーにも佛教大学院というのがある。これなら−、通えないか、やっぱり。HP見てみたら、マジで英語だし。S子に、おかあさん、いやだからね、レポート提出のたびに「ねー翻訳してー」って頼まれるのは、と(入る前から)きっぱり言われてしまった。やはりレポートは日本語でないと、それから漢文ペースでないと、何の役にも立たないような気がする。サンスクリットやチベット語を今からやるつもりはないのだ。時間があるならやりたいけど。そういえば数年前、いやもう十数年前になるかも、クラシックにはまり抜いたときも、音楽の理論みたいなのを習いたくて習いたくて、本買ってきたけどちんぷんかんぷんで、それはもう、本覚思想批判とか涅槃経とかよりちんぷんかんぷんで、困った記憶がある。あのときは大学に行こうなんざー考えなかったから、今のほうが必然性も熱心度も強いのだ。

タケと散歩

2011年12月11日(日)

タケ、ついに散歩をシカトした。仕事が一区切りついたので、11時ごろ、さーいこうかあ、というと、飛び上がったのはニコだけ。昔は「さー」といっただけで、あるいは立ち上がっただけで、「さんぽさんぽさんぽ」とさわいだものだが、きょうのタケは、寝たままぴくりとも動かないのであった。ニコだけがあたしの足にぶつかりながらはしゃぎ、台所で、ニコのリーシつけたりうんこ袋もったりごそごそやっていても、タケはいっこうに起きてこなかったのである。耳が遠くてさわぎが聞こえないという可能性もあるが、かったるくて行きたくなかったという可能性のほうが大きい。うなぎ食べにいこうようと誘っても立ち上がらない父みたい。ここ数日のタケはマジでかったるそうにしていて、外に連れ出すときにも、車のドアをあけても、そこで5分間くらい、「うーー、入れるかな」と考えているのであった。で、タケの飛び乗るべき鋭角の方向をさししめしてやると、決意して、飛び乗る。そのとき「よいしょ」と声をかけると、やりやすいようだ。後足が半分くらいずり落っこちそうになるけど、まあ、まだ乗り込める。とにかく今日は、ついてこなかったので、ニコといつものルートを歩いて、帰ったら、のそのそと出てきて、散歩のあとにはかならずもらう牛乳をいつもどおりがつがつと飲み干した。

ズンバとぷるぷる

2011年12月11日(日)

きょうズンバの先生に、どうやったらおなかをぷるぶる動かせるのですか、あたしのおなかはほとんど脂肪ばっかりで動かせないのですがと単刀直入にきいてみた。そしたら、まず骨盤に集中して、肛門をひっこめて持ち上げる感じでぐるりと回すのだと。最初はゆっくりゆっくりやって、そのうちにそれを早くすると、あの動きになる、と。つまりあれは脂肪をぷるぷるさせるのではなくて骨盤回しの技術であったのだ。そして先生がいうことには、デスクワークの人(つまりあたしのような)は長時間すわってることでそこの筋肉が固くなってるから、ときほぐすのに時間がかかるそうだ。おなかのぷるぷる、きっとものにしてやる。きょうのズンバは体力を消耗しすぎて死ぬかと思った。

大学のにゅうし

2011年12月11日(日)

それで佛教大学には通信教育があるからそこを調べたり、コロラドのNaropaにも通信教育があるのでそこを調べたりしていたが、そもそも佛教大学のほうは入試があって、日本にいる予定のないときに入試だし、「にゅうし」が受かるかどうかもわからないし、勉強もいっぱいレポートかかなきゃいけないらしくて、これ以上しめきり増やしてどうすんだおいという内なる声もあるし、Naropaのほうはそもそも英語だし、チベット仏教が主らしくて、やりたいこととは微妙にちがっておるし、どうしていいかわかんない。せっぱつまったあげくの逃避かもしれない。あー、ほんとにこんなことなら、学生時代にもっとちゃんと勉強しておけばよかったと悔やまれるが、行ってた大学は仏教系じゃなかったし、いってた幼稚園は仏教系だったけど、幼稚園児はほかにやることいっぱいあったし。

大学

2011年12月10日(土)

仏教系の大学に入って思いっきり仏典を読んで、おもいっきり先生に質問したいけど、ここにいたらできない、それが。こっちで大学入ったらみんな英語だから、漢訳仏典読むってことができないだろうし。うーーーむ、人生最大の危機だ。

ケプラー22b

2011年12月07日(水)

ケプラー22bのニュースには心動かされた。こないだネアンデルタール人の女の写真をナショナルジオグラフィックかなにかで見たときくらい、心動かされた。で、つれあいは何にかんしても懐疑的なので、ネアンデルタールの女の写真も、いったいいつだれが見たんだ、みたいなことをまず言ったし、ケプラー22bについても、いったいどれくらい遠くにあるかわかってるのか、と非現実的なあたしを見下すように言うのである。600光年の距離なんだけど、いざとなりゃワープという手があるというのをつれあいは知らない。漫画読んでないのである。ネアンデルタール人の顔は、子どもの頃読んだ漫画に、石川球太だったか、原人同士の戦いの漫画があり、そこに出てきた敵の原人たちにそっくりであった。漫画の世界ではあたりまえに起こっていたことが、デジュヴュつーか、今更、という感じで現実の世界に起こってくるのが不思議である。

ツリー

2011年12月07日(水)

ゆうべ、学校の帰りにトメ連れてクリスマスツリーを買いに行ったら、やたらに混んでいたので買わずに帰ってきた。それで今日、お昼前に、エクササイズの帰りに行って、いちばん小さいやつを買ってきた。あたし一人でもらくらく持って帰れた。しかし15年間、クリスマスツリーを買ってきて、今年がはじめてであった、こんな小さいツリーを買うのは。うちにたまったオーナメントの3分の1も飾れないようなやつだ。

ペットとコンブチャ

2011年12月06日(火)

あたしの部屋は、服が散乱して、本が積み重なっていて、犬の毛がもうもうとたまっていて、旅行カバンは出しっぱなしで、靴は何足もころがっていて、ニコがニコ用ベッドで寝ていて、ぴーちゃんが椅子の背かライトの上かにいて、タケは部屋の入り口にいる。ここまでは常態なのだが、さっき台所から、培養中のコンブチャの大瓶を動かしてきて、机の脇に置いたので、なんだかやたらとペットの密度が高くなったような気がしておる。コンブチャ、かわいい。

眠気

2011年12月06日(火)

ひきつづき「本覚思想批判」と格闘しておったところ、S枝さんからメールが入り「風邪治りましたか」と(つまり催促)。間髪を入れずにT中さんからもメールが入り「15日の件、お忘れなく!」と。この二つのメールもらったらいきなり凄まじい眠気が襲ってきて、まっ昼間というのに2時間も寝てしまった。なんたることだ。

コンブチャとクリスマスの飾りとケセン語訳聖書

2011年12月05日(月)

新しいコンブチャを始めようと思ったが、やはりタネが欲しい。それで、いろいろ検索したところ、タネのつくりかたを発見してやってみておる。今までのやりかたとのいちばんの違いは、密閉せずに息ができるようにタオルで蓋をしたところ。さあどうなりますか。
あんまりむずかしい、というか、あたしの頭脳で理解のできない本ばかりたてつづけに読んでいたので(これを読むというならば、だ)昨日から、本覚思想も涅槃経もとりあえず横において、山浦玄嗣さんのケセン語訳聖書の「マルコ」こないだ買ったっぱなしで聞いてなかったのを聞き始めた。これは本が震災でダメージを受けている。よく生きのびたものだ。「マタイ」を読んだときにはすっかりハマって、その後しばらく、口をひらけば聖書の話ばっかりだった。で、このように時をおいて読んだらまたまたすばらしいではないか。語りの基本だ。こういう訳をあたしもしてみたいし、こういう朗読をあたしもしてみたい。岩波の佐藤研訳のもならべておいて(これはこれでぶっきらぼうな学者風がとても好き)いっぺんに読んでいる。ケセン語訳は、車の中でもきき、ipodに入ってるから台所でもベッドのなかでも聞いている。で、ききながら運転していて、ふと外をみると、家々がイルミネーションで飾りたてられている。曲がり角の家のは年年すごくなる。今年は家全体が光り輝いている上に、前庭に、イエス生誕の図ができあがっている。
「僕はビートルズ」7が11/25とかにできるというので、amazonで注文してM子のところに送るように指定し、M子からあたしに送ってくれるてはずになっていた。思いがけず、時間がかかったのが昨日ついた。もう10回くらい読んだ。これはよくわかる(あたりまえか)。でも、「デラシネマ」4も注文したのだが、11/25のはずが12/25以降になるかもとamazonにかいてあった。遅れるのだ。他人ごとではない。共感する。辛抱強く待つ。

YouTubeと空白の数時間と「芝浜」

2011年12月04日(日)

涅槃経について検索していたはずがいつのまにかYouTubeでさんざん古い歌をききまくっており、東京ブギウギのいろんな人のカバーを聞いてたり(青江三奈と八代亜紀のデュエットがいちばんよかった)、談志の芝浜を聞いてたり、それからはっと気がつくと牛島辰熊だ木村政彦だという熊本県人を検索したりもしており、ああわたしは何をしていたんだろうという空白の数時間を過ごしたところであった。
「芝浜」は好きだ。あたしは三木助ので覚えるほど聞いた(テープを持っていたのである。それからちくま文庫の「三木助集」でなめるように読んだのである)。「芝浜」の夜明けの海の描写が「幻談」の夕暮れの海の描写とすごく似ている。今日父に電話したら「四時から談志の芝浜をやる。談志の落語ってちゃんと聞いたことないから聞いてみようと思って、マラソンみて時間つぶしてんだ」ということで、じゃーあたしも聞いとこう、父との会話のタネにしようと思ってYouTubeで探して聞いたのである。最初はおもしろいけどうっとうしいところもあった。でも批評を全面に出しながら落語やってんだなと思うと、当然だと思えてきて、そのうちはなしがどんどんリアルになっていって、ひきこまれて、よかったのだ、けっきょくは。ちょっとしつこいのは個性であろう。これに比べると三木助のは様式美だった(でも好き。様式美のほうが「語り」の本質ではあると思う)。おかみさんが二回目に起こすとこなんて、談志のは、とってもおどおどしていて、やっぱそうじゃなきゃ嘘だなあと思ったのだ。勝つぁんが最後に飲もうとするところ、昔は(子どものころ聞いたときには)たんたんときいた箇所だが、依存症のことをよーく知った今となっては、叫びたいほどどきどきする。

母のお迎えと父のたばこ

2011年12月04日(日)

父が言うには、「このごろ裏から横にかけてふわーーーと白いものがね」と。「何かよくわかんない、ときどきそういうのがある。そういうときはじーっとして、たばこ吸って、休んで、すぎていくのを待つ」と。父の解釈では「あれはばあさんが迎えにきたんだ」と。「おい、まだ早いよ」と声をかけた日もあったそうだ。昨日は、たばこを吸いたくてたまらないと言っていた。ときどき1本ずつ吸っているそうだ。きのうはなんだか元気がなかった(このごろ元気のない日と元気のある日が、交代でやってくるような気がする)。すごく吸いたい、吸えばよくなるかもと言っていた。あたしはアレルギーがひどくなってるので、たばこ再開されるとほんとにつらいのであるが、まあ、しかたがない、何も言わないでいる。吸ったら吸ったで、また、吸ってる間は少し遠くにいればいいことだし、と思いながらも、ゆうべは父がまたたばこを吸い始めて、あたしが咳き込んでいる夢を見た。

白身考

2011年12月04日(日)

娘たちがそれぞれにケーキをつくるのに凝っているらしく、冷蔵庫を開けると大切に食べていたちょー高い自然卵がなくなっていたり、卵黄が大量にあったりする。卵黄はうれしくあたしの食生活に投入して、リッチな生卵かけごはんやリッチな卵おじやにしているけど、なんだか期待したほどうれしくないのである。黄身はたしかにうま味があふれんばかりで、こってりとして、まったりとして、黄身なんだけど、なんだかしつこくて、もっともっとと食べる気にはなれない。ずるずると鼻水をすするようで、そこがまたなつかしくはあるんだが、このすすり感がないといいのにと思わないでもなかった白身の存在に、しみじみ気がついたということだ。親孝行したいときには親はなしという川柳のようだ。(ってどこが?)

大鴉とSage

2011年12月03日(土)

昼間はitunesでルー・リードを買いながら聞きながら仕事をしていたのである。いっぱい買ったのは、たぶん午前中におまわりさんにチケット切られた余韻でやけくそだったのだ。ルー・リードは73年にベルリンにはまった。当時友人たちはみんな西海岸の音楽を聞いていた頃だ。きょう買った中では、Animalというライブアルバムのなかに入っている「The Raven」がものすごくよかった。声をきく上で、何かほしいもの、聞き出したいものが「××」だとすると、ルー・リードはそれを持ってることがある。××、何かな。わかればいいんだが。ところで、今日は、一年ぶりにSageのさつまいものプディングを食べた。すべてをつつみこむような淡々とした印象のケーキなのにもかかわらず、スプーンが、底のカラメルに到達するや、過激な苦さと黒さに、どん!どん!とどつき倒される感じがある。そのギャップが快感でたまらない。この頃またSageのケーキにうつつを抜かしておる。

おなかほっぺおしり完全版とヒストリエ

2011年12月03日(土)

中公のM浦さんから、完全版「おなかほっぺおしり」が届いた。赤いおしりがかわいすぎる。それから「ヒストリエ」7巻ーーーー。ってtwitterじゃないんだから、こんなふうに刻々書かなくても。

チケットと歳末助け合い

2011年12月03日(土)

きょうはズンバがなくて、エアロビなのでつまらんと思いつつ、朝のクラスに行こうとしたら、いつもかけてるクラシックチャンネルがジャズみたいのをえんえんとやっていて、へんだな、チャンネルまちがえたかと思ったりしていたのがいけなかった。この優良ドライバーが(すっとばすし、がくがくやるけど、基本はとっても優良ドライバーなんです、あたしは)赤信号で左折(こっちは赤信号でも一時停止したあとは左折できる、気をつけながら)、前の車につづいてつい一時停止せずにちゃっちゃとやっちゃって、おまわりにとめられて、免許証不携帯とライセンスカードが期限切れで、大量なチケット切られちゃって、うんざりし、食い下がったら、ライセンスカード期限切れは消してくれて、免許証不携帯は今日中におまわりさんだれでもいいからみつけたら免許証とこのチケットみせれば20ドル払って不問に処すといわれ、町のおまわりさんどこにいるかわからないから、家にとって返し免許証持ってシェリフステイションに飛んでいって手続きしたら、17ドルで不問に処すにしてくれた。赤信号一時停止せずに左折の罪は消えないので、数百ドルの罰金払って教習所に行かなきゃならないが、裁判所にいかなくてよくなったはず。つれあいに報告したら、いつもは天を仰ぎ見て生きてるのがいやになっちゃうくらいに嫌みな反応をするのであるが、きょうはおだやかだ。というのもほとんど同じ時刻に、彼も左折か右折かをしておまわりさんに停められ、チケットはもらわなかったが、注意されたらしい。まあこの時期だ。歳末助け合いでお金が市に行くのだと思えば。思わないと。思え。思った。思うもん。

コンブチャと自問

2011年12月02日(金)

コンブチャ、もう1本あけてみたらこっちはぜんぜんしゅわしゅわになってなくて、しかしまろやかな飲み物になっていた。白ワインにまぜて飲んでいる。うまし。
きょう読んでいたのは「仏性とは何か」という本で、以前もさんざん読んでフセンがいっぱいついてるのだが、ちっともわかった気がしない。というかここ数週間これを読まなきゃはじまらないだろうと思ってずっと抱えて歩いていたのだが、きょうはたまたまつれあいを病院の救急医療のとこにつれていって、四時間もそこで待っていたので(風邪をこじらせた)、とうとう読み切ることができた(といっても2回目か3回目)。しかしぜんぜんわかった気がしない。頭のなかにスが入っているような気分である。頭わるかったんだなあとイジイジする。でもこの本はましなほうで、もっとぜんぜんわからなくて投げ出した本はまだ何冊もあるのだ。こんなにわかんなくていいのかというくらいわからないのである。続けるのか? と自問しておる。続けなければならないのだ。そしたらいつかわかるのか? と自問しておる。

コンブチャとプラボトル

2011年12月02日(金)

こないだから培養中であったコンブチャ、大瓶のほうは蓋のしまりが悪くてなかなかできないでいた。味は、くさってるとかじゃないんだが、紅茶と酢の間みたいな感じで、しかし特有のしゅわわわわわわ感が出てないのである。それで先日、小瓶のきゅっとしまるのに移し替えた(もともとコンブチャの入っていた瓶である)が、ひとつだけ足りなくて、vitamin waterのプラボトルに移し替えたと思ってください。そしたら数日でそのプラボトルがぼこぼこになって、ちゃんと立たないほど、ゆがんできた。おかしいな、どこかにぶつけたのかなと思って、また別のプラボトルに移し替えた(その時点で、かなりしゅわわになっていた)ら、また同じことが。つまりこの変形は、発酵によるものだということが判明したのであった。発酵力、すごいもんである。で、今日やっと1本あけて飲み始めた。うまし。もう少し甘くしとけばよかった。しかしうまし。あと8本もある。

父とミタと買い物

2011年12月01日(木)

父に「家政婦のミタ」というのがすごく評判らしいけど、見てる? ときいたら、「毎週かかさず見てる、すごくおもしろい、『謎解きはディナーのあとで』よりおもしろい、夜遅いから『ミタ』のある日は6時ごろいったん寝て、かならず起きるようにしてるんだ」と熱烈な返事であった。そしてミタの素性をくわしく話してくれた。とても複雑だった。素性がわかっちゃったからもう終わっちゃうかもと心配しているので、wikiで得た情報(あと3回やる)を教えてあげた。けっこうテレビのドラマも見ている、というより、この頃そっちのほうをより多く見てるようだ。時代劇は(時代劇専門チャンネルで)字幕がつくときだけ見ているそうだ。テレビのドラマは、ミタもディナーも、みんな字幕がつくそうだ。うちのつれあいが、字幕のつかない映画はみたがらない(たいていのDVDにはついているが、ときについてないのもある)のと同じである。
「なんだか知らないけどね、きのうね、とつぜん補聴器かったんだよ」と。なにしろ外に出ないので、買い物もほとんどしない父である。ヘルパーさんに頼んで、電話ショッピングみたいなところに注文してもらったらしい。「一年がんばったから自分にごほうびだと思って」「お正月だし」「あんたも来るから、大きな音でテレビきいてなくてすむし」と、言い訳みたいなことも。それはよかった、やっぱたまには買いものしなくちゃとほめると、とても得意そうであった。

グラシとむかつく

2011年12月01日(木)

それというのも、こないだ、そうでなくても普段から文句の多いつれあいに、もう日本料理はたくさんだ、このごろずっと日本料理で、自分の文化はちっとも考慮されておらぬ、あきあきしたと言われたから、むかついて、ヤケになって、連日、非日本料理、肉料理、芋料理をつくっているのである。この頃S子と飯場担当を分担しているので、以前より日本(風)料理は多くなったが、それでも、考慮してないというのは、彼のひがみである。むかつく。しかも彼は口をひらけば日本料理が好き、ぜんぜん問題ないといつも言っておるのだ。その上彼に何が食べたいかときくと、いつだって「なんでもいい」としか言わず、ほかの家族にはいつだって明確なビジョンがある(まつたけごはん!とか、ズッキーニのはさみ揚げ、ぽん酢がけ!とか、肉じゃが!とか)ので、ついそっちを作るだけなのである。それでゆうべは牛肉のシチューとあいなったけど、ジュリアチャイルドのブッフブルギニヨンみたいな、正統せーーーおーーー料理はイジでも作りたくなかったので、好きなようにやって、赤ワインで煮込み、最後に大量にパプリカを投入したら東欧風グラシになった。うまかった。しかしむかつく。

父の感想とタケの骨

2011年12月01日(木)

柔道のUがセクハラというニュース、父が「ああいうのはいやだね、聞きたくないね」といっていた。「柔道はね(父は柔道二段)からだとからだとくっつけてやるだろ、だからしかたないんだよ、ついおかしな気持ちになっちゃうよ」と。「痴漢だって、最近はすぐ痴漢だーっていわれちゃうだろ」と。だっておとうさん、あたしも昔さんざん痴漢されたけど、あれはすごくいやなものなのよ、というと、「そうかー、じゃ痴漢とはちがうのかも」とすぐに意見をひっこめた(すなおなんである、あたしに似て)。父が憤慨しているのは、セクハラの問題じゃなく、いちどもてはやしたものを叩いてひきずりおろそうとするニュースの口調のようだ。斎藤という野球選手がデビューしたときにも、「こういう子にはほんとうにうまくいってほしい。こんなにさわがれて、だめだったなんて聞きたくないもん」といっていた。動物番組を見ながら「この頃は小さいものがほんとにかわいい、小さいものが死んだりするのは見たくない」といっていたが、あれとつながっている気持ちかも。
きのう大きな牛肉のかたまりを料理したら、中心に髄の入った大骨があり、またあぶらみやらスジやらがたくさん出たので、ゆでて、タケたちに。あたしが外から帰ると、タケがめずらしくはっきりした顔で、おかあさんおかあさん、みてみてといわんばかりに、みがいたみたいに白くなった骨(タケがかじってなめてみがいたわけだが)くわえて、見せに来た。ゆでて、肉も髄もついたやつをもらったときは大喜びで、その場でちょっとかじっていたが、そのあとがぶりとくわえていっさんに家の裏手に走り去っていき、しばらくして戻ってきたときはもう真っ白にみがきたててあったそうだ。骨は一個なのでとうぜんタケがもらったが(犬には民主主義は通用しない)タケが目を離すと、ニコがそれをくわえている。グライアイが一つの目をいったりきたりさせている感じ。

   
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